第39話 Comrade

 陽一が直人と別れてから暫くして、陽一の母、蒼乃が強引に美緒とのデートをセッティングした。

 美緒と食事をしてから数週間経っても、連絡してこない息子に業を煮やしたのだ。

 直人と別れてからの陽一は、息をする亡霊のようで以前よりもまして、無の人間になっていた。


「陽ちゃん! もう、貴方って子は。あんな素敵なお嬢さんの何が不服なの」

 電話の向こうで母が陽一を責め立てる。

「不服とかじゃなくて・・」

「もう! 亮平さんは貴方を社長にしたいの。それには、JJBの後ろ盾があれば尚良いのよ。分かるでしょ。あ、陽ちゃんやっぱり好きな子がいるの?」


【好きな子は・・・・】

 陽一は、未だ立ち直れない自分を情けないと思った。


「と・に・か・く! 明日11時にディライトンホテルに来ること! 分かった!」

 陽一の返事も聞かずに、電話の向こうの母は消え去った。


「はぁ――」

 今の陽一からは溜息しか出てこなかった。


 母親の申し付け通り、陽一は電車を乗り継いでディライトンホテルに到着すると、見覚えのある顔がロビーに立って居た。


「陽一さん」

 美緒は陽一を見付けると軽く手を振って呼び掛けた。

 美緒は、清楚なドレスを美しく着こなしており育ちの良さが分かる。陽一は、美緒を初めて見た時よりも彼女が少し生気を取り戻しているように思えた。だが、それは恐らく自分があの時の美緒よりも、生きる気力を失っているからだろうと考えた。


「美緒さん。お待たせしました」

「全然。私はここから家が近いし、車で送って貰ったので。陽一さんこそ、わざわざ来てくれて有難う」

 美緒は、陽一の心を読み取っているように話す。

「正直遠いですよね・・ここ。ハハハ」

「じゃあ、行きましょうか?」

「今日は、どういう予定なんですか? 俺、何も聞いてなくて」

「動物園に行きません?」

「え?」

「私、動物園が好きなんです」

 意外な美緒の言葉に陽一は驚いたが、屈託のない笑みを浮かべる彼女の希望に添うことにした。


 美緒は動物園内では子供のように振る舞っていたが、陽一の目には美緒が無理しているように見えた。


「美緒さん、少し休憩しましょうか?」

「あ、うん。じゃあ、あそこの鯛焼きを食べましょう。安くて美味しいのよ」

 美緒の庶民的な発言に、陽一は少し肩の力をぬいた。


「美緒さんって、動物園に良く来るの?」

「え、あ、うん」

「意外だなぁ~」

「どうして?」

「お金持ちのお嬢さんって、こういう臭い所には来ないと思ってさ」

「臭いって ・・確かに。フフフ・・アハハハ」

 美緒の素直な姿に陽一は大切な事を告げようとする。

「あのさ、俺・・・・」

「そっかぁ~ やっぱりね」

「え?」

「結婚を断るために今日来たんでしょ」

「あ、う、うん、多分」


 陽一が、鯛焼きを買って来ると二人はベンチに腰掛けた。

 平日の動物園は、閑散としており二人の内に秘める寂しさを表しているようだ。


「これホント旨いね。そんなに甘くないし」

「でしょ ・・この鯛焼き ・・颯馬と良く食べたの」

 美緒は先程とは違い暗い顔をする。

「そうま?」

「あれ? 聞いてない? 陽一さんの腹違いのお兄さん ・・私が結婚するはずだった人」

「あ」

「思い出した?」

「うん」

「颯馬が死んだから、貴方が私を押し付けられたの」

「押しつけられたなんて思ってないよ」

「そう? 最初に会った時、私の事なんて眼中にないって態度だったわ」

「・・・・ごめん」

「でも、あの時、陽一さん指輪をしてたから、そう思った。それで私はホッとした」

「ホッとした?」

「私は ・・結婚なんて、嫌 ・・颯馬が死んで直ぐにこんな話を持ってきた亮平おじさまと、パパにはうんざりしているの」

「美緒さんも嫌なんだ」

「当り前。他の人と結婚するくらいなら死んだ方がまし ・・ごめんなさい、陽一さんだからじゃないの ・・ただ私は颯馬以外をもう愛せないから」

 美緒の頬に涙が流れる。その姿はとても痛々しく、陽一は、美緒も同じ傷を負っているのだと感じ取った。


「でもね・・ 榊家の長女として使命があるのも理解してる。他の子達を見てると現代でも許嫁とかいて、好きでもない人と結婚させられてる。でも颯馬と私は、幼馴染でお互いに意識し始めたのは中学の時だし、自然の流れで婚約をした。私は愛する人と結婚出来ることを、心から感謝していた矢先だったから、本当の試練がやってきたと思った。陽一さんの話を聞いた時、突然貴方の前に父親が現れて見知らぬ女と結婚だなんて、同情したわ。指輪していたし羨ましいと思った。でも今日貴方はそれを外してる」

「そうだね」

「私の父は、陽一さんに良い人が居たら、断られても仕方がないって話してた。亮平おじさまも言ってなかった?」

「うん、そう聞いた」

「別れたのは、私が原因?」 

「100パー違うとは言えないけど、美緒さんのせいだけじゃない」

「指輪の相手と別れたのに、結婚を断るの? でもさっき多分って言った。それは、迷ってるって事? それとも断れないから?」

 鋭い美緒の指摘に陽一は言葉を失う。

「お母さんのため? それとも、その指輪の人のため?」

 正直に自分の立場と気持ちを話してくれた美緒に陽一も決心をする。

「俺もアイツを今でも心から愛している」

「だったらどうして?」

「美緒さんとは少し違うけど、俺もアイツとは結婚出来ないし、どんなにアイツを愛していても、美緒さんとの結婚を断る理由にならない ・・だってアイツは男だから」

「え?」

「アイツには絵の才能があってね、イタリア留学の話が来てる事、そして、俺に相談せずにイタリア行を断った事を美術教師から聞かされた。俺がいなければアイツはイタリアに行くって思ったよ。それに美緒さんの察し通り、母親にも幸せになって欲しい ・・でもさ、俺は色々と考えるだけで決心を躊躇った。怖かったんだ、アイツを失うのが、そして、結局二人の背中をアイツに押させた。俺が弱いから ・・アイツに酷い役をさせた」

 陽一は、遠くの一点を見つめると、あの日の直人を思い出し唇を噛み締めた。

「陽一さんは、その人をイタリアに行かせたいの?」

「うん。アイツには秀逸した才能があるし、絵への情熱が半端ないからね」

 アトリエで楽しいそうに新作に挑む直人の姿が目に浮かぶ。


「もし陽一さんが結婚しないなら、貴方の傍を離れられないその人は、イタリアに行かないかもしれない。彼とイタリアに一緒に行けないし、待っている事も私との結婚話がある限り難しい。そう思ったから別れに同意した。苦しいね」

「そうだね。俺があの時、二人が別れるのを止めていたら、美緒さんの言う通りアイツは留学を断るはず。俺も強く突き放す自信がない。それに別れの理由には俺の結婚もある。断れないのを知っていて苦しむ俺を助けてくれたんだと思う」

「二人とも本当にお互いを深く愛しているのね。生きているのに一緒になれないだなんて、私のせいで ・・ごめんなさい」

「美緒さんのせいじゃないよ。貴方だって、まだまだ喪に服したいだろうに」

 暫く二人の間に静かな時間が流れた。


「ねぇ ・・同志として夫婦になりましょう。ディライトンとJJBの結婚。私達は、その二つの子供をつくって、親を満足させるミッションを遂行する。そしたら、必然的に貴方の想い人もイタリアに送れるし、その人が帰ってきた時、まだ二人の想いが同じで私達の任務完了後なら、その時離婚するればいい ・・ってどう?」

「そんな、美緒さんと結婚したなら添い遂げるよ。でも子供は ・・無理かもしれない。ごめん」

 陽一は、直人以外に性的興味をそそられないだろと自覚していた。

「大丈夫、私は颯馬しか知らないし、他の人を受け入れられないと思う。もし陽一さんも同じなら、その方が気が楽だわ。それに、医学の力を借りればいいと思うし」

 

 幼い頃から恋愛、結婚、出産、一般人なら幸福の絶頂期を会社の糧にされるのを見て育った美緒だからこその強さに光が見えた。

「美緒さんは逞しい」

「あら、それって女性に対しての褒め言葉には失礼よ。 アハ・・ハハハ」

「そうだね、でも本当に逞しいから。ハハ」

「陽一って呼んでいい? 私の事も美緒でいいわ」

「分かった、美緒」

「陽一、同志としてよろしくお願いします」

 そう言うと、美緒は右手を前に差し出した。

 陽一は凛とした彼女の姿によって、折れた心にギブスが付いた気がした。

「こちらこそよろしくお願いします ・・美緒」

 二人は強い絆で結ばれていく。


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