刻まれた英雄の証①

 コクピットに群がるスモール級。

 折れた短刀。

 押し出される機械の腕。

 爆散する機体。


「副隊長…………っ!」

 

 叫び声と覚醒は同時であった。伸ばす手はまるでつかめない何かを求めるが如く。宙に浮かぶ手は、しばらくはそのままに放置された。

 愛花とシノアも眠っている。

 それは、今ベッドに座っている身体も同じだ。あるいは、思考でさえも止まっていた。急な視界の変動についていけず、ただ呼吸を繰り返す機械のようになっている。再起動したのは、秒針が一周してからだ。起動を成したのは、勢い良く開けられた扉の音である。

 

「大丈夫?」


 開け放たれた扉から、桃色の少女が踊り込んでくる。その見目麗しい少女の眼には隈が浮かんでいる。寝不足であるからか、別の理由からか。いずれにしても疲労が色濃い様子が見て取れる彼女だが、自分の調子よりも優先することがあった。

 それは、目の前にいる少女の無事である。

 

「真昼様、ここは、病院」

 

 原因は、限界を越えた疲労か。いつもの通りであろうが、しかし深顯はいつにない不快感を覚えていた。不安感と言い換えて良いかもしれない、胸中に蟠る黒いもや。そして深顯は、その原因が何であるかをすぐに悟った。今さっきまで夢に見ていたのだ、忘れようがない。

 

「……真昼様、副隊長は? 私の部隊は?」

 

 すがるような声色。真昼それを正面から受け止めながら、しかし沈黙を選択する。魚のように口を開こうとしては、閉じている。それを見るに、ただ黙っているのではないことがわかる。ただ何かを言おうとして、途中で言葉を飲み込んでいるだけである。そうしてしばらく口を噤んだ彼女は、はっきりとした口調で言い切った。

 

「………今回の戦いの葬儀は今週の末。犠牲者の弔いは、来週の頭に執り行われる。貴方の部隊の出席者は貴方だけ」


 自分以外、皆死んだのだ。

 補欠衛士となった時から盾となる覚悟はしていた。だけどまさか本当に来てしまうとは。

 それが誰のためのものであるか。近しい者の中で、誰がその対象になるのか。ようやく現実感を取り戻した深顯は、黙ったまま拳を握り締めた。

 

 深顯が起きてから病室はしばらく来客の姿が途絶えることはなかった。狭い病室だからして、部屋も狭くなる。なぜならば、来客のほとんどがリリィや防衛隊だったからだ。男女問わずして、先の激戦を乗り越えられるほどに鍛えられた戦士というのは、ほぼ体格がいいものばかり。そんな戦場の猛者達は、深顯や愛花、シノアに色々と話しかけていた。

 

「アンタが新型のアーマードコアで戦ってたマディック? 凄いな、こんな可愛い子だとは思わなかったよ、まぁ女子はみんな可愛いがな」

「よっ、英雄部隊の黒十字! あの時はほんと助かったよ………え、どの時かって? ほら、避難区域でのアレだ、ミドル級の死骸に足ひっかけてバランス崩した後だよ。アタシ狙ってたスモール級のドタマ薙いでくれただろ? って覚えてねえのかよ………まあいいや、感謝だけはしとくよ。あんたの名前は忘れない」

「……お前が新型の? 何かの間違えじゃ……いえ! なんでもありません! 真昼様」

「助かった………全滅しなかったのは、あの突貫があったからだ。礼を言う」

 

 病室での会話はこんなものだ。話題は様々だが、共通しているのは一昨日の戦場での事。

 皆、愛花、シノア、深顯の活躍を褒め称えるものばかりであった。助けられた者が多いのだからそれも仕方がないといえるだろう。先の戦功もあり、そして先の戦場の"あの活躍"を見て、注目しない人間はいない。特に避難区域へと先んじて到着していた防衛隊や衛士達にとっては、黒十字という名前は忘れられないものとなっている。


『黒十字ここにあり』

 

 数えるほどの戦力、押し寄せてくるデストロイヤー。それでも守らなければならない市民。正真正銘の絶死の状態で訪れた勝機ならぬ"生機"である、正しくご来光のように暗い戦況を照らした一報は、それまでの絶望感もあり、忘れがたきものとなっていたのだ。その他の防衛隊も同じだ。包囲されていた所を助けられたこと多数、撤退の援護を助けてもらった隊もある。程度の差はあれ、感謝の心と共に黒十字の名前が刻まれたという点に関しては、同様である。

 

 個々人の感想は様々にあろうが、ある意味で黒十字補欠衛士部隊とは救世の英雄のようなものになっていた。来客の言葉は深顕の、そして黒十字補欠衛士部隊の活躍を褒め称えるものばかり。だが、それに反比例して深顯の心は沈んでいった。

 

 そして、その夜。いずれも来客が去った後に、真昼は現れた。

 

「………ふむ、特に大きな怪我はないようだ」

 

 医者の検診の結果を聞いた真昼は、安堵のため息をついた。いかに普通の子供とは違い、強化され日常に戦場に鍛えられている身体とはいえど限界は存在する。それを上回れば、いかに頑丈な身体を持っていても、壊れることは避けられない。後遺症が出てしまうような怪我を負うわけだ。だけどそのような症状は出ていない。専門家に見てもらえても問題がないと判断してもらえたことに安堵した。

 

「真昼様。それよりも、説明して欲しいことがあるんですが」

「予想はつくけど、聞いておこうか」

「私たちが英雄扱いされてるってことですよ! なんで否定しちゃ駄目だなんて言ったんですか!」

 

 見舞いの客は色々来るだろうが、彼らの賞賛を受け入れろ。否定するような言葉は吐くな。それが、覚醒した直後に真昼から命令された事である。

 

「何で私達が英雄扱いされてるんですか! ――――あんな、酷い戦いだったのに! 何も、守れなかったのに……!」

 

 守れたものはあるだろう。倒せた敵もいるだろう。だが、失ったものが大きすぎた。それなのになぜ、英雄という言葉が出てくるのか。何故、否定してはいけないのか。


 問い詰めている最中に、真昼、一葉、優珂、流星、高城、愛花、夢結が揃う。

 ちょうどいいと、真昼は隊員たちを見回しながら説明をはじめる。

 

「何故英雄に、か。それは、今この時に必要になったからだよ。何しろ"あれだけ"打ち負かされたのだから」

「………どういう事ですか?」

「自分で考えてみて」


 今この東京は非常にまずい状況だと。なにせ衛士、補欠衛士、防衛隊は先の戦闘で大損害を被ってしまった。その戦力は、最大時の半分程度に落ち込んでいるだろう。この戦力で次の侵攻を食い止められるかどうか、問われると答えは出し渋らざるを得ないだろう。

 

 かなり危険な賭けとなる。戦線の壁役となるリリィ部隊が機能しなければ、デストロイヤーを押しとどめることは不可能だ。一度抜かれれば、後方の戦略打撃部隊などひとたまりもない。だが、これと英雄の話とは関連性はない。

 

「物資や人員は間違う。もっと別なものだ」

 

 さきほど見舞いに来ていた防衛隊の顔を思い出す。感謝の言葉があり、称える言葉もあった。しかし、彼らの顔はどうであったか。晴れやかなものではあったか、と自分に問うてみるものの、答えは否だ。全員が一様に、縋るような。確かめたいことがあるかのような、そんな顔でこちらに話しかけてきていた。

 一体、何を自分に期待しているのだろう。そこまで考えた時、深顯はようやく気付いた。

 

「英雄………つまり、私達は希望の光なんですか」

「その通りだよ。そしてそれを期待される存在を、英雄と呼ぶ」


 エースとはまた違う。それは実績と信頼を積み重ねるだけでは、なれない存在である。


 俗な言い方をすればスター性が必須なのである。言葉の飾りなく言えば、異常性が不可欠となる。他の隊では見ないであろう新型のアーマードコアに、見た目麗しき少女。

 それも、戦場の主役と呼べるほどの活躍を見せたのだ。それをどう見るか、否――――どう見たいのか。敗戦に落ち込んでいる生還した補欠衛士と防衛隊達の答えは、一様である。

 

「それに加えて、貴方達の機体………見る奴が見ればわかると思うけど、あれが今の時代の最新型だね。これはもう一種の物語だよ」


 いささかの自嘲をもって、真昼は断言した。

 

「仕組まれた感もあるが、これを活かさない手はない。その理由は、もう分かるよね」

「………士気の問題ですか」


 もし、賞賛の言葉に謙遜を。あるいは否定の言葉をもって接すればどうだったか。

 深顯はその結果を想像して、答えに辿りついた。

 

「エースでさえ戦場の空気を変える力を持つんだ。上位互換である英雄が基地と戦場にどういった効果を及ぼすか、考えなくても分かるよね」


 そして士気が上がれば、戦力も上がる。比喩的表現ではなく、純粋なデストロイヤー撃破率が上がるのだ。恐怖という大敵を忘れさせてくれる英雄が存在すれば。

 幸運のクローバー。それに準ずる影響は、士気向上の効果は得られるはずだ。それがこの状態の基地にあって、どれだけの助けになるのか。深顯はそれを理解してしまっていた。

 

 他の中隊員もそれを理解している。だから、何も反論することはなかった。深顯はそんな中、ふと眼があった相手に訴えかけるように言葉を向ける。

 

「それは………弱みを見せるなってことですか」

「そう。できれば人前で泣かないで」


 そうすれば、士気が落ちてしまう。

 優しくも厳しく告げられた現実に、深顕達は何も言い返すことができなかった。

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