第三章「植物劇場」-002

 振り返るとボールが一つグラウンドに転がっているではないか。おかしいな、見逃したか?


 俺は小走りにボールに駆け寄り、拾いあげて違和感に気づいた。


 さっきまで体育の授業で使っていたサッカーボールではない。二回りほど小ぶりで、白一色。そして材質は安っぽいビニール製のようだ。


 これはボールと言うよりは、子供が遊ぶまりだ。


 なんでこんなものが……? 『学園』には外部からものを持ち込むのは不可能だ。すると最初からあったはずだが……。


 俺は訝りながらも、ボール籠の方へそのボールを投げ入れた。


 ナイスコントロール!


 ボール籠の中にボールは、一発で収まった。


 その瞬間、俺の背後でまた音がした。ボールを蹴飛ばすか、あるいは地面に落ちる音。


 振り返るとまた別のボールが、グラウンドに転がっている所だった。


 おかしい……。さっきまでもう一つのボールなんて無かったはずだ。


「おいおい、ふざけるなよ!」


 俺は誰へとともなく声を荒らげて見せた。1103か、あるいは他の誰かが悪戯で、どこかからボールを放っているのか思ったのだ。


 しかし返答はない。人の気配もない。わずかに風が吹いてきたが、そういえばこの『学園』に来てから、風というのも滅多にお目に掛かっていない。


 なんだ、これは……。近くに他に生徒の姿も見えないし、ちょっとおかしな空気だ。


 俺は転がってきたボールを拾いあげ、そのまま校舎に戻ろうとした。


 その時だ。


 またぽ~~んとボールが弾む音が聞こえてきた。振り返るとグラウンドの向こう、正門まで続く道路の真ん中にボールが転がっていた。


 周囲を見る。誰も居ない。食堂や校舎の方には生徒の姿は見えるが、こちらには興味を示していない。子供が遊ぶようなボールだが、ここまで投げるなり蹴るなりするには、プロ選手並の技量が必要だろう。


 どうしたものか……。

 別にボールを追いかける義務はない。

 この『学園』はなだらかな斜面に建てられている。正門に繋がる歩道も緩やかに傾斜しており、ボールはころころといつまでも転がっていく。


 このままでは正門前にある花壇、俺が最初にこの『学園』に居ると気づいたあそこまで転がっていくはずだ。


 まぁ、いい。大した手間でもないさ。


 俺は自分にそう言い聞かせて、小走りに、歩道を転がるボールを拾いあげた。


 その時だ。視界の隅に何かが入ってきた。ずっと遠くだ。花壇の近く。そこに居た? いや、確信は持てない。しかし誰かが花壇の側に居たような気がする。


 俺は振り返って花壇の方を見た。まだ距離は200メートル以上はある。しかし人の姿は見えない……。と、思いきや何かが動いた。


 またボールだ。別のボールが花壇の所に数個転がっているのだ。そのうちの一つが花壇の所に来た途端、影に隠れている誰かの手に寄って拾いあげられた。


 少なくとも俺の目にはそう見えた。


 誰かいるのか? 花壇といっても枯れかけた灌木や草が植わっているだけ。そこに隠れる事が出来そうなのは子供しか居ない。それも9999フォアナインのように中学生か小学校高学年よりも年下。幼児だろう。


 本当に『学園』に幼児がいるのか? 9999が居たんだ。可能性は0じゃない。しかしそれならそれで1103や9999が教えてくれたはずだ。


 ここで考えていても仕方ない。幸い『学園』の中だ。それほど危険はあるまい。


 俺はそう考えてボールが転がっていた所へ駆け寄った。


 そこには三個のボールがあった。俺は一つを拾いあげて見る。おかしな所は何もない。ただの白いボールだ。


 念のため、他の二つも拾いあげた。やはりおかしな所はない。ただのボールだ。


 拾いあげたものの、体育館の所まで持って帰るのは面倒だ。俺は三つのボールを、空いてる花壇に放り込んだ。


 考えてみれば、この花壇。俺がこの『学園』に居ると気づいた場所のすぐ側だな。


 ……偶然か? 最初に気づいた場所へ行ってみるか?


 しかし、何の為に? 俺は自問する。行ったところで意味は無い。門扉が開いているはずもないし、今更、何か新しい発見があるわけでもないだろう。


 そして何より俺は嫌な予感がしていた。よし、戻ろう。俺はそう決心した。俺のその決心を試すかのように、足下にまたもやボールが転がってきた。


 おいおい、これで幾つ目だ? そして誰が転がした? 誰かが花壇の陰に隠れているのか?


「そこに誰かいるのか?」


 声を掛けてみたが返事はない。俺も返事は期待していなかった。しかし足下をボールが転がっていくのは事実だ。そしてそのボールは、俺が最初にこの『学園』にいると気づいた所へ転がって行っているのだ。


 人の気配はない。嫌な予感はするが、だからといって誰かに何が出来るわけでもない。俺は転がって行ったボールを追った。


 すぐにボールに追いつく。拾いあげると、目の前には俺が最初に『学園』に居ると気づいたあの場所だ。体感的には二、三日前だろうか。もっと昔のような気もするし、わずか数時間前のような気もする。


 見回してもこれと言って変化はない。少し安心して俺は校舎の方へ戻ろうとした。


 その時だ。音が聞こえてきた。金属のきしむような音だ。ギギィという音。それはどこか聞き覚えのある音だった。


 最初に『学園』に居ると気づいた時に耳にした音! 背後にあった金属製の門扉を閉める音だ!!


 やはり誰かいるのか? 金属製の門から外へ出ようとしているのか? 俺は反射的に金属製の門扉の近くまで駆け寄った。

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