第8話 金髪ドイツ人アレクシアとの闘い

翌日。北辰一刀流の本部道場に行ってきたというアレクシアさんの様子が少し変だった。

 昨日までの満ち満ちた快活さに陰が見えたという感じで、笑顔で振るまっているけれどなんだか元気がない。

 昨日話していた女子や彼女の容姿狙いっぽい男子が心配していたけれど。

「大丈夫でス、仕事疲れですかラ。シーメンス社の業務もありますのデ」

 そう言いながら首を横に振るだけだった。

 そのうちにチャイムが鳴り、次の授業のためにみんな教室を出ていく。

 けれど中島さんとアレクシアさんは最後まで残っていた。

「アレクシアさん、大丈夫?」

「エエ。病気ではありませんシ、体を動かしてすっきりしたほうがいいかト……」

 アレクシアさんはサムライの文化の一端に触れられたというのに重い足取りで、席を立つ。

 剣道の授業でも、相変わらずアレクシアさんはやる気がなかった。昨日まではあんなに元気はつらつとしていたのに、今では心ここにあらず、と言った感じで構えもふらついているし、竹刀を握る手の内もおぼつかない。

 剣道をやるのは初めてなのか、そう思ったけれど基本的な足さばきや振り方を見ればかなりの経験者であることは一目瞭然だ。

 ホームステイ先だという、中島さんなら何か知っているかもしれない。だけど彼女とクラスメイトの会話を横耳に聞いてもわからない、の一点張りで彼女も困惑している様子だった。

 ダンスにキレがないけど、それは昨日までと変わらない。

「どうしたんだ、アレクシア」

 試合形式の練習である地稽古に入ると、武道の先生も心配して声をかける。ぼ~っとしているかと思うと、時々乱暴なほどの打ち込みでクラスメイトを追い込むのだ。

 女子剣道部員はおろか、男子とも互角以上に戦う彼女にクラスメイトは目を丸くしていたが、ダンスをしている中島さんや大人しそうな女子は少し怖そうに彼女を見ていた。

「大丈夫でス、ちょっと社のことで色々ト」

 一瞬だけ迷惑そうな表情をしていたが、隈のできた目元を細めて笑顔を作った。

「ではお願いしまス、ヘル・ヤギュウ」

 やがて僕とアレクシアが地稽古をする番が回ってくる。

 ヘル? 確かドイツ語でミスターとかそういう意味だっけ。

 せっかくドイツから来てくれたのだし、柳生流の技を少しだけ見せよう。

 始めの合図とともに、僕は剣道の構えでなく、柳生流の構えを取る。

 青眼という、切っ先を相手の喉に向けながらも体を斜め四十五度に開き、後ろ足を外側に開く構え。

 撞木足という、剣道では否定される足になる。

「おい、」

 周囲から非難の視線を感じる。それは仕方がない。剣道の時間に古流をやっているのだから。

 でもアレクシアさんは忙しそうで時間もないだろうし、僕の家の道場に来ることはまずないだろうし、見せられるとしたらこの時間しかない。

 サムライの技を見たら少しくらいは元気が出るかもしれない。人付き合いは嫌いだけど、落ち込んでいるのを見るのも昔の自分を思い出すから好きじゃない。

 以前広田とやった技は左足を一瞬出すだけだからわかりにくいが、青眼の構えは傍から見ても剣道とは違うと明らかにわかる。

 本人なりの理由があっても、少しでも周りと違うことをすると奇異の目で見られ、ハブられ、いじめの対象にされる。

 特に小学生はその傾向が強い。大人になっても同じ。人は差別が大好きだ。

 でも、僕は父さんから受け継いだ柳生流に誇りを持っている。マイナーな古流で、剣道や北辰一刀流にどっぷりつかっているクラスメイトや日本人は見向きもしないけれど。

 はるばるドイツからやってきた、目の前の金髪碧眼の少女。

 彼女には見せてあげたい、という気持ちがなぜか湧いて出て、止められない。

 それに比べたら周りからどう見られるかなんて、些細なことに思えた。

「構いませン」

 面金越しにアレクシアさんが、周囲を制してそう言った。

「彼も、真剣にやっているのでしょウ」

 彼女の構えに一本筋が通り、丸まっていた背筋が伸びた。

 生まれ育った国はこの場の誰よりも遠く、古流には縁遠いはずのアレクシアさんが、僕の流派に一番興味を持っている。

 あまりの皮肉と、マイナーな古流の置かれた悲しさに乾いた笑いがこぼれた。 

 アレクシアが気合をかけて、すり足で間合いを詰めてくる。

 だけど僕は腰を落とし気味にして、動かない。ぎりぎりまで引き付ける。速く動くとこの技は成立しない。

 柳生流は速ければ良いという流派ではない。

 構え、体捌き、リーチ。他にも打ち気など総合的な情報を一瞬で判断してタイミングを計る。

 彼女の体がだんだんと大きくなってくる。面金越しの碧い瞳が爛々と輝くように僕を捉えた。

 でも僕は微動だにしない。動きたくなるけれど、この技は待ちの技だ。

 そして待つことは動くことよりも難しい。

 アレクシアさんがスナップを聞かせて竹刀を振り上げ、飛び込みの小手を打ってくる。

 僕はわずかに体捌きし小手打ちを外す。同時に、竹刀を水平に構えなおして一瞬で腰を落とした。

 重心の位置を瞬時に真下へ落す、古流独特の身体の使い方だ。

 僕の小手を打ってきたアレクシアさんは、逆に両方の小手を抑えられた。同時に重心を乗せた僕の竹刀の重みに耐えきれず、バランスを崩してたたらを踏んだ。

「半開半向」。

 わずかな体捌きで敵の剣をかわすと同時に、重心を一瞬で移動させる剣を放つことで相手の体勢を崩す。

 アレクシアさんは竹刀を振り上げようとしたが、両方の小手を僕に押さえられているので身動きが取れずにいた。

 審判の旗は上がらない。打つのではなく押さえたからだ。

 でも、痛くないので僕は好きな技だ。

 一応剣道の授業なので、体勢の崩れたアレクシアさんに軽く小手を打って一本を取る。

 二本目が始まる。

 アレクシアさんはさっきまでと違って構えに迷いがなくなっているし、気迫が違う。これが本当の彼女なのだろう。

 さっきと違って間合いを詰めてくることはない。警戒しているのだろう、それなら。

 僕は能や日本舞踊のような足さばきで一気に間合いを詰める。

 アレクシアさんの表情に驚きが混じるとともに、動きが固くなる。

 一足一刀の間合いにまで踏み込んだところで足を止め、竹刀を振り上げた。

「ッ!」

 アレクシアさんは反射的に面を守るように竹刀を振り上げる。

 だが僕の動きはそれだけで、打ち込むことなく再び竹刀を下ろし青眼の構えに戻る。

 また振り上げ、下ろす。それを何度か繰り返し、相手の迷いと動きを誘う。

 とうとうこらえきれなくなったのか、アレクシアさんが動いた。今度は青眼の構えから振り上げた時に空きやすい、僕の右横面を狙ってくる。

 だけど僕は竹刀を振り上げた勢いを利用して、右足を半歩引いた。

 当然、アレクシアさんの打ち込みは浅くなって面まで届かない。

 頭上で竹刀を円の軌道で動かし、竹刀同士をクロスさせるように彼女の打ち込みを止めた。竹同士がぶつかり合う激しい音が響く。

 アレクシアさんは引いて間合いを取る。防具からはみ出した金髪が、勢いで激しく舞った。

 だがひるまず、今度は左に体捌きして僕の左面を狙ってきた。

 僕は再び円の動きでアレクシアの竹刀を止める。

 その勢いを利用して、同時に。肩越しに竹刀を車輪のように動かしつつ、左足を引く。

 体捌きの勢いが加わった斜めからの面打ちが、アレクシアさんを捉えた。

「一本!」

 審判の声と共に、僕は残心しつつ竹刀を収める。

「右旋左転」といい、半開半向と同じく基本の技の一つ。まず右を打ち、円の動きで一瞬で反対の左を打つ。変化に富んだ柳生流らしい技だ。

 だがアレクシアは、打たれたままの姿勢で動かなかった。

「どうした?」

 先生が心配して声をかけても反応がない。他に地稽古をしていたクラスメイトも手を止めて騒ぎ始める。

 やっとアレクシアさんははっと気づいたかのように竹刀を収め、一礼した。

「ダンケシェーン…… サムライよ」

 確かありがとう、っていう意味だったか。アレクシアさんはドイツから来たっていうから、少しだけスマホで調べておいて良かった。

 武道の時間が終わり、全員が防具の面と小手を外して正座し一礼する。

 面を外したアレクシアさんの目は、昨日と同じように輝いていた。

 直に伝える人がいなくなって、消えてしまうだろう柳生流だけど。ドイツからはるばる来た彼女に何か一つでも残せるものがあって良かった。

 どうせ日本人には、柳生流はもう何も残せないだろうし。実際、着替えるために更衣室に行くとクラスメイトの男子に絡まれた。

「おい柳生、剣道にの時間に何やってるんだ」

「気取ってない? ドヤ顔すんな」

「ちょっと珍しい技が使えるからって、自慢かよ。だっさ」

「どうせ北辰一刀流には、足元にも及ばねえだろ」

 周囲の空気は、所詮こんなものだ。

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