第3話 一人で生きるくらいなら一緒に死にたい
千夏が初めてCafe Androdiaを訪れた翌日の今日、店前で散らないソメイヨシノを見上げている。
今日は土曜日なので授業が十二時半に終わり、着いた頃には十三時半をすぎていた。
昼食を食べていないから空腹だったが、この店のランチは数量限定の日替わりプレートしかなく千八百円と少々高い。ランチ以外の食べ物は数種類のケーキだけだがどれもワンカット一律八百円だ。頼むなら一番安いアイスコーヒーだがそれも五百円はする。街中でよく見るコーヒーショップよりも割高で、高校生としては少々悩むところだった。
しかし千夏の目的は飲食ではなく累とユイだ。だが累はともかくユイと話をするとなると指名料が必要になる。
アンドロイドとロボットの指名料は最低でも三十分二千円で、十分毎に五百円追加。最高額のユイは三十分五千円で十分毎に千五百円と相当長くになる。ちょっとお喋りしましょうの値段ではない。
店先の黒板に書かれたメニューを睨みながらうろうろしていると後ろからぽんっと肩を叩かれた。
「今日もサボり?」
「累さん!」
「あ、土曜だから早いのか。お昼食べた?ランチはもう無いけどケーキならあるよ」
「食べてないんですけど……その、ちょっと、高いから……」
「ああそっか。でもお腹空かない?」
大丈夫ですと強がろうとしたその瞬間、ぐうう、と千夏の腹が鳴った。
こんな漫画みたいなタイミングあるのかと、恥ずかしくなり顔を真っ赤にしてわたわたと暴れた。
「あはは。よし、おいで」
「え!?い、いえ、あの、ほんとお金無くて」
「いいからいいから」
ぐいぐいと累に引っ張られて行くと、案内されたのは客席ではなく客席からは隠れているカウンターキッチンの片隅だった。
累は大きめのプレート皿を取り出し何かを盛りつけ千秋の前に置いてくれた。そこには一人前には足りないがおにぎりサイズの夏野菜カレーと心ばかりのポテトサラダ、オニオンスープという小さなランチプレートだった。
「え?あ、あの、これ」
「ランチの余り。お金いいから食べていいよ」
「で、でも、えっと」
「どうしても少しずつ余るんだけど、ほら、うちって賄い食べる人間いないから廃棄一択なんだよね」
店内に居るのは累とスタッフアンドロイド、動物型ロボットだ。人間のスタッフは一人もいない。
プレートを見るとほかほかと湯気の立つカレーはとても良い香りがする。ジャガイモが好きな千夏にとってグリーンサラダより圧倒的にポテトサラダ。複数種類のスープおかわり自由のお店なら必ずオニオンスープを選ぶ。
好きなものばかりのミニランチプレートを前に、千夏の口の中はカレーを食べる準備が完了していた。普通ならもっと遠慮するところかもしれないが、その思考を吹き飛ばすように、ぐううとお腹が先程より大きな鳴き声を上げた。
「……いいんですか?」
「どうぞ。試食で配ってる新メニューのパウンドケーキもあげよう」
「え!?そ、そんな」
「これは無料配布だから気にしなくていいよ」
小さなお皿にひと欠片のパウンドケーキが乗せられている。ちらりと客席をみるとスタッフアンドロイド達が客に勧めている。
ならばこれだけ出して飲み物は注文してね、で済ませても良かっただろう。けれど累は今度家族で来てくれればいいよ、と笑ってくれた。
「……じゃあ、頂きます」
千夏は申し訳ないと思いながらもスプーンを取りプレートに手を伸ばした。
それは思っていたよりもはるかにおいしくて、自宅で食べるものとは違う。若い男性が店長で経営元がアンドロイド開発企業ということもあり味に期待していなかったのだが、これならアンドロイドを指名できなくても食べに来たいと思う。
感動のあまりぱくぱくと食べていると、にゃあ、と昨日の子猫がやって来て千夏の膝に飛び乗った。
「リリィ。今日はまだ指名が無いの?」
「こいつも予約制なんだよ。あと十分は空き」
「可愛いですもんね」
よしよしと撫でるとリリィは嬉しそうに千夏の指に頬を摺り寄せてくれる。
千夏は猫より犬の方が好きだけれど、千春は猫を飼いたがっていた。両親は動物は駄目だといって叶わなかったが、千春の気持ちが少し分かった気がした。
「予約多いんですか?」
「多いよ。リリィは予約開始した日に満枠かな。ユイはリピーターの先着枠と一般抽選枠があって、あとはキャンセル分の当日整理券配布」
「わー……」
千夏は行列に並ぶのが嫌いだ。予約して何かを買ったこともないのだが、そんな千夏ですらその抽選には参加したいと思う。
ランチの余りは好意で許されても、本来専用のソファ席でしか会話ができないユイの時間をもらうことはさすがにできない。かといって指名料を払うほどのお金はない。どうしようかなと接客中のユイを見ると、なんと透明な水色のゼリーを食べていた。アイスティのようなものも飲んでいる。
アンドロイドは飲食ができない。当然だ。人間のような消化器官が無いのだから。
だがユイはぱくぱくとゼリーを食べている。飲食をするのはアンドロイドではない。人間だ。
千夏は思わず立ち上がった。
「た、食べてる!やっぱり人間なんですか!?」
「冷却材だよ。形状を食べ物にしてるだけ。ユイは人間でいう食道があるんだ」
「嘘です。そんなの聞いたことない」
「実験段階だからね。口から少量摂取なんて効率悪いし、逆に廃熱効率下げるんじゃないかとかなんとか」
「……実験って、累さんの新しいアンドロイド開発ですか?」
夏目翔太ならそれくらい簡単に作るだろう。累が夏目翔太なら、弟の外見をそのままに蘇らせたその次は飲食というのも頷ける。
けれど累は一瞬きょとんとして、あはは、と軽く笑った。
「残念ながら俺は開発者じゃないよ。上司に言われるがままにユイにあれこれやらせるだけ」
「上司?上司って?」
「美作本社。データ集めて作るんだってさ」
「え!?ここで累さんが作ってるんじゃないんですか!?」
「違うよ。ユイは美作本社のラボ生まれ」
「……嘘です。あんな凄いアンドロイド売ってないですよ」
「だから、実験。ここは販売前のアンドロイドの稼働実験場も兼ねてるんだ」
このカフェは外観があまりカフェっぽくない。そのせいもありここには研究所が併設してるのだろうと勝手に思っていた。
そうじゃなかったとしても別段どうということもないが、商品の実験というのは嘘だと千夏は眉を顰めた。
アンドロイド最高峰と言われる美作の最新機種でさえ、見た目で人形だと分かる。ユイのように人間に見間違えるようなアンドロイドなどありえないのだ。
(そうか。秘密で開発してるんだ。あんなアンドロイドが出まわったら『アンドロイド三大訴訟』がもっと広がる)
アンドロイドが一般家庭に流通しない理由は費用と性能だけではない。
購入後のメンテナンスといった維持費がかかるが、それとは別に税金がかかるのだ。人間の姿をしているという理由で住民登録や住民税が必要で、愛玩以外の家政婦や護衛といった仕事をやらせている場合は給料を払うことを法で義務付けられている。
これが非常に面倒で、個人商店を開くのと同等な手続きが必要なだけでなくアンドロイド管理者としての資格を取得する必要もある。
購入自体にも問題が多い。
アンドロイドの性能の高さによる様々な影響を考慮し、二十五歳以下は購入できないという法律がある。
だが実際は無法地帯だ。例えば、二十五歳以上の親が購入して高校生の子供に与えた場合、所有者の変更はされないため販売元はこれを把握できないのだ。しかしこれを制限する法律が無いので販売後の権利問題が混乱している。
これらの対策は進められているが何一つ実現していない。その理由はアンドロイド人権問題に火が点いたからだ。
現時点でアンドロイドは形状に関わらず人権が無い。アンドロイドであっても家電扱いなので、首を切断しようが手足をもごうが法に触れる事は無い。アンドロイド関連の法律は問題を起こしたアンドロイドを罰する法ばかりで、彼らを守る法律というのは存在しない。
おかしいのは人権が無いのに人間同等の税金がかかる点だ。その額およそ毎月五十万円、何かしらの業務に特化した高額機体は二百万円までいく物もある。
つまり、人間として扱わないなら税金を無くせ、所有者と使用者が違う場合は誰が税金を払うんだ、人間として扱うなら犯罪から守る法を設けろ、という事だ。
こういったアンドロイドに関する問題は裁判になる事も多く、これが『アンドロイド三大権利訴訟』と呼ばれる。
これは『アンドロイドにその権利を与えるか』という意味ではなく『誰がその権利に対して責任を持つか』という問題だ。
自由権とはアンドロイドに自由を与えるとい意味ではなく『アンドロイドを自由に扱って良い悪いか』という意味になる。
例えば、購入者がアンドロイドで殺人ごっこをして破壊した場合これを良しとするかという事だ。法律で言えば問題は無い。ただし、それを見た周囲の人間が気分を害して精神的被害を訴える場合がありこれはまた別問題となる。
労働権は『アンドロイドに労働をさせて良いか悪いか』だ。これは主にメーカーと購入者の間で発生するのだが、市販のアンドロイドにはそれぞれの目的に沿った用途がある。例えば、家庭内で家事をするアンドロイドは『収益を得てはならないアンドロイド』だ。これはメーカーが国に提出している商品規定のため購入者も厳守する必要があるのだが、黙ってアルバイトをさせて収入を得る人間が少なからずいる。これは確実に違法なのだが、近年一部例外が発生している。労働ではなくお手伝いだと言い張り、給料を金銭では無く物品で行うケースだ。これをされると違法ではなくなってしまい、そしてこれが最も発生しやすい問題のため早急な法改正が検討されている。
そして所有権。これは単純に『誰がアンドロイドの所有者なのか』という事で、主に共有財産で購入した夫婦間で発生する。離婚する時どっちが持って行くかだ。人間の遺産相続時にも見られるが、世話をしていた人間が持って行く権利があるとか引き取る側に生活能力があるかとか、そういった論争だ。あまり多くは無いが、それなりに聞く問題である。
だがこれらの法改正は進捗が悪い。
その理由は流通が少ないので発生件数の母数が少ないことと、外見が人間に及ばないため人権問題として大きく取り上げる政治家が少ないのだ。優先して取り組む国際的な事項があれば後回しになる。
そして極端なことを言えば、販売を一斉禁止にすれば発生しなくなる問題でもあるため重要性が低いのだ。
しかしそこにユイが量産され流通したらどうだろうか。これほど人間と変わらない機体を家電扱いできるだろうか。少なくとも『破壊』は『殺人』という心理になる。
そう思えば、誇大広告で誤魔化しながらこっそりと実験しているのは納得がいく。
千夏は人間さながらのユイを見て、また累に視線を戻した。累は幸せそうな顔をしてユイを見つめている。既にいない弟とどんな風だったかは分からないが、ユイを見るその表情だけでいかに弟を愛していたかが伝わってくる。
「……何度でも、弟さんを生き返らせたいと思いますか?」
「どうだろうな。でも俺は――」
累は手元に置いてある写真立てを手に取った。
そこにはパジャマ姿の彼の弟が写っていて、肌は白くて身体はほっそりとしている。その頬を撫でるように写真をなぞった。
「一人で生きるくらいなら一緒に死にたい」
無意識にびくりと千夏の身体が震えた。
累の瞳には弟の写真しか写っていなかった。
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