第5話-2

 円卓の騎士たちに地形と相手の体格から隠れて進めるのはこの森まで。準備は相手にさとられぬよう念入りにと散々注文を付けてきたベルナールは早々にゴブニュに預けた少女リリーの元へと戻った。

「お帰りなさいベルナール様」

リリーの顔を見たベルナールは気がゆるみ、ついこらえていた笑みがこぼれる。

「勇者さま?」

「あいつらの顔!」

会議で何があったのかリリーに話しながらベルナールは腹を抱えた。

「アッハッハ! 雨に打たれた子犬の顔だぜありゃあ!」

「まあ」

ベルナールは笑いで火照ほてった顔を口布であおいで冷ますと、装備を確認し研ぎが必要な物をゴブニュへ持っていった。

 ベルナールはそうして普段通り旅の支度を整えるとリリーの前にひざまく。

「リリー」

「はい」

「この世で一番速い馬を呼んでくれないか」

「一番速い、ですか?」

「そうだ。円卓の騎士に追いつかれる訳にはいかん」

「……勇者さま?」

「さっき話した三つ目の案はとっさに思いついた替え玉でな」

ベルナールは真剣な顔でリリーを見つめた。

「奴らが遠足の準備に気を取られている間、俺が一人で竜の元へ行く」




 南の海村に向かうに従い、潮風が強くなってくる。傭兵ベルナールは丘の隙間から見える苔むした岩の巨竜に溜め息をついた。

「本気ででけえな。確かに山のごとしだ」

ベルナールはまたがった銀の毛並みの美しい馬の首筋を何度も撫でた。

「疲れたら言えよ、リリー」


 単身竜の元へ行くと決めたベルナールにリリーは自分がこの世で最も速い馬だと告げた。

「またお前に乗れって言うのか!?」

「一番の速さをお求めならそうなります」

「じゃあ二番でいい! お前じゃなく!」

「勇者さま」

リリーは小さな手でベルナールの手を取った。

「例え貴方あなたに頼まれずとも、貴方が竜にいどまれるならおそばにおります」

いくらこの世の地獄を見てきたベルナールでも竜と言うものは未知だった。古今東西いつにおいても未知とは恐怖であり、体を鍛えた兵士でも恐怖には簡単に負ける。何度も戦いに身を投じてきたベルナールでさえ巨竜を前にしたら足がすくむだろう。


 自分を気遣きづかってくれたリリーの申し出を素直に受け、ベルナールは一日半でブリタニアの南に辿り着いた。

「すごいなお前」

速いでしょう? と言いたげにリリーはブルルと鼻を鳴らした。


 問題の海村は恐怖のあまりに逃げ出した者も多かったのか、空き家が目立った。家の中に取り残された者たちもいるらしく扉は固く閉じられている。

巨竜はこちらに真っ直ぐ向かっていたベルナールが足元にやって来ると、大岩のような頭をズゥッと近付けた。

(何だこのニオイ……湿った岩のような)

竜は隙間風のように鋭い吐息をベルナールの顔に吹きかけた。

隠匿いんとくの魔法ごとベルナールのフードががされ、紫の炎をまとう紺色の髪があらわになる。

「ほう、今時暗炎あんえんの子とは珍しい」

「っ!」

ベルナールは慌ててフードを被り直した。

「何故隠す?」

「隠さなきゃ生きていけん!」

「古い奇跡の子なのにか?」

「古い奇跡の子だからだよ!」

「……よく分からんな」

「それより、何故勇者を一人寄越せと言った? 要求は何だ」

「うむ」

巨竜は身じろぎをするとベルナールの前で両前足を砂浜に置いた。

「この辺りに、娘をさらわれてな」

「娘?」

「まだ卵なのだ。人の子が盗んでいったのは確かだが、無闇に掘ると卵を傷付けてしまう」

「……代わりに探せと?」

「そうだ。奇跡の子なら卵もすぐ分かるであろう」

「大きさは?」

「今頃はそなたの両腕で抱えられる程度だ」

「色は?」

「人の目にどう映るか分からん」

「……卵だな。探して来てやる」


 竜が示した周辺の空き家を探索し始めたベルナールは、三軒ほど回って全く手がかりがなく溜め息をついた。

「おい! 本当にこの辺にあるのか!?」

家屋を出て竜に文句を言うと竜は静かに頷く。

「本当だろうな……」


 四軒目の空き家に入った時だった。キィンと甲高い音がしてベルナールは思わず耳を塞ぐ。

「ぐっ……」

もう一度キィンと音がして、ベルナールは己の血が騒ぎ全身の産毛うぶげが逆立つのを感じた。

「……隣の家か」


 そこは空き家ではなかった。向こうでは人の気配がするものの扉が固く閉ざされていたためベルナールは仕方なく扉を蹴破けやぶる。

「ヒィイ! お助けを!」

家の中ではせ細った親子が三人身を寄せて震えていた。

「卵はどこだ」

「た、卵……?」

「しらばっくれるな! 大きな卵だ!」

「ヒィイ! 知りません!」

男児は青い顔をしてベルナールを見ていた。そしてベルナールが視線を返すと少年はさっと目を逸らした。

「……お前だな?」

ベルナールが男児を引きり出すと母親が泣いてすがる。

「やめて! お願い息子だけは!」

「お前の息子が竜の卵を盗んだんだ! 親なら責任を取って吐かせろ!」

「知らないよ! 知らないもん!」

ベルナールは勢いよく男児の頬を叩いた。

「お前が盗んだのはあの竜の子供だ! お前は自分が親の元から連れ去られていいのか!? 二度と会えないまま死んでいいのか!!」

ベルナールが男児の胸ぐらを掴んだまま揺さぶると少年は泣き出す。

「泣くな! 卵はどこだ!」

「い、家の下……」


 男児を父母ふぼに投げつけベルナールは表へ出て竜に叫んだ。

「この家の下だ!」

「そうか」

竜はゆっくり家に顔を近づけると卵のニオイを確認し、前足でそっと家の横を掘り出した。ベルナールは竜がき出した土の横で様子を見守り、つるりとした表面で真珠のような輝きを持つ、青く丸い物が見えると掘るのを手伝った。

 ベルナールから見ても丸々とした卵は美しく、盗む気持ちも分かる気がした。卵に触れるとベルナールの体を悪寒おかんと快感の中間のような力の波がめぐり、一度は手を引っ込める。

「……よくこんな物素手すでで運べたなあのガキ……」

ゾワゾワする感覚をこらえながらベルナールが何とか卵を地上に運び出すと竜は愛おしそうに目を細めた。

「我が娘よ……」

竜は卵に頬擦ほおずりをして、ベルナールの瞳を見た。

「礼を言う」

「早く持っていけ」

「一つ願いを叶えてやろう。何がいい?」

傭兵ベルナールはまるでお伽話とぎばなしのような言葉にプッと吹き出した。

「願い?」

「一つだけだ」

「……じゃあ」

ベルナールの頭に浮かぶのは常にオリヴァーのことだった。怪我と病で衰弱していくオリヴァーの生白なまじろのどと手を思い出すと胸が痛んだ。

「俺の命と死んだ主人の命を交換出来るか?」

「死者を起こすことは出来るが、死者を生者には出来ぬ」

「ハッ、あっそ。なら他に願いなんかねえよ。とっとと失せろ」

ベルナールはいびつに顔をゆがめて笑った。竜はそのまま引き返そうとするベルナールのローブをそっとくわえた。

「何だよ」

「礼はする」

「要らねえっつってんだよさっさと帰れ」

「そうはいかぬ。大いなるものには大いなる責任がともなう。助けを得たのなら助けを返すのが道理だ」

「……願いだの欲しい物だのとっさに思いつかねえんだよ」

「ならば、これを持て」

竜は自らウロコを引き抜くとベルナールに差し出した。

「ウロコォ?」

「どう使ってもよい。ただし、己のために使え」

手に取った巨竜のウロコは緑色にも茶色にも見え、薄くガラスのように透けていた。

(そのまま窓に出来そうな大きさだな)

暗炎あんえんの子」

「あ?」

「撫でてくれ」

巨竜は左頬をベルナールに差し出した。変な奴だと思いつつもベルナールがその通りにすると、巨竜は嬉しそうにする。

「あの男の子孫とまたこうして出会うとは、やはりえにしであるな」

「何だって?」

巨竜は優しく卵をくわえ翼を大きく広げて飛び上がった。強風にあおられたベルナールは手に持ったウロコのせいで地上から数メートル飛び上がり、巨竜がガリアよりさらに東の山々へ帰っていくのをポカンとながめた。




 報告を受けた巨竜が二日経たず立ち去ったことから円卓の騎士たちはベルナールが首都近隣の町にいないことに気付き、慌てて捜索隊を出した。

傭兵ベルナールがゴブニュの元へ竜のウロコを預け二枚貝を両手山盛りに持って行き、近場の村で雑味の多い安いビールで喉をうるおしているとフランシスの部下がベルナールを見つけた。


 ベルナールはフランシス本人に首根っこを掴まれ円卓に連れて行かれ、珍しく怒りに満ちたフランシス王子から騎士たちの前で問い詰められた。説明を一通り受けたものの納得はできないフランシス。彼はさらに言葉を続ける。

「原因と解決方法はわかりました。なぜ単独行動を?」

だが傭兵ベルナールは動揺も悪びれもせず、冷静だった。

「前提として」

オリヴァーの声を借りるまでもないと判断したベルナールは自らの声で話した。

「相手の竜は喋るだけの知能はあったがどれだけ賢いのか獰猛どうもうなのかが全く不明だった。その時点でを差し出すのは予測出来ない危険があふれており、提案として出したものの現実的ではないと判断していた。周りの騎士も止めるだろうしこれに関しては心配していなかった」

フランシス王子は怒ったままだったが静かに話を聞いていた。他の騎士たちも王子の様子と責められるベルナールを交互に見やる。

「次に、山のごとき竜と聞いて長命だろうと想像した。竜は大きいほど古い種族だし、降りて来て早々暴れもせず勇者を待つと周りに伝えたなら賢い部類だ。なので冷静かつ賢い者同士で話をと言う意味で第四席アリエル卿を案に出したが、小柄なアリエル卿に南の海村まで単独行動させるのは体力的に無茶があった」

「……だから自ら向かったと?」

「騎士は昔から名誉めいよを重んじる。円卓の騎士どもは手柄は出来るだけフランシス王子に渡したいが本人を危険に晒したくはない心理が大きく働いていた。そこで、全員で討伐に向かうと言う目標が出来ればまず間違いなく食いつくと思った。実際そうなった」

バン! と、フランシス王子は机を手の平で強く叩いた。

「全員と言ったのに君はいなかったじゃないですか!」

は全員いただろう?」

ハッとしたフランシス王子を傭兵ベルナールは冷たい目で見た。

「そもそも騎士とは? 由緒ある家柄と金があり、貴族の称号を持っていて馬にまたがる兵士のことだ。少なくとも生まれた時から泥水をすすって地面にいつくばって来た男を、ほんの数ヶ月前たまたま聖剣を手にした男を騎士とは呼ぶまい」

ベルナールは口布の下で自嘲じちょう気味に口の端を持ち上げた。

「しもべに働かせて手柄を横取りするのはお前らの得意技だろう」

カッとなったフランシス王子は椅子から立ち上がった。

「円卓の騎士にそんな者はおりません!!」

「俺はあの村と近隣でフランシス王子の手下だと名乗って来た。これで手柄はフランシス王子のもの。死者は出ず見事に解決。これで文句がある方がおかしい」

「君は……!」

「王子が怒る理由は二つ。一つ、オリヴァー子爵に後見こうけんを頼まれた男が身勝手に行動したうえ死んだら名誉めいよが傷つくと焦った」

「違います! 私は!」

「二つ、自分の飼い犬にしようと思っている男を多少の餌を与えただけで世話をしたと勘違いしているから」

フランシス王子の表情は怒りから驚愕きょうがくに変わった。ベルナールはそんな彼の様子を見てフッと鼻で笑う。

「フランシスと言う男は道端みちばたの汚ない犬にパンを投げて食っても食わなくても世話をした気になっているだけ。その犬が実は怪我をしていると気付いて抱えて家へ連れ帰り、温かい部屋で手当てをして牛乳を与えるのがオリヴァーだ」

ベルナールにとって相手をねぎらったり理解する姿勢を見せた貴族はオリヴァーだけだった。暗炎あんえんの末裔だと知ってもオリヴァーは嫌な顔を見せるどころか床に手をついて謝った。

フランシスではそうではないし、少なくとも理解する機会を与えたくなかった。それが己の意地だとわかっていても。

「自分の生活に相手を合わせるのが交遊だと思っているなら一切やめるんだな」

フランシス王子が大きく傷付いたのを見てベルナールはせいせいした。

「ああ、他に妙な情報を得てきたので報告しておく」

ベルナールは力なく椅子に座った王子の顔を見ないように目を伏せる。

「あの海村かいそんに持ち込まれた卵だが、竜の話では高位の隠匿いんとく魔法をかけられて持ち出されたためしばらく気付かなかったそうだ。身代わりの石の卵も用意されていて用意周到よういしゅうとうだったと。それから、竜の卵を盗んだ少年の話では行商人に化けた男たちは武装していてとても堅気かたぎには見えなかったらしい。少年は生活の足しになればと毎日同じ道を通る行商人から金品を少しずつ盗んでいたそうだ。その中に手の平に収まるほどの美しい卵の装飾品を見つけ、とっさにふところに入れた。だが持ち帰ってどんどん大きくなり本物の卵だと気付いた時には遅く、家の下へ埋めて隠すしかなかったと。このことから卵は少なくとも半年前には持ち込まれたと考えられる」

「……そんなに前から?」

「推測するに半年よりも前、ガリアで魔物が突然湧いた時期と被る」

「た、確かに……」

「何か裏で大きいことが動いているのは分かったが全体が見えてこない。ただ魔物が湧いただけではなく大きく調べる必要があると考えている」

「なるほど……」

「残りは賢い円卓の騎士どもなら分かるだろうからこちらから言うことはない」


 王子を散々傷付けて無傷で帰れると思っていなかったベルナールだったが、円卓の騎士たちは誰も何も言わず、王子をねぎらって帰っていった。王子とベルナールが二人きりになる寸前、傭兵は自らも外へ出たがフランシス王子は呼び止めなかった。

(次に暗殺者に狙われたら王子の命令だろうな)


「お帰りなさいベルナール様」

「ただいま」

 少女リリーの元へ戻るとゴブニュは竜のウロコから作った武具を完成させていた。

「盾か」

「魔法も弾く盾じゃ。大事に使え」

一番使いやすい小盾が手に入り、ベルナールは機嫌をよくした。透き通るほど薄い緑色のウロコの表面には金で世界樹の紋章が描かれており、見ているだけでも美しい。さらにゴブニュはウロコの残りから狩りに使えそうなナイフを一本、小さなナイフを二本削り出していた。

「これだけあれば足りるじゃろうて」

「ああ! 助かった。さすが聖剣の作り手、腕がいいな」

「フン! 褒めても武器しか作れんわい」

鍛治師ゴブニュは珍しく照れると研ぎの作業へと戻った。


 ベルナールはリリーのいる部屋へ戻ると竜のウロコから出来上がった小さなナイフを一本、彼女に差し出した。

「お前に贈る。助けてくれた礼に」

「まあ」

リリーは贈り物を嬉しそうに受け取るとベルナールの頬に口付けた。

「勇者さまのお役に立てて光栄です」

「自分を勇者とは思っていない」

「まだそんなことを言って」

「勇者ってのは顔がよくて女にモテる奴を言う」

「それならベルナール様は私好みですよ」

「へっ、世辞せじでも嬉しいね」

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