第16話 諦められない思い

 男児断絶の危機に瀕しているヒルベニア旧王家のやんごとなき姫アイヴィーと、同じ事情のブリタニアのオーガスト伯爵の娘ライラと、暗炎に命を救われた竜の娘アビーがそれぞれの思惑で対立し、頭を抱えたのはフランク伯爵でもウィリアム男爵でもなくフランシス国王だった。

「はぁ」

 通常国王なら溜め息をつくことは許されないが、事情が事情なだけに普段の相談役ウィリアムにも宰相代理フランクにも話せず彼は悶々もんもんとしていた。

「どのような溜め息ですか? それは」

 フランシスの前で優雅にお茶を飲んでいる婦人は、ブリテン島東部の公爵家から来たやんごとなき姫。彼の妻であるギネヴァ王妃。

「もちろん、ここ大盛況のウィリアム卿をめぐる恋の大騒ぎについてですよ」

 知っておりました、と言わんばかりに王妃ギネヴァは紅茶を飲み進める。

「ウィリアム様はいつになってもご自分の評価を正しく理解しませんね」

「ええ、本当に……」

「フランシス様がどれほど苦労して口説き落としたのか、目に浮かぶようです」

 ギネヴァ王妃も暗炎の子をめぐる大騒動は耳にしていた。だがそれでも想像しきれなかった部分があり、実際にウィリアム卿と会って夫と共に交流してみたら、褒めても褒めても本気に取らない暖簾のれんに腕押し状態。褒美を与えても素直に喜んだことはほんの数回。夫の苦労も想像できると言うものだ。

「わたくしだって、“ウィリアム卿はこんなにも陛下にお手をわずらわせて……”と思っていた時期がなくはありません。ですが理解しました。そう言う方なのだと」

 ウィリアム卿は自分が忌み嫌われた子供だと幼い頃にイヤでも理解してしまい、以後その地獄から抜け出せていない。好意の裏には悪意があると頭より先に体で覚えている。いつだって手の平をくるりと返されると思って怯えているのだ。

 だから彼は普段から足元を掬われないように手放しで喜んだりしない。例え相手が同じ場所で暮らしていたとしても、家族だと信じていても心の底では警戒している。

「あのあやうさを理解していてもフランシス様が彼を手放す気がないのも存じております」

「理解してくれて助かります、我が王妃」

 ギネヴァ王妃はくすりと微笑み、夫の手の甲に己の手を重ねる。

「いつか、あなたはこれを生涯の使命だと感じていると話してくださいました。わたくしもようやく最近、理解し始めました。やっとお役に立てると自惚うぬぼれております」

「ギネヴァ……」

 妻は感動している夫の顔を見て目尻にしわを寄せる。

「さて、ウィリアム卿に幸せになっていただかないと。わたくしたちは何が出来るかしら?」

 具体的な話に移ると夫フランシスは腕をこまぬく。

「一番は、年頃の令嬢たちに便辞退していただける状況をととのえることです」

「ええ」

「次に、穏やかでなくともみなさまには辞退していただく。そう言う状況に追いや……場をととのえるか、でしょうね」

「ふうむ……」

 一にも二にも、ウィリアム卿の伴侶は竜の娘アビーだろう。彼と少女のやり取りを見ていれば自然と気が付くと言うもの。

「既に身を引いた乙女たちはよいとして、かえって盛り上がってしまった娘たちですよね、懸念けねんは」

「ええ、しかし引くに引けない彼女たちにも事情がある……」

「一番は乙女たちにお相手が見つかることですね?」

「穏便にゆくならそうでしょう」

「では、同時に両方を進めませんか?」

 まず穏便に、それぞれの少女へ理想に近い男たちを紹介する。それでもダメなら段階を踏んで過激な作戦へ移行。

「穏便にゆきそうにないのがヒルベニアの姫と、アビーに明確な嫉妬を向けたオーガスト伯爵令嬢ライラですね? ……少し、考えがあるのですが」

 ギネヴァが思いつきを口にするとフランシスは間髪入れずにうなずいた。

「考えることは同じですね」

 フランシス国王は妻にだけ向ける穏やかな瞳でふっと微笑んだ。

「ではご協力お願いします、ギネヴァ」

「心得ましたわ」




 王妃ギネヴァの案で今夜の舞踏会は急遽きゅうきょ内容を変え、ブリタニア王家で用意した仮装を着用するものに変更された。

 服はそのままでよいが男性は全員紺色のカツラを使用して目元を仮面で隠す。女性は赤茶髪のカツラをつけて顔には色の濃いヴェールを下げる。

 誰がどう見てもウィリアム卿と竜の娘アビーを模したドレスコードだ。ここ最近国を超えて流行っている大恋愛中の二人になり切って、今夜は無礼講ぶれいこうで楽しく踊ろうという王宮らしい遊び。

 頭にきた者たちはすぐに帰るし、実は周囲に同調していただけでウィリアム卿以外に気にかけていた男性がいる令嬢たちは、国王夫妻の計らいを利用して意中の男と踊れる。悪い面ばかりの案ではなかった。


 フランシス国王とギネヴァ王妃も招かれた者たちと同じドレスコードで現れ、一曲踊ってカツラやヴェールを取ると賓客ひんきゃくたちは割れんばかりの拍手を起こした。

今宵こよいは楽しんでいってください」

「身分は気にせず、気が合う者同士踊ってみてくださいまし」

 王と王妃の許しがあるならと貴族の男女は早速気になる相手にダンスを申し込みに向かった。

「そこの方!」

「え、私?」

「すみませんそちらの殿方!」

「私ですか!?」

 もはや貴族の間で敷かれていた暗黙の了解もつつましさも、言い訳ができる建前ができた瞬間無用となった。

 男女は思い思いに、大体の年齢は気にしつつも相手を交換して入り乱れる。国王夫妻はその光景を楽しそうにながめながら、カーテンの後ろで控えている本物の暗炎の男と竜の娘に気を配る。


「……馬鹿馬鹿しい遊びだと思ったんですが、存外みなさま楽しそうですね」

「そうだな」

 ウィリアム本人とアビーもドレスコードは一緒だ。本物とバレにくいように衣装も普段使わないものを着て、軽く認識齟齬にんしきそごの魔術もかけてある。しかし二人だけはお互いに手を取れば魔力の波を感じ取れる。本物だと識別できる。

 ウィリアムはアビーの魔力を確かめるように並び立つ彼女の手をきゅっと握った。

「……では、王妃陛下の計画通り、君が先に会場へ入ってください」

「うん。ビリーもすぐに来るんだぞ」

「君を見失わないようにしながら追いかけます」

「わかった。行ってくる」

 アビーは注目されない瞬間を狙ってさりげなく出ていき、令嬢たちの中へ混ざった。彼女を心配するウィリアムはアビーが消えていった方向をじっと目で追う。

(嫌がらせをされないといいけど……)

 アビーは早速男性にダンスを申し込まれたようだ。ウィリアムはもやもやとしたものが己の胸の内で渦巻くのを感じながら、控えている男性たちに混ざる。


 ウィリアムは事前にオーガスト伯爵の娘ライラがどんな色のドレスを着ているか聞いていた。フランシス国王が宰相代理フランク伯爵のガードが固すぎて親子が謝罪もできない状態を危惧きぐして、こっそりウィリアムに事情を話し両者に気を回していた。

 話に聞いていた若草色のドレスを着た少女が会場のすみでうなだれているのを見つけると、ウィリアムは彼女の前へ出た。

「踊っていただけますか?」

 ライラは差し出された手を見て追って顔を上げ、ハッとした。

「よ、喜んで……!」


 ライラはすぐに謝罪を申し出なければと頭ではわかっていた。しかし、おそらく本物であろうウィリアムとこうしてダンスができることが彼女には何よりも嬉しくて、先に出たのは言葉よりも嗚咽おえつだった。

「う……」

 謝る側である己が泣くなど許されない。しかしウィリアムは何も言わず、何も気づいていない振りをして回り続ける。

(なんてお優しいの……!)


 とうとう嗚咽おえつが止まらなくなりダンスどころではなくなると、ウィリアムはライラを連れてバルコニーへと身を寄せた。

 ウィリアムは義母ははローズが刺繍したハンカチを彼女へ差し出す。

「わ、私……!」

 ライラは震える手でハンカチを受け取ると声を出して泣き出した。

「好きな方がいらっしゃるんです……!」

 ライラはもう自分の気持ちを止められなかった。

「その方は、とてもとても美しいんです。わ、たし……その方をおしたいしていて……ひぐ、でもその方は私のことなんてちっとも見てくださらなくて……うっうっ……そしたらその方に好きな女性ができてしまって……!」

 ライラの目から真珠大の涙がこぼれ落ちる。

「お婿様に来ていただきたかったのに……私……! その子に嫉妬して……! お父様だってその方を大変お気に召しているのに……! うわぁああん……!」

 ウィリアムはライラの懺悔ざんげを聞きながら、自分が知る限りのオーガスト伯爵との乖離かいりに首をひねる。

(オーガスト伯爵が俺を気に入っている……? はて? そもそも彼は円卓崩壊後の騎士団所属でまつりごとには直接関わらないし、俺と面識はほとんどないはずだが……)

 ライラを見下ろすと彼女はまだ泣きじゃくっていた。ウィリアムはその細い肩に右手を置き、彼女が落ち着くのを待つ。

(ライラ様はまあ、純粋に俺をしたっていてくださったと今わかったから……無下にする必要はない)

「何と言うか……」

 お気の毒に、は違う。彼女が泣いている一因はウィリアムにあるのだから。

「その、これは独り言なのですが……」

 ウィリアムがぽつぽつと話し出す頃にはライラはだいぶ落ち着いていた。

「まず、私は普通の人と自らを分けて考えていまして。“普通の人の生活”は私に反映されないものだし、逆もそうでした。普通の人はチーズと野菜が食べられても私はゴミ箱に残飯があればいいほう。着る物もですね。私は捨てられた布を有り合わせたもの、普通の人は親のお下がりだとしても一枚の布から作った服を着ています。そう言う一つ一つがありまして……。ここ十数年ですっかり変わってしまったんです、生活が」

 ウィリアムはいつの間にかライラの肩から手をどけてくもった夜空を見上げていた。

「“結婚”もだと思っていました。まともに、いやまとも以上の服と鎧を与えられているのにそこへ結婚なんて、自分の現実とは思えなくて」

 ウィリアムが視線を感じて振り返るとそこには先ほど誰かと踊っていたアビーが戻ってきていた。淑女の所作を義母ローズに叩き込まれても、アビーの立ち姿は令嬢たちとは違う。

(堂々としている)

 ウィリアムはアビーを見つめながら言葉を続ける。

「私に何かを求めるなら自分の家だけ税を逃れたいとか、何か優遇して欲しいとか、そう言う思惑があるんです。

好意を手放しで喜べない。腹の内に何を抱えているのか簡単には見抜けないから慎重になる。

「やましいことのない方が関わることはまずないんです。なかったんですよ。義兄あに以外は。ところがそこへ若かりし陛下が嫌でも視界に入るようになり……最後には口説き落とされる形に」

 ライラはやっとウィリアムが広間へ振り向いていることに気付いて視線を追う。そこには己が失敗をすることになった原因が立っていた。

 ライラが息を飲む中、ウィリアムの声は静かだった。

「私が自身を信じられないと知ったらこう言ったんです、彼女。“あたしがビリーを信じるから、ビリーはあたしを信じればいい”。……冷静に考えると説得力は一切ないはずなんですけどね。もうそれでいいかって思ってしまって」

 口ではそう言いながら彼の声色は優しく笑っている。

「まあ、竜にとって人間の悩みなぞ些細ささいなことなんでしょう」

 ウィリアムが右手を差し出すとアビーはしっかり床を踏みしめて歩いてくる。竜の娘は伴侶となる男の手を取って、仮面の下に隠れた紫と金の瞳を見上げた。

「何を話していた?」

「君の話を」

「あたしの?」

「竜は堂々としていると言う話です」

「そんなの当たり前だ」

「揺るがないと言うのは人間には難しいんです」

「ん? ……よくわからない」

 ウィリアムはライラに視線を戻し、彼女の手も取った。

 遠くから三人の様子を見守っているのはオーガスト伯爵。そして、め付けているのがアイヴィー嬢。

「アビー様……ワインをかけてしまってごめんなさい……」

 ライラが消え入りそうな声で謝るとアビーは「ん?」と中空を見て記憶を探る。

「ああ、あの時の子どもか」

「判別ついてなかったんですか?」

「ビリー以外はどれも同じように見える。母君とフランクはわかる」

「……そうですか。人間の顔の区別はつけて欲しいです」

「む、わかった」

 ウィリアムはアビーとライラを交互に見た。

「アビーには人間の女性の友人を作って欲しいです。俺は男なので女性しか入れない場所や時には対応できない。味方を作って欲しいんですよ」

「ん? うん」

 ウィリアムは二人の手をいま一度きゅっと握ると少女たちの手を近付け、こぶしを解いた。

「アビー、こちらのライラ様と親しくなれそうですか?」

「酒かけたぞ?」

「もうしませんよ」

「しませんっ! 二度と!」

 ライラは震える両手でぎゅっとアビーの手を握りしめた。

「お、お友だちになってくださいまし。アビー様」

 アビーは何故こう言う流れになっているのかわからないようで首をかしげたが、一拍置いてうなずいた。

「いいよ」

「ありがとうございます!!」

 ライラはアビーに抱きついて、またわあわあと泣き出した。

「酷いことしてごめんなさい……!」

「なんだ、ライラは泣き虫だな」

 アビーはうんと小さい子供を相手にするようにライラの背をよしよしと撫でた。

 オーガスト伯爵はほっと胸を撫で下ろしながら三人の元へ合流する。読唇術どくしんじゅつである程度の会話を聞き取っていたアイヴィーは、人知れず舌打ちをする。

「何が友だちよ。お遊戯じゃないんだから」

 ヒルベニアの姫君アイヴィーは浮ついた男女の群衆を突き抜けて仮面舞踏会から出て行った。

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