熊を豚小屋へぶち込みたい
オデットは巧妙に、ドマ伯爵家の五男サムエルの誤解を利用して増長させていった。
自分が新たな侯爵となるのだというサムエルの言質を取って魔法樹脂に録音し、それを溜め続けた。
婚約者として婚約の翌日から二人で頻繁にお茶を飲むようにして、場所はいつも、学園の食堂を使うようにして。
王都の通学路にあるお気に入りの店は使いたくないし、学園内の食堂なら人目も多いから、サムエルから変なことをされる心配もない。
今日も放課後、オデットから3年のサムエルの教室に誘いに行った。
接触機会は多ければ多いほど良い。
「リースト伯爵領は鮭が名産というけど、俺は魚なんかより肉のほうが好きだぞ。鮭なんてあんな食いごたえのないもの! 君と結婚して俺が侯爵となった暁には畜産のほうにもっと力を入れなければならないな!」
「……ええ、それもいいかもしれません。あなたの好きになさって?」
(お、オデット、駄目ですよ、暴れてはいけませんからね!)
いつもさりげなく、グリンダが近くの席に背を向けて座っていて、オデットとサムエルが下手なことをしないように監視してくる。
それで小声でオデットに注意してくるが、大丈夫だ。
(問題なくてよ、グリンダ。お前を豚小屋にぶち込んでやるわって思ってるだけだもの)
豚に鮭はもったいない。
ドマ伯爵令息サムエルは、熊のような見た目とダミ声の男だ。
聞くに堪えないが、人間っぽい形をした豚だと思えばそんなに腹は立たない。
とりあえずリースト侯爵領の鮭を貶す者は滅びよ。
微笑みながら簡単な相槌を打っているだけで、サムエルはどんどん好き勝手に発言しては墓穴を掘っていく。
こっそり、オデットとグリンダがひそひそ話をしていることにも気づかないくらい、自分の話に陶酔している。
女王陛下から貰った猶予期間は二週間と少し。
まだこの男と婚約して数日だが、もうさほど時間をかけなくてもいいだろう。
「ねえ、サムエル様」
「何だい、オデット」
「あのね、私、あなたにお願いがあるの」
「お願いだって?」
「ええ、大したことじゃないのよ」
さあ、最後の仕上げをしよう。
「私が魔法剣士であることはご存知でしょう?」
「ああ。この前、校庭で生徒会長と戦ったとき、俺も教室から見てたよ! あれは凄かったな!」
「ふふ、ありがとうございます。……でもね、ほら。私、あなたと婚約したでしょう? あなたはもう3年生だから卒業してしまうし、淑女が戦うってはしたないと思いますの」
「まあそうだな。結婚後まで暴れられたら堪らない。そこは躾けなきゃ……いや、控えてほしいって頼もうと思ってたところだ」
(この男、“躾”って言いましたわね。誰を? オデットを???)
後ろの席でグリンダがドン引きしている。
オデットは聞こえなかった振りでスルーだ。
もちろん、このサムエルの発言も、爪のネイルに模した魔法樹脂に音声を記録している。
「ええ、もちろんですわ、サムエル様。でもね。私、あなたが卒業する前にぜひ一度戦って、それで魔法剣士を引退する有終の美を飾りたいと思いますの。……おねだり、聞いてくださいます?」
リースト侯爵家の一族のオデットは麗しの美貌の少女である。
ちょっと可愛らしく、すすっと婚約者に身を寄せた。
「いいのか? 俺は強いぞ?」
「もちろん。もしあなたが勝ったなら、私を好きになさって?」
相手の制服のブレザーの腕の裾をちょん、と指先で触れながら(本当は手に触れるのが良いのだが触りたくなかったので)、上目遣いにお願いしただけで、コロッとサムエルは落ちた。
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