第86話 さよならシスター


 朝食後、ルーテは生命の雫を入れた瓶と少量の食事を持って、シスターの部屋を訪ねていた。


「失礼します!」

「…………ルーテですね」


 ゆっくりと起き上がるシスター。


「はい!」


 彼女は以前よりも衰弱し、ほとんどベッドに寝たきりである。目もあまり見えていない様子だ。


「今日は随分と嬉しそうですが……何か良いことでもありましたか?」

「先生を元気にする準備が整いました!」

「私を……?」


 ルーテは、ベッドの近くにある机に食事を置き、持っていた瓶をシスターへ差し出す。


「まずはこれを飲んでください!」

「あの……ただの水では無いのですか?」

「はい! これは生命の雫です!」

「なんと…………!」

「これを飲むと限界を突破することが出来るので、先生もきっと元気になります!」

「そういったものが存在するという話を聞いたことがありましたが……それをあなたが……?」

「色々あって手に入れました!」


 目を輝かせながら、雑に説明するルーテ。


「そうですか。……神よ……これが、最期の試練――いいえ、審判なのですね……」


 一方、シスターは何かを理解した様子で呟く。


「ゆっくりで良いので、なるべく早く飲んでくださいね!」

「……よく聞いてください、ルーテ」

「はい……?」

「あなたの気持ちはとても嬉しいです。……ですが……これは飲みません」


 手渡された瓶を、そっとルーテに返すシスター。


「ど、どうしてですか?!」


 予想外の返答に、ルーテは動揺する。


「私はもう、十分長く生きました」

「…………そ、そんなことないです! 短すぎます!」

「確かに、あなた達と過ごす日々はあっという間でしたね」


 シスターは今までのことを思い出し、楽しそうに微笑んだ。


「毎日大変なことばかりで……」

「ぼ、僕が悪い子だから、もう嫌になってしまったのですか……?」

「いいえ、そうではありませんよ。退屈する暇がなくて、とても幸せでした」

「それなら、元気になって、もっと生きてください!」


 ルーテは引き下がらなかった。


「私はもう良いのです」


 譲れないのは、シスターも同じである。


「ルーテ、人には寿命というものがあります。……もともと、病気の身でここまで生きられたこと自体が奇跡なのですから……私は十分に満足しているのですよ」

「先生……病気だったのですか……?」

「はい。――あなた達には黙っていましたが、随分と前から。もう長くはないと言われていました」

「そんな……」

「……ですが、ここを継いでくれる人が見つからない限りは、死ぬに死ねませんでしたけどね」


 一息ついた後、シスターはルーテの目を見て続ける。


「――もうすぐ、新しい先生がやって来ます」

「………………!」

「フィラエは……元々、この孤児院で育った子です。きっと良い先生になってくれますよ」

「………………………………」


 ルーテは何も言わなかった。ゲーム開始時点で孤児院の先生をしていたのは、間違いなくその人物だからである。


「大丈夫。私も向こうであなた達のことを見守っていますからね」


 シスターはそう言って、悲しそうな顔をするルーテの頭を優しくなでた。


「先生………………」

「ここで私がすべきことは、もう無いのでしょう。それに、思い残すことも……ありません。……分かってくれますね?」

「僕は……僕には、ぜんぜん分かりません……。でも、先生がそう決めたのなら……きっとそれが正しいのだと思います……」

「正しい、正しくない、といった問題ではありません。私は、自分の運命を受け入れようと思っているだけです」

「もっと分からなくなりました……!」

「それで良いのですよ。正解などありませんからね」


 いつも以上に難しい話をされたルーテは、混乱して目を潤ませる。


「あなたにはまだまだ時間がありますから、沢山悩んで……納得のいく答えを出してください」

「…………はい」


 頷くルーテを見て、シスターはほっと胸をなでおろした。


「……ありがとう、ルーテ。……あなたが居てくれたから、毎日楽しく過ごせましたよ」

「先生…………っ!」


 どうしようもないことを悟ったルーテは、涙を堪えるので精一杯の様子だ。


「今まで……今までありがとうございました……っ! 向こうへ行っても……お元気で……っ!」

「さようなら。……あなたの行く末に、神のご加護があらんことを」

「はい……さようなら、先生……」


 それから、シスターは小さな声で呟く。


「……みんなにも、お別れをしないといけませんね」

「僕が……呼んできます!」

「では、お願いします」

「任せてください!」


 ルーテはそう言って、勢いよく部屋を飛び出した。


 そのまま廊下を走り、人がいない部屋へ駆け込む。


「いやです……っ!」


 扉を背にし、その場へ座り込むルーテ。


「僕は……僕は先生とお別れしたくありませんっ! うわああああああんっ!」


 彼は、しばらくの間その場で泣き続けていた。


「うえええええええええん……っ! ひっぐ……」


 自分の力では、どうにもならない事があると知ったのである。


「ぐすっ……今日は、泣いてばかりですね……これでは、向こう異世界へ行く先生に心配されてしまいます……。しっかりしないと……!」


 やがて、ルーテは涙を拭いて立ち上がる。


「みんなを……呼びに行きましょう……!」


 シスターからの、最後のお願いを果たす為に。




 ――そして翌日、別れをすませたシスターは静かに












 発揮されていたベヒーモスとリヴァイアサンの食事効果によって、めちゃくちゃ元気になった。ついでに病気も治って、生きる気力も復活した。


 その様子を目撃した新米シスター、フィラエは後に「極めてなにか、生命に対する冒涜を感じました」と回顧している。

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