第19話

 しばらくしてセブンスは住処に戻ってきた。

 襲撃のせいでできた破壊はひとまず気にしないことにしてマリーたちの様子を伺うと。


 ―――シロが、闇夜のなかで座り込んでいた。


 まるで星明りの塑像(そぞう)のように、身じろぎのひとつもない。

「シロ?」

 近づいて声をかけると、彼女はゆるりと振り向いた。

 涙に表情が洗い流されてしまったような少女の、静かな視線が漠然と女を捉える。

 ひどくおもむろな瞬きでまた数粒の雫が落ちて。

 そして少女は、はにかむような笑みを浮かべる。

「えへへ。クロちゃん、いたです」

 甘えるように腕を広げる少女。

 女がベッドに上がると、少女は待ちきれないとばかりに抱き着いた。

 少女の幼い手が女をきゅうと抱きしめる。

「おきたらいなかったですからビックリしたです。ビックリはビックリするからいやです」

 ぎゅうぎゅうと顔を押しつけてくる少女の幼気な怒り。

 女は少女を抱き返そうとして、わずかにためらう。

(そんなことをして、いいのかな)

 少女の求めるものでは、女はない。

 抱き返してしまうことでそれに気がついてしまったのなら。

 そんな危惧を抱きながら―――それでも女は少女を抱きしめた。

 そして一緒にベッドに寝転んで、少女をゆっくりとなでてやる。

「シロ。ビックリさせてごめんね」

「えへへ。あやまったからゆるすです。クロちゃんは、ちゃんとシロといっしょじゃないとダメです」

「……うん。私が、ちゃんと傍にいてあげるね」

 セブンスの言葉に安堵するように、シロは小さく笑った。

 ふたりはしばらく、そうして抱き合った。


「―――ぁ、う? ……あれれ……?」

 やがて唐突に夢から覚めたシロは、自分がふにふにしていたものが思っていた相手ではなかったことに気がついたようだ。ぱちくりとまたたきながら、確かめるようにぺたぺたとセブンスの薄い胸に触って。、それからなにかに納得する。

「ちいさいです」

 どうやらクロはセブンスよりも胸があるらしい。

 言語化しにくいモヤっとしたものが胸の中に生まれたが、セブンスは気にしないことにした。

「まだ寝ていていいよ」

「あぅ。えへへ。おめめぱっちりです」

「そっか」

 頭をなでてやるとシロはくすぐったそうに笑う。

 まだ幼い少女は触れ合いを好むようで、セブンスから触れてやるとぎゅうぎゅう身体を押しつけてくる。

 それを愛でていると、ふいにシロがなにか不思議そうに見上げてくる。

「うに?」

 こてんこてん首をかしげて考えこむ彼女は、やがてぽんっと手を打った。

「そーです。せぶんす、です」

「……ああ」

(そういえば、まともな自己紹介もしてないんだっけ)

 シロの状況だとか目障りな追手のことばかりを意識していたせいで、そんなことにもいまさら気がつく。

「それで、マリーです」

「そう。マリー。花の名前から取ってるんだって」

「シロはしろっぽいからシロってクロちゃんがいってたです。クロちゃんはくろっぽいです」

「なるほど」

 たしかにシロは白っぽい。ネーミングセンスからしてクロというのも自称なのだろう。

 そのクロという名の少女のことを少しだけ想像してみたが、セブンスはそういったことが得意ではないのであまり上手くできなかった。

「せぶんすは、ななこめっていうことです?」

 そんなセブンスへと、シロの無邪気な問いかけが届く。

「……よく知ってるね」

 セブンスは頷き、わずかに視線を過去へと向けた。

「そう、七個目だから、セブンス」

 それは大したことのない過去だ。

 名前のない存在などありふれている。

 シロとクロのように。

 もっとも彼女の場合は、貰った名ではなくただの識別番号なのだが。

 瞬きひとつで過去を振り払うセブンスだったが、シロは褒められたことを素直に喜んで鼻高々と胸を張っていた。

「えへへー。シロはかしこいですから。クロちゃんにおしえてもらったことはなんでもおぼえちゃってるです」

「そう」

 優しい微笑みを浮かべ、セブンスは頭をなでてやる。

 シロは嬉しそうに目を細め、ふにゃりと頬をゆるめた。

「せぶんすです。せぶんす……せぶんす、せぶんす、しぇ、せぶんしゅ、せぶんす、」

 それからなぜか口のなかでセブンスの名を繰り返す。

「……もしかして、呼びにくい?」

「だいじょぶですっ。いっぱいれんしゅうするですから」

 そう言ってまた繰り返す。

 舌っ足らずに名前を繰り返されるのはなにかむずがゆくてセブンスは頬をかいた。

(たまにいるんだよね、呼びにくいって言う人。……なんでだろ)

「せびゅっ、……んにゃぁ~」

 ぼんやり考えこもうとするセブンスの耳にシロの鳴き声が届く。

 ハッとして見れば、彼女は舌を晒して涙目になっていた。

「うぅ……かんじゃったです」

 すこし赤く滲んだ舌をふにふにと手で触るシロに表情をほころばせ、セブンスは慰めるように頭をなでる。

「べつにいいよ、なんて呼んでも。呼びやすいやつで」

「せぶんすは、せぶんすってスキじゃないです?」

「好きでも嫌いでもないかな。どんな名前でも好きな人に呼ばれると嬉しいけど、それ以外はなんでも」

 暗殺者という生業のために偽名も多く持つ彼女だ。名前にさしたるこだわりもないのでそんなことを言うが、シロはむむむと考え込む。

「……でもおもいつかないですから、せぶんすってよべるようにガンバルです!」

 結局そういう結論に至ったようで、また練習が始まる。

 セブンスは苦笑し、ほどほどにと、無駄だろうと思いつつも声をかけておいた。

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