第70話 地元友達とかいう黒歴史

 夢に殉ずると決めた日から、僕にとって日曜日とは休むための日ではなく、他の人間が休んでいるうちに力を貯めるための時間になった。


「友恵、解析は順調?」


 何十台ものスパコンの筐体がまるで柩のように並ぶ部屋。その中心にある制御サーバーのコンソールを友恵が操作している。


「順調だけど…。ねぇ、ひろ。ここまで急ぐ必要あるの?別に実験データは逃げたりしないんだよ?わざわざお金をばら撒いてまで、ここのスパコンの使用順に割り込みをかけなくても…申請すればいずれは利用許可あ通るんだし、こんな作業は技官に投げちゃえばいいのに…わざわざ自分の目でみたいだなんて…」


 友恵は白い息を吐きながら、不満げにそう言った。この部屋は放熱するスパコンを冷やすために空調をフル稼働させている。だからまるで冬のように寒い。そのせいもあって、この子が今日の呼び出しに不満を持っているのは、よく理解している。わざわざ千葉にある皇都大学柏キャンパスの物理科学研究所の電算センターまで、実験データの解析のためにやってきたことも、友恵からしてみれば…。


「バカみたい?わかってるさ。だけどこの実験解析だけは、自分の目で見たい。早く見たい。見たいんだよ。僕の夢の成れの果てを…」


 ここのスパコンルームを独占使用するために、そこそこの金をばら撒いた。確かに正規の手順で申請してもここのスパコンを実験データの解析に使えるが、それでは時間がかかってしまう。そんなのはごめんだ。早く結果を得たいのだ。


「成れの果てって…。ん?!出た!結果でたよ!!」


 画面に実験データの解析結果が表示される。


「ターゲット蛋白質の構造特定に成功…!やった!ずっとわかっていなかったモデルの特定にやっと成功した!!やったよひろ!!大発見だよ!!これで!」


「仮説の検証の第一段階は成功か…はは…やった…やったんだ…アハハ…やっとレックス・サクロルムに迫れたんだ…あはは…!」


 実験結果の成功をこの目にできて、僕の体から力が抜けた。思わずその場に座り込んでしまった。


「ひろぉ!やったねぇ!これで全部うまくいくよぅ!きっとひろの願いもやっと叶うんだね!」


 友恵が僕の背中に抱きついてきた。寒いこの部屋だと丁度いい防寒にはなった。友恵はこの結果で安心しきっている。だけどまだだ。まだ第一段階をクリアしたに過ぎない。僕は立ち上がり、電話をかける。


「はい。ご無沙汰しております。葉桐です。ええ、仮説の検証には成功しました。すぐに科研費を通してください。それと技官と研究者の手配もお願いします。皇都大学内に研究センターの立ち上げます。ええ、お任せください。では失礼します」


 電話をかけ終わると、友恵がどこか寂し気に僕を見詰めていた。


「ひろ…そんなに急がなくてもいいんじゃない?最近おかしいよ。なにに焦ってるの?」


「わかってるでしょ?常盤奏久。彼がそろそろ僕に追いついて来かねないんだ」


「そんなことないよ!常盤は…まあ…りりを守ってくれたし、有能と言えば有能だけど…」


「有能?冗談じゃないよ。彼はそういうレベルじゃない。彼自身が有能かどうかじゃないんだ。自分よりも有能な人間を飼いならしていることが問題なんだよ」


 彼の名前を聞くだけで、イライラしてならない。GWにはとうとう目をつけていた美甘司さえも彼の陣営に入ってしまった。さらに言えばあの数学科の参天楼たちも事実上、彼の影響下に入ったことを確認している。そして紅葉楪と伊角美魁も実によく彼に懐いている。幸い『祭犠』の計策ブレーンの中心である天決先生はまだ僕の影響下からは脱していない。とはいえ、僕の謀のすべてを天決先生がすべて知ってしまえば、彼は間違いなくなりふり構わず、常盤奏久の下へ逃げてしまうだろう。


「彼のせいによる数学系の人材不足で数理科学分野からのアプローチは事実上凍結状態。伊角美魁が欠けたままだと、将来的な理織世への負担が大きくなってしまう。足りないものばかりなんだよ、彼のせいでね。彼がいるだけで、僕たちのリソースはギリギリに追い込みをかけられているんだ」


 金はいくらでもあるし、コネクションもある。なのに、それだけでは常盤奏久を潰せない。異常者である彼からすれば、自分自身の大切な物へ危害が及ぶならば、他者の命なんてなんともないのだ。今僕が生きていられるのも、おそらくは僕がいなくなることで発生する理織世への悪影響を察しての判断だろう。幼馴染という呪いの楔が運よく僕の命を長らえさせている。


「とにかく仕事は早くこなさなければいけない。僕の夢を潰えさせるわけにはいかない。本郷キャンパスに君の研究室を用意しておく。研究を加速させておいてくれ」


「…うん、わかった…でも、あのね…」


「なに?」


「うちはね。ひろの味方だから…その…」


「じゃあ常盤奏久をいますぐに何とか出来る?」


「え…それは…」


「…励ましとか、希望的観測とか、慰めとか、そんなのいらないよ。そんなもので、僕の夢は叶いっこないんだからね…」


 僕は追い込まれている。研究、事業の運営、インフルエンサーとしての地位の確立、そして夢の実現。それらはすべて等しく重い。だけど必ず叶えてみせる。













 カフェで散々馬鹿話をして、お腹が減った俺とキリンさんは、ラーメンを食べることにした。個人的観測だが、ラーメンを食べたがる女性は結構多い。だけど女性一人とか、女性だけで行くのは恥ずかしいからか、やっぱり男性のエスコートを求める。前の世界で俺はそれを五十嵐から学んだ。故に女性が生きたがるラーメン屋の最低条件を俺は特定することに至ったのである。それは…。


「で、どんなラーメン屋さんに連れて行ってくれるの?」


「そりゃ女性ウケのいいところですよ」


「えー。私、野菜がいっぱいヘルシーみたいなラーメンなら嫌だよ」


「大丈夫大丈夫。俺に任せてくださいな」

 

 そしてやってきたのは、とある一軒のラーメン屋。まず一つ。


「へぇ。カウンター席?逆に在りだね。でもちゃんと綺麗なのはいいよね」


 席はテーブルじゃなくてもいい。だけどまずお店自体が綺麗であること。


「それになんか脂っぽくない臭いだね?いい匂い」


 匂い。臭い。そう、女性が気にするのは、お店が綺麗であること。そして…『店の臭い』である!!これは前の世界での話だ。とても美味いラーメン屋に五十嵐を連れて行った。五十嵐は味には納得していた。だけど。『臭いが服に移った。ラーメン臭い…私はチャーシューじゃないのに…』と文句をブー垂れた。服に匂いが移らないお店!それが女性を連れていくべきラーメン屋さんである!!


「わー。スープがきれい!金色だぁ!」


 キリンさんはラーメンを気に入ったのか、スマホでめっちゃパシャってる。


「こってり系塩ラーメンです。スープの色は出しの色ですよ」


「出し?ラーメンって出しをつかってるの?」


「…どんなラーメンも出しをつかってますよ」


「へぇそうなんだぁ。じゃあ」


「「いただきます!!」」


 歯ごたえがありながら、小麦の香りが心地の良い麺。こってりしてるのに舌触りの滑らかな油。スープの香りと塩の旨味!


「「おいしぃ!!」」


 俺たちは至福の時を過ごしたのである。




***デートで行くなら臭いのきつくないラーメン屋さんを選ぼう!!***



 そしてお腹いっぱいになった俺たちは表参道をぶらぶらと歩いていた。


「お腹いっぱいになったし…行っちゃう?」


「だめーです。行きませーん」


「ええー。ハリウッドくんのいじわるー。私、あの日以来セックスレスなんですけどー!」


「いやーぶっちゃけ。今は誰ともそういうことしたくないっす」


「ええ?なんで?」


「いや。俺心せまいことに気がついちゃって…たぶん。いいえ、一度でも抱いた女は絶対に逃がさない」


「逃がさない…?それってずっと一緒ってこと?」


「そうそう。絶対に逃がさない放さない離れない」


「うわぁ…めちゃくちゃ重いね!草!」


「そういうことなんで。草ぼーぼー」


「そっかー。うーん。じゃあとりあえず飲みには行こうよ。例によってただ酒とただおつまみにありつけるパーティーに乗り込もう!」


「いいですねー。いこういこう!」


 俺たちはただ酒飲みに表参道でやってるおシャンティなパリピたちのパーリィーに乗り込むことにしたのだ。





 パーティー会場はビルの屋上に設けられていた。中心に酒やおつまみのカウンターがあって、欄干沿いに夜景が望めるソファー席が設けられている。


「いやぁ。夜景綺麗ですねー。ビールがうまい」


 俺たちは欄干沿いのソファー席をゲットして、並んで座った。


「だよねー。キラキラした夜景を見るとムラムラしてくるよねー」


「はは!草!」


 綾城の下ネタと違ってこっちは身の危険を感じる。ある意味キリンさんって男の想像する『理想の女』なんだよね。ノリが良くって、優しくって、綺麗で、エロい。男性遍歴が派手だけど、この人にドはまりする男はきっと沢山いると思う。そういう人と飲めるのはやっぱり楽しいなって思う。


「ねぇ。なんかロマンチックな話してよ」


「男にそんなの期待しちゃいます?そんなの蘊蓄しかでてこないですよ?でもロマン在るお話を聞きたがるなんて、けっこうキリンさんも乙女チックですよね」


「そうだねー。女の子ってヴァージン捨てても、まだ王子様が来るってフワフワと信じてるんだよね。ならなんで王子様以外の男と寝てるんだろうね?ふしぎー。ふふふ」


 夜景を見るキリンさんの瞳にどこか自虐的な影を感じた。それがどこか悲し気に見えるのだ。


「俺は建築が好きです。だから自然と遺跡なんかにも興味が湧いたんですよね」


「遺跡?縄文時代?ピラミッド?」


「まあそんな感じですね。でね、人類の最初の住居っておそらくは洞穴なんですよ。で、そこに彼は壁画を残してるんです」


「原始人の絵?」


「そうです。絵です。でもそれが面白いんです。今の時代。絵って言えば、多分漫画とかだと思うんですよ。漫画ってストーリーあるじゃないですか?」


「うん。そうだね。恋愛とかバトルとかいろいろあるよね」


「原始時代の壁画も、よく見るとストーリーがあるそうなんですよ。ある遺跡のね、ある壁画には、幾通りもの解釈が可能な絵があるんです。その解釈の一つに、天に昇る動物を見上げる人の姿が書かれているとかなんとかってのがあるんですよ…。その動物は天に昇って星座になるって原始人は信じていた。ってお話。今の俺たちが夜景を見るように、昔の人も空を見ていた…」


 キリンさんは俺の話に静かに耳を傾けていた。どことなく真剣味も感じるような、ぼけっとしているようにも見える不思議な顔をしている。


「へぇ…なんか不思議なお話だね。…こんな私でも天に昇ったら星座になれるのかな?ねぇ?その時は君が私を見ていてくれる?」


「あなたが星座になるのを見るより、一緒に星座を見る方がいいですね。その方がきっとずっと楽しいですよ」


 俺は笑みを浮かべて夜景に目を向ける。キリンさんも微笑みながら夜景に瞳を向けた。


「…そうだね…うん…何でだろう…今日は夜景がすごく綺麗に見えるよ…」


「そうですか。なら良かった」


 キリンさんと俺は並んで夜景を見る。気がついたらキリンさんが俺の肩に頭を乗せていた。心地の良い重みとムスクの香水の挑発的な甘い香り。刺激的な感触が心を満たしていく。


「ん?あれ?お前、常盤か?!」


 誰かが後ろの方から俺に呼び掛ける。俺とキリンさんは振り向いた。そこには背の高くてがっしりした体つきの男がいた。俺はそいつを知っている。


「わぁお!とんでもねぇ美人と一緒じゃん?!紹介しろよ!」


 男はずかずかと俺たちの方に近づいてきた。まさかこんなところで出会うなんて。


「久しぶりだな、今給黎」


 今給黎いまぎれ律希りつき。俺の地元の知り合い。小中高といっしょだった。


「ああそうだな!てか何?お前大学受験失敗して、札幌で就職したんじゃねぇの?なんで東京にいんの?」


「…こっちの大学に入ったから、上京した」


「くはは!まじでぇ!?お前何浪だよ!!ウケるんだけど!人生無駄にし過ぎじゃね?てかどうでもいいかそんなの!そっちの美人さんは誰?お前に彼女なんてできるわけないしぃ?どんな知り合い?」


 今給黎はキリンさんに不躾な目を向けている。キリンさんは首を傾げている。


「ハリウッドくんのお友達?」


「まあそうっすね!同級生だからともだちともだち!小中高ずっと一緒だったよなぁ?てかなに?ハリウッド?くはは!笑えるわー!まあ顔はそこそこよかったけど、つーかそれくらいしか取りえないネグラ君だったけど!ねぇねぇお姉さん、常盤なんて放っておいて、俺と飲まない?そいつ暗いっしょ!一緒にいておもんなくない?」


「べつにそんなことないけど…あれ?ハリウッドくん?どうかした?」


 俺は間違いなくおっかない顔してたと思う。なにせこの男、今給黎は地元で散々俺に突っかかってきてマウント取ってくるくそ野郎だったし、そして何よりも、前の世界では五十嵐の元カレの一人だったやつなのだ。


「え?なに?なに?ほんとのこと言われて傷ついちゃった?あはは!まあほら!暗い性格は治んねーから仕方ないって!ドンマイ!」


 この男の稚拙なマウント取りには昔からイライラさせられた。地元にいた頃の俺は、そういうのに言い返さなかったから、増長させてしまったところもあるのだが。せっかく楽しく過ごしていたのに、台無しだ。


「お姉さん、俺けっこうすごいよ!速応大学四年で野球部で四番でピッチャーやってんだぜ!プロからも声かかってるし!」


 こいつは前の世界ではスポーツ推薦で入った速応大学を卒業した後、プロ野球選手になってスターになった。億の年棒を稼いで、女子アナだった五十嵐と付き合った。まあ別れちゃったけど。そして俺と五十嵐が付き合ってるときに、しつこく付き纏ってきて復縁を五十嵐に求めてきた。説得が通じなくて対処するのがとてもめんどくさかったのを覚えている。だから最後はなぜか・・・野球賭博に本人の意志とは関係なく関わってしまうはめになり、なぜか《・・・》アスファルトにまぜこぜされて道路のシミ・・になってしまったのでとても可哀そうだと思います(棒)。


「へぇ。そうなんだー。でもプロ野球選手はもう経験してるから、君のバットはいいかなぁ」


 キリンちゃんさん断り方がすごく雑。


「へ、へぇ。でもそんな何浪もしてるやつよりも、俺現役で速応大学入ってるから!」


「でもハリウッドくん皇都大学だよ?」


「はっ?!常盤が皇都大学?!うそだ!お姉さん騙されてるよ!こいつテストいつも成績悪かったんだよ!」


「でもほんとだよ。ねぇ?」


 キリンさんに促された俺は、渋々財布から皇都大学の学生証を出して、今給黎に見せた。目を丸くして驚いていた。


「嘘だろ…?!コーダイセイ?!ありえねぇ…」


 コーダイブランドの凄さは半端ないと思う。髭面で歩ていて、警官に職質くらってもうちの学生証を見せれば割とすぐに開放してくれるしね。ブランド様様である。


「ていうかね。私、今ハリウッドくん相手にムラムラ…じゃないね…キュンとしてるの」


 そう言ってキリンさんは俺のほっぺたに強くキスをした。唇が離れても何かを感じる。きっと口紅のキスマークが残ってる。


「私、この人の昔なんかどうでもいいの。それだけじゃなくて、あなたのこともどうでもいいの。私たちの邪魔しないで!」


 キリンさんは俺の首にぎゅっと抱きつき、今給黎のことをウザったそうに睨む。


「あ…う…くそ!」


 今給黎は居た堪れなくなったのだろう、背中を向けて俺たちから離れていった。


「わぁすごいキスマーク!うふふ、撮っちゃおうっと!」


 スマホで俺のことを撮るキリンさんはとても楽しそうに見えた。


「今日はそのマーク取っちゃだめだよ!この間は私も恥ずかしい思いさせられたんだし、ハリウッドくんだけ恥ずかしがってね!」


「ククク…いやぁ大人の女には敵わないなぁ。あはは!」


 そして俺とキリンさんは終電まで飲んで楽しんだ。そして言われた通り、家に帰って朝になるまで、そのキスマークを残したままにしておいたのだった。



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