第10話 スペインの食事

「スペイン料理の味はどうかな?スペイン帝国の宮廷料理とまでは行かないが、なかなか悪くないだろう?」仮面男は口に入れた料理をモグモグ咀嚼しながら話した。食事をするときも仮面を外さない。仮面の口の穴の中に食べ物を器用に入れていた。

「とても美味しいわ。悪くない」七海は一口食べて感想を述べた。正直な感想だった。敵国同士とはいえ、同じイベリア半島の陸続きの国なのだ。味付けもポルトガルと似ている。

「それはよかった。この国に来て出来合いの食材で、素人の使用人に作らせたが、なかなか悪くない。この国には豊富な食材があり、料理が上手い民族であるらしい」

 その言葉に七海は納得していた。今朝ペンションで食べた朝食はとても美味しかった。この国の人々は本当に料理が上手いのだ。東の果てでソーセージが食べられるとは思っていなかった。

「この料理の説明をしていなかったね。これは豚肉のシャンファイナソース煮と言ってね、ジャガイモ、トマト、カボチャ、ピーマンで作ったソースで豚肉を煮込んでいるんだ」

「新大陸から奪ってきた野菜たちばかりね」七海は皮肉気味に言った。

「そう、あのクリストファー・コロンブスが新大陸からスペインにもたらしたソースなんだ」輝かしい栄光を誇るように大きな声を出した。でも、七海は知っている。コロンブスが先住民たちをどんな目に合したか。そこにどれだけ多くの血が流れたか。

「鶏肉じゃなくて、豚肉を使っているのにも何か理由があるのかしら?」このソースなら鶏肉の方が合うと思った。豚肉では少し脂っこいのだ。酸味のあるソースは淡白な鶏肉の方が味は引き立つ。

「良い質問だ。簡単に言えば、イスラム教とユダヤ教徒への迫害のためだよ。どちらも豚肉を食べることを避ける宗教だからね。スペインを完全にカトリックにするために、料理に豚肉を使うことを、国と教会が推奨しているんだ」

「豚肉を食べれば、魂が救われる?」

「ああ、そう我々は信じている」仮面男は水をゴクリと飲んだ。そして言葉を続ける。「かつてイスラムに支配されたイベリア半島を数百年かけて、我々カトリックの手に取り返したんだ。レコンキスタだ。君も学校で習ったぐらいはあるだろう?」

「レコンキスタぐらい知っているわ。我々ポルトガルも共に戦ったのだから」

「そうだ。そこから数百年経って君たちは堕落してしまった。だが我々は違う。きっと君はそこまでカトリックに狂信的になる必要はないとでも思っているのだろう。でも忘れてはいけないよ。カトリックへの狂信こそがレコンキスタを完遂させたのだから。そして今日のスペイン帝国があるのだから。今もスペイン国内にはびこる他教徒にはすぐにカトリックに改宗し、そうでない場合はスペイン帝国から出て行っていただかなければ」

 七海は黙って料理を食べ続けた。そして水を飲んだ。私がポルトガルの学校でレコンキスタを習った時、付け加えてこう教えられた。イスラム教の人々は降伏の条件として信仰の自由と財産の保障が約束された。しかし、その約束は十年も経たずに反故にされる。カトリック側の一方的な理由で。そこからスペインはイスラム教徒を徹底的に排斥する。それまでイベリア半島を支配していたイスラム勢力は、キリスト教徒を追放したりはしなかったのに。もはやそんな理屈が通じるような国ではなかった。徹底的に狂信的なのだ、スペインという国は。

かつて同じカトリックの下で共に戦った国がどうしてここまで道を外れ、敵対しなくてはならないのか。わからない。ただはっきりしているのは、この狂信性をもはやポルトガルに止める手段はないということだ。蛇でも何でもいい。何かにすがるしか道は残っていないのだ。


「ところで、どうしてあなたはそこまで日本語が上手いの?あなたはスペイン人のはずなのに」七海はフォークとナイフを皿の上に置いて質問した。

 仮面男もフォークとナイフを皿の上に置いて「それは君が日本語を話せる理由と同じだよ」と言った。そして言葉を続けた。

「君の先祖は日本人だった。日本で石工として暮らしていた。それがどういう訳かイベリア半島にやってきた。そしてポルトガル人として一族代々暮らし続けた。そして今の君がいる。ポルトガル人になったが、日本語は受け継がれた。君も親から日本語を教えられたんだろう。教えられたのではなく、普通に話していたのかな」

「その通りよ、どの部分が私と同じなの?」

「全てだよ。私の先祖も日本人だった。日本で石工として暮らし、イベリア半島にやってきた。君の一族はポルトガルで暮らし、俺の一族はスペインで暮らした。それだけの違いだ。私の一族も代々日本語を受け継いだ。だからこうして日本語を話している」

「先祖が同じ日本人で石工だったなんて、とても奇妙な偶然ね」

「俺は父からこう教えられた。我々の先祖は日本で不思議な石を掘り出した。緑色に輝く石だった。その石を握りしめ、ある呪文を唱えると、我々は一瞬でこのイベリアの地にやってきた。そのときイベリアの地はレコンキスタの真っ只中にいた。我々の一族はカトリックと共に戦い、ここに安住の地を築いた。君はどう教えられているのかな?」

「私は何も聞いていない。ただ日本語を教えられただけ」

「嘘だね。君はその不思議な石を持っていた。そして呪文を知っていた。だからここに一瞬で来られたんだろう。俺の邪推ではその不思議な石は羅針盤の中に埋め込まれているはずだ」

 七海はシラを切ることをやめた。「ええ、呪文は知っているわ。その呪文を唱えられるように日本語を教えられ続けたんですもの。でも、その不思議な石のことは何も知らなかった。本当よ。私が教えられたのは、羅針盤を持って、呪文を唱えること。そうれば東の果てと西の果てを行き来できる、それだけよ」

 それを聞いて仮面男はため息をついた。「きっと君の先祖と俺の先祖は一緒にイベリアの地に来たんだろうな。そして共にレコンキスタを戦い、君の先祖はポルトガルへ、俺の先祖はスペインに仕えた。不思議な石と呪文は君の先祖がポルトガルへ持って行ってしまったんだ。なぜそうなったのかは知ることはできないが」

 部屋の空気が少し冷たくなる。仮面男は目をつぶった。それを七海はまっすぐ見つめている。部屋の空気はどんどん冷たくなっていく。そして仮面男は目を開けて七海を見つめた。「君の先祖は他にも秘密を握っている。この地図に描かれている星マークには何かがある。ここに行けば全てわかる。だから、とりあえず星マークの場所に行こう。そして羅針盤を見つけ出しイベリアの地へ帰ろう。そのときポルトガルという国はなくなっている。不思議な石も呪文もポルトガルも全て我々のものになる。西の果てから東の果てまで全てがスペインのものになる。その中心に私の一族が君臨する。とても楽しみだ」仮面男は再びフォークとナイフを手に取り、残りの料理を平らげ水を飲み干した。七海はその様子をただ見つめていた。残りの料理には一切手をつけなかった。

食事を終えた後、仮面男は地下駐車場へと七海を案内する。七海はスーツケースを手に持ち、コンクリートの道を歩いた。そして一台の黒いミニバンに乗るように言われる。車の中には運転手が乗っていた。サングラスをかけて顔が分からなかった。きっと仮面男に買収された男なのだろう。スペインの銀をちらつかされて。

「この場所がどこだかわかるか?」仮面男は七海が持っていた地図を広げ、運転手に場所を確認する。運転手はカーナビと地図を照らし合していた。どうやら場所が分かったのだろう。運転手はコクンと頷いた。車のエンジンを点火する。ブルンとうなり声を上げ、地下駐車場から出発した。酒井と乗ったバスよりも荒々しい運転だった。

「荒々しい馬車で申し訳ない、ポルトガルの使者よ」仮面男は笑いながら言った。七海はシートベルトに捕まりながら、前を見据えた。地下から出ると、青空が広がっていた。酒井と乗ったバスから見えた青空と何も変わっていなかった。左に大きく曲がると、車は直線道路を加速した。


 七海はシートにもたれて窓の外を眺めながら、子供の頃を思い出していた。8歳ぐらいだったと思う。ベッドの中で父が私に話してくれた。いつもは私の方を向いてお話をしてくれていたのに、そのときだけ父は家の天井を見ていた。

「七海は、どうして自分がここにいるのか考えたことはあるかい?」父は静かに語りかけてきた。七海はうんうんと言いながら首を振った。物心ついたときから七海はポルトガルにいて海が見える丘の上で父と母と弟と暮らしてきた。

「お父さんが生まれるずっと前、私たちのご先祖様は日本という国に住んでいた」

「にほん?」七海は首を傾げた。

「ここからずっと東に行った東の果ての島国のことだよ」

 ポルトガルが大地の西の果てにあることを七海はすでに知っていた。自分のルーツが東の果てにあることをとても不思議に思った。どうして東の果てから来たの?と言う前に父がそれについて話し始めた。

「東の果ての日本で、ご先祖様たちは長く石工職人として働いてきた。大きな岩を切り出し、石を加工することで周りの人々を幸せにする仕事だ。石を使って川に橋をかけたり、建物を守る壁を築いたりしてきた」

 七海は大人たちがトンカチなんかを使って岩を切り出す様子を想像した。

「ある日、新しい岩を見つけるために川を船で渡っていた。そのとき見たこともない岩肌を見つけた。蛇がのたうち回るような模様をしていたそうだ」

 蛇がのたうち回る?そんな岩を想像しようとしたが七海は上手く頭に描くことができなかった。

「色んな岩を見てきた石工職人たちもそんな岩は初めてだ。どんな岩なのか調べてみることにした。船を下りて目の前で岩肌を観察する。全体は緑色で黒い曲線がところどころに見受けられる。素手で触ってみる。ほのかに温かくてツルツルしている。今度はトンカチで叩いてみる。いろんな場所を叩いてみると、向こうが空洞になっている場所が見つかった。そこを重点的に強く叩く。すると表面が崩れ、空洞が現れた」

 七海の父はそこではぁっと大きく息を吐く。まるで自分が体験したことのように話す父を、七海は静かに見守り話の続きを待った。

「空洞はとても深く、底が見えなかった。中の様子を夢中で見ていると、誰かが背中を叩いた。驚いて振り返る。そこには一匹の白い蛇が立っていた。地面を這っていないんだ。ちゃんと地面の上に立っていて、きちんと手も生えていた。

『その空洞はワイの家だから、あまりジロジロ見ないでおくれ』そう言って蛇は穴の中に入って行った。何が起こったのか分からず、石工が呆然と穴の中を見ていると、蛇は穴の中から頭だけ出して『まだ何か用があるのかな?』と石工に尋ねた。

『ここの岩を少し切り出してもよいか?』石工は考え無しに蛇に言った。言葉を話す蛇という奇妙なものを目の前にしても、石工としての職業病のようなものが出たのだろう。

 蛇はうーんと唸って『それはとても困る』と言った。『さっきも言った通り、ワイはここに住んでいるのだよ。君だって嫌だろう、自分の家の壁を突然切り出されてしまったら。だいたい岩なんて他にもたくさんあるじゃないか。寄りにもよってワイの家じゃなくたっていいじゃないか』

『ここの岩はとても綺麗な緑をしている。磨けば綺麗に光る宝石ができるはずなんだ。小指ぐらいの大きさで良いから、切り出させてはくれまいか?』石工は食い下がった。石工は本心から話していた。磨けば上質な緑の宝石になると職人の勘が語っていた。

『一つだけ教えてくれないか?君の願いは何だい?君の一番の願いを一つだけ教えておくれ。そしたら石を一つあげるよ。既に磨いてあるピカピカの石を』そう言って蛇は赤い舌をピロピロと出し入れした。

 石工は考えた。自分の一番の願い?家族や仲間が豊かになること…それだけを考えて石工として働いて生きてきた。でも、それが俺の一番の願いだろうか?もっと他にあるような気がする。黙って下を向き、自分の心に集中していると、ざあざあと川の音が聞こえた。船で石狩川を下ってここまで来た。この川は一体どこまで続いているのだろう?ここまで来たのも初めてだ。いつも遠くに行きすぎて帰れなくなるのが怖かった。そんな恐怖心はどこかに消えている。今はただ、この川が行きつく先を見たいと思っている。この船に乗ってどこまでも行ってしまいたいという欲求に駆られている。

 石工は顔を上げて蛇を見た。『俺はこの川のずっと向こうに行ってみたい。それが俺の一番の願いだ』力強くそう言うと、蛇はなるほどとうなずいた。

『じゃあ、この石を持っていきなされ』蛇は右手で緑の石を差し出した。小指よりも更に小さくて、だけどもピカピカに輝く緑の宝石だった。『その石を持って今から教える呪文を唱えなされ。そしたら君は西の果てに立っているから』

 石工は蛇に教えられた呪文を唱えた。そしたら大地の西の果てポルトガルに立っていた」

 七海の父は一気に話すと、もう一度大きく息を吐いた。

「これが私たちのルーツだよ。私たちのご先祖様が蛇に出会い、緑の石の力で日本からポルトガルにやってきたんだ」

「一つだけ教えて」七海は父の方を向いた。「その蛇が言った呪文とは何だったの?」

父も七海の方を向き「それはもう少し七海が大きくなったら教えるよ」と言った。いつもなら今すぐに教えてほしいと言うところだったが、七海は何も言わなかった。ただ「約束だよ」とだけ言って目を閉じた。それを見て「おやすみ」と父は言って部屋の明かりを消した。


「もうすぐ目的地だ」仮面男の声が聞こえた。七海は目を開けて車の外を見る。石狩川が見える。その川の両側には大きな岩がそびえていた。

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