第110話 剣を抜く勇気
俺は人ごみの中を駆けていく、走りながら真柴のセロハンテープをポケットから取り出して適度な長さに千切って、両手と胴体にグルグルと巻き付けた。このテープはすさまじい防御力を持っているが、どうやら切断には弱くできているようだ。そしてそれに気がついたのはたぶん俺だけじゃない。後ろ方にスオウの気配を感じた。彼女は凄まじい足の速さで俺にどんどん近づいてくる。そして袴を膝までめくって手を中に入れて、鞘に入った小太刀を取り出した。
「ワタシは撃つだけが能じャない!!」
俺に追いついたスオウは舞うように美しい居合術で小太刀を右手で抜いた。その斬撃はまっすぐ胴体を真っ二つにしようと迫ってきた。それを俺は十手で受け止めて、鉤で絡めとる。そのまま刀をへし折ってやろうと思った。だけど。
「アまイ!」
スオウは左手で鞘を握り、それで十手を持つ俺の手を叩いて、鉤にからめとられていた刀を抜き取った。そして刀を小指だけで握りながら、懐に右手を入れて銃を抜いた。そして刀を小指で握ったまま銃の引き金を引いてきた。俺は両手を顔の前に翳して防御姿勢を取る。
「ぐぅう!なんて握力だよ!!?滅茶苦茶しやがって!!」
スオウは俺の腹と胸に一発ずつ銃弾をぶち込んできた。小指で刀を握りながらのくせに、銃口が全く跳ね上がっていないことに驚きを隠せない。
「ワタシの刀ヲそんな棒切れで捌イてくるお前に言われたくはなイ!!」
撃たれて態勢を崩した俺に向かってスオウは逆手で刀を振り下ろしてきた。俺はそれを両手で持った十手の鉤で受け止める。だが小指だけで握っている刀なのにものすごく重い。そのままスオウは刀を俺に向かって押し込んでくる。周りの人たちは俺たちの立ち回りを見て騒いでいる。だけどどうやら殺し合いではなくパフォーマンスか何かだと思っているようだ。拍手やら笑い声やらが楽しそうに響いていた。そして同時に彼らの頭上を複数台のドローンが飛んでいるのが見えた。おそらく葉桐が監視をしているんだろう。腹が立つ。
「平和ボケだな。羨ましイよ。この国の人々は銃声を聞かずに夜を眠れる。死体を見ないで街を歩ける。暴力を知らずに大人になれるんだ」
スオウの目には悲しみが見えた。理不尽さに打ちのめされた者の憐れな涙。
「ミリシャはワタシみたいな小娘相手に金は貸さない。金なんか貸さずに拉致して薬漬けにして売春宿にでも売り払った方がましだ。アはは!もウわかッてイるンじャイか?」
「スオウはミリシャをその圧倒的な暴力で脅して金を手に入れたんだな?」
「そウだよ。暴力でもッて奴らを脅して金を借りたンだ。あとはずぶずぶの関係だ。腕を買われたワタシは殺しで金を返済した。悪徳政治家や腐敗した役人、それにギャングたち。全部全部殺してきた。でも内心じゃミリシャもワタシを恐れて疎んでいた。だから債権は葉桐に売ったんだろうさ。ワタシヲブラジルから遠ざけるために」
「それだけの力があるなら、借金なんて踏み倒してもよかったんじゃないか?」
「それはダメだろウ。だめだカナタ。まっとうな人間は借りたものはちゃんと返すんだ。ワタシは。ワタシは。ワタシはァアアアア!人間のままでイたイからァ!!どれほどおぞましい罪を犯したとしても!人間のままでイたかッた!せめてまッとウなフリヲしてイたかッた!!家族の傍にいたかったからぁ!!なのになのになのにぃいい!!うああああああ!!」
刀を押し込む強さがさらに増していく。刃は俺の額のすれすれまで迫っている。
「罰が来るのはわかっていたのに!早すぎる!葉桐はワタシの罰を愛おしい人たちに押しつける気だ!できなイ!無理だ!ワタシにはそンなことできなイ!罪ヲ抱エて消エるしかないンだ。アアアアアアアアアアァアウウウァウウゥ!」
今のスオウには言葉が届かない。どんな説得も無理だ。葉桐はこの子の闇を解き放ってしまった。それがあまりにも憐れに思う。
「だったらなおさら一緒に消えてやるわけにはいけないな。本当に消えるべき悪は別にいるんだからな!ふん!!」
十手にはある特性がある。鉤で受け止めた刀の刃の上に十手の棒を滑らせることができることだ。俺は渾身の力を込めて地面を蹴る。そして鉤を刃に滑らせながらスオウの足の間にスライディングする。
「パンツありがとうございます!」
「きャ?!」
俺はスオウの袴の下をスライディングでくぐった。袴の裾から覗けたパンツの色は清楚としか言いようがない白だった。俺が足の下をくぐって立ち上がると、スオウはプルプルと震えて恥ずかしがっていた。ガチガチの殺し合いの状況なのにこんなくだらないことでスオウは恥ずかしがってる。それってスオウが人間だからなんだって思う。
「スオウ。たとえ人は罪を犯してもやり直すチャンスが必ずある。俺はそれを知っている。だから此処で殺されてはやらない。お前を必ず止めてやる!」
タイムリープした俺だからこそわかる。やり直しの機会は絶対にあるのだ。俺はそれを必ず証明してみせる。
渋谷にあるホテルのレストランを借り切って、僕と友恵は常盤奏久とエディレウザ・レイチの殺し合いをモニター越しに観戦していた。彼がレイチに撃たれた時はたまらなくスカッとした。だけどそこからすぐに立ち上がってきたときには、まるでホラー映画を見ているようなぞっとした気持になった。それは同じく通信で見ていた筑波と出雲にいる僕の女たちも一緒だったはずだ。だけどその中で友恵だけがどこかホッとしたような顔をしていた。それですぐにみんなすぐに勘づいた。
『まさかともっち、常盤が使ってるあのテープってあんたが流したの?!それってあーしら裏切ってあいつにつくってこと?!』
『裏切り?処罰。求む。怒怒怒どどどどど!』
二人の追及に友恵はシレっと言い放った。
「さぁ?本郷のうちの研究室からあいつが盗んでいったんじゃない?うちは知らないし」
プイっと友恵は顔を反らす。しらばっくれているようだが、あのテープは厳重に管理している。盗み出すことはできないはずだ。間違いなく友恵が横流しをした。僕が常盤奏久を殺すことを妨害するために。だがこれは困ったことになった。友恵には何らかの懲罰を与えなければいけないが、友恵は替えの利かない人材だ。ここで粛清なんてできっこない。かといって裏切りを見過ごせば他の女たちに示しがつかない。想定外の事態になってしまった。そんな時だった。
「すみませんお客様」
レストランのウェイターが僕たちの傍にやってきた。
「なんだ?僕たちに話しかけるなと言っておいたはずだが?」
「申し訳ありません。ですが伊角様とそのお連れの方が葉桐様との面会を求めております。外でお待たせしておりますが、どういたしますか?」
その名を聞いて、僕も友恵もモニターの向こう側の二人も驚いていてしまった。
「すぐに通すんだ!」
「かしこまりました」
すぐにウェイターは伊角美魁と紅葉楪の二人を連れてきた。伊角さんはニコニコと微笑んでいた。紅葉さんは無表情でじっと僕を見つめていた。
「まさか君から来てくれるなんて思わなかったよ!これは例の話を受け入れてくれるってことだよね?」
思わず僕は笑みを浮かべてしまった。伊角さんと紅葉さんが常盤奏久がいない今僕に会いにきたというのは、彼を切って僕につくという意思の表明に決まっている。僕の下に勝利が転がり込んできた。嬉しくないわけがない。これで天岩戸の向こう側にある『際の彼岸』に挑むチャンスが回ってきたのだ。もうすぐ夢が叶う。やっと叶うのだ!
「あはは。ボクの顔を見てそんなに嬉しく思ってくれるなんて、ボクとしても嬉しいよ。つまりそれってボクがとっても必要ってことだよね?光栄だねぇ」
「その通りだよ!君は必要不可欠な人材だよ!替えのきかない唯一無二の存在だ!だから歓迎するよ!僕は君の夢をかなえてあげよう!だから僕たちに協力してくれ!人類文明を救済するフレームワークの再構築のために!」
そうやっとだ。やっと夢物語に過ぎなかった領域に僕は足を踏み込めるのだ。すべてはそのためだけにある。伊角美魁が『際の彼岸』に僕たちを導いてくれる。やっとやっとやっと夢が叶う!
「そっかそっか!なんかすごく壮大で大きくてデカい夢を見ているんだね。そのためにボクが必要不可欠だと。なるほどなるほど。じゃあさ。ボクのお願いを一つ叶えてくれないかな?」
「ん?おねだりかい?何でも言ってくれ。君の望むものは何でも用意するよ」
「うん。じゃあさ。スオウの借金の債権をカナタ君に売ってよ。あとスオウさんを脅しているネタの証拠の破棄を要求するね。スオウを二度と脅さないで欲しい」
「…ふぇ?え?すまない。あれ?ちょっと言ってることの意味がわからないんだが。君たちは常盤奏久を切って僕の側についたんじゃないのか?」
戸惑う僕みながら伊角さんはどこか侮蔑的な笑みを浮かべている。
「ボクそんなこと一言も言ってないし、する気もないよ。ボクは一途な道化なんだ。よその王様に媚びを売ったりはしないよ」
その言葉に紅葉さんも深く頷いていた。
「待て!じゃあ何で君たちはここに来た!?」
「取引だよ。カナタ君を助けるためのね」
そう言って彼女はバックから刀を取り出した。その所作は外連味があってとても美しい。そして伊角さんは鞘から刀を抜いてその刃を、自分自身の顔にそっと触れさせた。
「ちょ、ちょっと!やめなさいよ!そのまま刀を引いたら顔に大怪我するわよ!!跡だってきっと残っちゃうようなひどい傷になる!!」
友恵は立ち上がって伊角さんに制止を求めた。だけど伊角さんは刃を顔から離さない。ひどく美しい微笑みを浮かべて彼女は口を開いた。
「さっき言った条件を今すぐに飲め。じゃなきゃボクはこのまま刃を引くよ」
それはまずい。伊角さんの顔に醜い傷が残れば、僕の計画に致命的な打撃が来る可能性がある。少なくとも『際の彼岸』へのアプローチのチャンスは恐ろしく遠のくだろう。だけどそんなことはあり得るのか?女が自分の顔を傷つけてまで男を助けようとする?そんなこと考えらえない。
「ははは。いや。冗談はやめよう。そんな冗談は笑えないよ。伊角さん。ちゃんと話し合おうじゃないか。お互いに必ず納得ができる条件があるはずだよ。だから刀を下ろして」
「そう。キミはボクが嘘をついていると?これがハッタリだと?舐めるな。ボクは君の知っている女たちとは違う。この身を汚してでも王様に使える覚悟があるんだよ。偽物の王様の君にはわからないかもしれないけどね!」
伊角さんと目が合った。その赤い瞳には何か僕の読み取れない感情が渦巻いているように見えた。わからない。本気で言っているのか?はったりなのか?それが僕にはわからない。
「ひろ!まずいよ!伊角さんは本気だよ!!うちにはわかる!絶対に本気だって!」
友恵は顔を真っ青にしている。彼女の助言は今までも有用なことが多かった。だけどこんな脅しをしてくるなんて現実的じゃない。
「あなたは女の子がここまでしてもまだ嘘だと思うんですか?おいはちっぽけな男たい!しょうもなかと!…ごほん。そんな器の狭いあなたに助け舟をだしてあげます。今条件を飲めば、伊角さんは出雲で舞いのお仕事を引き受けます。ついでにこのわたしもあなたが必要とする研究に部分的にですが、協力してあげてもいいです。…ここまでがわたしたちの譲歩できるラインです。だから選んでください。あなたの夢の価値ってやつね」
代わりに提示された条件には魅力がある。出雲での伊角さんの舞はもともと必要だし、紅葉さんの研究への協力も欲しい。だけどこれが空手形でない保障なんてどこにもない。だがここでノーと言ってもし本当に伊角さんが顔を切ったら、僕の計画の成功は大きく遠のく。どうすればいいんだ。僕はとてつもなく理不尽な二択を迫られている。
「さあ。葉桐。ボクを信じるかい?それとも信じない?君の器を示してくれよ」
狂気に満ちた甘い声で伊角さんは僕に囁いた。そこに僕はどうしても本気という熱を感じざるを得なかった。
「ぐぅううううぅぅぅ…。くそぉ。…飲む。その条件をだから刀を下ろしてくれ…」
「…あは!あはははは!笑える!王様気取りのくせに女の子がちょっと我儘言った程度で折れるなんて弱っちいいね!」
伊角さんは刀を顔から離してくれた。だけど今の言葉は許しがたい。
「気取ってなんかいない。僕は王だ」
「そうかい?君って本当に王様かな?王様なら自分の思い通りにならないものは、力づくでも従えるべきだと思うよ!あはは!」
そして伊角さんは持っていた刀を床に突き刺す。
「葉桐。君は王様にふさわしくない。ボクのカナタ君こそが本当の王だ」
「僕は目先の挑発に乗ったりはしない。それは王様のすることじゃない」
「そういうと賢しいところが王様じゃないんだよ。君は侮辱されたんだ。王様を侮辱するっていうのは、王様が治める国さえも侮辱するに等しいことなんだよ?君が侮辱されるということは、君に従う者たちが侮辱されるということ。君は自分に従う者たちへの侮辱さえも見逃すような弱い男なんだね?」
「そんなのはただの詭弁だ」
「じゃあ王様に詭弁を弄する生意気な女を今すぐに切り捨てなよ。ほらその剣を抜いて、ボクを切りなよ!」
一瞬手を伸ばしかけてしまった。だけどすぐに冷静になって手を引っ込める。ここで自分の夢を自分で潰すことは絶対にできない。
「そうか。君は剣を抜くことさえできないのか…。ボクが恐れたあの影は幻影だったんだね。はぁ。じゃあ今すぐに条件は果たしてくれよ。たとえ王様でなくっても、男なら約束くらいは守ってくれ」
伊角さんはボクを見下すような眼で見てため息を吐いた。その仕草は今までの人生で味わったことのない程大きな屈辱感を僕に覚えさせた。
***作者のあとがき***
ミランちゃんさんの脅しが怖い。
ヤンデレかな?
つまりラブコメ…!
岩に突き刺さされた剣を抜いてアーサーは王様になりました。そしてアーサーは女神に呪われた。
葉桐は今回の交渉で今後の計画の優位を手に入れました。ですがそれで彼は確かに何かを失ったように作者は感じております。
剣を抜かなくても王を称することはできるのです。ですが女神に手を握られることはない。
女神は待っています。剣を抜く勇気を持つ男を。
身を委ねるにふさわしい花婿を。
際の彼岸にて、王冠を捧げましょう。
次回でエディレウザ戦は完結します。
あと夏のお題はまだまだ募集していますよ!
ではまたね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます