第10話 New Start?

 圭の事務所の中にコーヒーの良い香りが漂っていた。

「直人、コーヒーが入ったよ。冷めないうちに飲んで」

 過去の世界で彷徨っている直人に、優しい声とコーヒーの良い香りが入り込んで来る。

「圭 ・・・・」

「直人、コーヒー飲める?」

「ブランデーとか入れてないよな」 

「アハハハ これから仕事だからね ・・でもそれもいいかも。酔った直人は可愛いから」

 圭は、直人の耳元で囁くと唇を重ねた。

「・・圭、サンキュー もう大丈夫だよ」

「そ? だったら、さぁさぁ仕事仕事!」

「へいへい」

「はいは、1回。 へいも1回」

「へい」

「じゃあさ、コーヒー飲みながらでいいから、これ見てよ」

 圭はスケッチブックを一冊直人に渡す。

 直人はコーヒーカップをテーブルに置くとスケッチブックを受取り、最初のページをめくった。

「??? え? これって子供服?」

「そう! 分かった?」

「分かるよ。でもKEYブランドってシック系でアダルト向きだろ? キッズなんてやっていいの? イメージが壊れない?」

「直人の作品をずっと見てきたからさ、僕の作品とのコラボって最初は絶対に無理だと思ってたよ。直人の絵ってファンタジーがあるでしょ。でも僕のは真逆でモダンシック、相反してるって思ってた。でも直人が仕上げてくれた作品 ・・・・僕のスタイルに合わせてくれて、現代的で落ち着いた黒の精霊なんて考えてもみなかった。だから次は僕からのお返し。今度は、キッズで直人の本領を発揮してよ ・・ね」


『ファンタジーな俺の精霊 ・・か』

 二人でコラボを企画した際、直人は圭のデザインに合わせて、今までとは全く違う精霊を描いた。昔の直人なら出来なかった事。


『橘にはそれって見えてるの?』

 今までに、直人には精霊が見えているんじゃないかと気付いたのは、陽一ただ一人。

『もう見えないんです。今の作品は想像しているだけ。否、あの時に見えていた精霊を思い出して描いているだけ。貴方の天使ももう ・・過去と一緒に消えてしまった』


 直人は、ここ数年精霊が見えなくなっていた。そして、絵を描く事の楽しさを見い出せず、新しい作品を創作する事に行き詰っていた時、圭にコラボの話を持ち掛けられたのだ。絵を描く事に苦痛と不安を感じ始めていた直人は、気分転換になると思い引き受けたが、圭の言う通り、彼と直人のアートは不似合いなため以前の直人なら断っていただろう。

 未だ、新しい作品を描けていない直人だったが、圭とのコラボによって違う活路を見い出した気がして感謝していた。

 そして、陽一がここYFAフロアーをサポートしてくれている事も嬉しかった。

『陽さん、有難う』


「直人? 駄目?」

 圭は、難しい顔でスケッチブックを見つめる直人を、心配な面持ちで呼び掛けた。

「圭 ・・・・本当にいいのか?」

 圭は、直人のスケッチブックを持つ手を握ると1つ深く頷いた。

「分かった。俺の精一杯を注ぎ込むよ」

「そう言ってくれると思った。有難う直人」

 そう告げた圭は、もう1度直人の唇にキスをした。


「まぁ、しっかしキッズも参入しようなんて ・・どこまで業突く張りなんだ。マンションの天辺に金のシャチホコでも付ける気かぁ」

「金のシャチホコ ・・いいね~」

「おいおい ・・冗談ですけど」

「え? そうなの? グッドアイデアと思ったけどね」

 少し元に戻った直人に圭は心をなで下ろした。


 自室で出張の荷造りを終えた陽一は、身体をベッドに預けた。

 天井を見つめると額を右手の甲で押さえる。

『直 ・・どうして、君はそんな目をするの』

 今朝の直人の表情を思い起こす。

 悲しい、苦しい、辛いを映し出した瞳。そして何よりも光を失っていた。


『アーティストとして成功した。これで良かったんだよね。俺はずっと君が幸せだと信じていたのに ・・・・どうしてそんな悲しい目をするの? 絵に元気がないのと関係しているのかな』


【僕もいつか絵が描けなくなるんじゃないか、なんて そう思うと・・不安で・・凄く怖くて・・】

 直人の言葉を思い出した。


「はぁーーーー」

 陽一の身体の奥深くから長い溜息が噴き出る。


〈トントン〉

「陽一君、入ってもいい?」

 ドアをノックする音と共に美沙の声がした。

 陽一は、ベッドから下りるとドアの方に向かう。

「あ、うん。どうぞ」

 陽一の返事を聞くや美沙は陽一の寝室のドアを開けた。

「ごめんね。夜遅くに。陽一君、明日の朝早いでしょ? 何か忘れていないか確認しておきたくて」

「大丈夫だと思うけど、何か思い出したら直ぐに連絡するよ」

「分かったわ」

「でも、本当に美来と悠人の事をお願いしていいの? 美沙ちゃんだって忙しいだろう?」

「大丈夫よ。私の仕事なんてパパのをちょっと手伝っているだけだし、私が二人と居たいんだから、陽一君はそんな風に気を遣わないで」

「それなら、本当に助かるよ。始業式には帰って来るから」

「美来が小学生だなんて ・・・・時の経つのは早いわね。ねぇ美来、最近お姉ちゃんに似てきたと思わない?」

「そうだね。顔だけじゃなくて、早起きなのも似て来たよ」

「アハハハ そうなの? じゃあ私も早く寝るようにしないと朝二人に起こされちゃうかな?」

「悠人ももう4歳かぁ ・・あれから4年 アッと言う間だったのか、長かったのか分からないけどね」

「陽一君は、大変だったから、本当に色々と」

「美沙ちゃんが力を貸してくれたから、ここまで来れたと思ってる。本当に有難う」

 そう告げた陽一は軽く頭を下げた。

「いやだ。よして、家族じゃない」

「そう ・・だよね」

「陽一君、寂しくないの?」

「あ―― 美緒みおには怒られちゃうかもしれないけど、ずっと忙しくて寂しさを感じる暇が無かったからね。でも、ニセコが落ち着いたら、ドッとくるかな。美沙ちゃんの方が恋しいだろ? あんなに仲の良い姉妹だったんだから。兄弟の居ない僕は、いつも羨ましいと思ってたよ」

 美緒とは、4年前に他界した陽一の妻で、美沙は美緒の妹なのだ。

 陽一の質問に、美沙は一瞬彼と合わせていた目線を下に逸らすと言葉が詰まった。

「 ・・う・・ん。寂しいわ。でも私・・実は ・・最低なのよ」

「へ? 何で?」

 美沙が声を振り絞って何かを告げようとした時、誰かが陽一の部屋のドアを開けた。

「パパぁ~」

 目を擦りながらパジャマ姿の美来が、陽一の寝室に入って来たのだ。

「美来、起きちゃったのか? パパ達の話声が煩かったのかな? ごめんね」

「ううん、ただ起きちゃったの。明日からパパ居ないでしょ? だから今日は一緒に寝てもいい?」

「うん、分かった。一緒に寝よう」

「あらあら、美来はまだまだ甘えたちゃんですね」

「美沙ちゃんも一緒に寝る?」

 美来の言葉に美沙の顔が真っ赤になる。

「アハハハ。お邪魔虫は退散します。陽一君、また明日ね。お休みなさい」

 美沙は、挨拶をするとその場を後にした。

 陽一の部屋を出た美沙は、ドアに寄り掛かると暗い顔をした。

 





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