【完結】腕着け時計のご令嬢~あの人を救うために……時間よ巻き戻れ~

柳生潤兵衛

第1話 放逐

 ◇◇◇◇◇◇リンデネート王国王都リーンにあるレロヘス子爵家


 今日開かれているパーティーはエミリア・レロヘスの一歳下の妹、アデリーナの十四歳の誕生日を祝うパーティー。

 ホールには楽団の演奏する音楽が流れていて、若い招待客も多く、皆歓談を楽しんでいる。


「あ、いらしたわ!」


 今日の主役であるアデリーナが階段を上った先のホワイエに現れた。

 エミリアの婚約者、十六歳のヤミル・クルーガー伯爵令息のエスコートで!

 二人の後ろには笑顔の母・マリアンと、暗い表情の入り婿の父・リンクス、苦虫を噛み潰したような顔をした兄のクリス。

 アデリーナとマリアンは、同じヒスイ色の瞳とニュアンスウェーブの赤い髪で、まるで姉妹のような笑顔を揃えている。

 リンクスとクリス、そしてエミリアは金髪なので、余計にマリアンとアデリーナのそっくり具合が引き立つ。


 エミリアは家族なのにホールに一人でいる。だ。


 招待された令嬢達が、アデリーナが着ているミントグリーンとエメラルドグリーンを組み合わせたオーガンジーのドレスに感嘆の声を上げる。

 マリアンとアデリーナが熱心に仕立て屋さんと相談していたドレスだ。

 エミリアのドレスは、以前アデリーナの為に仕立てたが、アデリーナのお気に召さなかった淡いブルーのシフォンドレスを仕立て直した物。


 そして、ヤミルは喧噪が止むのを待って、アンバーの瞳でエミリアを見下ろしながら


「エミリア嬢、君との婚約は破棄させてもらう!」


 子爵家だから、それほど大きくないホールにヤミルの声が響いた。

 ヤミルは伯爵家だから、伯爵家の参加するパーティーともなると、招待客も自然と多くなる。ヤミルやアデリーナの学友もたくさん来ている。


「えっ!? ヤミル様は何と?」

「婚約破棄ですって?」

「まぁ大変っ!」


 ヤミルの言葉を聞いた招待客がどよめく。

 だが、ヤミルはここで更に言葉を


「だが、このレロヘス家と縁を切るわけではない。お集まりの皆様! 本日ここに私ヤミル・クルーガーと、本日の主役であるアデリーナ・レロヘス嬢との婚約を改めて発表させて頂こう!」


 そして、アデリーナがヤミルに身を寄せ、ヤミルはアデリーナの肩に手をまわしてそっと引き寄せた。


 ヤミルは十六歳。王族や貴族令息しか入れない王立学園に通っていて、アデリーナはその学園の二つ下の後輩にあたる。

 エミリアは小さい頃からマリアンに嫌われていたので、下級貴族の令息や商家の子女が多い都立学院へ入れられた。いわゆる都市が運営する公立学校だ。


「まぁ! お姉様との婚約を破棄して、妹さんと婚約?」

「なんてこと! エミリア様がお可哀そう」

「でも、クルーガー家とレロヘス家の縁は繋がるのよね?」


 そして、ここでマリアンが二人の横に立って


「エミリア! あなたのアデリーナに対する執拗な嫌がらせの数々、わたくし達は決して許すことはできない! 放課後にわざわざ学園に出向いてまで何をしているのです! 恥ずかしい!」


(嫌がらせなんか一度もしたことはないわ。王立学園にも行ったことも無いですし、放課後はおじい様の所に入り浸っていましたけど?)


 エミリアは、表情を崩さず、心の中でつぶやいた。


(全てアデリーナの嘘です。私を陥れる為にヤミル様に近づき、そしてヤミル様にも嘘を吹き込むなんて!)


 アデリーナはヤミルの腕の中から、してやったりの顔でエミリアを見下ろしている。


(……でも、お母様はも私の言葉を聞かずに勝手に決めてしまうのです。次の言葉で!)


「――ですが、ヤミル様及びクルーガー家の皆様の温情により」


(えっ!? あれ? ……違う!)


 エミリアは、マリアンの口から発せられた言葉が、と違うことに驚き、そして戸惑った。


「――あなたを我がレロヘス家から放逐ほうちく致します。 今すぐ出てお行きなさい! クルーガー様に感謝しなさい!」


(ほ、放逐? 殺されない?) 

 エミリアが辺りを見てもレロヘス家の騎士達も動いていない……

(本当に殺されるわけではないのね?) 


「母上、やはりもう一度お考え直しください! 実の娘ですよ?」


 クリスが、マリアンの腕を取って訴えている。


(いいのです、お兄様)


「アデリーナも実の娘よ? エミリアは実の妹を何年にも渡ってしいたげげてきたのです! そのような者をレロヘス家に置いておくことはできません。恥ずかしくて婚姻もさせられないわ! いい、クリス? あなたは将来レロヘス家の当主になるのだから、あなたは将来のレロヘス家のことだけ考えなさい。今日のことなど取るに足らぬ些事さじです。忘れなさい」


 クリスのいさめの言葉も聞かず、マリアンはそう言い放った。


(お母様ったら、このような大勢の方がいらっしゃるパーティーの場で、よくそのような事を言えるものです)


 エミリアは半ばあきれるが、それ以上に心が躍っていた。


(でも……そんなことより! 放逐! レロヘス家からの追放なんて初めてのことですわ! 凄くうれしい!)


 エミリアの目には嬉しさのあまり涙がこぼれている。


(止まりそうにありません……)


「エミリア、君が僕のことを想っていてくれたこと、クルーガー家によくしてくれた事はとても感謝している。本当だ! 今日君がレロヘス家を放逐されることになるなんて……同情を禁じ得ない」


 エミリアの涙を目の当たりにしたからか、ヤミルは少しうろたえた様子で彼女に語りかけた。

 だが、エミリアの涙は、そんな理由で溢れている訳では無かった。


(ヤミル様の同情? そんなものは要りません!)


「――もし君さえよければ、当座の生活費を……」


(ヤミル様からお金? もちろん要りません!)


「ヤミル様! そのような無駄な事なさらずとも結構ですわ。その分アデリーナを可愛がってあげて下さい」


 急にマリアンが言葉を差し挟んだ。


(お母様ならそう言うと思っていました! そうです! 要りません!)


「さあエミリア! そんなところで泣いていないで、何処へなりともさっさと出てお行きなさい!」


(そ、そうね。お母様達の気が変わられても困りますし、出て行きましょう!)


 エミリアはそう考えて、家族に背を向けて出口を見ると、招待客が自然と道を空けた。

 ……まるで花道のように。


 エミリアが出口に向かって歩き始めると、リンクスやクリスが「待つんだ、エミリア!」「エミリア、待ってくれ!」と声をかける。


 客達も「あんなに涙をお流しになって……お可哀そうに」「少女が一人で放逐されて、生きていけるわけがないじゃないか」と、扇子や手で口元を隠しながら密かに同情の声を漏らす。

 その声が耳に届いているエミリアは、心の中で答える。


(いいのです! 本当に同情は要りません!)


「エミリア嬢を助けてあげたいが、そうするとクルーガー家とウチの関係が悪くなってしまう」

「何か援助できないか?」


(ありがとうございます、皆様。でもいいのです。 この状況が私の望んできた状況なのです! 放っておいて頂いて結構です!)


 とにかく一刻も早くこの場から離れなくては、という気持ちでエミリアは歩みを進める。


「待ちなさい、エミリア!」


 アデリーナが遅い足でエミリアを追いながら、息を切らしつつ後ろから声をかけた。


「その時計を置いていきなさい! あなたのその腕着け時計、おじい様からの贈り物でしょう? あなたには過ぎた物よ、レロヘス家に置いていきなさい!」


 これまでマリアンやアデリーナから何を言われようが、波風を立てないようにしてきたエミリアでも、今のアデリーナの言葉は看過できなかった。


(……これは聞き捨てならないわ! はっきり言わないと!)


「これは贈り物では無いわ! 私が作った物です。おじい様にお聞きなさい? これは私が自分で作った私の物、世界でただ一つの腕着け時計だとおっしゃるわ!」


 アデリーナは初めて目にする姉の剣幕に、思わず後ずさりをした。

 エミリアは無駄な時間を取られてしまったと出口に向き直った。

 後ろではまだアデリーナが何かを金切り声で叫んでいるが、彼女は無視する。


(構っていられないわ! 一刻も早くこの家から出て行きたいのに!)


 扉の先の外はまだ日が高い!

 腕着け時計に目をやってもまだ時間がある!


(急がなくては!)


 そしてエミリアはレロヘス家の扉を抜けていった。



 ◆◆◆


「はっ! はっ! はっ!」


 駆け足なのにもどかしい。

 早く馬車の所まで行きたい!



「はっ! はっ! はっ!」


 ようやく見えてたわ!


「マッ、マルコ! 今すぐ馬車を出して!」

「お嬢様! わざわざお越しにならなくても玄関まで回しましたものを!」

「いいのです! それより早く馬車を出してちょうだい」

「どこにお行きになるので?」

「おじい様の所へ! おじい様の工房へ向かってちょうだい!」

「はい!」


 私に一番よくしてくれるマルコがいてくれてよかった!


 ◆◆◆


 エミリアの乗った馬車は徐々に速度を上げて、レロヘス家の門を抜け、祖父の工房へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る