第28話(前半) The Railway
陽一は、びしょびしょになった折りたたみ傘を閉じながら、実家マンションの入口に足を踏み入れた。
「本当に直の天気予報は当たるよな~ 傘持って来て正解。ありがと」
そう呟きながらエレベーターを降りると、久し振りに帰る我が家のドアを開けた。陽一の帰宅を待つ母が、玄関の鍵を開けているだろうと予想していたが、見知らぬ男性物の皮靴があるのには驚いた。
「只今。誰かお客さん」
「あ、陽ちゃん。お帰り」
陽一の母親、
「どうしたの? その恰好」
陽一の母親は普段見た事のない洒落たドレスを着ており、ヘアーサロンに行ってきたのか、髪がいつもよりも整えられていた。
「早く入って」
そう告げると陽一の腕を組みリビングルームへと連れて行く。
中に入ると、見知らぬ男性が小さなソファに座っており、陽一に驚いた表情を見せた。
「陽一だね。立派になって。私に似て随分とハンサムじゃないか。それにT大らしいね。凄いじゃないか」
自分の名前を呼び捨てにする男性に見覚えすら無かったが、何故か嫌悪感が湧いた。
「陽ちゃん、突っ立ってないで座って」
陽一は長居したくないため座る気はなかったが、渋々ソファ近くのダイニングチェアーに腰掛けた。そんな陽一を眺めながら、母親の蒼乃は見知らぬ男性と肩が付く距離でソファに腰を下ろす。
「陽ちゃん、こちら結城亮平さん。貴方のお父さん」
【亮平】
そう母がよく口にする名前。彼女の忘れられない想い人。そして自分の父親。
「どうして、ここに」
「ビックリするのも当然だ。一度も会いに来た事が無かったからね。済まない事をしたと思っている」
そう告げると亮平は両腿の上に両手を置くと軽く頭を下げた。
「どういうご用件ですか?」
「もう、陽ちゃん、そんな話方しないで。貴方らしくない」
「いいんだよ、蒼ちゃん。気持ちは分かるよ。イキなりやって来たんだから」
「でも」
陽一は父親と名乗る男の話を聞くのが怖かった。嫌な予感しかしなかったのだ。
そして、母親の異様なまでのハイテンションが、陽一の不快感に拍車をかけた。
「実は、今日陽一に相談したい ・・否、お願い事があって来たんだよ」
「お願い事 ・・ですか」
「陽一、君にはね
「いた?」
「ああ、去年交通事故で亡くなったんだ ・・私はね会社を経営していてね」
「ディライトンホテル、陽ちゃんも聞いた事あるでしょ? 亮平さんはそこの社長さんなの」
「そう、ホテル経営を颯馬に継がせるつもりだった。でもこんな事になって途方に暮れていた時、君の事を思い出したんだ」
【これ以上は聞きたくない】
陽一は無言で静かに亮平の話に耳を傾けていたが、突如椅子から立ち上がった。
「陽ちゃん、どうしたの? まだ亮平さんの話が終わってないわよ」
そう言った母親の顔を見た瞬間、再び同じ椅子に腰を下ろす。
蒼乃が、今まで見せた事のない女の顔をしていたからだ。
陽一の母は、亮平を一途に想い陽一の知る限り、他の誰にも心も身体も許さなかった。自分の元に帰ってくる事など決してない男を、ただひたすら愛していたのだ。
直人と出逢ってから『愛』を知った陽一は、母親の気持ちを理解出来るようになっていた。そのためか、母親の幸福感に満ちた笑顔から逃げられない気がした。
「君が私の会社を継いでくれるなら、蒼乃さんとの再婚を考えている」
亮平の隣に座る蒼乃は紅色に染まると亮平を見つめた。
「それとだね ・・颯馬には結婚を約束した人がいてね ・・
【結婚? 弟?】
陽一の頭は真っ白になった。
【いったい何を言っているんだ。何故俺が ・・そんな見知らぬ女性と】
「ただこれはあくまで榊社長と私の願いだからね。陽一に、もし決まった人がいるのなら、勿論無理強いはしない。私もそこまで古い人間じゃないからね。ただ、榊さんは、JJBの社長さんでね、私とは公私共に長い付合いだ。あの方の娘さんよりも素晴らしい方でないと困るのだけど」
【橘直人、俺の愛する人の名です】
【絵をこよなく愛し、将来有望な画家のたまご】
【でも男です。それでも許してくれますか?】
そう大声で叫びたかった。亮平と母親に陽一の心の声が届いたらと懇願した。
だが、そんな奇跡は起こらない。許されるはずがない。
そう思うと、出る言葉も対抗する気力も失い、ただその場に留まるしか出来なかった。
そんな陽一に容赦なく亮平は続けた。
「美緒さんは、陽一よりも3つ年上だからね、大学ももう卒業されている。颯馬との結婚は今年初めの予定だったから、彼女自身は直ぐに家庭に入って子供を産んでもいいと考えてくれていた。でも、陽一は、大学を続けてくれていい。素晴らしい大学だから辞めるなんて勿体ない。だが、結婚は早い方がいい。君はハンサムだ。変な虫がついたら困るからね。あと、子供が出来ても美緒さんが見てくれるし、家政婦だって雇えばいい」
「私だっているわよ」
「ああ、そうだったな」
「孫の面倒が見れるなんて、夢みたい」
【この男は、誰の話をしているんだ】
レールは亮平達によって既に敷かれているのだ。陽一さえ乗車すれば全て皆の望むように列車は進む。
突然、陽一の脳裏に直人の笑顔が浮かぶと、ギュッと歯を噛み締めた。
『ずっとずっとこうしていたい・・ 陽さんが居ない世界なんて考えられない』
今朝の会話が陽一の心を締め付けた。
【俺もずっと居たいよ ・・直】
全身からエネルギーを失った陽一の耳には、もう何も届かなくなっていた。
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