チートなんざクソくらえ!!

文月 澪

異世界転移は突然に

第1話 ︎︎無い無い尽くしの異世界転移

 そこは何も無い空間だった。


 どこが終わりかも分からない、上下の感覚さえ危うい、だだっ広い真っ白な空間。


 俺はそこにただ一人、立ち尽くしていた。


 俺の名は禅堂累。

 28歳。中小企業勤めのサラリーマン。

 中肉中背、黒髪黒目のこれといって特徴のない、どこにでもいる日本人だ。


 直前の記憶は、会社の帰り道だったはずだ。


 残業に次ぐ残業で連日会社に泊まり込み、今日も終電ギリギリだったが、なんとか帰路についていた。

 明日はやっともぎ取った休みだ。家に着いたら久しぶりにビールでも飲んで、ゆっくり風呂に浸かろうと疲れた足を引きずり、真っ暗な道を歩いていた。


 家に帰れば暖かい布団も待っている。


 そして、もうひとつの楽しみ。


 それはゲームだ。俺は無類のRPG好きで、手を出したタイトルは数知れず。ゲームを買うために仕事をしていると言ってもいい。その遊ぶ時間を仕事に奪われ、本末転倒な状況ではあるが。


 しかし、クリアした本数は片手で足りるほどだ。


 何故クリアできないか。

 それは序盤の弱い敵をチマチマ倒しながらレベルを上げ、少ない資金をやり繰りして装備を整える。あの限られた手段で、ストーリーを進める段階が1番燃えるから。終盤になり資金も潤沢、敵もワンパン状態になると途端に飽きてしまうのだ。

 そうして未クリアのゲームが積み重なっていく。


 今日も買ったまま手をつけられずにいたゲームに、やっと手をつけられると、重い足取りながらも気分は軽やかだった。


 それなのに。

 今俺は訳のわからない状況に置かれていた。

 手に持っていたはずの鞄も背広も、いつの間にか無くなっている。


「なんだよここ、道に迷った……って事はねぇよな。誰かいないのか? おい誰か。悪戯ならやめてくれ! 冗談じゃねぇよ! やっと帰れるってのに……勘弁してくれ」


 俺は辺りを見回し、何度も何度も大声を上げ、必死に人影を探した。

 しかし、誰もいない。

 歩き回っても、一向に出口も見えない。


 元から疲れきった体だ。間も無く力も尽き、地に膝を着いた。


「誰か……誰でもいい。家に帰らせてくれよ。頼むよ……」


 そう懇願した時、何もなかった空間が突如としてひび割れた。


 そこからおびただしい光の粒子が溢れてくる。


 そうして現れたのは白くて巨大な6枚の翼を持った女だった。


 足元まで伸びた金の髪をなびかせ、薄い衣を纏っただけの体はくっきりとその稜線を浮かび上がらせる。その肌は透き通るようでシミひとつなく、きつく結ばれた唇は桃色に色付き、閉じられた目蓋を長い睫毛が縁取っていた。胸の前で結ばれた手は白く細い。


 そして、その足元は宙に浮いていた。


「あんた……いったい」


 あまりの美しさに目を奪われた俺は、ようやっとそれだけを口にするのが精一杯だった。

 女は俺の間近に漂ってくると、瞳を薄く開く。

 その瞳はなんとも形容し難く、光の具合で何色にも見えた。


「汝を勇者とせんじる」


 きつく結ばれた唇から、鈴の如き清らかな声が発せられた。

 しかし、その言葉は遥か彼方に向けられたように感じられ、俺は意味を飲み込むのに時間がかかった。


「は、勇者……?」


 なんの冗談だ?

 今流行りのラノベでだって、もう使い古された設定だろ。


「勇者と選じるに、汝へ神力を授けんとす。彼の敵は魔王ジェレイマイオスと称す者なり。異界の世を比類なき神力を持ちて平定せしめよ。その使命果たされれば巨万の富と名声を得るであろう。父なる神に祈りと感謝を捧げよ」


 女は堅苦しい言葉遣いで一方的に話を進める。

 比類なき神力?

 チートって事か?


 そんなの貰っても嬉しかねーーーーっ!!!!

 俺の信条は地道にじっくりコツコツと、だ!!


「おいあんた! 俺は神なんざ興味ねぇんだよ! 勝手に決めんじゃねぇ! 他所の事は他所で片付けてくれ! そんな事より家に帰してくれよ! 俺にとっちゃ異界の平和より明日の休みだ!」


 女の美しさに気後れしていたのも彼方に吹き飛び、俺は食ってかかる。

 女は整った柳眉をわずかに歪ませて、憎悪を吐き出した。


「神を愚弄するか。汝が帰すべき地は既に無い。魔王を誅し民に和をもたらすが汝が使命。他に道は在らず。神力を得るに何の不満がある? 敵を薙ぎ倒し民の信頼を得よ。汝とて神が如き力を得ればその御業に酔いしれよう」


 話が通じねぇぇぇぇなっ!!

 この女は勇者になる事を至上だと考えているらしい。

 言動と見た目から天使のようなものなんだろう。


 それでも俺は叫ぶ。

 家で待つビールとゲームのために。


「勇者とかもっと若くてピチピチした若者にやらせろよ! 何で俺なんだよ!? もう三十路近いおっさんだぞ!? 大体元々から俺TUEEEEに興味は微塵もねぇ! 魔王を倒した所で後はお払い箱になるのが目に見えてんだよ! グダグダ言ってねぇで俺を家に帰せ!!」


 そこまで捲し立てると、いよいよ女の顔は般若が如く歪められた。


「痴れ者が。もう良い。勇者に相応しき者は汝以外にも在る。汝は異界にて己の愚かさを味わうがいい。失せよ」


 女が手を振ると、突如足元に大きな穴が開き、胃が浮くような浮遊感に襲われる。

 俺はどこまでも続く暗闇を落ちていき、いつの間にか意識は途切れた。

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