第74話 ならなきゃいけない

 学食に行った後は、空き教室で二人でおしゃべりしてた。楽しい二人きりの時間。だけどある時ふっと気が付いた。


「なあ、俺たち、敵情視察に来たんだよな」


「あ!そういえばそうだったね!」


 まったりと過ごして本題を忘れてるあたり俺も五十嵐も阿呆の類なのは間違いがない。とりあえず早足でグラウンドに向かうことにした。





 野球場には掛け声とバットの音とが響き渡る熱狂に包まれていた。言ってはいけないけど皇都大学の野球部とは気合の入り方が違う。速応大学にはスポーツ推薦があるので、選手の質からして違うのだろう。俺はフェンス越しに三脚でカメラを立てて、選手たちの撮影を行う。この動画のデータを使って楪は各選手の行動予測の関数を作り上げるそうだ。ふっと思ったけど、やっぱりこの動画による人間行動分析って前の世界で死ぬ前くらいにどっかで見たことがあるような気がするんだよな。


「本格的にスパイだね!ターゲットの情報を集めて、ばきゅーん!みたいな!」


 五十嵐がカメラ越しに選手たちを覗き込んで、ライフルを構えているような仕草をしていた。


「ばきゅーんはしないけど、試合の時はこのデータが役に立つ予定なんだよ」


 楪の野球行動分析の精度はかなり高い。ピッチャーの配球の予測なんかもかなりの高確率で当ててしまうのだ。本人的にはまだまだ解析の改良の余地があるそうなので、今後の研究に期待したいところではある。


「ふーん。あの算数の子が計算するんだよね。すごいなー。そう言えば宙翔が算数ちゃんに計算してほしいことがあるって、ぼやいてたよ」


 普段なら葉桐の名前が出てくればイラっとするけど、今の話は聞き逃せない。


「何を計算してほしいって言ってた?」


「ん?うーんとね。なんだっけ。えーっと。そう!舞台!って言ってたよ!」


「はぁ?舞台?」


「うん。演技を科学的にどうこうとか、人間心理にジェスチャーがどうこうとか!アーキなんちゃらとか!何言ってんのかよくわかんないよね!それとあとね…」


「あと?」


「あと、遺跡の…。うんん。ごめん今のはなし!忘れて!」


 五十嵐は目を細めて、嫌そうな顔をしている。


「いま遺跡って言ったよね?」


「……」


 五十嵐は能面のように静かな顔で俺をじっと見ている。なにか逆鱗に触れている感じがある。だけどこれはきっと重要なことだ。


「遺跡がなんだって?」


「言わせないで。遺跡のお話は…うん。ああいうのは楽しいお話じゃなきゃダメなの。だから言いたくない」


 これ以上はもう語る気はないようだ。葉桐は考古学でもやっているのか?あいつがやりたいことがさらにわからなくなった。だけど言えることが一つある。葉桐が遺跡について解析したい何かは五十嵐にとってはすごく不愉快なことらしい。どうして不愉快なのかはよくわからない。この間、布団の中で遺跡の話をしたときは楽しそうに聞いてくれた。だから何が五十嵐の癇に障ったのかよくわからない。目の前の五十嵐はまだ能面のような顔をしている。その顔を見るのは嫌だった。そんな時だ。


「あ?!なんで常盤がここにいるんだよ!!」


 フェンスの向こうから俺のほうにユニフォームを着た今給黎が近づいてきた。今給黎の顔はどことなく不機嫌に見えた。だが俺のそばにいる五十嵐を見て、今給黎の顔は一瞬にしてにやけたものになった。


「おいおいおい!なんでここに五十嵐さんがいるんだよ!?五十嵐さん!お久しぶりだね!!」

 

「なに?五十嵐。お前、今給黎と知り合いなの?」


 今給黎が突然現れたからだろう。五十嵐は能面のような顔からいつもの能天気な感じに戻っていた。そしてボケっとした顔で、首を傾げている。そして。ポンと手を叩く。


「速応大学付属高校と私の高校が毎年やってる伝統のスポーツ交流戦ですよね?」


「そうそう!それ!最初にあったのは俺が大学一年の時!君がまだ高校一年の時だったよね!それから毎年会ってはいたけど、いやぁほんとうに綺麗になったねぇ!あの時も可愛かったけど、今はぐっと大人っぽくてすごく美人だね!」


「ありがとうございます」


 どうやらお二人さん知り合いらしい。つーてもいつものパターンで、五十嵐は相手のことにまったく興味がなさそうだ。むしろ覚えられているだけましなレベル。


「五十嵐さん、うちの大学にはこなかったけど、そいつといるってことは、もしかして皇都大学に行ったの?」


「ええ、まあ」


「まじかよ!ああ!皇都大学にもスポーツ推薦あれば、俺だってそっちに行けたのに!」


 冗談じゃないよ。スポ薦で皇都大学に入るとか勘弁してほしい。


「てかもしかして五十嵐さん…プロ入り決まった俺に会いに来たとか?ほら!約束したじゃん!プロ入ったら結婚してもいいって!」


 あらあらこれはこれは。俺は五十嵐に目を向ける。五十嵐はブンブンと首を振っていた。


「常盤くん!違うの!」


「違うことはわかってるから、こいつに向かって何言ったか正直に言ってよ」


「将来は女子アナ目指してるんでプロスポーツ選手と結婚できたらいいなぁってことをみんなで話しているときに言いました。それくらいしか言ってないよ!約束なんかしてないからね!」


 すごく必死な様子が見て取れる。嘘はついてないってことがよくわかる。


「うわぁ。ただのよくある感想ですね。ありがとうございました」


 今給黎はどうやらここに五十嵐が来たことで、その冗談を真に受けたようだ。そしてそれがとうとう将来を約束したレベルに思い込みが進化してしまった。フェンス越しにキラキラと目を輝かせながら、五十嵐を見詰める今給黎と、気まずげに目をそらす五十嵐。控えめに言っても、やるせない気持ちになってくる。


「というか!そうだよ!常盤君も今給黎さんと知り合いなの?!今給黎さんも北海道出身だし、地元の先輩とか?」


「…チガウヨー。センパイジャナイヨー」


 俺はその問いかけに目をそらす。だって恥ずかしいもん。今や大学四年生の今給黎と、一年生の俺が同期だって知られたら、まるで俺が多浪してるみたいじゃん。俺は周りよりも年齢が高いことをそこそこ気にしているのだ。


「なに隠してるの?」


 五十嵐が俺の顔を覗き込んでくる。ジーっとジト目で見つめてくる。可愛いけど、それ以上に恥ずかしさが勝る。


「あれ?もしかして五十嵐さん知らないの?そいつ俺と小中高ずっと同級生だったんだよ!くはは!ウケるわー!常盤お前もしかしてとしを鯖読んでんのか?がはははは!」


 それを聞いて五十嵐が目をぱちくりさせる。そしてどこか優し気目で俺を見詰めながら、優しく肩を叩く。


「勉強何年も頑張ったんだね!すごくえらいよ!」


「いや、一応断っておくけど、受験を決めて勉強を始めたのは去年だからね。実質的には一浪だから。しかもちゃんと社会人で仕事しながら勉強してたんだから、実質的にはお前らと勉強時間変わらない、どころか少ないくらいだしね。つまり俺はそこら辺の不器用な多浪とは違うんだ。むしろ勉強できる方だからね」


 フルタイムの建築作業員しながら予備校に通って、皇都大学に受かった俺って普通にすげーと思うの。だから俺、現役のころから本気で勉強だけしてたら、きっと医学部にだって入れるくらいには頭がいいのだ。多分。だから実質一浪です!


「常盤くん。べつにいいんだよ。私は常盤くんがすごい人だって知ってるから」


「だから慈愛に満ちた目で見るのはやめろ!実質的には一浪だから!普通なんだよ!俺は普通の元浪人だ!!」


 今給黎は俺の弱みを暴露して悦に入っているようだ。だからジモティーは嫌いだ。恥をかかせやがって。


「五十嵐さん!そんな恥ずかしい鯖読みやろうなんて放っておいて、グラウンド入らない?女子アナ志望でしょ!ほら!インタビューの予行演習みたいな感じでさ!」


「あーなるほどなー確かに練習にはなるのかな?どう思う常盤くん?」


 そもそも前の世界でちっとも熱心に女子アナの仕事をしていなかった五十嵐を見ている身だ。最近はそもそも女子アナを目指させる意味があるのかとさえ思っているし、もしかしたら女子アナという仕事は葉桐に吹き込まれている可能性だってある。


「やめとけ」


「うーん。やめとこっか。やらなきゃいけないこともあるしね」


 俺に判断を仰ぐことに若干の不安を感じないでもない。前の世界の流されビッチ時代の五十嵐を思い出してしまうから。そういえば前の世界で五十嵐が強く頑固に自己主張したのは、浮気バレした後だけだったのかもしれない。それはなにか悲しい気がする。


「おい!てめーざけんなよ常盤!」


 今給黎はフェンスを掴んで、俺を睨む。


「だいたいてめーは、この間、女と遊んでただろうが!そのくせ五十嵐さんのやることに口挟むのかよ!」


 キリンさんと飲んでた時の話か。


「ときわくーん」


 どことなくおどろおどろしい感じの声がした。にっこりとした笑顔を五十嵐は浮かべている。だけどなんか怖い。


「…なにかな?」


「そのひとって誰?金髪?」


 金髪ってピンポイントでXさんのことを挙げるのはやめてほしい。


「え、えーっと金髪ではないかなー。てか飲んでただけですよ。飲んでただけ」


「は?てめーほっぺたにキスされたじゃねーか。どうせあのあとホテルにでも行ったんじゃないのかよ!」


 それを聞いた五十嵐はさらに笑みを深くする。だけどどうじに影もまた深くなったような感じだ。


「今給黎くーん。今給黎くーん。勝手な妄想をくっちゃべるのはやめてくれません?五十嵐さんが勘違いしちゃうでしょ」


「へー。それで常盤君はホテルで何をしたの?」


「行ってねーよ!マジで行ってないからね!終電前に解散してるからね!相手の人に確認取ってもらってもいいから!」


 なんでこんなみじめに言い訳してるんだろう。何もしてないのに!だからジモティーは嫌いだ!


「え?ほっぺにチューされたのにお持ち帰りしてないんだ。常盤くんってヘタレだね」


「ぬぐぐぐ」


 五十嵐が俺のことを鼻で笑っていた。そして手をポンと叩いて、ドヤ顔し始める。絶対にろくでもないことを思いついた顔だ。


「今給黎さーん!インタビューしたいので、グラウンドに入れてくれませんか!」


「お!いいよ!どうぞどうぞ!」


 今給黎は近くにあった、フェンスの入り口を開けて、五十嵐を呼び寄せた。


「常盤くーん」


「なにさ?」


「カメラマン役よろしくね!」


 そして五十嵐は顔を近づけてきて、耳元でささやく。


「これで選手たちの詳細なデータが取れるよね。私お手柄じゃない?私スパイ向いてるかも!」


「ソウダネーイガラシハスパイノテンサイダネー」


 今給黎の提案に乗ったのって、絶対に俺への当てつけでしょ?五十嵐がドヤ顔の今給黎にインタビューするのを、見るのって想像するだけで腹立つよね。だけどポジティブに考えれば、より精度の高いデータを収集できるチャンスでもある。ここはおとなしく乗っておこうと思う。俺はカメラを構えて、五十嵐のことを撮影しながら、グラウンドに入った。





 

ドヤ顔で野球部を紹介する今給黎とインタビューする五十嵐を撮りながら、ついでにあちらこちらの選手たちのことも撮影していく。みんな今給黎が連れている俺たちのことに疑いの目を持っていない。あるいはマジで女子アナとそのカメラマンだと思っているのか、何人かは五十嵐にサインを求めてきた。そしてあらかたのデータを収集し終えて、俺たちはグラウンドから出て、キャンパス内のベンチに座って撮った動画を確認していた。


「どうかな?常盤くん。私女子アナっぽく見える?」


「そうだね。そう見えるよ」


「うふふ。ならよかった」


 コンサバ系のファッションな五十嵐がグラウンドを歩き回るだけで、マジで女子アナにしか見えない。綺麗だしよく目立つ。彼女が上機嫌で歩く姿をカメラに収める。その映像を確認すると、それだけで一つの芸術品にすら見える。本当に美しい女だと思う。


「そういえばこうやって誰かに本格的に動画を撮ってもらうの初めて」


「そう。俺もこんなのとるのは初めてだよ」


 撮った動画を覗き込みながら、五十嵐はそう言った。


「そっか。また私たちに初めてが積みあがったんだね」


 そう言ってはにかむ五十嵐の横顔はかわいらしかった。俺はそれを見て、不覚にもドキドキしてしまったわけで、だから少しきょどって変な質問をしてしまった。


「そ、そう言えばどうして女子アナ目指してるの?なにかきっかけとかあったの?」


 五十嵐はそれを聞いてきょとんとしていた。


「別に。ただならなきゃいけないって思ってるだけだよ」


「え?ちょっと待って。ならなきゃいけない?」


「なんで常盤くん驚いてるの?」


「いや。だって…え?いやいや。ならなきゃいけないって…なに?」


「ならなきゃいけないはならなきゃいけないでしょ。常盤くんだって建築士にならなきゃいけないんじゃないの?」


「いや俺は建築士になりたいんであって、あれ?」


 話が嚙み合わない。なんだこの違和感。五十嵐はかわいらしく首を傾げている。だからこそまるで宇宙人のように理解できない。


「なんで五十嵐は女子アナにならなきゃいけないの?」


「………だって、私が女子アナになることを望んでいる人がいるからね。だからならなきゃいけないんだよ」


 誰のことだそれは。いいや。口にしなくてもわかる。この子に女子アナになってほしい奴なんてあいつくらいしかいない。この子はどこまでいっても葉桐に縛られている。だから俺はきっと向かい合わなきゃいけない。この子を縛る鎖を解き放たなければいけない。そんなことを思ってしまったんだ。















それこそが彼女にかけられた呪いであることも知らずに…。










作者のあとがき



早く野球の熱い青春を描きたい。

シーズン3はそこまで長くならないです。多分。





あとシーズン4を早くやりたい。


シーズン4は綾城さんがヒロインです。

ラブコメ作品のテンプレイベントにカナタ君がかかわるとどうなるのか期待していただきたいなって思います。


そしてそろそろナイトプールとオタサー系イベントを番外編でやりたい。


それと海とか川とかね。


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