第100話 『際』

 代官山に辿り着いてすぐにミランたちが飲んでいる店に乗り込んだ。ラグジュアリーで広い個室が今回の合コンの舞台だった。実に芸能人らしい。本来ならそんなところに殴り込みに行くなんて陰キャな俺には考えられない。それにミランならそういう場もうまく躱せるはずなのだ。なのに今回は俺に助けを求めてきた。たぶんミランは何か不調なところがあるんだと思う。それが何より心配だった。


「お楽しみのところ申し訳ない皆さん!」


 なんか小細工を弄してやろうとかなって思ってたけど、俺はストレートにミランを連れ去ることにした。部屋にいる美男美女たちが一斉に俺の方に驚きの目を向けた。俺はそれを無視してソファーに座るミランの背後に立ってその肩に手を置く。ミランはいつもと違ってとてもガーリッシュな感じの格好をしていた。長い銀髪もいつもはポニーテールなのに、今日はストレートに下ろしていた。雰囲気がとても大人っぽい。こんなところに置いておくにはもったいないいい女だ。


「ミランは俺がお持ち帰りするよ。異論は認めない」


 女子に対して向かい合うように座っていた男子たちが一斉に文句を言い始める。


「なんだよお前マジで!」「何勝手なこと言ってんだよ!?」「俺たちを誰だと思ってんだよ!とっとと消えろ!」「連れて行くのは許さん!」


 どうやら男子の皆さん、ミラン狙いらしい。女子も知っていてそれで連れてきたわけだな。不意打ち合コンなんてよくある話ではあるけど、俺の身内には認めない。


「うふふ。本当に無茶な人だなぁ。ふふふ」


 ミランは肩に置かれた俺の左手を右手で撫でている。それを見て男子たちがぴくぴくしてる。


「なに彼氏?ありえないでしょ?ミランってまだヴァージンでしょ?合コン抜けのために顔の怖い人に頼んだだけでしょ?違う?きゃはは」


 女子の中からそんな笑い声が聞こえてきた。目を向けるとそこにはいつぞやテレビで見たアイドル(5)さんがいた。


「さっきおトイレ行ってた時に誰かと電話してたっしょ?私聞いてたよ。抜けるためのお芝居でしょ?てかさ冷めるよねぇ。彼氏でも何でもない人が迎えに来るとかさぁ。たしかミランって演技のキスシーンもNGのドル売りでしょ?ねぇねぇここから抜けたいっていうなら二人ともみんなの前でキスしてみてよ!きゃはは!どうせできないんじゃない?だってこれお芝居だもんね!無理っしょ!きゃはははは!」


 アイドル(5)さんの煽り力まじで高いと思う。部屋の中の空気が変わった。男子たちは俺を侮っているような感じだし、女子たちもどこかミランを見下すような感じだ。ミランは顔を赤くして俯いている。これはいくら何でも可哀そうだ。人前でキスはダメでしょ。特にこういう場では。だから代わり俺とミランらしい感じでお茶を濁してやろうと思う。


「キス?じゃあ見てろ。絶対に後悔させてやるからな!」


 俺はミランの顎をくいっと上げさせる。


「カナタ君!?ちょっと!!さすがにこんなところでなんて…っん!?あっ!」


 俺はミランにキスをした。でも唇にじゃない。彼女の首筋にだ。


「カナタ君!だめ!あっ…んっ…くすぐったい…ぁ…ぅっ…あぁ…」

 

 彼女の真っ白い首筋に俺は吸い付いている。時に唇の中で舌を動かしてミランの首を責めてみる。そのたびに彼女の体は震えて、甘い声を漏らす。周りの者たちを俺たちをどこか恥ずかしそうに見ていた。それなりに性体験も積んでいるだろうに、俺のミランヘの愛撫に恥ずかしがってる。そして俺は唇を離す。彼女の首筋に赤いキスマークが残っていた。恍惚とした顔でミランはすこし荒い息を吐いて背もたれにしなだれかかっている。そして俺の手をぎゅっと握っていた。


「お前たちはミランにこういう顔をさせられるか?」


 俺は男子たちにそう言った。彼らはその場で俯いてしまった。それはきっとそんな顔をさせられる自信がないから。


「お前たちは好きな男にこんな顔にさせてもらえたことがあるか?」


 俺は女子たちにそう言った。彼女たちは気まずそうに目を反らした。そんな経験をしたことはきっとないだろうから。


「そんな奴だけが俺たちの邪魔をしろ。では失礼させてもらう」


 俺はミランの手を引いて部屋を後にした。俺たちを止めてくるものは誰もいなかった。そして俺はミランを車に乗せて代官山を後にした。










 車の中でミランはもじもじとしていた。お互いに会話はない。甘い余韻でいっぱいになっている。なにか間違いが起きてもおかしくないそんな空気だ。


「ボク、お持ち帰りされちゃったんだね…」


 ミランは首筋の赤いキスマークを撫でている。その顔は楚々としているのに、不思議と淫靡で甘い笑顔だ。やばい。もし視界にラブホの看板が目にはいたら即ハンドルを切りかねないくらい俺も気持ちが昂ってる。だからそれを鎮めるために一つ提案をした。


「えーっとさ。ちょっとお前に見せたいものがあるんだよ。寄り道するな」


「う、うん。わかったよ」


 車はもう下北についていた。だけど車を停めたのは自宅のマンションではなく、商店街にあるコインパーキング。そしてそこから少し歩いて、工事中のとあるビルの前まで俺たちはやってきた。


「ここに見せたいものがある」


「そう。うん。君が見せてくれるものなら何でもいいよ」


 ミランは俺の左手に絡みついている。どこか上の空といった顔をしている。言葉はもうミランの耳には届かない。だからこれから見せるもので、ミランを目覚めさせてやる。俺は番号を入力してキーを開けて中に入った。そして通路を抜けてドアを開ける。そこにあったのは。


「きゃ?これって…?劇場?」


「これが見せたかったものだよミラン」


 ドアを抜けた先にあったのはホール型の劇場。あまり大きくはないけどちゃんとした舞台と客席とを備えた立派な劇場である。


「いつか約束したよね。お前専用の劇場を創ってやるやるって。その第一号だ」


「うそ?!カナタ君!!うそでしょ!?これをボクのために?!」


 ミランは両手で口を押えてい驚いている。さっきまでの上の空の空気はこれで消し飛んだ。


「あれはボクを励ますための口約束だと思ってた。本当に叶えてくれた!ああ、そんな。こんなことあってもいいの?!ああ!」


 ミランはホールの階段を下りていく。そして舞台の目の前まで歩いていった。そこから振り向いて客席の方に目を向ける。


「すごく綺麗な劇場だね…素敵」


「だろ?内装は俺がデザインしたんだ。かなり凝ったんだぜ。工事は楽しかったよ。ふふふ」


 俺はミランの横に立ち段々になっている客席を一緒に見詰めた。ミランは高揚感に似た笑顔を浮かべている。そして俺の方に向いて両手を伸ばして。


「ボクを劇場の上に立たせてよ」


「ああ。いいよ」


 俺はミランの両脇に手を入れて持ち上げて舞台の上にのせた。ミランは立ち上がって舞台から客席を見詰める。その瞳はキラキラと輝いているように見えた。


「どうだい?そこからの光景は」


「うん。ボクには沢山のお客さんがいる未来が見えるよ。カナタ君。ぜひそこの特等席に座ってほしい。見ててボクを。ボクのすべてを」


 俺は言われたとおりに最前列の特等席に座る。ミランは一礼してから。その場で踊り始める。






それはとても艶やかでありながらどこか神秘的な演舞だった。音もなく台詞も歌もない。なのに俺のにはなにか歌のようなものが聞こえるような気がした。ミランの踊りには人の心を煽る力があることは知っている。だけど今日のそれはいつもとは違う。昂らせるのではなく深く深く見ている俺の心を揺らす。その揺れはとても心地よく俺の体を震わせているように思えた。空間はけて、時間がけるような甘く静かな陶酔感。奥行に果てはなく、物語という縛りもない。すべてが意味を失っていく快感だけだ。よく似た恍惚を絵やデザインをしているときに覚えるときがある。その不思議な心地よさの中で俺は自然と立ち上がって舞台に近づいた。舞台の上に立つミランも客席の方に近づいてくる。舞台の真ん前で客席側から背伸びをする。そしてミランは膝をついて俺の方に両手を伸ばして俺の頬を撫でる。そして気がついて時には俺たちの唇は重なっていた。そこは「際」だった。舞台と客席を隔てる透明な壁ごしに俺たちはキスをする。俺たちは違う世界を生きている。だけど「際」において互いに触れ合うことはいくらでもできる。そのことに幸福感を覚えた。ミランと俺は言葉も交わさずにただただ唇を重ね続けた。










 演舞が終わった後、ミランはひどくぐったりしていた。だから俺は彼女を背負って自宅のマンションまで運んだ。部屋に入ってすぐにミランは服を脱いでシャワーを浴びた。出てきた彼女に伝統(笑)のジャージを渡して、俺も風呂に入る。シャワーを浴び終えて部屋に出るとミランがベットで寝息を立てていた。俺は彼女の横に寝っ転がってミランをぎゅっと抱きしめ、そのまま深い眠りに落ちていった。



 朝起きて二人で朝食を食べていた時。


「変だよね。念願の朝チュンコーヒーのはずなのに。なんか爽やかすぎじゃないかな?ふふふ」


「そうだな。まあドロドロした朝チュンコーヒーは今度の楽しみにとっておけばいいよ」


「そうだね。ボクはしばらくは童貞でもいいや。あはは!」


 二人で飲むコーヒーはとても美味しいものだったんだ。







作者のひとり言。



前回の葉桐の取引に対する。メタ的なアンサーが今日の回ですね。

あと『際』って言葉がキーだと思ってます。

実は最初は舞台の上でキスをする予定だったのですが、いわゆる舞台と客席を隔てる透明な壁の上でキスをする形に落ち着きました。これはこれでなにか筆者的にはロマンティックでいいような気がします。


なので全体的に見ても第100回に相応しい回になったような気がします。

あと200万PV突破です。やったぜ。


これからもよろしくお願いします。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る