第4話 電気刺激治療

 巨大なモニターが設置された、長机とオフィスチェアが並ぶ会議室。その中央の席に、白衣を着たメガネの若い男と、ブルーのワイシャツに黒いスラックス姿の中年の男が、二人並んで座っている。二人の周りでは、スーツや白衣、看護師の制服をまとった三十名近い男女が、各々忙しそうにどこかに連絡したり会議室を出たり入ったりを繰り返していた。巨大なモニター画面には、複数のカメラ映像が分割して映し出されている。


 カメラ映像の中に、斜め上から室内を見下ろす俯瞰映像があった。ブルーバックの背景布で覆われ、ソファーやローテーブルが置かれた二十平米ほどの部屋の中で、頭にゴーグル付きのヘッドギアを装着した男が、仰向けに倒れていた。


 全身にピッタリとフィットした、ゴムスーツのようなものを着ている身体は不規則に痙攣し、無数の無線機が点在するヘッドギアは、まるでクリスマスツリーのイルミネーションのように点滅を繰り返している。倒れたはずみか、男のそばでホワイトガーベラを活けていた花瓶が横倒しになっている。ラグマットの一部が水浸しになっていた。


 ローアングルに設置されたカメラには、首をかしげるように倒れた男の顔が、アップで映し出されていた。倒れたまま歯を食いしばっているその男はしかし、血色は悪く見えず、だらしなくよだれが垂れる口角は上がっていた。ゴーグルのせいで判然とはしないが、笑っているようだ。


 会議室の中央に陣取った若いメガネの男とブルーのワイシャツの中年男は、何も言わず手元のノートパソコンや電子タブレットを使って、計測数値と思しきデータをカタカタと入力していた。


「スタジオを寝室に移動しますか?」


 会議室のドアの近くに立つスーツ姿の男が、いかにも電話の途中という格好のまま、よく通る声で中央に座る二人に向かって尋ねた。メガネの男が一瞬ドアの方向に顔を上げ、それから隣の中年男を伺うように見つめる。


「いや、そのままで。被験者に鎮静剤を投与したら、部屋にストレッチャーを入れて待機してください。拘束衣も念のため。集計したデータを分析し、問題なければリビング設定で再開します。ダメなら今日は中断しましょう」


 中年男はパソコン画面を見たまま、顔も上げずに答えた。スーツ姿の男は手をあげて応えるとそのまま電話を再開し、会議室を出ていった。その他大勢も三々五々といった感じで、気がつくと会議室内は、中央に陣取る中年男と若いメガネの男の二人だけになった。カタカタという、無機質なキーボードのタッチ音がしばらく響いた。


「まあ、色々ありましたけど、初回としては概ねいい結果だったんじゃないですか?」


 メガネの男は、手にしていたタブレットを机に置くと、伸びをしながら面倒くさそうに言った。


「いや、記憶のコントロールがうまくいっていない。今回は無理やりフラッシュバックを抑え込んだけど、どうしても虚偽記憶と実際の記憶の断片が結合してエラーが発生しちまう」


 中年の男は、隣に座る若い男のほうには目もくれず、自分のパソコンに表示されている数値とにらめっこしながら答えた。


「でも結局、最終的には被験者に『生きる希望』を与えることができたじゃないですか」


「あんな強い刺激で続けると、今度は死すら恐れなくなっちまうよ。『死んで肉体が消滅しても、魂は消えずに偉大なものと融合する』ってな」


 そう言ってから中年男は、俯くような姿勢で両目を右手で抑え、「ふぅうう」と深いため息をつく。それからようやく顔を上げると、表情を緩めて若い男に笑いかけた。


「まあ、基本的には確かに悪くない。あとは微調整だ。その微調整が面倒なんだけども、今日はもう無理かな。また明日頑張ろうや」


 難しい顔をしたメガネの男は頭をかきながら、何も言わなかった。


「わかりやすく不満な態度を示すね」


 若い男の反応に、中年男は苦笑した。


「別に、そういうつもりじゃないですけど」


「良心が痛む?」


 ハードディスクの「ウゥン」という回転音と空調の音に紛れて、モニター画面に映る拘束着姿の男のいびきのようなうめき声が、室内に響いた。


「まず、なんというか、すごいチープじゃないですか? その、イメージが。人生を変えるきっかけが小動物だとか、天気の変化で宗教的啓示を匂わすとか。名前もナージャとか、それがすごい、もうやっててバカバカしくて」


 予想した答えと違っていたのか、中年男は「プッ」と噴き出してから、モニターから聞こえる男のうめき声をかき消す音量で「アッハッハッハ!」と笑った。


「いや、まあ確かなぁ。でもな、あんまり馬鹿にしたもんでもないぞ? そういう、わかりやす過ぎるくらいわかりやすい、ちょっとしたことで、人間の意識なんてコロッと変わるもんだから。まあ、脳内の電気信号を効率的にコントロールするための、汎用性の高い出来合いのイメージだよ。そんな気にすんな」


 中年男はクスクスと笑い続け、それから「で、次は?」と尋ねた。


「次?」


「お前、『まずは』って言ったじゃないか。それだけじゃないんだろ? ご不満は」


 メガネの男は観念したようにため息をつくと、「やっぱり、『生きたい』と思わせてからって、その……。いくら何でもむご過ぎませんかね?」と気まずそうにこぼした。


「その件は、ノーコメント」


 中年男は間髪入れずに答える。そして、用意していたセリフを読み上げるように続けた。


「オレは、この治療法を確立させる。そのためだけにここにいる。この電気刺激治療が標準治療として認められれば、精神疾患で苦しむ人たちを救える。自殺者を救える。幼い子から大人まで、多くの人を救える。その過程で生じる、死刑囚の人権問題にゴーサインを出したのは、オレじゃない。国だ。その問題は、オレには手が余るよ」


 もちろん中年男は、空で言えるまで暗記したこの説明に、メガネの男が納得しないことはわかっていた。自分自身も、単にそう言い聞かせているだけだった。だから、無理やりにでも「しょうがないんだ」と納得させる理由を、外部に求めた。


「それに、国が決めたといっても、もともとは世論だ。ヒステリックに盛り上がった世論に政治家が飛びつき、国として決定したんだ。オレとお前がどう思おうと、多くの人がこの実験を支持しているんだよ」


 モニター画面に、撮影スタジオに入った二人の看護師が映る。看護師の一人が、VRゴーグル付きのヘッドギアを装着したまま倒れている男を抱き抱える。そしてもう一人が、男の首元に鎮静剤の入った注射の針を刺した。

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