第108話 神ならぬ者が下す罰

 展望台の頂上できらりと光ったのはおそらくスコープか何かだ。だからここでじっとしているとすぐに狙撃されかねない。


「きゃ?!どうしたの常盤くん?!」


 俺は五十嵐のことを抱きかかえて近くの建物の陰に飛び込む。五十嵐の体を壁に押し付けて、覆いかぶさるようにして彼女を守ろうとした。


「…え?あれ?ええ?ちょっと!あれ、これって?え?ぇ?」


 五十嵐は突然のことにひどく驚いているように見える。だけど緊急事態だから許して欲しい。これで頂上からは狙撃はできなくなったはずだ。だけど煩くされても困る。

 

「静かにしろ。口を閉じるんだ。いいね」


「う、うん」


 俺の指示を大人しく聞いてくれたようで、五十嵐は口を閉じてくれた。そしてそのまま目を瞑り、背伸びをして、唇を俺の方に少し突き出してくる。あれ?もしかしてこれってなにか勘違いされてるぅ?は!?これ壁ドンじゃん!?目の前にはキスを待つ五十嵐の美しい顔がある。あらためて顔を見るとドキドキが止まらない。このままキスしてもいいんだろうか?今の俺はスナイパーに狙われている状況のはずなのに、なんでこんな締まらないラブコメしてんだろう?でもちょっとくらいはいいかな?いいよね?だから俺も目を瞑って五十嵐の唇に優しく触れたのだった。



















 澪がスオウに襲撃されたとの緊急連絡を友恵から受けて、僕は女どもをホテルの部屋から追い出して一人でノートPCに向かい合う。モニターにはドローンのカメラの映像が流れており、そこにはエディレウザ・レイチの不敵な笑みが映っている。気絶した澪に銃を向けながら彼女は嗤っている。


「すぐに銃を下ろしてもらいたい。要望があるなら話を聞こう」


『話?くくく。葉桐ィ。いつでも何もかもがオ前の思イ通りになると思ウな。策士、策に溺れるとはこのことだな。ワタシに滝野瀬のことを伝エたのが最大のミスだ』


 電話越しのレイチに声はどこか昂揚しているように感じられた。このまま彼女のペースにのせられるのはまずい。僕はすぐに交渉のカードを切る。


「金が欲しいならくれてやる。いつもの報酬の倍以上を提示する。家族の生活レベルの向上なら永住権の取得させてもいい。保険も年金もつけてあげようじゃないか」


『オ前はミスを認めたくなインだろウ?だからやたらと饒舌に人質解放の条件闘争ヲ持ちかけてる。良くなイ良くなイそれは良くなイ。器の底が知られてしまう。それは底抜けに憐れな仕草だぞ。くくく』


「繰り返すが、条件を早く言ってくれ。穏便にすませよう。澪を解放して欲しい」


『話し合イヲ早く切り上げたインだな?やはりそウだな。葉桐。お前はどうしようもなイ程に器がちッぽけだ。自分の陰謀が潰れたから紳士ぶって取り繕ウのに必死なんだ。アはは!』


 ひどく不愉快なやり取りがさっきから続いている。レイチは家族の安全と借金のことばかり考えているだけの女だったはずなのに。いまやひどく獰猛な性質を見せつけている。どうやら彼女を侮っていたと認めるしかないようだ。


『お前がワタシに滝野瀬がカナタを襲うことを言ったのは、あれだろう?ワタシにカナタの周りをウろつかせる為だ。そう。カナタの傍にワタシを送り込むための布石だった。そしてそれは』


「くだらない憶測はやめてもらいたい。あれは口がすべっただけだよ」


『まだ取り繕エるつもりか?愚かだ。お前はワタシをカナタの傍に置きたかッた。理由はシンプルだ。カナタとリリセの仲が深まらなイよウにするための牽制。ワタシを五十嵐の当て馬にしよウとした』


「何を馬鹿なことを言っているのやら」


 背中に汗が流れるのを感じた。僕は自分にレイチの言うことはただのブラフだと言い聞かせる。


『男女の仲は放ッてオけば、くッつくか離れるかのどちらかでしかなイ。それヲ先送りにしたかッたらグダグダにすればいい。ライバルヒロインを投入してラブコメ・・・・にでもしてしまえばいいんだ。なあそうだろう葉桐ィ?』


「くだらない。そんなつもりはない」


『そうだ。とてもくだらない策謀だ。だがまア五十嵐とカナタのデートにワタシが割り込ンだり、カナタがワタシの問題に気を取られて五十嵐にかまウ時間が減ッたのは事実だ。お前の策は確かに効果がアッたンだよ。くく、アははははは!本当にくだらなイがなァ!ひーひひひ』


 レイチは僕を嘲笑っている。目の前にいれば絞め殺してやりたくなるくらいに、僕は今侮辱されている。深呼吸をして僕は自分を落ち着かせる。ここで怒りを爆発させてもレイチの思うつぼだろう。


『さてそろそろ取引しようじゃないか』


「条件は?」


 やっと交渉がはじまった。条件闘争にさえ持ち込めれば僕は負けない自信がある。


『ワタシの借金の債権をカナタに売却しろ』


「話にならないな」


 もっとも僕が嫌がる条件を投げてきた。最強の暴力装置の一つであるレイチを手放すことは選択肢にはない。最近は祭犠参画への素質さえも示しているレイチは人材としては極めて貴重なのだ。


『そうか、ならこうしようか』


 モニターから乾いた銃声が響いてきた。


『きゃああ!ぐぅうううああああ!』


 気絶していた澪が目を覚ましてうめき声をあげる。彼女の肩をレイチは撃ったのだ。


『急所は外してイるが、このままだと滝野瀬死ぬ』


 容赦も慈悲もない。こんなにイカれた女を見るのは初めてだ。職業としての殺し屋だと思っていたが、根っこの部分さえも人として道を踏み外しかかっているようだ。ならば逆にあの手が効く。


『返答は如何に?』


「ミリシャの姫には命乞いは通じない。ブラジルの裏社会では有名らしいね」


『その通りだ。だからイますぐにワタシの要求ヲ叶エてもらオウか』


「なるほど。君は常盤奏久の傍で罰を待つことしたわけだ」


『アア。イままで借金返済のために多くの人間ヲ手にかけてきた。だから罰からは逃れられなイ。ならせめて罰を受けるまで楽しく生きられる場所で楽に過ごしたい』


 なんとも甘い考えだ。罪には罰が下る。因果応報はこの世界の基本だ。先送りにはできるが罰は必ず下されるのに、この女はその日まで楽に生きられると思っている。なんて愚かなんだろう。だから僕はいまここでエディレウザ・レイチに罰の本当の姿を見せてやろうと思う。


「エディレウザ・ハケウ・フォンセカ・レイチ。僕は君の本当の罰・・・・を知っているぞ」


『なんだ?日本における殺人の証拠か?そンなものは残してイなイ。アッたとしてもお前も共謀で連座だ。意味のなイ脅しだな。それともブラジルでの殺しの話か?それなら腐った軍警のミリシャが全部消したよ。ワタシは証拠を残すようなヘマをしないから意味がない』


「レイチさん。本当の罰は必ずしも本人に下されるわけじゃないんだよ。罰っていうのはね。他人が被ってしまうこともあるんだよ。特にそれが尊い理由で行われた罪であればあるほどに、本人以外の誰かが罰を受けるんだ」


『何ヲ言ッてイる?』


「君はずるい女だね。僕が過去の君のことを知らないと思って高をくくっている。あいにくだけど知っているんだ。僕は知っているよ。君のもっとも尊くてもっとも恐ろしいはじまりの罪の話を。聞いたんだ。ブラジルにいるミリシャの王から直接ね」


「ミリシャの王…?…エ?ウそ?ウそだ。そンなの嘘だ!アの男がワタシの罪のことを知るはずがない!!だってワタシは隠し通したんだ!あの罪を隠し通して!それで借金ヲ負ッて!仕方なく殺し屋に墜ちて!!」


「君の罪を告発する証拠のありどころを僕は彼から聞いているよ。よく考えてほしい。君の罪で罰を受けるのは君じゃない。そうだろう?違うかい?それで罰を受けるのは…」


『やめろ!その先を口にするな!』


 モニターに映るレイチはさっきまでの威勢のよさはなくなって、がくがくと恐ろしそうに震えていた。


「いいんだよ。君の罪の証拠を僕が代わりに消し去っても。罪を消し去って罰から逃れてもね」


『やめろ!!それだけはやめてくれ!!頼む!何でもする!だからやめて!それだけは!それだけは!』


 レイチは僕の脅迫に屈した。だがレイチ相手への最大の切り札を切ってしまったのは結果的には大きな損だ。あの証拠は取り扱いが難しい。一歩間違えればレイチはどこまでも暴走し続けてしまうだろう。ここが損切のタイミングなのかもしれない。祭犠の成功率をあげるためにレイチが欲しかったが、ここで彼女には舞台から退場してもらうのがいいのかもしれない。他の役者を巻き込みながら…。


「なら最後の命令を君に下そう。夏が終わるまでに常盤奏久を殺せ」


 今日一日いろんな手練れの刺客を澪は送り込んだらしいが、いまだに彼はぴんぴんとしている。常盤奏久を殺すには特大の暴力が必要だ。


『エッ…?カナタヲ?そンなことは』


「したくないとは言わせないよ。エディレウザ・レイチ。君は選ばなきゃいけない。君の罰は君に下されることはない。君以外の大切な誰かに必ず下される。罰が自分に下ることを願うなら常盤奏久を殺せ。大切な人に罰が下るのを見たくないならばあいつを殺せ!君に選択肢はもとよりないんだ。いいね?」


 レイチはその場にへたり込んでしまう。そして握っている銃を虚ろな目で見つめている。そして彼女は頷いた。























 俺の唇が五十嵐の唇に触れる。ただただ優しいだけのキス。激しさはない。むしろ激しいキスをする五十嵐の艶やかな顔を他人に見せたくはないからこれくらいでいい。唇が離れて、俺たちは見つめ合う。かすかに浮かべた笑みがとても愛おしく思える。この時間が長く続けばいいそう思った。だけどそれはすぐに終わってしまった。五十嵐のバックからスマホの着信音が鳴り響いた。


「あ…あはは…途切れちゃったね…」


「そ、そうだな。仕方ないよ。電話出たらいいさ」


 俺が促すと五十嵐は電話に出た。最初はヘラヘラした笑みを浮かべていたのに、五十嵐の顔はすぐに曇っていった。


「常盤くん。ど、どうしよう…友恵からの電話なんだけど」


「うん?どうかした?」


「澪がさっき大怪我して入院したんだって!友恵がすごく泣いてるの…どうしよう…可哀そうに…」

 

 その知らせに俺は驚きを隠せなかった。さっきまで滝野瀬の命令で俺はいろんな奴らに襲われていたのに一体何があったというのか?


「ちょっと真柴と話させてくれ」


 俺は五十嵐からスマホを借りた。


「真柴。大丈夫か?」


『ぐす!すん!うえぇえん!澪が…澪が…!ごめんねぇ…ごめんねぇ…澪を止めればよかった。うちはあんたが襲われるのを止められたはずなのに…だからきっとこんなことになっちゃったようぅ…ごめんなさいぃ!うわあああああああん』


 真柴は葉桐閥の有力メンバーだって俺は理解している。だけど真柴に哀れみを覚えてしまった。それは間違ってないと俺は思いたかった。


「落ち着け落ち着け。いまから五十嵐と一緒にお前んところに行くから。どこにいる?」


『うう…ぐっす…本郷キャンパス…うちはうちは…うええええん』


「わかったわかった。このまま電話繋いどけ。五十嵐に代わる」


 五十嵐にスマホを渡して、俺は彼女の手を引っ張る。


「五十嵐、残念だけど」


「うん。仕方ないよ。でもありがとうね。常盤くん。お願い。私を友恵のところまで連れてって」


 俺たちはすぐに走って富士興ウルトラランドから出て、車に乗って東京に向かった。本郷キャンパスについてすぐに工学部の研究室の一つで真柴と合流した。俺たちは何も話すことができなかった。五十嵐は真柴をぎゅっと抱きしめて頭を撫で続けた。俺はそれを横で見ることしかできなかった。そして何時間か過ぎて、真柴の携帯に葉桐からメールで滝野瀬が命を取り留めたことの連絡が入った。


「メールだけかよ…!あいつぅ!くそ!」


 真柴はメールだけでもほっと安心したみたいだったが、こういうとき電話の一つもよこさないことに俺は怒りを隠せなかった。はっきりと葉桐という男の冷酷さを俺は認識した。だから思った。真柴をこのまま葉桐の傍に置いておいてもいいのだろうか?だけど真柴は葉桐を確かに愛しているのだ。このなんとも言い難い不愉快さを俺はいつか壊してやるって決めたんだ。





***作者のひとり言***




シーズン4のボスが確定しましたね。



そろそろシーズン4は佳境を迎えます。


そんでもってシリアスが終わったらコメディ系をやります。


まだまだ夏のイベントのネタは募集してますので、どうぞなんか見たいイベントをコメントに投げてみてください。



よろしくお願いします。



そしてシーズン4.x『Cidade do REY』にご期待ください。


なんというかいわゆる劇場版的なエピソードになるのでお楽しみに。









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