第37話

 □■□■


 拷問場のようなおどろおどろしい部屋を抜けた先の扉。

 セブンスはその向こうから漂う魔術の気配を感知しながら勢いよく中へと飛び込んだ。

 扉を開いた瞬間、至る所に設置された魔術へと一瞬で短剣を突き立てる。

「ひっ」

 だだだだん! と連続する音に小さく悲鳴が上がる。

 扉の向こうの監禁部屋。

 血の匂い漂う部屋の真ん中に、仰々しい鉄の椅子に座らされた愛おしい人の姿があった。

「マリー!」

 セブンスはすぐに彼女に近づき、その身体を拘束する全てを一息に切り裂いた。

「ああ! セブンス! セブンスッ!」

 そのとたんマリーはセブンスへと飛びつき、泣きじゃくってどろどろに汚れた顔でぐりぐりと縋りつく。

 彼女の目は長時間の目隠しに圧迫されてかすんでいた。それでも必死に恋人の輪郭を確かめようとすがる手に、セブンスはほおずりし、くちづけし、自分の形を教えていく。

「怖かったわ、死んじゃうかと思って、ああセブンス、あなたなのね、セブンス、セブンス、」

「大丈夫。大丈夫だよ。助けに来たから。私がちゃんと来たから」

「うんっ、うんっ、セブンス、来てくれたのね、セブンス、セブンスぅ……!」

「ごめんね、怖かったね。もう大丈夫だよ」

「ええっええッ! セブンス、愛してるわ、セブンスっ」

 マリーは唇を重ね、熱列にセブンスを求めた。

 セブンスはそれに当然応え、ゆっくりと彼女の背をなでてなだめる。普段の穏やかな音をなぞるように、優しく、等間隔に、なんども愛の言葉をささやきながら。


 しばらくして落ち着いたマリーは、しゃくりあげながらもどこか恥ずかし気に笑った。

「ごめんなさい。本当に怖かったから、セブンスが来てくれて、」

 言っているうちにまた感情があふれたのか、彼女はまたセブンスにくちづけをする。軽く触れて離れると、言葉を続けずセブンスの手を引いた。

「セブンスすぐに逃げましょう! ここもいつ崩れるか分からないわ!」

「でもシロがまだ」

「シロはあいつらが連れて行ってしまったのよ! もうあんなやつらに関わるべきじゃないわ! どこか安全なところに逃げなくちゃ!」

 そうして走り出そうとするマリーだったが、セブンスは足を動かさなかった。

 ぐいとマリーを引き寄せると、驚く彼女をぎゅうと抱きしめる。

「……ねえマリー、ここから出たら、シロを助けに行かないと」

「だめよ! きっとシロなら大丈夫よ! そうでしょう? これまでまともな生活ができていたはずだってあなた言っていたじゃない。ね?」

「そうかな。でも、違うところに移されようとしていたんだよ?」

 なおも言いつのるセブンスにマリーはハッとした。

 胸の奥底で飼いならせるはずだった嫉妬心がじわりと表情に滲む。

(まさか、あの子のことがそんなに大切なの……?)

 暗い感情が胸を締めつけて、そんな場合ではないと分かっているのに勝手に問いかけていた。

「セブンス、あなた、私よりもシロのことが大事なの……?」

「そんなまさか。私はマリーを一番に愛してる」

 ためらいなく放たれたセブンスの真摯な言葉は、マリーの嫉妬心をすぐに溶かしてしまう。それが嘘でないのだとあっさりと確信できた。

 そして事実、セブンスはそれを純然たる本心から言っている。

 ふたりはそれを互いに理解できるだけの関係を積み重ねていた。

(ああ、もう、こんなときにおかしなことを聞いてしまったわ。私ったらどうかしてる)

 ホッとしたマリーは、またひとつセブンスにくちづける。

「だったらお願い、お願いだから一緒に逃げましょう? ね……?」

「……ひとつだけ、聞いてもいい?」

「なあにセブンス、どうしたの? あ、だ、大丈夫よ、私、変なことされてないわ」

「大丈夫。それは分かってるから」

「じゃあ、なあに? 歩きながら話せることかしら?!」

 ぐいぐいとセブンスを引っ張って行こうとするマリーの耳元で、セブンスは問うた。

「マリー。もしかして、シロといると―――嫉妬、しちゃう?」

「えっ」

 びくりと震えるマリー。

 セブンスの顔を見ようにもぎゅっと抱きしめられていてそれはできない。

 けれど彼女は、すぐにこくりと頷いた。

「ええ、そう、ね。あんな小さな子になんて恥ずかしいけれど……でも、セブンスの特別は私だけがいいの」

 そう言ってから、少しだけ不安になる。

 もしかしたらセブンスは、そんな自分を嫌がるかもしれないと。

 信頼しているのに疑ってしまって、そんな自分が少し悲しい。

「そっか」

 彼女の不安を打ち払うように、セブンスの優しい声がささやく。すこしだけ身体を離してみれば―――セブンスのうっとりと惚れ直すような表情が、恐れに震えていたはずの体を熱くした。

 幸福をかみしめるような丁寧なキスが、マリーをゆっくりととろかす。

「ふふ。マリーが嫉妬してくれるなんて、ちょっと珍しいね。かわいいよ」

「うざったくないかしら、私……」

「まさか。私も嫉妬しいだから……私はうっとうしい?」

「そんなわけないわ! そういうあなたが好きなのよ」

「だったら同じだね。そんなマリーが、私も大好きだよ」

 マリーと見つめ合ってにこりと笑うセブンス。


「」


 そしてマリーをそっと椅子に座らせた。

 マリーはびくびくと身体を振るわせて椅子をずり落ちていく。

 それをもう一度座り直させて、せめて安らかにとまぶたを閉じる。

 断末魔の芳香がふわりと広がって、記憶の中で再会した彼女と瞬きの合間に時を積み重ねる。―――そしてその終点に、セブンスはひとりで立っていた。

「ああ、マリー」

 名を呼んでももう応えることはない死体に縋り付き。

「どうしてこんなことに……」

 セブンスは、涙した。


 深い自責の念があった。

 六人目の愛した人をまた失ってしまったという事実が、冷酷無比とまで言われる彼女を嗚咽するほどの絶望で苛んだ。


 セブンスはマリーを殺した。

 顎の下から突き上げた短剣は確実に脳幹を貫いている。

 それは仕方がないことだった。

 なぜならセブンスはシロを救うからだ。

 そうしてあげたいと思うからだ。

 だから殺した。

 シロを救い、傍に置くことをマリーがいやがるから。

 もちろんマリーに告げた言葉に嘘偽りはない。


 けれど、それはそれとして。

 シロを傍に置くことで嫉妬したマリーがいつか自分に愛想を尽かせてしまうのなら。


(いつか嫌われちゃうなら―――いまのうちに殺さないといけないから……)

 

 セブンスはそう考え、実行した。

 いままでも同じように繰り返してきたことだった。


 一度目の愛を恋と呼んだ彼女が望むから殺した。

 二度目の愛は告げることも出来ぬままに正体を嫌悪され殺した。

 三度目の愛は恋を謳歌し、

 四度目の愛と絡み合って裏返ろうとしたからどちらも殺した。

 五度目の愛は些細なすれ違いが恋の行く先を歪めたから殺した。


 些細なケンカでは済まないくらいの相違があって。

 愛する人が自分を嫌うかもしれないのなら。

 その前に、もっとも好意が強いいまのうちに、殺す。


 ―――死がふたりを別つまで。 


 それはセブンスの誓いの言葉だ。

 死ぬまでずっと傍にいて、そして死ぬまで愛し合うという誓い。

 だから自分の手で殺さなければならない。

 だから愛されなくなる前に殺さなければならない。


(六人だ、六人も……マリーとも、また、一緒にいられなかった……ッ)


 セブンスは深く絶望していた。

 それはすべて自分が悪いのだ。

 いつもそうだ。そのたびにもう二度としたくないと願うのに、セブンスの鼻は、情動は、愛を捉えて離そうとしてくれない。今回のような嫉妬や、それとも愛されるための努力が足りなかったり、つどつど理由は違うけれど、セブンスはすべて自分のせいだと知っている。

(きっと私がもっと上手くやれれば、私が殺し以外も上手にできれば、マリーとシロと、永遠にいっしょに居られたのに……)


 セブンスは泣いて。

 泣いて。

 けれど涙を拭う頃には、その顔には笑みがある。

 愛する人を失った深い悲しみと同時に―――表情にあふれてしまうほどの歓喜がある。


 マリーは死んだ。


 それはつまり、彼女にとっては最大の愛の結果だった。


(でもこれで―――彼女の愛は未来永劫私だけのものだ)


『―――愛を永遠にする方法を知っているかしら?』


 そう問いかけたかつての恋人は、言った。

 まるで簡単なことのように、踊るような口ぶりで。


『それはね。愛する人を殺してしまうことなのよ』

 

 死んだ者が他の誰かを愛することはない。

 死の間際にまで己を愛していたという、その結末は変わることがないのだ。

 それは永遠となにが違うだろう。

 百年後の愛も、百年前の愛も、人生から比べればあまりにも永く遠いではないか。


 だからセブンスは―――愛を永遠にする方法を知っている。


 ―――やがて。


 彼女は、もう増えることのなく、そして色褪せることのない宝物を箱にしまい。

 そうしていまに視線を向ける。


「シロを―――助けなきゃ」


 セブンスはシロを愛している。


 大切な人との別れを乗り越えようとする気丈な精神への憧れと、幼く愛らしい彼女の無邪気な好意がセブンスを深く魅了した。名のない境遇にシンパシーを感じ、自分と違って瑞々しい彼女がこれからどんな風に色づいていくのかを誰よりも近くで見たいとそう願っている。

 そうしていまこの喪失が、たったひとつ残った大切なものをより輝かせていた。

 少女はいまや、セブンスにとって最愛の人となった。

 彼女も彼女も彼女も彼女も彼女も彼女も死んだいま、女の愛はただひとつになった。


(絶対に、こんどこそ―――シロは、必ず愛し抜く)


 六度目の誓いを胸に刻み、セブンスは崩壊を始める地下から抜け出した。

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