第21話 The dream
直人は、FYA3周年記念に利用するイベント会場の視察に訪れていた。
「これが概案です」
そう告げると、イベント会社アトラクトの社員、佐伯が資料を直人に手渡した。
「結城社長から、橘先生のお父様の作品を、先生の原点と題して入口もしくは出口に飾るように指示されています」
「よう・・ 結城社長がそんなことを」
「ええ。それでですね ・・・・・・・」
自分が昔語った事を覚えてくれていた陽一に対して、感謝の気持ちがこみ上げた。
直人に概案を見せながら説明する佐伯の声が、直人の意識からどんどんと遠ざかって行く。
パーカーとジーンズに身を包んだ直人は、磯崎スーパー前でソワソワしながら陽一の到着を待っていた。
陽一と付き合うようになって以来、何度もデートに出掛けたが、未だ待ち合わせ場所には、予定よりも随分前に到着し、頬が緩むのを制御出来ない面持ちで、陽一が到着するのを待つのだった。
「あ! 相澤先輩」
カジュアルな紺のジャケットを羽織った陽一の姿を捉えて直人は手を振った。
『カッコいいなぁ。僕の恋人だなんて! どうしよう』
「橘。ごめん、また待たせちゃった?」
「いえ、全然です」
「顔真っ赤だよ。ほら、あの林檎と負けないくらいね」
陽一は、クスクスと笑いながらスーパーの店先に並べてある林檎を指差した。
「だって、先輩がカッコいいから」
「かぁ~ 橘って可愛すぎるよ」
陽一は照れながら直人の額に自分の頭を優しく合わせた。
直人は、一瞬だが陽一の頭が触れた部分を手で嬉しそうに触る。
「相澤先輩、行きましょう」
「うん」
お互いの間に垂れ下がった手の甲を、時折触れさせながら直人の家に足を進ませた。
「へぇ、こっちはやっぱり坂が多いんだね」
「この坂を登ったところが僕の家です」
「そうなの? じゃあ眺めが良いんだろうね?」
「あ、はい。少し遠くですが海が見えます」
「楽しみだぁ~ 橘の生家!」
「生家って」
「橘が画家で有名になったら、橘画伯の生家って代々受け継がれるかもよ」
「え? 僕そんな有名になれないですよ」
「そう? 俺は橘が誰もが認める画家になれると信じてるよ」
「相澤先輩 ・・嬉しいです」
恥じらいながら陽一を見つめる直人の頭を、陽一は嬉しそうに撫でた。
「あ、あれです」
坂を登り切った所に数軒の家が建っており、その内の1つを直人が指差した。
赤茶色のレンガ造りの家は2階建てで、小さな鉄格子の門が付いており、ポストに橘の文字がローマ字で表示されていた。
生まれてからずっとアパート暮しの陽一は、一軒家に憧れる時期もあった。
「素敵な家だね」
「あ、有難うございます。先輩どうぞ」
直人は門を開け陽一に入るように促すと、家の玄関の鍵をポケットから取り出した。鍵には鈴が付いているのか、チャリンと言う可愛い音がする。
「僕、よく物を落とすので母が鈴を付けてくれたんです。女みたいですよね・・ハハ」
「優しいお母さんだね」
「はい」
直人は、開錠をすると玄関のドアを開ける。
「先輩、どうぞ」
「はい、お邪魔します」
比較的広い玄関ポーチには木製の大きな下駄箱があり、その上には絵が壁に掛けてあった。
「綺麗だね」
「あ、それは僕が最初に描いた絵です。母さんが凄く気に入ってて、ずっと飾ってくれていて」
「この頃から精霊が見えてたんだ」
「そうみたいです・・でも下手だし、そろそろ玄関に飾られるのは恥ずかしいですよね」
「全然、僕も好きだな。それに橘の第一歩だよね。お母さんの気持ち分かるよ」
「あ、ありがとうございます」
玄関で立ち話をしていた二人は靴を脱ぐと家の中に上がる。一歩入ると直ぐ、小さな吹き抜けになっていて2階部分が少し見えた。
「俺、一戸建てに住むの憧れてたんだよね」
広い家だからか、あまり人の気配が無いと陽一は思った。
「父さんのアトリエ、家の裏なんです」
直人はそう言うと廊下を奥に進む。陽一はキッチンやリビングルームを横目で眺めながら直人の後に続くと、家の奥に裏口が見えて来る。
「相澤先輩スミマセン。僕のサンダルを履いてください」
直人の父親のアトリエは離ではなく母屋とは裏口で繋がっているが、床がコンクートであるためサンダルに履き替えたのだ。
「うわ!」
アトリエは天井が高いせいか陽一が想像していたよりも広いと感じた。中は、美術室のような絵具や紙の匂いが漂っている。そして、壁側には布を掛けられたキャンバスがズラリと立て掛けられていた。また、設置してある棚にもビッシリと道具が詰まっており、美術室では見かけない画材でアトリエは埋め尽くされていた。
「ここが橘の原点だね」
「そうですね。ここに居る時間が何処よりも長いです。おもちゃが紙と絵具でしたから」
「そっか、そうやって今の橘が出来上がったんだ」
「相澤先輩、こっちです」
直人は、陽一をアトリエの奥へと案内する。辺りを見渡していた陽一の視覚が1枚の絵に止まると息をのんだ。
「きっと、これ ・・だよね。お父さんの絵」
畳半畳ほどもあるような巨大なキャンバスには異世界が広がっていた。だが、それはどこか見覚えのある景色なのだ。
「これって、橘の家?」
「先輩すごい! 正解です。父さんの最後の作品なんです」
陽一が直人の家に到着した際、鉄格子の門が何故か印象的だったのだ。
民家だと、かろうじて分かるユニークな建物が描かれていたが、以前直人が父の絵を説明したように、現代の物が1つだけそのままの姿で絵に登場していた。それが、直人の家の門だったのだ。
「すご・・いね。橘の言う通り素晴らしいよ。これが最後だなんて ・・本当に残念」
「父さんの夢は個展を開く事でした。だから、もし僕が個展を開けたら、父さんの絵を会場の入口か出口に僕の原点として飾りたいんです」
「橘なら出来るよ」
直人は、優しい言葉をくれる陽一を見つめる。
「相澤先輩、ありがとうございます。 ・・僕、先輩を家に呼べる日が来るなんて、想像すらした事が無かったから ・・父さんの絵を見て貰えて良かった ・・本当に良かった」
喜びで胸が一杯の直人は、自分の胸元に手を当てると呼吸を整える仕草を見せる。
陽一は直人に対する想いが抑えられなくなり、直人の頬に手を添えると唇を重ねた。
「俺の事を好きになってくれてありがとう。そして、こんな温かい気持ちを教えてくれて、本当にありがとう」
直人と額を合わせて陽一は囁いた。
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