エレベーター
〈ユキナ視点〉
左腕を庇いながらの業務は
やっぱり難しくて…
書類の作成や電卓をはじくのも
いつもの3倍、4倍の時間がかかってしまい
「コレでもやっていろ」と
気を遣った高島さんから
封筒の束を渡され
申し訳なく感じながら
長方形型の封筒に社版を押していると
段々と薄くなりだした印に
唇が小さく開いた…
( ・・・あっ… )
スタンプインクの在庫は
この前使い切ってしまったはずだと思い出し
右手に握られた社版と
まだまだ積まれている封筒に目を向けて
どうしようかと考えた
正直、印押しをした封筒の在庫は
こんなに必要はなく…
黒のスタンプインクも
今すぐに取りに行かなくても
人の少ない休憩時間に
備品室にパッと行けば問題はない
だけど…
今の私が出来る仕事はコレくらいだしな…
重い腰を上げて
「総務課にいきますけど…」と
何か他に取って来る物があるか
控えめに声をかけてみると
隣りの席の高島さんが電卓をたたく手を止めて
ゆっくりと顔をコッチに向けてきた
タカシマ「・・・・・・」
( ・・・え? )
少しだけ驚いた表情をしている高島さんに
不安になってメガネの端を
カチャッと触りながら目線を床に落とすと
「白石コレもお願い」と
福谷さんの大きな声が耳に届き
慌てて立ち上がって福谷さんの席へと速足で向かった
フクタニ「悪いんだけどホチキスの芯と
ペンの替えのインクも何箱か持って来てて」
自分の引き出しを開けて
「あとは…」と
確認をしている福谷さんの机の上は書類の山で…
本来、私がやるべき仕事を
先輩達がしてくれていて
ますますお荷物の様に感じ
顔を俯ける事しかできないでいた
( ・・・いいのかな…ここにいて… )
そんな事を思いながら
いつも通り階段の扉を開けると
カツカツカツ…と
複数の革靴やヒールの足音が
耳に届き「え?」と足を止めた
この階段を利用する人は
けっして多くはなかった…
( ・・・なんで? )
エレベーターがあるし…
少しホコリ臭さのあるこの階段は
照明も暗く
急いでいる男性社員が
女「あっつーい」
上の方から聞こえてきた高い声に
更に疑問ばかりだ…
蒸し暑くなりだしたこの季節に
エアコンの効いていない
こんな階段になんで…と…
上へ下へと響く足音に
パタンと重い扉を閉めてしまい
「どうしよう」と小さく呟いたまま
動けないでいると
目の前の扉がギィと開き
驚いてパッと数歩下がった
「あっ……おっ…おつかれ様です…」
扉から現れたのは
私があの日
階段から落ちる数分前に会いに行った
秘書課のある上の階からここまで
わざわざ降りて来たのかと
更に驚きながら頭を下げると
「お疲れ様です」とニッコリと笑って
経理課の方へと歩いて行った
「・・・・・・ 」
きっと美澄さんの残り香であろう
ほんのりと甘い香りが鼻をかすめ…
彼女が歩いて来た
あの薄暗い階段通路が
急に自分とは遠い場所へと感じてしまう
階段に響いていた足音は
4〜5人程度だろうし
エレベーターに比べたら
利用者は全然少ない事は分かっている
( ・・・・・ )
なぜだか分からないけど
私の足は階段前の扉から離れて行き
エレベーターの方へと向かっていた
大丈夫…
エレベーターの向こう側にある
女子トイレに行くフリをして
目の前を通ればいいだけだ…
エレベーターは2台あるし
どこかの階で止まっている台があれば
誰も乗ってないって事だし…
4階から3階に降りるだけの私が
エレベーターの中で誰かと重なるなんて事はない
少しだけ荒くなっている自分の呼吸に
苦しさを感じながら
一歩一歩…
エレベーターの方へと進み
左側の台が
1つ上の5階で止まっているのを確認し
パッと下を向いている矢印マークのボタンを押して
「スーハー…」と小さく深呼吸をしながら
早く降りて来てと震える足に力を入れていると…
ミスミ「ふふふ…失礼します」
経理課から出て来た
美澄さんの可愛いらしい笑い声が耳に届き
チンッと開いたエレベーターの中へと
逃げる様に速足で飛び乗り
備品室のある3階のボタンを押した
ガクンと小さな揺れを伴いながら
下へと動き出したエレベーターの中で
ホッと息をつき…
( ・・・・・・ )
背中にある鏡へと顔を向け
・
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