43. 審判Ⅰ

 暇になった。


 聖都に帰ってきてから早四日。知り合いには概ね帰還の報告を済ませたし、シャノンと師匠も仲直りできたし、大聖堂で褒賞も受け取って、ルエリィとシアリィの元気な姿も見せてもらった。すると目下俺たちが消化しなければいけない用事もなくなって、「今日からなにしよっか……」とすっかり手持ち無沙汰になったと気づいたのだ。


 今までであればこういうときの選択肢はだいたい二つで、またとない機会とばかりにじっくり剣の鍛錬をするか、依頼なり魔物討伐なりで生活費を稼ぎに行くかだった。しかし、この体となってしまってはそうもいかない。義足グレードアップ計画も今はアンゼが職人さんを見繕っている最中らしく、進展まではもう何日か時間がかかるらしい。


 ……さて、今日からなにしような?


「師匠、なにかやりたいこととかあるか?」

「む? わしは、ウォルカと一緒ならなんだってよいぞっ」


 ところは宿屋〈ル・ブーケ〉二階の俺の部屋、時刻は朝の日課も済んで太陽がほどよく昇った頃。俺のベッドに寝そべって足をパタパタさせている師匠へ尋ねてみるのだが、返ってきたのはある意味で一番判断に困る返答だった。


 女の子が言う「なんでもいい」、これは決して額面通り受け取ってはいけない要注意ワードのひとつである。ほらあるだろ、なんでもいいって言うからこっちの好きにしたら、「たしかになんでもいいって言ったけどさあ……」って呆れられるパターン。女心というのは複雑なのだ。


 考え込んでいると、隣からユリティアが助け舟を出してくれた。


「なら、今日はお二人でゆっくり羽を伸ばしたらどうですか? のんびり買い物をしたり、外でごはんを食べたり……せっかく聖都に帰ってきたんですし」


 なるほど妙案であった。そういえば、丸々やることがない一日というのも実は結構久し振りなのだ。義足を手に入れてからは歩くリハビリに剣のリハビリばかりしていたし、帰り道もルエリィたちの一件があった影響で、のんびり気ままな馬車の旅とはいかなかったからな。


「ユリティアとアトリは?」

「わたしたちは……実は、ちょっとやりたいことがあって」

「ん」


 ベッドに腰かけるアトリが、両腕の中で俺の枕を遊ばせながら、


「鍛錬。時間ができたら一緒にやろうって約束してた」

「豊穣街の広い場所で、もっと思いっきりやりたいなあって……」


 緑豊かな農業区域である豊穣街には広大な原っぱも多く、街中で武器を振り回すわけにもいかない冒険者が鍛錬の場に使っているのも珍しくない。


「――わたし、もっと強くならなきゃいけませんから」


 ……気のせいだろうか、なんだかユリティアの瞳が病み堕ちしかけて見えるような。あ、あんまり根詰めて自分を追い込んじゃダメだぞ。この世界じゃ男なんて怪我してなんぼみたいなところあるけど、女の子はちゃんと体を大事にしなきゃ。


 などと俺が考えている間に、ユリティアはいつも通りのユリティアに戻っていた。


「なので私たちのことは気にしないで、ゆっくり休んでくださいねっ」


 それにしても、豊穣街で鍛錬か……いいなあ。朝の鍛錬は軽いウォーミングアップ程度だから、俺もぜんぜん不完全燃焼なんだよな。この義足でどれくらい動けるかはもうだいたい掴めてるし、俺もちょっとくらい――

 師匠にジト目で見られた。


「ウォルカ、だめじゃからな。また義足が壊れたらどうするんじゃ」

「わ、わかってるよ」


 まったくもって師匠の言うとおりである。この義足を性懲りもなくまたぶっ壊そうものなら、みんなに車椅子を押してもらわないとなにもできない情けない介護生活へと逆戻りしてしまう。〈ル・ブーケ〉では日常的に階段の上り下りがあるので、この棒切れみたいな義足がまさしく俺の尊厳の生命線なのだ。


 一階へ下りるたび、もしくは二階へ戻るたび、毎回毎回みんなにおんぶだっこで運ばれる俺――うむ、それだけは断固として避けねばならぬ。


「じゃあ、今日は適当に食べ歩きでもするか」

「うむっ」


 そんなこんなで、今日は師匠と一緒にのんびり休日を過ごすことになった。あとでロビーに集合する約束をし、師匠たちは支度のため三階にあるそれぞれの私室へ。俺も出かける前に軽く部屋の整頓だけしておこうと思い、


「……って師匠、帽子置きっぱなしじゃないか。この櫛も師匠のだし……あ、こんなのまでいつの間に」


 ベッドの上にさも当然の面構えで置かれた枕をはじめとして、この四日のうちに俺の部屋では師匠の私物が順調に勢力圏を拡大しつつある。


 ……師匠、なんだかこのまま俺の部屋を乗っ取ろうとしてないか? 大丈夫だよな? 俺が社会復帰したら、ちゃんと自分の部屋で生活するようになってくれるよな?


『――だめだよ? ぜったいだめ』


 なぜかそのとき、聖都へ帰ってきて最初の夜に見た師匠の笑顔が――あどけなくてぞっとするほど綺麗だった、あの幻想のような笑顔が脳裏を掠めた。


 背筋がぶるりと寒くなって、俺は心の中でわりかし真剣に、アンゼの職人探しが一日でも早く進むことを祈るのだった。



 ……なおその後、三階へ戻った師匠たちの間で。


「先輩……やっぱり、本当はもっと剣を振りたいですよね」

「うん……当たり前。ウォルカにとっては、それだけが……」

「………………」


 三人がみんな激重な感情を孕みながら、そんな深刻すぎる会話をしていたのは――


「リゼルさん……先輩のこと、よろしくお願いします。先輩の辛い気持ちが、少しでも紛れるように……」

「ボクたち、もっともっと強くなるから」

「……うん。がんばる」


 もちろん、師匠の私物を仕方なく整頓する俺には知る由もないことだった。



 /


 大聖堂といえば聖都でもっとも大きく華々しい建築物として誰もが知るところだが、その威容はなにも地上から見える姿だけに限った話ではない。その最たる例が、大聖堂の地下に広がる『審廷しんてい』と呼ばれる空間だろう。


 〈聖導教会クリスクレス〉という組織を、端的に『宗教機関であり医療機関でもある団体』と捉えている者は多い。

 もちろんその認識で間違いはないし、医療と信仰こそが〈聖導教会クリスクレス〉を支える二本柱ではあるのだが、他にも教会が日頃からこの国で果たしている役割は多様である。とりわけ大聖堂は古来より聖都の自治を担う立場だけあって、医療だけでも信仰だけでもない様々な業務を日々取り仕切っている。この聖都においては、大聖堂とまったく関わったことのない人間など一人も存在しない、といっても大袈裟ではないほどに。


 その中でもとりわけ重要な大聖堂の役割として、『審判』というものがある。

 人が犯した罪を白日に晒し、法に則って必要な処罰を与えるまでの一連のプロセス。世界有数の治安を誇る国といえども大なり小なり犯罪者は絶えないし、ともすれば王都や他の街から、扱いに困った罪人が遥々と連行されてくる場合もある。


 そしてその審判を執行する裁きの場こそが、ここ審廷というわけだ。


「はぁ~……。やんなっちゃうねえ、なんでおっさんがこんなとこに来なきゃいけないんだか……」


 そんな審廷の片隅で、すべてのやる気を吐き出して寝転がるようにボヤいている男が一人。冒険者ギルドのぐうたらおっさんこと、フュジである。


 大聖堂の審廷は、大きく分けて三つの領域から構成されている。

 まずは現在フュジがいる審廷の中央、もっとも低い位置に用意された被告人や証人らが控える場所。次が後方、ある程度高い位置からフュジを見下ろすように広がる傍聴席。最後が正面、この審廷でもっとも高く厳かに君臨する法壇――枢機卿や書記官など、審判を執行する聖職者たちが座るための席だ。


 その法壇から、審廷という場にはあまり似つかわしくない朗らかな少女たちの談笑が降ってくる。


「ふふ、この場で四人全員がそろうなんて久し振りですね。いつも一人で寂しかったので嬉しいです」

「ま、ユーリの一人舞台なのは変わんないけどな。頼んだぜ、〈星眼せいがんの聖女〉サマ」

「もう、ディア様? わたくしたちもしっかりしませんと」

「だるー……はぁ、さっさと終わらせましょ……」


 順に〈星眼せいがんの聖女〉ユーリリアス、〈白亜の聖女〉レスターディア、〈天剣の聖女〉アンジェスハイト、〈福禍ふっかの聖女〉アルカシエル。


 あれこそが、フュジが先ほどからため息ばかりついている主な原因――〈聖導教会クリスクレス〉の頂点に君臨する聖女らが勢ぞろいした姿を見るのは、直近の代替わり以降だとフュジもはじめてになる。


 通常、審判は〈星眼せいがんの聖女〉ユーリリアスが一切を預かる領域であり、他の三人まで首を突っ込んでくることは基本的にない。人が生涯犯したあらゆる罪と嘘を暴く〈星眼〉の力さえあれば、あとは法の知識に長けた枢機卿と、審判の内容を記録する書記官のサポートだけで充分だからだ。


 それにフュジの位置からではややわかりづらいが、法壇の陰に控えているのは聖女らを守護する三人の聖騎士。そして後方の傍聴席には、教会の枢機卿――聖女の側近であり、聖都の都市運営を担当する各分野のエキスパートたちが居並んでいる。


 聖女、聖騎士、枢機卿という、聖都のトップに立つ首脳陣がわかりやすく一堂に会しているこの状況。お陰で雑談を楽しむ余裕があるのは聖女たちくらいで、それ以外審廷の空気は身動きすら躊躇われるほど厳粛に引き締まっている。左右後方五つある出入り口はすべて直立不動の騎士により閉ざされ、まるでこれから処刑のひとつでも執行されるかのようだ。


 もっともその通り、今回の被告人――Aランクパーティ〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉にとっては、処刑にも等しい審判となるのだろう。

 そしてそんな面倒事に証人の一人として関わる羽目になってしまったからこそ、フュジは隅っこでがっくりとため息をついているのだった。


「――フュジ」

「うおっ」


 いきなり真横から声が降ってきてフュジはびくりとした。いつの間にか、法壇の隅に控えていたはずの老執事がすぐ隣に立っている。


「ちょっとじーさん、心臓に悪いって」

「おや、心にもないことを」

「いやマジで驚いたんだけど……」


 あいかわらず神出鬼没なじーさんである。オールバック風の銀髪に渋いシャープな顎ひげ、皺ひとつ見当たらない新品同然の燕尾服、そしてまさしく執事の鑑と評するにふさわしい精悍で端正な立ち姿。すべてを見通す猛禽のごとき眼光も、燕尾服程度では到底隠しきれない鍛えあげられた肉体も、年老いて衰えるどころかますます存在感を高めている気がして、本当に俺らと同じ人間なのかねとフュジは思わず呆れた。


 まあ、昔から存在自体が反則みたいなじーさんなのでツッコんでもしょうがない。フュジが「何の用よ?」と目線で問うと、


「聞いていますよ、あの者たちの身柄を押さえたのはあなただと」

「まあ……」


 審廷の中央、横一列に整然と並べられた四つの証言台の手前に、騎士の監視を受けながら四人の男女が座らされている。フュジが把握している限り、あれが現〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉のメンバー全員だ。


 下が二十四で上が二十八歳までと、〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉から見ればおおむね十歳ほど年上にあたるパーティ。

 その中の一人、濃いオレンジ色のサイドテールが美しい女性と目が合った。


「……」


 小さく会釈される。あるいは、会釈することで咄嗟に目を逸らしたのかもしれない。今もまだ強い自責の念で蝕まれ続けている、やるせのない怒りと悔恨に囚われた表情。


 前向きにいえば正義感が強くて男勝り、あえていえば猪突猛進で喧嘩っ早い――本来はそんな覇気のある女性のはずなのに。フュジも一旦彼女から視線を外し、


「柄にもなくやる気出しちゃったツケかねえ。こんな場所で証人やらなきゃいけなくなるんだったら、やめとけばよかった――とはいえないけどさ」

「アルカシエル様も協力なさったとか」

「いや、それはおたくの姫さんの気まぐれってやつよ」


 フュジが法壇に目を向けると、件のお姫様は聖女の中で唯一席に着いておらず、〈月天げってん〉という宙に浮かぶゆりかごの上でぼーっとしていた。もしかすると目を開けたまま寝ているのかもしれない。


「あの姫さんが聖処から下りてくるなんて、珍しいじゃない」

「ええ、最近はご気分が悪くないようで。あのウォルカという青年には、なにか不思議な魅力があるのかもしれませんな」


 ちょっと待て、とフュジは思った。


「……あの姫さん、ウォルカくんと会ったの?」

「ええ。先日、今回の件で彼に褒賞を与えたのですが、その際に。……たった一人の冒険者と会うために猊下が足を運ばれたのは、おそらく聖都の歴史でも初のことだったでしょう」


 あちゃあ、とフュジは苦笑。〈摘命者グリムリーパー〉の実質的な単騎討伐という大偉業を成し遂げた剣士は、早速他の聖女からも目をつけられてしまったようだ。もう逃げられないぞ、かわいそうに。


「そういうわけですから、今回の審判は非常に重要です。あなたもやる気を出してきっちり証言なさい」

「へいへい、わかりましたよ」


 無論、証人の一人としてこの場に立たなければならないことを面倒に思う気持ちはある。自分は裏方でこそこそ任務を遂行するのが分相応であり、目立つ場所で目立つ役回りを押しつけられるのは性に合わないのだ。


 けれどだからといって、隙をついてそそくさ退散してしまおうとは微塵も思わなかった。つまりはいくらため息をついて面倒くさがっていても、内心ではやる気を出しているということになるのかもしれない。


 たった十七歳の青年が、命すら捨てる覚悟で仲間を全員守り抜いてみせた。

 なのに自分たち大人がなんの責任も果たさないなど、それ以上に恥ずかしい話も存在しないのだから。


「――フュジさん」

「ん」


 名を呼ばれて正面を向くと、先ほどのサイドテールの女性が立っていた。二人の騎士に左右から厳しく警戒されており、彼女はほとんど無実といっても差し支えないはずなのに、こうして罪人のように扱われてしまうのが少し心苦しくもある。


 いつの間にか、老執事の姿は忽然と消えていた。フュジは頭をかきながら、


「や、フリクセル。その様子じゃ、あんまり眠れてなさそうだね」


 〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉の槍使い――フリクセルは、苦笑いに失敗したようななんとも中途半端な表情を見せた。かつてのシャノンと同じ、というほどではないけれど。フリクセルという女性の本来の性格を考えれば、これが見違えるほど弱りきってしまった姿なのは誰の目にも明らかだった。


「どうしても、いろいろ考えちゃって。〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉の子たちに、どうやって謝ればいいのか……とか」

「……」


 彼女はとある事情からパーティメンバーと仲違いを起こしており、ダンジョン〈ゴウゼル〉の承認調査にただ一人参加していなかった。すなわち今回の事故に関して彼女の直接的な非は一切なく、いわば仲間のヘマに巻き込まれただけの被害者ともいえる立場だった。


 けれど〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉の四人の中で、ウォルカの片目片足が奪われてしまった事実にもっとも責任を感じ、強く胸を痛めているのは彼女だった。自分がぶん殴ってでも仲間を止めていれば、自分がなんとかするべきだった、しなきゃいけなかった――フュジとともに行動する間も、彼女はそうずっと己を責め続けていた。


 騎士の孫に生まれたせいか正義感が男顔負けで、曲がったことが大嫌いで、大人は子どもを助けて守らなければいけないという考えが染みついているから。


 自分たち大人のしょうもないいさかいがきっかけで、何歳も年下の青年が人生をめちゃくちゃにされてしまった――フリクセルにとっては、きっと自分が片目片足を失うよりも重く苦しい現実のはずだった。


「〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉は……ウォルカくんは、聖都に帰ってきてるよ。おっさんが見た限りはぜんぜん落ち込んでなくて、むしろ一日でも早く社会復帰してやろうって感じだったね」

「……そっか」


 フリクセルが束の間だけ、なにか強く感情をこらえる仕草を見せた。


「……ぜんぶ終わったら、会って謝らなきゃ。あたしなんかに会っていい資格があるのか、わからないけど……」

「ウォルカくんはそんなの気にしないさ」

「気にしなきゃダメよ。……こんなの、本当に、許されないことなんだから」


 そのときちょうど、地上の方から澄んだ鐘の音が響いてきた。


「――時間ですね」


 審廷の時計が定められた時を刻むと同時、談笑を打ち切った聖女の玄妙たる一声が鳴り渡る。〈星眼せいがんの聖女〉ユーリリアス――いとも容易く手折ってしまえそうなほど幼いその声音は、しかし傍聴席の枢機卿まで全員の耳に等しく届いたはずだ。


 騎士に命令され、最後にもう一度だけ会釈したフリクセルが席に戻っていく。フュジの脳裏にはまだ、彼女が見せたボロボロの苦笑いがうっすらと焼きついて残っている。


(……なんで、こんなことになっちゃったのかねえ)


 リゼルもユリティアもアトリも、シャノンも、〈天剣の聖女〉も、そしてフリクセルも、誰もが己を責めてばかりだ。よくもまあここまで話がこじれるもんだと不思議でしょうがない。しかも彼女たちが罪悪感に囚われ続ける一方で、フリクセルの残りの仲間――すなわち事故の直接的な元凶となった三人は、この審判をどうやって切り抜けるかしか考えていないのだからタチが悪い。


 だから〈星眼せいがんの聖女〉には、きっちりすべてを暴いてもらわねばならない。言い逃れなどなにひとつ許さず、完膚なきまでに。


「此度の審判は、私たちが聖女の名の下に執行します。いかなる虚言も讒言ざんげんも意味を成しません。被告人ならびに証人、双方において嘘偽りない理性ある発言を勧めます」


 誰がどう見たって、十歳そこらの童女にしか見えないか弱き聖女。けれど一切淀みなく紡がれる美しい言の葉からは、長い歳月の中で培われた幽玄とも評すべき底知れなさが感じられる。事実彼女はその外見と裏腹に大聖堂でも二番目の古株であり、百年近くに亘って聖都の秩序を見守り続ける重鎮なのだ。


「では――審判を執行しましょう」


 これより始まるのは、闇に巻かれた真実を解き明かすミステリーの類ではない。

 ただ聖女の力によってあらゆる事実が暴かれていくだけの、極めて一方的な処断の一幕であった。



 /


「それじゃあ先輩、リゼルさん、いってきますね!」

「ボクたちの分も、楽しんできてね」

「ああ。いってらっしゃい」


 豊穣街へ向け出発したユリティアとアトリを見送り、俺も師匠と一緒に聖廷街へ繰り出す。今やこの頼りない義足にもすっかり慣れて、よほどの悪路でなければ杖がなくとも大丈夫になったけれど、一歩外へ出れば師匠が必ず手をつないでくるのはあいかわらずだ。このあたりでは俺と師匠の関係を知っている人も多いので、背中をくすぐる微笑ましげな視線も〈ルーテル〉の街よりずっと多かった。


「ウォルカ、行きたいところはあるか? ウォルカが退屈しないようにがんばるからなっ」


 俺の手をまっすぐ引きながら、ふん! と師匠は意欲に満ちあふれている。そういえば、師匠は俺と一緒ならどこでもいいんだったな。さて困った。というのも、師匠が楽しめる場所ならどこだって構わないのは俺も同じだからだ。


 師匠とこうして何気ない日常を過ごせるだけで、原作のクソッタレな全滅エンドを本当に回避できたんだと俺は何度だって嬉しくなれる。だから師匠が楽しそうにさえしてくれるなら、そのへんの露店で食べ歩きをしようが一流のレストランで食事をしようが、今にも倒壊しそうな古道具屋で魔導書の掘り出し物を探そうが、商興街しょうこうがいの武器屋で最先端の装備の値段に仰天しようがなんだっていいのだ。


 しかし、どこでも大丈夫だと言っている師匠に「俺もどこでもいいよ」と返すのは答えになっていないし、中身がスカスカなつまらない男だと思われてしまうだろう。うーん、そうだな……。


「食べ歩きするにはまだ早いし、運河沿いに大聖堂の方まで行くか。あのへんならいろいろ店もあるし」

「うむ!」


 師匠に喜んでもらうならスイーツ食べ歩きツアーを開催するのが一番だが、まだ宿を出たばかりだしお昼にするのも早すぎるので、とりあえずは適度に運動して腹を空かせたいところだ。そのへんのお店でゲームでもするか、商興街しょうこうがいまで足を伸ばして買い物するか、もしくは聖都なら釣りというのもメジャーだ。


 ちなみにこの世界のゲームとはもちろん前世のようにデジタルなやつではなく、カードやボードを使ったアナログゲームの他、魔法と組み合わせたユニークなスポーツ系の競技など――


「――ぅぉおお~い、ウォルくぅぅぅん」


 そうこう考えながら運河沿いを歩いていると、どこからともなく女の人の変な声が聞こえた。

 そして同時に、とても聞き馴染みのある声でもあった。運河の方から聞こえた気がする。


「ウォルくーん! リゼルーっ! おぉーい!」


 見れば運河の対岸側を進む小船の上から、こちらへぶんぶんと一生懸命手を振っている少女がいた。


 冒険者ギルドのわんこなおねえさん、シャノンであった。用事を済ませに行くところなのか用事を済ませてきたところなのか、職員の制服に身を包む彼女は今日も大変元気よく、


「あっ気づいた! ウォルくーん! リゼルーっ!」

「お、お嬢さん、立ち上がったら危ないでさぁ」


 小船が揺れるのもお構いなしで飛び跳ねるシャノンに、船頭のおじさんが困っている。しかしシャノンは一向に落ち着く気配もなく、それどころか俺たちに気づいてもらえてますますヒートアップし、


「船頭さん、今すぐ船止めて!! あれあたしの友達なんすよ!!」

「は? し、しかしですねえ。このへんに船着き場は――」

「道沿いに止めてっす!! いや止めなくても寄せてくれるだけでいいっす、跳び移るから!!」

「い、いやいや……」


 聖都でもっとも主要な移動手段である船には当然きちんとした交通ルールが定められていて、今のシャノンの進行方向だと、船着き場を除いてこちらの岸に止めるのはルール違反だな。シャノンはよくても船頭さんがしょっぴかれてしまう。


「とりあえず、この先の一番近いところに止めまさぁ……」

「あーウォルくん! ウォルくん行っちゃう! ウォルくうううぅぅん」

「……」


 シャノンの捨てられるわんこみたいな声がどんぶらこと流れていく。他人のふりしていいか?

 師匠もため息をついて呆れ、


「まったく……シャノンはもう少し、オトナの慎みってもんを知るべきじゃな」


 隙あらば幼女になる師匠が言っても――という言葉は、師匠の名誉のためにひっそりと呑み込んでおいた。


 とりあえずそよ風に吹かれながら五分ほど待っていると、やがて小船という檻から解き放たれたシャノンが、尻尾をぶんぶん振り回すような猛ダッシュで橋を渡ってやってきた。


「ウォルくーん! リゼルーっ!」

「はあ、あいかわらず元気じゃのうシャノンは」


 師匠はやれやれ調子で俺の前に立ち、


「こらシャノン、落ち着け! 落ち着いて聞くんじゃーっ! あのな、今日はわしとウォルカで二人きりの休日なんじゃ。いくらおぬしといえども邪魔は――え、お菓子買ってくれるの? ……しょ、しょうがないのう、ほんのちょっとだけじゃからなっ」


 師匠…………。

 果たして、シャノンに対して「オトナの慎みを知るべき」と偉そうにしていたのはどこの誰だったか。ともかくシャノンが近くの店でお菓子を買ってくれたので、俺たちは運河沿いのベンチでしばしの世間話に花を咲かせることとなった。


「こんなところで話していいのか? 仕事の途中だったんじゃ」

「だいじょぶっすだいじょぶっす。これも仕事のうちだから」


 いやどこがだ。たしかに冒険者パーティの近況を知るという意味では仕事につながるのかもしれないけど、それただの屁理屈だろ。


「フュジのおっさんを笑えなくなるぞ」

「うぐ。おっさん、今日は真面目にやることやりに行ってるからちょっと刺さるっすね……」


 へえ? と俺は眉を動かし、


「珍しいな、おっさんが真面目に働いてるなんて」

「……ん? ウォルくん、もしかして知らないっすか?」


 シャノンは運河に沿って東側、大聖堂の立派な白い塔を指差した。


「〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉、覚えてるっすか? 今日はね、大聖堂でそいつらの審判をやってるんすよ。で、おっさんは証人の一人として出廷を命じられて……って感じっす」

「ウォルカ……昨日、審判をするってアンゼが言っておったじゃろ」


 クッキーの粉をほっぺたにくっつけながら、師匠にジト目で呆れられてしまった。そ、そういえばそうだったかな。昨日ディアと話し終わってみんなと合流してから、たしかにアンゼがそんなことを言っていたような気もする。


「ほらリゼル、ほっぺにくっついてるっすよ?」

「うあー」


 一応言い訳をさせてもらうと、ダンジョン〈ゴウゼル〉の一件は俺の中ではもう終わった話なのだ。誰かが必ず貧乏くじを引かなければいけないクソイベントだった以上、いつまでも犯人探しだの責任の押しつけ合いだの後ろめたい話はもうたくさんなのである。だから〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉の審判とやらも、聖都として規則通りにやってくれればそれでいいわけで。


 話を戻そう。


「証人って、なんの証人だ? おっさんが関係あるのか?」

「……そっか。ウォルくんには、ちゃんと言えてなかったっすね」


 ハンカチで師匠の口周りをきれいにしてあげたシャノンは、なぜか自身の感情と連動しているらしいクセ毛をしゅんとしおれさせた。


「〈ゴウゼル〉の事故が起こったあと……ウォルくんたちが、まだ〈ルーテル〉の街にいた頃っすね。ギルドでも〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉に話を聞かなきゃって、召喚勧告を出したんすよ」


 ギルドの召喚勧告とは、一言でいえば「話があるからちょっとウチまで来い」とギルドが冒険者パーティを呼び出すことである。


「向こうも最初はちゃんと聴取に応じてて、自分たちはしっかり調査した、心当たりなんてなにもないの一点張りだったんすけど」


 重いため息。


「……気がついたら、聖都からいなくなってたんす」

「は?」

「そのままの意味で、聖都から逃げちゃったんすよ。ウチのギルドはただでさえみんなバタバタしてたのに、それで余計忙しくなって」


 ええ……なにやってんだ〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉。それはさすがに俺でもおかしいってわかるぞ。


「で、逃げた〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉のメンバーを見つけ出して、連れ戻してくれたのがおっさんだったんすよ。国境付近まで行っちゃってたみたいで、ほんと大変だったってボヤいてたっす」

「へえ……」


 すごいなおっさん、それは随分とお手柄である。デジタルな技術がなにもないこういうファンタジー世界で、逃亡した相手を迅速に捜し出して捕まえるのって簡単じゃないはずなのに。やっぱりあのおっさん、絶対ただのサボり魔じゃないだろ。


 それはともかく、なるほどな。シャノンが今回の事故を『人災』と表現したのはそういう意味もあったのか。ギルドがバタバタしているさなかに逃亡なんて、たしかに「俺たちにはやましいことがあります」って自白してるようなもんで――ん? いやでも、最初のうちはちゃんと聴取に応じてたんだよな? 普通、事情を訊かれたくないんだったら最初からトンズラするんじゃなかろうか。いまいち話がよくわからない。


 師匠も理解不能の呆れ果てた表情で、


「そのパーティ、アホなのか?」

「……前までは、ほんとにちゃんとしたパーティだったのに。ひどいっすよ。ぜんぶ手遅れになってから、こんなっ……」


 あああシャノンが、シャノンが病み堕ちしそうになってる! おいほんとに勘弁してくれ、シャノンまでそっちに行ったらもう俺の手に負えないんだって!


「あっでも、ウォルくんが気にしてた女の人……フリクセルさんだけは別っす!」


 幸い、シャノンは自力で戻ってきてくれた。しおれていたクセ毛がピンと立ち上がり、


「フリクセルさん、メンバーと仲違いしてるってのは言ったっすよね?」

「ああ」


 フリクセル、という名前だったかは思い出せないが、パーティで一番勝ち気だったあの女戦士の人だろうと俺は推測。


「たしか、承認調査にも同行しなかったって……」

「うん。その頃から、もうずっと一人で別行動だったみたいで。メンバーがいなくなったときはちょうど王都に行ってたらしくて、なにも知らなくて、もうめちゃくちゃ怒って――いや、ブチ切れてたっす」


 ああ、なんかすごく想像できるわ。直接の面識はないけど、向こうのパーティでは一番目立って印象に残る人だったからな。ともかく、あの人だけはちゃんとまともなままでいてくれたみたいで安心した。


 しかし、なんとも腑に落ちない話ではある。

 Aランクパーティ〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉――メンバー同士の仲違いだけならまだしも、聖都から突然逃亡するのはどう考えてもおかしい。そんなことをすれば自分たちの立場が危うくなるだけなのに、いったいなにがしたかったんだろうか。


「フリクセルさん、おっさんと一緒にメンバーを捕まえるの手伝ってくれたんすよ。……だからあの人のことは、嫌いにならないであげてね。すごく辛そうだったっすから」

「は? そ、そうか……」


 ちょっと待った。

 俺はつい身構える。お、おい大丈夫だよな? その人まで変に責任感じてメンタルこじらせてないよな? あとになって泣きながら謝りに来るのはナシだぞ、もうそういうのはほんとにいいんだって!


 くそう、ここに来て予想外の方向から不安要素が増えやがった……。俺たちパーティが全員生き残ってこれなんだったら、全滅した原作は一体全体どうなってたんだよ。原作主人公が聖都に近寄らないから描かれなかっただけで、実はこれの比じゃないくらいひどい有様になっていたんだろうか。


 ああやだやだ、想像しただけで寒気がする。

 これもぜんぶ神様ってやつが悪いのだ。腐れ外道ダクファン世界がよ……俺は絶対てめえなんか認めねえからな!

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