オデット、当主を放牧する
円環大陸の西部にある小国、カーナ王国ではつい最近、新国王が即位している。
前国王が病気で突然死して、第一王子が急遽、跡を継いだと聞いている。
その即位に関連するトラブルを、例の先王弟カズンが手助けしたとの情報も入っていた。
リースト侯爵ヨシュアは先王弟の幼馴染みで、彼に対して一方ならぬ想いを抱いている。
本来の使者の座を譲り受け、早急に準備を整え出立したはいいものの、カーナ王国現地では結局、お目当ての先王弟に会えず仕舞いだったそうだ。
その祝賀会参加の使節団の代表であるリースト侯爵ヨシュアは、今日帰国する。
もう到着して、今頃は王宮で女王に挨拶と報告をしているはずだ。
帰宅はその後の予定である。
王都のリースト侯爵家のタウンハウスでは前日から、広間での当主の出迎え準備に追われていた。
まだ学生のオデットは学業優先なので、特に何を手伝うというわけでもない。采配はヨシュアの叔父で後見人のルシウスが中心になって行っている。
オデットは夜、帰宅するヨシュアを出迎え、当主帰還の祝いの言葉を述べて後は美味しいリースト侯爵領産の鮭料理に舌鼓を打っていればいい。
そういう立ち位置のはずだったが。
「お帰りなさい、ヨシュア。帰ってきたばかりなのに悪いけど、あなたはこのまま再出立してもらうわ」
「……何だって?」
馬車の旅で帰国したばかりで疲れた顔をしているヨシュアは、屋敷に入るなり正装の軍服を着替える間もなく執事に広間まで連れて来られた。
そして広間に一族の主要人物すべてが集まる中、美しくドレスアップしたオデットから告げられた言葉に、呆気に取られた。
「先王弟のカズン様にお会いできなかったそうね。何のために彼のお母上から使者の座を譲っていただいたの? 役に立たないにも程がある」
本来なら、先王弟カズンの母親である女大公が使者となるはずだった。
彼女もまた、5年前に出奔した息子にまだ一度も会えていない。会いたい気持ちは実の母親だけに強いはずだった。
だがそこを、ヨシュアは自分の想いを優先させて強引に譲り受けたというわけである。
それなのに、帰国前に届いた近習からの手紙には、僅か数分ほどの差ですれ違ってしまったと書かれていた。
最初に手紙を受け取って読んだ彼の叔父ルシウスはしきりに『不憫な子だ』と呟いて、涙の滲む目頭を押さえていた。
だがオデットに言わせれば、タイミングの悪い男というだけだ。
「よくも、おめおめと帰国できたものよ。それで、どうするつもりだったの? またこの国から彼に支援を続ける気だったのかしら?」
「………………」
ヨシュアはオデットの傍らに立っている叔父ルシウスを見た。
ルシウスはヨシュアの視線を受け止めながらも、気まずげな表情をしている。
広間に集まる一族の者たちも、オデット側のようだ。
百人近い一族と、ヨシュアたったひとり。勝ち目がない。
自分と同じ、銀の花咲く湖面の水色の瞳を持つオデットを、静かな眼差しでヨシュアは見つめた。
「オレがいない間に、この家を掌握したということかい。オデット」
「そういう性格の悪いことをしたいわけじゃないわ。……私はね、私なりに、先輩だった王女殿下から受けた御恩を王家に返したいだけよ」
もう、オデットが慕っていたあの黒髪黒目のグレイシア王女はいない。
今の女王は強い人だし、その息子のユーグレン王太子も優秀だ。先王もまだ健在だが引退していて表には出てこない。
残るは先々王だった父親の仇を追って出奔したままの先王弟カズン。
「私がカズン様をお助けしに旅に出てもいいけど、幼馴染みのあなたのほうが適任でしょう? しばらく放牧してあげるわ。私の代わりに百年分、王家に借りを返してきてちょうだい」
放牧、の単語に、広間のあちこちで小さく吹き出す音が聞こえた。
放し飼いという意味だ。つまり、完全に手綱を離すつもりはないということ。
「だが、オデット」
困惑するヨシュアの言葉のその先を、オデットは言わせなかった。
「馬鹿ね、ヨシュア。お前、それで本当に彼を愛していると言えるの? 本当に愛しているならお行きなさい。さあ、後のことは私たちに任せて!」
「え、おい、何の真似だ!」
拘束されて慌ててヨシュアが左右を見ると、一族の魔力使いの実力者たちがやる気満々の面白そうな顔をして両腕を掴んでいる。
「ヨシュア様、申し訳ありません。でも、最長老様のご命令なので」
「!」
そういうことか、とヨシュアは目を見開いた。
肉体年齢は16歳でも、百年前の人物であるオデットの実年齢は116歳。
リースト家は一族の有力な高齢者を長老に任命し、最高齢者は最長老として敬い、一族に対する権力を与える。
その彼女の計画に、一族は乗ったわけだ。
「……オデット」
「カズン様は今、円環大陸の西南部ゼクセリア共和国で確認されたそうよ。冒険者ギルドの情報だから確かじゃないかしら」
「ゼクセリア……」
何ということだ。ならば西部のカーナ王国からここ北西部のアケロニア王国に戻るのでなく、そのまま南へ向かえば後を追えたということか。
何日もロスしてしまっている。
「必要な荷物は馬車に用意させてあるわ。嫌とは言わせないわよ?」
「言わない。……そういうことなら、感謝する。オデット」
左右両側から拘束してくる男たちの腕を振り解き、姿勢を整えてオデットを見つめた。
隣に立つ叔父ルシウスを強く睨み、次いでオデットに向けて小さく頭を下げてから踵を返して広間を出ていった。
「放牧が放流に変わってしまうかもしれないけど。……まあ、自分の思うままに生きてみるのも良いものよ」
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