第30話 Our own path

 突然、家に現れた宇道から予想外の話を聞かされた陽一は、肩から掛けてあった鞄を地面に下した。


「やっぱり、橘の奴、相澤に話して無かったか」

「どう言う事ですか?」

「去年、橘の絵が国際コンクールで入賞したの知ってるよな?」

「あ、はい。雑誌でも紹介されたって喜んでいました」

「イタリアの巨匠、アレッシオ ってまぁ相澤は知らないかもしれないが、橘の絵が彼の目に留まったらしく、イタリア留学の話が来てるんだ ・・でもアイツ断りやがった! 多分、相澤、お前と離れたくないからだ」

「俺、そんな話、全然聞いてないです」

 陽一は、直人が自分に相談なく決断した事がショックだった。先日、直人に進路の事を尋ねた時ですら、教えてくれなかったのだ。


『僕、絶対に離れません。何処にも行きません! ずっとずっとこうしていたい・・陽さんが居ない世界なんて考えられない』

 直人の想いが頭を巡る。

『直 ・・俺のせいで君は』


「橘はこの先も、日本で一人出るか出ないか、くらいの逸材だ。だから、奴にとって、否、日本にとっても素晴らしい誘いなんだよ ・・お前はそれに見合うだけの価値があるのか?」

「え?」

「あ、否。済まん。忘れてくれ。お前を責めるつもりはない。俺は今日ここに頼みに来たんだよ」

「俺に何か出来るんですか?」

「相澤、橘をイタリアに行かせてくれ。お前が行けって言えば、アイツは行く。何年になるか分からないが、お前たちの関係が、それくらいで壊れるものじゃないだろ?」

 突然の事で戸惑いを隠せない陽一は、直ぐに言葉が出なかった。

「お前も急な話で驚いているのは分かる。だがな、この話が来てから半年近く経つんだ」

「そんなにも前に・・」

「ああ、だからそろそろ先方も我慢の限界ってやつだな」

「じゃあ、まだ断っていないのですか?」

「当り前だろ。俺はアイツの才能をもっと伸ばしてやりたい。その為には、留学が必要だ」

 宇道は真剣に直人の将来を考えているのだと、陽一は心底理解した。だが、何と応えればいいのか迷っていると、二人の傍に宇道と陽一の意識を誘う一台の黒い高級車が停車した。 

 前方から運転手らしき服装の中年男性が一人下りて来ると、後部座席側に小走りでやって来た。しかしそれを待たずに後部座席の窓が下がる。

「陽ちゃん」

「母さん」

「今、学校の帰り? 良かったわ、捕まえられて」

 母親の蒼乃が窓越しに話をしていると、運転手がドアを彼女が車から降りてきた。

 蒼乃の服装は一段と派手さが増しており、高級ブランド品に頭の先から爪先まで包まれていた。


「あら? こちらはどなたさま?」

 彼女の話方までセレブ風になっており、陽一は大きな溜息を付く。

「ああ、高校ん時の美術の先生」

「あら、左様でございますか? 私、陽一の母でございます。その節は息子がお世話になりました」

「始めまして、宇道です。僕は担任でもありませんでしたし世話などなにも」

「こんな所まで来られて、何か急用ですか? 私、お邪魔しちゃったかしら?」

「用事は済みましたので、ちょうど失礼しようと思っていた所です」

「そうですか」

「じゃあ、相澤、頼んだぞ」

「・・・・」

 陽一は、何も応えられずにいると、宇道は蒼乃に軽く挨拶をし、その場から立ち去った。

「随分とダンディな先生ね ・・あ、そんな事より陽ちゃん全然電話に出ないし、結婚の話進めないから、美緒さんを連れて来ちゃったわよ」

 陽一は、蒼乃が美緒と言う女性を伴っている事よりも、宇道に『結婚』の二文字が聞かれていないか気になり咄嗟に彼の姿を探す。

 だが、もう角を曲がっているのか、宇道の姿は見当たらず陽一は少しホッとした。


「ねぇ、聞いてるの? 美緒さん連れて来たって言ってるの」

 いつもの口調に戻った蒼乃は、自分に横顔を向けている陽一に、若干ボリュームを上げて話掛けた。

「あ、何?」

「はぁー もういいわ」

 そう告げると、蒼乃は車内に視線をおくる。

「美緒さん、出てきてください」

 反対側の車のドアを運転手が開けると中から、整った顔つきの美しい女性が現れた。そして、静かに陽一の前で歩を止めた。


「陽一、榊美緒さん。貴方の婚約者よ。美緒さん、陽一です」

 嬉しそうに紹介をする蒼乃の面持ちが、陽一の心を締め付ける。


「初めまして。陽一さん、榊美緒と申します」


『憔悴している』

 先日、亮平が言っていたように、声に生気がなく衰弱し切った顔をしていて、隣に立つ上機嫌の母とは対照的だった。


「初めまして、相澤陽一です」

 陽一は、社交辞令として自身を紹介する。

「ねぇこの後、食事にでも行きましょう。亮平さんが素敵なお店を予約してくれるって」

「あ、俺は・・」


 陽一は、直人にイタリア行について確認しなければならなかった。だが、ふと脳裏に悲しい考えが浮かぶ。


『橘はこの先も、日本で一人出るか出ないか、くらいの逸材だ』

『お前はそれに見合うだけの価値があるのか?』

 宇道が残した言葉が脳に焼き付く。


【俺が結婚すれば直はイタリアに行く ・・それが良い ・・それで良いのか?】

 陽一は、自分の悲痛な考えにめまいがして額に手を添えた。


「あら、どうしたの? 大丈夫?」

「いや、何でもない」

「どう、お食事行くわよね?」

「 ・・・・分かった」

 陽一は、小さく返事をした。


【直、俺はお前を失うのか? ・・・・俺は、それに耐えられるのか?】


 電話で亮平と楽しそうに報告する蒼乃を背に、陽一は悲し気に空を見上げた。

 そして、陽一の隣に立つ美緒は、彼を寂しい瞳で眺めていた。








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