外伝2 実験体67号
「……起きて、ミネルヴァ」
暗闇の中で、優しく呼びかけてくる女性の声を聞き、ミネルヴァは目を覚ました。
「…………お母さま」
「いけないわミネルヴァ。また本を読んだまま寝てしまったの?」
「ご、ごめんなさいです……」
ミネルヴァは手元にあった本を慌てて閉じる。
「立って」
「は、はい…………」
震えた声で返事をした後、ゆっくりと椅子から立ち上がるミネルヴァ。
「――ふざけないで」
女性は、力を込めてその頬を
乾いた音が鳴り響き、ミネルヴァは地面に倒れ伏す。
「私が良いと言うまで眠ってはいけないと教えたわよね?」
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」
女は涙ながらに謝るミネルヴァを無理やり起こし、何度も頬を叩いた。
「眠ると魔力の循環が止まってしまうって、何度も説明したのに……なぜ言うことを聞いてくれないの?」
そう問いかける女。
「ひっぐっ……うぅ……えっぐ……!」
しかし、ミネルヴァは声が詰まって返事をすることができなかった。
「………………はぁ」
女は小さくため息をつき、ミネルヴァを床へ突き放す。
「やり直しよ。余計な刺激を与えない為に検査の時以外は自由にさせていたのが失敗だったわ。……今度は独房にでも繋いでおきなさい。眠ってしまわないよう監視も付けておいて」
そして、背後に控えていた数名の部下にそう指示を出した。
「い、いや……」
「あなたが悪いのよミネルヴァ。私がこんなに愛してあげているのに、応えようとすらしないだなんて」
「み、ミネルヴァもお母さまのことを愛しているです……!」
「そう。……だったら、注入した魔力が身体に馴染むまで、少なくともひと月は意識を覚醒させ続けなさい。あなたの身体はそれができるはずよ」
「そ、そんなこと……できっこないのですっ! 眠くて……気持ち悪くて……頭が痛くなって……おかしくなってしまうです……!」
ミネルヴァはたどたどしい言葉で抗議するが、それが聞き入れられることはなかった。
「――連れて行って」
「ゆ、ゆるしてください……あそこは……あそこはいやなのですっ! いやあああああああっ!」
かくして、ミネルヴァは女の部下達に取り押さえられ、そのまま何処かへと運ばれていくのだった。
――魔導研究所が主として行っているのは、不老不死の研究である。
再生能力を持つ魔物から抽出した魔力を実験体へ注入し同化させることで、決して朽ち果てることのない肉体を持つ究極の生命体を生み出そうとしているのだ。
そんな中でも、とある研究員の娘である実験体67号――通称ミネルヴァは、魔物の魔力を受け入れても拒絶反応を起こさない貴重な検体だった。
彼女は、魔物と人間のあいだに生まれた混血児なのである。
*
それからひと月後。
「…………うぅ……アぁ……」
ミネルヴァは、壁越しに実験体達のうめき声が聞こえてくる独房の中で鎖に繋がれていた。
両手を天井から吊り下げられているので、座ることすら出来ない状況である。
定期的に投与される薬品と、常に緊張状態でいることを強制される過酷な環境によって、無理やり覚醒させられ続けたミネルヴァの意識は朦朧とし、現実と虚構の区別がつかなくなっていた。
――だがそれでも、自分が頑張って実験を成功させれば、母がいっぱい褒めてくれる。望む限りいつまでも優しくぎゅっと抱きしめてくれるのだ。
そんな思いだけが、どうにかミネルヴァの人格を保っている。
「……調子はどう? ミネルヴァ」
するとその時、近くで母の声がした。
「……ア……ぁ……?」
「……おめでとう。今日でひと月よ。――喜びなさい。あなたは完璧な生命体に一歩近づいたの」
「おカぁ……サ……ま……」
「もう眠っても大丈夫よ」
その言葉を聞いたミネルヴァの乾いた目から、一筋の涙が零れ落ちる。
それから、ミネルヴァは拘束を外されて母に抱き止められた。
「おやすみなさい。ミネルヴァ」
「……おヤすミ……なサぃ」
そう言って、ゆっくりと目を閉じるミネルヴァ。
「――出来損ないの化け物でも少しは役に立ったわね」
だが、意識を手放す直前に彼女が耳にしたのは、そんな残酷な言葉だった。
母にはミネルヴァに対する愛など少しも存在していなかったのである。
「ああぁ……アアアアアアアアアアアッ!」
刹那、ミネルヴァの魔力は暴走する。同時に、施設全体が大きく揺れた。
「な、何……?! どうしたの?!」
ミネルヴァから溢れ出した魔力に共鳴し、研究所に収容されていた実験体達が次々と暴走を始めたのである。
「あいシてるって……いったノに………………ウソツキ……!」
女の腕に抱かれていたミネルヴァが、両目から血の涙を流しながら言う。
「お、落ち着きなさいミネルヴァ! 私はあなたのことを愛しているわ!」
「ウソツキッ!」
刹那、ミネルヴァの背後から飛び出した触手が、女のことを締め上げた。
理性を失った彼女の身体は、人の姿を保ち続けていることができなくなってしまったのである。
「ぐぅっ……やめて……ミネルヴァ……! おねがいよ…………っ!」
「じゃあ…………ぎゅって……シテ……?」
「へ…………?」
ミネルヴァは触手で締め上げていた女のことを解放し、両手を広げてゆっくりと近づいていく。
「おかぁ……さま…………ミネルヴァ……がんばったです……。いっぱいいっぱいがんばったです……!」
そして、必死にそう訴えかけた。
「ひぃぃっ?!」
しかし、女はミネルヴァのことを拒絶する。
「おかあさま…………?」
「こ、来ないでっ! 来るな化け物おおおおぉぉッ!」
「みねるヴぁは……ばけものなんカじゃ……ないデす…………」
最愛の母から拒絶され、その場で力なく膝をつくミネルヴァ。
「いやああああああああああああッ!」
気が動転した女は、絶叫しながら独房から逃げ出す。
「ギイイイイイイィィィィッ!」
「ひぃぃっ?! いやっ! た、助けてミネルヴァっ! ああああああああッ!」
そしてミネルヴァの目の前でキマイラクローンの餌食となり、どこかへ引きずられていくのだった。
*
「うん…………?」
しばらくして、少女は独房の中で目を覚ます。
「ここは……どこですか……?」
ただでさえ衰弱しきっていた所に、大きな精神的ショックを受けた少女――ミネルヴァは、全ての記憶を失っていた。
「だれか居ないのですか……? ミネルヴァを……独りにしないでほしいのです……!」
今にも泣き出してしまいそうな声で独房の外に向かって呼びかけるミネルヴァ。
しかし、人間からの返事は返ってこない。聞こえてくるのは魔物の唸り声だけだ。
「うぅっ……独りは……いやなのです……っ!」
――彼女が食い荒らされた母の亡骸を発見し記憶を全て取り戻した時、ただの癇癪によって世界中に魔物を発生させ、大勢の人間を殺すことになる最悪の怪物――魔物の女王「ミネルヴァ」が誕生するのである。
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