第21話
ほどなくしてやってきたのは、人が住んでいるのか怪しく思えるほどにぼろぼろのアパート。ちらほらと窓にかかった洗濯物も見えるが、それでもなお住居であることに信ぴょう性がない。
(蹴飛ばしたらドミノみたいに倒れていきそうだわ)
そんなことを思うマリーだったが、ぽつぽつと降り出した雨から逃れられるのならと、しかたなくセブンスについて中へはいっていく。
中身も外見に負けじとおんぼろで、なにか背筋が震えてたまらないようなうすら寒い気配があった。
(た、たしかに隠れ家っぽいけれど……な、なにも出ないでしょうね)
マリーはセブンスの服の裾をつまむ。暗殺者と付き合っているくせに幽霊が怖い。
(……そうだわっ。シロもきっと怖がっているわよねっ)
びくびくとセブンスについて階段を登りながら、マリーはふとシロを見下ろす。自分以外に怖がっている少女を見て安心しようという目論見だった。
しかし意外なことにシロはまったく怖がった様子がなく、むしろほぇーと興味深げに周囲を見回している。
「し、シロ? 怖かったりしたらすぐに言ってもいいのよ」
「ほぇ? シロはだいじょぶです! かっこいいです!」
「へ、へぇ。格好いいの。そう……」
マリーにはまったく理解できない感性だった。
ずぅんと沈んでいると頭がなでられ、顔を上げると優しく微笑むセブンス。
「大丈夫だよマリー。見かけほどひどくはないから」
「え、ええ大丈夫よセブンス。このさい文句はないわ」
「ふふ。それならよかった」
セブンスは一室の前で立ち止まり、扉の隅をトントンと叩く。
するとなにかかちゃかちゃと機械的な音がして、壁がぱかっと開くとカギが出てくる。
そのカギを手に取り、ちょうどとなりの部屋との中間あたりの壁をぐっと押し込むと、がぼ、と正方形に飛び出して上を向いたカギ穴が露出する。
それにカギを使うと壁がちょうど扉くらいの大きさに浮き出して、ふちを掴んで引っ張ればぬるい空気がふわっと吐き出された。
「ようこそ隠れ家へ。ちょっと狭いけどね」
壁のスイッチで電気をつけたセブンスは、目を丸くするマリーを中に誘ってウィンクする。
セブンスの言う通り、部屋と部屋の間の空間に強引に差し込んだようなその部屋はお世辞にも広いとは言えない。窓がないこともその閉塞感を増しているようだ。
しかしそこにはシングルのベッドに簡単なテーブル、クローゼットなんかもあり、奥の壁には上につながるはしごまで用意されている。
それになにより、まるで別世界かと思えるほどに綺麗なのだ。
新築と言われても信じられるほどの清潔感があって、ほこりもまったく積もっていない。
「こ、れは、……隠れ家ね」
「わぁー! すごいです!」
上手い表現を見つけられずただただ呆然と見まわすマリーと素直に歓声を上げるシロ。
ふたりの反応にうんうんと頷きながら、セブンスはカギを抜いてから扉を閉じた。そうすれば、もう扉は内側からしか開閉できない造りになっている。
「二階にはキッチンがあるけど、食べ物は缶詰くらいかな。べつに買いに行ってもいいけど―――そう長々と居座るつもりもないし」
「そうなの?」
「うん。情報次第だけど、アジトとか壊滅させたら国を離れる方がいいかな。まあそれでも紙面は飾れると思うしね」
「それはそうでしょうけれど……」
この期に及んでもまだマリーの趣味のためにと頑張るつもりでいるらしいセブンス。
恋人を喜ばせたいという気持ちは嬉しくもあるが、追っ手という存在を意識してふつふつと危機感の芽生えてきたマリーとしては気が気でない。
絆創膏を貼ったセブンスの頬の傷に触れると、痛みが走ったように胸を押さえた。
「でも、大丈夫なの? セブンスひとりでそんな……」
「ダメそうでも逃げるくらいは問題ないよ。心配しないでも、私が守るから」
そう言ってぽんぽんと頭をなでられれば、マリーはややぎこちなくも笑みを返す。
なにせセブンスというたったひとり頼れる存在の言葉だ、疑うことなどできようもない。
その腕のなかでシロも、おー! と手を突き上げる。
「シロもがんばるです! おてつだいです!」
「……ふふっ。ええ。ありがとうシロ。私も負けていられないわね」
シロのような幼い少女に励まされては面目が立たない。マリーはこんどこそ緩やかな笑みを浮かべて、三人でベッドに寝転んだ。
「―――私、すこし油断していたみたいだわ。暗殺者なんていう仕事は危険なことだもの。こういうことだってあっておかしくないわよね」
「ごめんね。私の不手際のせいで」
「そんなことないわ。私の覚悟が足りなかったのよ」
マリーは手を掲げて明かりにかざす。
汚れひとつもない手に、血潮が赤く透けている。
(依頼を読んだり情報屋とのやり取りだけで裏世界の住人気どり。浮かれてたわ。セブンスに危険な役目を全部おしつけて、自分が誰かに狙われるかもなんて考えたこともなかった……)
もともとセブンスと出会うまでは、いたって普通の市民として暮らしていたマリー。
だからこそだろうか、裏の世界という非日常への憧れを抱いていて、それがセブンスと出会ってしまったことをきっかけに浮かれていたのだ。
そう自覚して自嘲の笑みを浮かべるマリーの手に、セブンスの細くしなやかな指が絡む。
いくつもの命を絶ってきたとは思えないほどに綺麗な手だ。
自分の心臓に刃でなく愛を届けてくれると知っているから、どれだけ近くにあっても恐れなどなかった。
「標的に短剣を残してくるっていうアイデアも、もうしないでいいわ」
「どうして? 白無垢っていう名前もけっこう売れてきたのに」
「だってそうすればそうするほど、あなたは狙われやすくなってしまうじゃない。短剣は特別なものなんでしょう? 事件現場に名刺を置いてくるようなものだわ。……あなたの名前の記事が欲しかったからって、安易にお願いするようなことじゃなかったのよ」
「……そっか」
軽率な考えだったと後悔のにじむ言葉を聞いてセブンスは目を伏せた。
マリーの言葉は事実だ。かつてそれを提案された瞬間からセブンスには分かり切っていたことだった。もともとセブンスのいるような世界とは縁のないただのゴシップ好きだった彼女がその危険性に気がついていないのだということも理解していた。
それでもセブンスは彼女の望みを受け入れたのだ。
魔法使いの暗殺者が最も秘匿すべき、魔法の正体そのものを現場に残すことを。
その結果彼女に後悔させるのは自分の力量不足のせいだとセブンスは思う。
マリーの理想の暗殺者家業を実現してあげられなかった自分がふがいない。
彼女を後悔させてしまったことが悲しくて、自分への憤りすら湧き上がる。
そんなセブンスへと、マリーは顔を向けた。
その表情はどこかすがすがしく、なにより。
他のものがすっかり見えなくなるような。
マリーそのものの輪郭さえぼやけるような。
感触も匂いも味も音も全て光で伝わってくるような。
つまりは、そう。
つい見惚れてしまうくらいに―――綺麗だった。
「この国から逃げて、そうしたらこんどはもう少し上手にやりましょう。ふふ。知られざる暗殺者っていうのも、それはそれで素敵じゃない」
そう言って笑うマリーに。
「……そうだね」
セブンスは静かに頷き、愛おしさの塊にくちづける。
(たしかにこれも―――悪くないかもしれない)
こうしてマリーに危機感を与えてしまったが、だからこそ、彼女が自分のことをとても大事に思ってくれているのだとそう思えた。これまでもそうだったが、これまでよりもなお一層。
自分がマリーを慈しむように、マリーもまた自分を慈しんでくれているのだという実感があった。それがなによりも嬉しい。殺人者でしかない自分を必要としてくれる上にその身を気遣ってくれることが、セブンスにとってはあまりにも心地いい。
(マリーを好きになってよかった。……好きになってもらえて、よかった)
セブンスは胸を満たすぬくもりに表情をほころばせる。
面倒な追っ手たちをすぐにでもまとめて処理したいような、そんな爽快な気分だった。
「シロもいっしょでいいです……?」
もじもじと、寄り添う恋人たちの間で黙り込んでいたシロがふたりを見上げる。
なんだか口を挟んではいけないような気がして一生懸命に口を塞いでいたが、ついに我慢できなくなったらしい。
そんな彼女に微笑ましいものを感じたセブンスはシロに手を伸ばし、ふとなにかを感じてマリーに視線を向ける。
「もちろんよ、シロ。ここまできたんですもの。あなたを見捨てたりなんかしないわ」
けれどマリーはなんらおかしい様子もなく柔らかな笑みを浮かべていて、杞憂かと判断したセブンスもシロの頭をなでてやる。
ふたりに可愛がられたシロはえへえへと恥ずかしそうに笑って、そんな三人はまるで仲睦まじい親子のようでもあった。
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