第一話(2)

       †


 以上が事の顛末だ。

 僕とそいつの第一種接近遭遇における、一方的なエンドマーク。

 僕と僕の夢はあっけなく討伐され、僕はダンプカーに轢かれた獣みたいな叫び声をあげてベッドから飛び起きた。

 シャツは汗みどろ。

 喉がからからに渇いて、これでどうやって叫び声をあげられたのか不思議なくらい。

 朝。

 窓から差し込む陽光に照らされて、細かなホコリがきらきら輝いているのが見える。

 今のは夢? 現実?

 いやまあ夢なんだろうけど。でもあまりにもリアルというか。

 というか僕は自分の夢を好きに操れるわけだし、その時点で普通の人よりは夢をリアルなものとして捉えているはずだけど。それにしても、いかにも、背筋が寒くなるくらい、生々しかったというか。

 そうこうしているうちにオカンが部屋に怒鳴り込んできて「ジロー! いつまで寝てんの!」と金切り声をあげ、僕は「うっせーババア勝手に入ってくんじゃねー!」と叫び返し、それから(我ながらうんざりしつつも)着替えを済ませて朝飯をかきこんで歯を磨いて電車に乗って学校に行った。教室では委員長(取り巻きA)から冷たい目を向けられ、ギャル(取り巻きB)はネイルを塗るのに夢中で僕に気づきもせず、文芸部員(取り巻きC)は小説にかじりついて頑なに僕の方へ視線をやろうとしなかった。ヤンキーからは「おいジロー今日はクリームパンな」としっかりパシられた。

 いつもと変わらない日常だった。

 学校から帰るころには落ち着きを取り戻していた。

(昨日の夢はイレギュラーだ)

 僕は自分に言い聞かせた。

 まあそういうこともあるんだろう。

 自由に操れるはずの夢の中で、想定外のことが生じる。そんなこともたまには起きてしまうんだろう。というか僕自身、僕の力がどういうものかよくわかってないんだからさ。想定外のことがあってもおかしくないよな。

「うん。そういうこともあるよ、うん」

 納得してその日の夜を迎えた。

 クソみたいな日常の憂さを吹き飛ばしてくれる、最高にハイになれる夢。

 ひとたび眠ればそこはたちまち僕の王国。

 宮殿には今日も人々が集い、宴に酔いしれ、取り巻きAの委員長も取り巻きBのギャルも取り巻きCの文芸部員も僕に心酔し、ヤンキーはコンビニまでパシらされて「覚えてやがれ!」と捨てゼリフを残し、僕は今宵も悦に入る。そうそう、こういうのでいいんだよこういうので。世界はこうあるべきなんだよ本来。すべては僕の思い通り、あらゆる人間は僕に絶対服従。まったくもって昼間の時間はクソ、夜の時間こそ僕の真実。いやホント、現実と夢がひっくり返ったらどんなに楽しいだろうか──


「おどろいたね」


 ……それはこっちのセリフだった。

 またあいつだった。ペスト医者。異様な風体で昨夜、僕の夢を粉みじんにした、あの、よくわからんヤツ。

「君、まだ夢を見続けるのかい? 見上げた生命力だな」

「おま、またいきなり現れ──つーかいったい何者──」

「さっそくで悪いけどさようなら。今度こそ良き現実を」


       †


 そして僕は夢から覚める。

 叫び声をあげてベッドから飛び起きて汗みどろで、窓の外は朝の光、スズメの鳴き声がちゅんちゅんちゅん。

 おいおいおい。

 まじか。

 また出たんですがアイツ。

 これもイレギュラーか? いやいや二日連続よ? いくらなんでもおかしくね?

 前日との違いといえば、巨大ハンマーで押し潰されるんじゃなくて、チェーンソーみたいなえぐい機械で細切れにされたことだけど。過程はどうあれ結果は変わらない。僕が好きなようにできるはずの夢の中に、僕の知らない誰かが現れて、そして僕の夢をきれいさっぱりと消滅させていった、というこの現実。

「ジロー! いつまで寝て──」

「だから入ってくんなババア!」

 着替え、朝飯、歯磨き、電車。

 学校で取り巻きABCから空気あつかいされ、ヤンキーにパシられながら、僕は顔には出さないように焦りまくる。いやいや。まさか。どうなってる? それはさすがにないと思うけど、ひょっとして今夜もまた?


「いやはや。まさか今夜もとは」


 出た。

 ペスト医者。

「二度あることは三度あるというけれど、仏の顔も三度までだよ」

 そいつが杖を振りかざした。

 杖がでっかい筒状の鉄塊に変わり、そういえば戦艦大和が積んでいたご自慢の主砲があんな形状だったな、と気づいた時には大爆音が響き渡り、それと同時に僕と僕の夢は、塵ひとつ残さずきれいさっぱりと消滅した。


       †


 四日目。

 五日目。

 六日目。

 いずれもほとんど同じ結末を辿った。

 僕が夢を見て、夢の中にペスト医者が現れ、夢と僕が破壊される。

 ペスト医者の杖は、ありとあらゆる形状に変化した。

 それは火炎放射器であったり、機関銃であったり、シンプルに大剣だったり。次第に僕が知らない、兵器なのかどうかもよくわからない、だけどえぐい何かだとはわかる様々なものに形を変え、そして変わらず僕と僕の夢を苛み続けた。


 十七日目。

 一発ギャグしか持ちネタがない芸人だってここまで繰り返さないだろう、ってくらい、同じシチュエーションが繰り返されたところで。

 パターンに変化が起きた。

 変えたのは僕だ。

 その夜の夢にも例によってペスト医者が現れ、やれやれまたかというため息とともにそいつは杖を振りかぶり、何だかわからない武器のようなものを振り下ろしてハイ今夜もさようなら、という場面になって。

 ぐわしっ、と。

 僕はその武器を受け止めた。

「……おどろいたね」

 ペスト医者が嘆息する。

「底なしの再生力だけじゃ飽き足らず、耐性まで身につけたのかい?」

「いつまでも!」

 僕は歯を剥いて叫んだ。

 声が震えている。声だけじゃなくて、武器を受け止めている腕もぷるぷる震えている。少しでも気を抜くと、なんだかよくわからない形状の痛そうなヤツで、今夜も僕は消し飛ばされてしまうだろう。

「やられっぱなしで! いると! 思うんじゃ! ねーよ!」

「いい根性だ」

 ペスト医者は言った。

 仮面の奥でどうやらそいつは笑ったらしい。くっくっく、というくぐもった声が聞こえてくる。例によってボイスチェンジャーみたいに不愉快な声。

「根性とか努力とか、泥臭いのは好きじゃないんだけど。ぼくの治療をこれだけ受けても生き延びているのは称賛に値する」

「なにを、上から、目線で……!」

 毒づいてみるが形勢は悪い。

 ペスト医者はえぐい凶器(ペンチとパイルバンカーとドリルを足して三で割ったようなヤツ)をいかにも軽い力で押し込んでいるだけ、こちらは全身全霊でそれに耐えているだけ。軽く息を吹きかけただけでも均衡は崩れ、僕はまたぺしゃんこになるだろう。

「つーか何なんだよお前! 勝手に他人の夢ん中に入ってきて! 毎晩毎晩、治療だとか言って夢をツブして! 毎度毎度やられ役になるこっちの身にもなれや! ていうかこっちは夢の中で楽しんでんの! 妄想は自由! これって人権なの! 僕は人権を踏み躙られてんの! 人権侵害なの! わかる!? 夢の中でぐらい好きにさせろよ! 夢の中にさえ居場所がなかったら僕はどこにいけばいいんだよ!」

「魂の叫びをありがとう。では対話に移ろうか」

「へっ?」

 ふいにペスト医者が力を抜いた。

 凶悪な形状に変化していた凶器が、たちまち元の形状、なんてことのない杖の形に戻る。

 同時に僕は、つっかえ棒を外された状態になり、前のめりにずっこけた。「ぐへっ!?」つぶれたカエルみたいな声が出る。無様だ。せめて夢の中でぐらいスマートにやらせてくれよ。

「実のところ、とっくに方針変更は迫られていたのでね」

 ペスト医者は、手近にある椅子によっこらせ、と腰掛けた。

 おいこら。勝手に寛ぐな。ここは僕の城で、それは僕の想像が創り出した僕の客のための椅子だぞ。今夜もお前が闖入してきたおかげで宴は強制的にお開きになって、城には人っ子ひとりいないけど。

「それにしても面白いよ君」

 ペスト医者が言う。

「ここまでぼくの治療を受けて寛解しない病は君が初めてだ。外科的なアプローチで対処するのはもう難しいだろう。はてさてどうしたものか……」

「勝手に話を進めるなよ」

 僕は毒づいた。

「ていうかそもそも何なんだよお前は。自分だけ何もかもわかってるみたいな態度で話をされてもついていけねーよ。まず状況を説明しろ。人権侵害の件はとりあえずおいといてやるから」

「ぼくはドクター。お医者さんだよ。治しているのは主に世界」

「…………」

 はぁん?

 世界を?

 治すぅ?

「そして君は病そのもの、病巣の類。ちなみにぼくは医者だから、患者には説明責任を尽くすけれど。病巣そのものに権利を主張されても聞き入れる義理はないんだよ、本来は」

 それで毎晩毎晩、僕の夢の中に入ってきて“治療”してた、ってわけか?

 荒唐無稽。

 それこそ架空の妄想を垂れ流しているようにしか聞こえない。

 だけどもう、状況がとっくに現実離れしているのは、認めざるを得ない事実。

 こいつは医者。

 僕は病気。

 医者の敵は病気だから、こいつは何度も何度も僕を襲う。

 オーケーわかったそれでいい。ぜんぜん納得してないけどそこまでは飲み込もう。

 でもさっきも言ったよな? 誰がどんな夢を見たところで自由だろ?

「ぜんぜん違うよ」

 ペスト医者は首を振る。

「なるほど妄想は自由だろうし、頭の中で考えているだけなら何をしたって罪には問われないだろうさ。だけどね、そもそも前提が違うんだ。君が夢だと思っているものは夢じゃない」

「……どういうこと?」

「言葉どおりの意味さ。君が夜ごと見ている夢、城を構えて王様になり、現実に存在する気に入らない連中を自分の思い通りに操って、飲めや歌えやのらんちき騒ぎを繰り返していること。それはもうひとつの現実なんだ」

 言ってることがわからない。

 いや内容は把握できるんだが。これまた荒唐無稽で理屈が通じない。

「今の君にはわからないか。でもぼくにはわかる。現状を放置したままたどり着く未来がどういう姿になるのか、容易に想像がつく」

「想像がつくって……どうなるんだ?」

「決まってるさ。この世界は破滅する」

 OH……。

 こいつはいったい何を言ってるんだジョニー?

 HAHAHA。もちろん僕にはわからないよボビー。

「君は気づいてないだろうけど、君が夜ごとに見る夢はすでに現実を浸食し始めている。たとえば君が夢の中で囲っている取り巻きAの委員長、取り巻きBのギャル、取り巻きCの文芸部員。彼女たちはいずれも変調を来しつつあるよ。君が夢の中でささやかな仕返しをしているヤンキーだってそうだ。夢を強制することは、強制された人たちの心と身体に大きな負担を強いるから」

 膝を組み、頬杖をついて、ペスト医者は言う。

「もちろん今はまだ小さな変化だとも。君が夢を自由に操れるようになったのは最近の話だろうからね。でも一ヶ月後、半年後、数年後はどうだろう? 大きな病の多くは、ささやかなことの積み重ねとして表出するものだ。というか、君の夢に登場するその他のエキストラたちも、みんな現実世界に存在する人間なのさ。夢の中で君が無意識のうちに自分の世界に呼び寄せているんだよ。そして少しずつ彼ら彼女らを浸食している。そろそろ体調不良を訴えて学校や職場を休む人たちが続出し始めるだろうね。表向きそれはささやかな変化だけど、だからこそ始末が悪い」

「…………」

 何を言っているのか相変わらずわからない。

 だけど心の中がざわつき始めているのを感じる。

 直感、と言っていいかもしれない。

 これは現実で、しかも異常事態なんだ。奇妙な力が目覚めたこと。医者を名乗る正体不明なヤツが現れたこと。常識は通じないんだから、何を言っているのかわからないのも当たり前だろう。でも事態は進行している。どう考えてもポジティブではないやつが。

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