第11話 エミリア倒れる

 カンタラリア帝国帝都ヴァレンのライオット時計店。


 エミリアが働き始めて約一週間が経った。

 マックスの紹介で働けるようになったが、実はこのライオット時計店、帝国でも評判の時計店だった。

 製作する時計の質もることながら、帝国で唯一オロロージオの時計を修理できる工房だとのこと。


 時計の構造は、似ている様に見えて結構違う。もちろん対応できない事もあるが、オロロージオの時計を開けて、ライオット時計店で修理可能か不可能かの判断を下せる技術力を持っているそうだ。

 オロロージオの時計に手をつけて、「直せませんでした」「分かりませんでした」という時計店ばかりの中、“恥”を晒していないのはライオット時計店だけだという。


「エミリアー。この時計の修理なんだけどさ、この部品の交換だけでいいかな」

「う~ん。この部品の劣化具合を見ると……こことこっちにも影響していると思いますから、調整が要ると思いますよ」

「そっか! そうだな。やってみるよ」


 働き始めて初日でエミリアの知識と技術は認められて、今はダニーから助言を求められるようになっていた。

 工房長のゼニスや、ベテランのパテック、フィリップも高い技術力があるが、稀に持ち込まれるオロロージオの時計には素直にエミリアに助言を求めようと考えている。


 工房の休日は週に一日。

 エミリアが働き始めてから、一度休日があったが、その休みも三階の掃除と日用品の買い出しで潰れていた。


「エミリアさん。少しいいかな?」


 店主のウォルツが珍しく工房の入り口まで来て、エミリアを呼ぶ。

 ゼニスから工房を離れる許しを得て、ウォルツに付いて一階へ降りると、そのまま応接室へ向かった。


「やあ、エミリア嬢。無事に働く事が出来たようだね?」

「マックス様!」


 応接室に入るなり、マックスがエミリアに声をかけた。

 隣にはセインもいる。


「マックス様、セイン様、その節はありがとうございました。おかげ様で、ヴァレンで生活の基盤を持つ事が出来ました」


「紹介状を書いた手前、エミリア嬢の事が気になっていたんだ。やっと訪ねる時間が取れてね」

「断られて行き倒れていたら大変だからって、ずっと気にしていたんだぜ?」


 マックスはほっとした表情とともに、バイオレットの瞳でエミリアを見つめる。


 マックスもセインも揃って帝国のエンブレムが付けられたブレザーを着ているので、帝国学舎の制服姿でエミリアを訪ねたのだ。

 ベルントは所用で来られなかったようで、「『エミリア嬢によろしく』って言ってたぜ」とセインが伝えた。


 その後ウォルツが席を外し、エミリア達はしばらく言葉を交わしたが、内容は「住み込み出来たのか」「部屋は大丈夫か」「仕事には慣れたのか」「環境が変わって疲れてはいないか」等など、彼女の生活に関する事で、マックス達がエミリアを気にかけている事が窺えた。


(心配して下さっていたのね。お父様やクリスお兄様みたい……。そう言えばお爺様にお手紙出さなきゃ)


「君が元気にやっているようで安心したよ。また寄らせてもらうね」

「ありがとうございます。マックス様もセイン様もお体にお気を付け下さい。ベルント様にも感謝申し上げます」


 マックス達は十五分ほどの滞在で、店を後にした。


 ◆◆◆


 この時点で、マックス達はエミリアの置かれた境遇について――実家を放逐されるに至った経緯についても――把握していた。


「いいのか、マックス? エミリア嬢に伝えなくて」

「ああ、どこの誰ともはっきりせぬ私達から伝えられるより、家族から伝わった方がいいだろう? 別にオロロージオ男爵やレロヘス子爵本人と仲違いした訳ではないのだからな」

「そうだけどよ……」

「程度の差こそあれ、私もエミリアも実家とは距離を置いた方がいいだろう。今は……」

「そうだな。エミリア嬢は命を狙われてないだけマシ……か」


 ◆◆◆


 それから数日、エミリアは変わらず仕事に励んでいた。


「……? ……リア? ……おい! エミリア? どうした? 具合悪そうだぞ?」

「だ、ダニーさん。すみません! 仕事中に」

「いや、そんな事じゃなくて――あっ! おい!」


 エミリアは朝から熱っぽかったが、無理して働いて工房で倒れてしまった。


「ダニー! エミリアは大丈夫か!?」

「わ、分かりません! でも、熱が……凄い熱です!」


(わ、私、どうしてしまったの? 世界がグルグル回っている……)


「――――んでやれ!」「は、はい!」


(…………ああ、なんかフワフワしているわ。あの時――マックス様が盗賊から助けて下さった時と同じ感覚……。今日は少し汗のにおいと乱れた息……。ああ、どんどん暗く……なって……)




 ペロッ! ペロッ!


(エミリアが元気になりますように。エミリアが元気になりますように)


「んっ! ……う、ん?」


 暗闇にうっすらと光が差し、それが上下に広がっていく。

 明るさが収まり、見慣れつつある天井が見えくる。自分の部屋の天井だ。

 エミリアが目を覚ました。


(ンニャ?)

「エミリア?」


 エミリアは声のした方向へ顔をゆっくりと向ける。

 心配そうな表情をした黒ネコがエミリアの瞳に大きく映り、その後ろに誰かの頭……。


(ニャ~ゴロゴロ)

「ルノワ……」

「ルノワ? 誰だ、それ?」


 エミリアは未だぼんやりとしている頭でも、部屋にルノワ以外の誰かがいる事にハッとして頭のモヤが一気に晴れた。

 ルノワを避けるようにもう少し大きく頭を動かしたエミリアは、ベッド脇の椅子にダニーが座っているのに気づく。


「ダニーさんっ!」

「あ、おい、無理すんな! もう少し寝てろ」

「私、倒れてしまったんですね……。ご迷惑をおかけして……すみません」


 エミリアは申し訳ないような情けないような、そんな気分になって涙が滲み出てきてしまうので、手の甲をおでこに当てて熱を診る振りをして、ダニーに涙を見せないようにする。


「気にするな。俺達も気が利かなくて悪かった。……エミリアは働き始めて間が無いし、休日も休めてなかっただろ?」

「どうしてそれを?」


 確かにライオット時計店で働き始めてから、エミリアはグランツの工房との違いに慣れよう、せっかく働かせてもらえたのだから頑張ろうと気が張っていたし、休日も休めていなかった。

 それでも、工房のみんなに気を使わせないように無理をしていたのかもしれない。


「ここを見れば分かるさ。三階全部を綺麗にしてくれて……」


 ダニーはそう言うと、うつむいてしまった。


「すまないっ!」


 俯いてしまったと思ったら、急に謝るダニーにエミリアは戸惑った。


「えっ? な、なにがですか?」

「ここは……三階は、エミリアが来ようが来まいが、俺と双子がいつも掃除しとかなきゃいけなかったのに、ずっとサボっちまってたんだ」


「……そうだったんですか」

「だから、すまん! エミリアが無理してしまったのは、俺達のせいでもあるんだ」


 ダニーが頭を垂れて謝っていると、開け放たれたドアの外から「「ダニー! そろそろいいかもよー」」とユニゾンの声が掛かった。


「おう! 今行く。エミリア、ちょっと待っててくれな」


 ダニーが出ていったら、パネルとライルの双子が、ひょこひょことドア枠からエミリアの様子をうかがう。


「「エミリアー、大丈夫?」」

「おい双子、熱っちいのが通るぞ、ジッとしてろよ?」


 ダニーが小鍋に作ったスープを持って来てくれて、皿によそった。


「これは……」


(スープ……。食べやすいように野菜を細かく刻んでから煮込んでくれている? さっきからいい匂いがすると思ったら、これだったのね)


「俺の、死んじまった母さんが作ってくれたのを思い出しながら作ったんだ。美味いかどうかは保証できないが、食ってくれ」

「ありがとうございます。いただきます」


 湯気の立つスープを、ふーふーと息で冷まし、一口含む。


「あっ! 美味しい……」

「そうか?」

「はい。とても優しい味がして、美味しいです」

「良かった……」


「「へぇ~、ダニーって料理もできるんだ?」」

「と、当然だろ! 俺は何をやっても上手いんだ」


 ダニーと双子のやり取りに、エミリアが笑いをこぼすと、つられてみんなが笑った。



「とにかくだ、エミリアはしばらく休めとさ」

「そんな……」

「いや、慣れない環境に来たんだ。親方が、とにかく無理しないで疲れを取れってさ」

「無理だなんて……」

「いいだろ? どうせ俺達は下の階にいるんだ。ちょくちょく様子見に来るからさ。親方の許しがあるまでゆっくりしてろって」

「「そーそー。仲間が倒れるまで気付かないなんて……ごめんよ」」


「仲間……」


 まさか自分をそのように思ってくれるなんてと、エミリアは喜びを噛み締める。


「そうだぜ? エミリアは工房の大事な仲間だぞ」

「「腕はダニーより上だけどなっ」」

「う、うるせー! すぐ追いつく!」


 双子とダニーが笑い、エミリアにも笑みが生まれた。


(ああ、そういえば“笑う”なんて久し振りだわ……)

(ニャ)

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