第2話 犯行動機

 俺の人生は、クソだった。


 物心ついたときから両親がヤク中で、俺への暴力は両親にとって躾と親子のコミュニケーションを兼ねていた。良くやったと褒められるのは、かご一杯のレトルト食品を万引きしたときと、指示通り父親の腕に覚醒剤入りの注射を打てたときくらいだ。すっかりジャンキーになって腕の震えが止まらなくなっていた両親は、子どもの俺に自分で打てなくなった注射を任せていたのだ。


 近所には一時期、俺より年下の男の子とそのお兄ちゃんの兄弟が住んでいて、俺とよく遊んでくれた。でも二人は知らない間に家族ごといなくなっていた。お兄ちゃんが死んで夜逃げしたんだという噂が流れた。別に珍しい話じゃない。世間知らずの甘ちゃんたちが知らないだけで、似たような境遇の奴はいくらでもいる。


 十三のときに母親が死に父親は蒸発した。おそらく父親もとっくにくたばっているだろう。親族というものがいるのかもよくわからない俺は、児童養護施設に入れられた。施設にはいろんな子供と大人がいた。いい奴もイヤな奴もいた。本当に俺のことを親身になって心配くれる大人にも初めて出会った。


 自分のことを優しく受け入れようとする人たちに初めて接した俺は、ここでまともな人間になりたいと思った。真剣に。


 でもダメだった。なにかあれば、すぐ他人に手を上げてしまった。それが俺の意思表示の一つの方法だったから。言葉を知らない赤ん坊が、泣くことでしかコミュニケーションが取れないように、俺は暴力以外の手段で、他人とどのようにコミュニケーションを取ればいいのかわからなかった。


 それでも施設の指導員や相談員、ボランティアの中には、そんな俺を見捨てず親身にサポートしようとする人もいた。それが、余計につらかった。俺を信じて期待してくれる人を、俺は毎日のように裏切ってしまう。優しくされるたびに、俺のクソさ加減は筋金入りなんだと思い知らされた。


 俺は、俺のことを真剣に考えてくれる中年の相談員のことが本当に好きだった。その人の期待に応えられないことに、死にたいくらいの自己嫌悪が膨れ上がった。俺は心底ダメな人間なんだ、「本気でまともになりたい」なんて、口先でいうだけのクソ人間なんだ、と。大切な人のがっかりする姿を見たくないから、自分から大切な人たちと距離を置くようになった。自分はもう、手遅れなんだと思った。


 高校を卒業して就職し施設を出た。最初の仕事は三か月持たず、以来職を転々とした。どの職場でも「辞めてくれ」と言われた。友達なんかいない。恋人がいたことなど一度もない。悪いのは俺だ。自己嫌悪がさらに膨らむ。「お前はダメな人間だ」という侮蔑の視線を、周囲のすべてから痛いほど感じる。他人の笑い声がすべて、自分への嘲笑に感じられた。


 ちくしょう。でも当然だクソ。自分にそう言い聞かせる。すべては俺のせいだ。俺がクソだからだちくしょう。クソったれ。


 ちくしょう。

 ちくしょう。ちくしょう。

 ちくしょうちくしょうちくしょう。


 どこかで、俺を笑う声が聞こえた気がする。


 ちくしょう。ちくしょうちくしょう。ちくしょうちくしょうちくしょう。怒り、諦め、疑念、孤独、絶望。全てがぐちゃぐちゃになった、わけのわからない情念で身体がはちきれそうになる。


 ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうち


 ―――


「殺してやる」


 誰に向かって言ったのか、自分でもわからない。誰でもよかった。誰も訪ねることのないボロアパートの一室で独り言ちた俺は、以前の仕事で使っていた用具箱から大きな金槌を取り出した。事前に買っておいた三本のシェフナイフはバッグに入れてある。俺の身体の中で錬成された呪詛の言葉が再び口をつく。


「殺してやる」


 そして俺を殺してくれ。


 ―――


 バチッと部屋の明かりが消えた。一瞬のブラックアウトののち、すぐさま瞬くように明かりがついた。遅れて「ゴゴゴオォン」という低い地鳴りのような雷の音が窓の外から響く。落雷で瞬間的に停電したらしい。


 昔よく見た悪夢が、今でも白昼夢として甦る。いつか現実になるんじゃないかと、いつも不安だった。クソみたいな人生を終わらすため、いつか俺は、死刑を望み凶悪犯罪をしでかすのではないか。


 しかし、夢は夢だ。どんなに酷いイメージでも、現実ではない。俺は踏みとどまったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る