第三章「植物劇場」-005

「おい!」


 俺はいるかも知れない誰かに声をかけた。


「門の鍵を掛けた奴! 居るんだろう? 出てこいよ、色々と話が聞きたいんだ」


 鍵を掛けたのが『管理者』かどうかは分からない。しかし鍵を持っているという事は、俺たち生徒より『学園』の事情を知っていると見ていいだろう。


 辺りは不自然なくらい静かだ。


 こんな森の中だ。本当は鳥の声や虫の羽音が聞こえてきても良いはずなのだ。


 それもない。鳥は相変わらず見えないし、虫も足下を這っているゴミ虫や蟻、蜘蛛の類いだけだ。


 俺はもう一度ノブを引いてみた。やはり開かない。鍵を掛けた奴は、俺が出てくるのを待ち、そしてバス停の方へ行ったわずかの隙に鍵を掛けて逃走したという事か?


 下は土だから足音は聞こえないかも知れないが、木の枝をすり抜ける時に音は立てるはずだ。


 それも聞こえなかったのか?


「居るのか、居ないのか! 返事しろ!!」


 なにか、これは……。


 やばい! 本当にやばい気がする! 本当に鍵を掛けたはいるのか?


 俺は訳の分からない恐怖心に駆られて、門の前から逃げ出した。逃げる先は、バス停と電話ボックス! なんでもいい、人工的なものにすがりたかった。


 もしもこの場に1103ヒトミが現れれば、俺は恥も外聞も無く、彼女にすがりついたのは間違いない。


 電話ボックスとバス停までのわずかな距離。しかし俺には誰かが後を追いかけてくるように思えて仕方なかった。


 電話ボックスが見えた少しは安心できた。そのまま電話ボックスの中に入り、籠城してやろうかと思った。


 その時だ。聞き慣れた音が響いた。


 自動車のエンジン音だ。まさか……、いやそのまさかだ。


 バスだ! バスが来たんだ!!


 振り返ると、車道を古びた路線バスが通過しようとしていた。俺は思わずバス停にしがみつくようにして叫んだ。


「乗ります!! 乗ります!!」


 バスは速度を緩め停車、そしてあのエアー音と共に、前のドアが開いた。


 俺は文字通り逃げるようにしてバスへと飛び込んだ。そして一息ついてから運転手さんに話しかけた。


「あの、このバス。どこへ……」


 言葉はそこで止まった。運転席に人の影はあった。しかしそれは人ではなかったのだ。


「ロボット……? いや、人形か?」


 運転席には、デッサン人形をヒトと同じくらいの大きさにした人形が座っていたのだ。デッサン人形を思い起こすだけあって、顔はのっぺりとして表情はもちろん、鼻や目のディテールはない。服も着ていないが、全身は赤や青、黄色といった派手な原色のペンキをまき散らしたような模様がついている。

 ペンキがついていない部分もあるが、そこからは素地らしいプラスティックが覗いていた。さらに人が近寄るのを拒むように細い針金やピアノ線が本体から突き出していた。


 ジョルジュ・デ・キリコの作品に出てくる、ヒト型のオブジェを思わせる姿だ。


 とにかく運転席に着いているのは人間ではなかった。多分、ロボットでもない。ただの人形だろう。なぜ人形が運転席に置かれているのかは、全くもって理解不能だ。


『お乗りになるなら、席について下さい』


 車内アナウンスが流れた。女性の声だが、どうやら録音した物を機械的に流しているだけのような。


『お乗りになるなら、席について下さい』


 同じアナウンスが繰り返された。


「あの、俺……。金が……」


 金銭を持っていない事を告げようとすると、目の前、料金箱の表示に気づいた。


『学園関係者及び生徒は無料で乗車できます』


 そういう事なのか。


「乗ります。乗ります!!」


 俺は向かって左端、一番前の席に座った。


 エアーの抜ける音と共にドアがしまった。


『発車いたします。ご注意下さい』


 三度車内アナウンスが流れると、バスはゆっくりと加速を始めた。バス停が徐々に背後へと消える。正門に繋がる道路もだ。


 これで俺が通ってきた門を閉めた何者かの追跡からは逃れる事ができた。いや、そんな者が本当にいたかどうかは分からないんだが。


 少し落ち着いてバスの車内を見渡す。まずは運転席のあの人形だ。ロボットではない。ハンドルにも手を添えているだけで動かしている様子はない。ハンドルは自動で動いている。自動運転という事か。


 それならば余計に人形を置いておく理由が分からない。人形を置いておくなら、制服を着せるなり、顔を描くなり、ヒトに似せる努力をしても良いと思うのだが、そういう気配は全くない。


 クラッシュテスト用の人形か? 警察に追われた逃亡犯が、偶然、クラッシュテスト用の鉄道車両に乗り込んでしまったという、ドラマか漫画を見たような気がして、俺はちょっと背筋が寒くなった。


 いや、クラッシュテスト用なら車内アナウンスはないだろう。俺は自分をそう納得させる事にした。


 少し落ち着いて車内を見渡す。当然のように、俺以外の客はいない。


 バスの天井を見ると、やはり監視カメラがあった。それで車内を監視しているのだろう。

 

 車内には広告が何枚か貼られていた。『学園』内には広告はもちろん、ポスターの類いもほぼ無かったので、これは意外だった。


 バスの車内広告と言えば移動範囲が狭い為、地元企業の物が多いはず。ここがどこか手がかりになるかと一瞬、期待したが、案の定、駄目だった。


 何枚かは宝くじのポスター。しかもサマージャンボと年末ジャンボが並んで張ってある。それも2019年や2021年と数年前のもので時期も離れている。


 あとは確定申告のお知らせ、ワクチン接種の勧めという広報関係。あとはコカコーラやマクドナルドといった大企業。これもローカル色はないので、ここがどこなのか探る材料にはならない。


 年月日が書いてある広告もあるが、これもばらばら。一番古いもので2018年、新しいもので2022年といったところか。


 駄目だ、参考にならない。


 そして車内を見回していた俺は、ある重大なものが無い事に気づいた。

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