第2話『熊を屠(ほふ)った男ベルナール』

「……運がないな」

 傭兵ようへいベルは仕事の最中に泥沼に落ちてしまい、全身に卵が腐ったようなニオイをまとって溜め息をついた。

ベルがずぶ濡れのマントを持ち上げ腰に提げた聖剣タラニスをチラリと確認すると、聖剣自体は汚れておらずしれっとした様子で彼の腰で落ち着いていた。

「便利なものだ」

第十代円卓会議にて第一王子フランシスが余計なことを言わなければ、聖剣などと言う物騒な物を持ち歩かずに済んだのにとベルはまた溜め息をついた。

「……オリーの奴め」


 傭兵がそのまま街へ戻って報酬を得ようと歩き出した時だ。

「そ、そこの殿方とのがた!」

か細い声が遥か上から降ってきて、彼は真上を見上げた。

するとまあ樹の上からとおになろうかと言う灰の髪の少女が吊るされているではないか。ベルはフンと鼻を鳴らした。

「俺より運のない奴がいるとは」

「もし、お願いします! 助けてください! お礼は致します!」

少女は胴を縄でぐるぐると縛られ、身動きが全く取れないようだった。

仕方がないと傭兵は投げナイフを取り出し、少女を吊り下げていた縄へ四、五本投げつけた。

少女は落ちる寸前息を飲んだ。

しかし傭兵ベルはその場を動かず少女を受け止め、彼女を立たせると静かに縄を解いていく。

「あ、ありがとうございます……」

少女はよく見れば大変な美貌びぼうの持ち主で、ブルーグレーの瞳は大きくパッチリとして愛らしい。明るいピンク色のくちびるは花のつぼみのよう。旅の装いも上品で薄青色のローブを着ていた。

貴族の令嬢が旅の途中従者とはぐれたか、従者に裏切られたのだろうと思ったベルは少女と視線の高さをそろえた。

「何故吊るされていた」

「見知らぬ殿方三人にお財布を取られてしまって……」

「どんな財布だ」

「私の両手が入るほどの大きさをした、牛の革の袋です」

「そこで待て」


 傭兵ベルは一時間もしないうちに戻って来て、少女に茶色の革袋を差し出した。

「私のお財布……。ありがとう、見知らぬ貴方」

少女は薄氷はくひょうのような美しいブルーグレーの瞳で傭兵の黒い瞳を見上げた。

「お礼をするわ。金貨でいい?」

「その軽い財布に金貨が入っているとは思わない」

「本当に持っているわ」

だが少女が財布から取り出して見せたのは平たく丸い金の塊で、金貨とはとても呼べなかった。

金貨を光にかざしたベルは、純金ではあるもののどの国の物でもないと見破ると少女へ金を突き返した。

「どの国の金貨だ?」

「国? 金貨は国ごとに違うの?」

「……お前、人間じゃないな」

人間ならまず出てこない質問だと見抜いたベルはまた面倒ごとに巻き込まれぬようにきびすを返した。

「ま、待ってください! あっ!」

少女は顔面からベチャリと沼に転んだ。

あまりにも間抜けな人ならざる子供の姿に、傭兵は今日何度目かの溜め息をついた。


 礼をすると言った少女はまず近くの川辺に傭兵を案内し、二人とも体と服を洗い注ぐと大人の手の平ほどの短い杖を取り出し、あっという間に乾かしてしまった。

(無詠唱の魔法……やはり人ではないな)

服を前後ろ逆に着ようとする少女に呆れ、ベルはやむなく少女が服を着るのを手伝った。

「従者任せで何もしたことないんだろう」

「そ、その通りです。お恥ずかしい」

傭兵に服を着替えさせてもらった少女は彼に振り向いて花のようにふわりと笑った。

「何から何までありがとうございます、旅人の貴方あなた

傭兵は返事もせず立ち上がるとその場を立ち去ろうとした。

「待ってください! お礼をしておりません!」

傭兵のローブを掴んだ少女は突然立ち止まった傭兵の尻に顔を突っ込んでしまった。

「うっぷ」

「……礼は要らん。厄介ごとを押し付ける前に消えろ」

「そ、そうおっしゃらずに……。金貨が駄目なら何がよろしいですか? 貝殻?」

「貝殻? 馬鹿にしているのか?」

「貝殻も駄目なら何がよろしいですか?」

少女は美しい薄氷の瞳で傭兵ベルを見上げた。

「……何も要らん」

「そうおっしゃらずに!」

「しつこい小娘だ」

傭兵はそのまま歩き出し、少女は彼のローブを掴んだままズルズルと引きずられる。

「う、馬は!? 馬はいかがですか!? 呼んだ子の機嫌にもよりますが!」

移動手段として貴重な馬を借りられるかも知れないと耳にした傭兵は再び立ち止まる。だが先ほどから見る限り馬の影はない。

「……どこにも馬はいないが」

「私が呼べば来ます」

少女は細い指で輪を作ると口に含み、ピーッと甲高い音を出した。やや待てば本当に、茂みから美しい青鹿毛あおかげの馬と芦毛あしげの馬が姿を現す。

馬二頭は少女の元へ静かに寄ると頭を下げ、少女の細腕や肌に鼻筋をり付けた。

「ほら、来ましたよ」

人間じゃないからそう言うことも出来るのだろうと納得したベルは、右手を開いて馬へ差し出す。すると青鹿毛あおかげの馬が進んで彼に寄り、その手に鼻を押し付けた。

傭兵は馬の鼻筋を撫でてやり、馬と傭兵の様子を見た少女は満足そうに微笑んだ。

「では、その子の世話をしばらくお願いします」

「馬の名前は?」

「まだありません。付けて差し上げてください」

少女は先程までの不器用さを感じさせずに馬へヒラリとまたがり、傭兵を見下ろした。

「そう言えば貴方のお名前をお聞きしていません」

「ベル」

ベル? ただベルとおっしゃるのですか?」

「そうだ」

「……あの、それならせめてベルナールとお名乗りになっては?」

傭兵ベルはくらを掴むと青鹿毛あおかげの馬へとまたがった。

熊男ベルナールなら意味としてはあまり変わっていませんし、人の名前らしくてよいと思うのですが」

「傭兵に名などあってもなくても同じだ」

「そうおっしゃらずに……」

少女は哀しげに傭兵を見つめた。傭兵は舌打ちをすると馬の腹を優しく蹴って川べりを下り始める。

「べ、ベルナール様とお呼びしますね!」

「勝手にしろ」

「わ、私のことは……リリーとお呼びください!」

「わかったリリー。付いてくるな」

「そうおっしゃらずに!」

駆け出した傭兵ベルナールの後を灰の髪の少女リリーは懸命に追うのだった。




 傭兵ベルナールはやむなくはかなげな少女リリーと旅の供となり、それから三日が過ぎた。

「ベルナール様が腰からげていらっしゃるのは」

程よい高さの岩に腰掛けたリリーは報酬で手に入った上等な白パンに薄く切ったチーズを載せ、隣に座る傭兵ベルナールに手渡した。

「聖剣タラニスですね?」

ベルナールは彼女の質問には答えず白パンをかじる。ベルナールは大変寡黙かもくな男で、必要最低限しか喋らず、話しかけるのはいつもリリーの方だった。

「聖剣を手にしているなら勇者さまなのですか?」

「そう見えるか?」

「はい、半分は」

リリーは噛み付いたパンを喉へ流してから再び口を開く。

「ベルナール様は隠匿いんとくの魔法をお使いのようなので、勇者さまのような気もしますしそうではない気もします」

「……隠匿いんとくの魔法だと何故わかる」

「知り合いに隠匿いんとくの魔法を得意とする闇の子がいまして。はむ……その方の気配に似ていたので」

(鋭いのか間抜けなのかどっちかにしろ)

リリーはパンを食べ終えてから再び口を開いた。

「何故その魔法をお使いに?」

傭兵ベルナールはその質問にも答えなかったが、魔法がかかった黒い手袋を取り出すと右手にめ、フードを脱いで目元から短い黒髪をさらっと撫でた。

すると魔法が解け、黒い瞳は右を紫、左を金に変え、黒髪は暗い紺色に。そしてその髪は紫色の炎が表面を撫で、炭のように燃えていた。

「まあ! 暗炎あんえんの末裔なのですね!」

暗炎あんえんの末裔とは、現王家と同じくらい由来を古くに持つ暗い炎の奇跡をその身に宿した一族で、神々の祝福を得て久しい。

しかしその強力な炎の奇跡を人々は恐れ、かつて円卓が結成されると騎士たちは暗炎の一族を滅ぼした。

だが暗炎の一族は細々ほそぼそと生き長らえており、こうして世間から隠れて暮らしていた。

「それで聖剣タラニスがお認めになったのですね。ああ、タラニス様は雷鳴と戦争、炎と死と、空の神なのです」

「炎?」

リリーに本当の姿を見せたベルナールはすぐさま隠匿いんとくの魔法をかけ直した。髪と瞳はまた黒色へと戻る。

「それでか」

「はい! きっとタラニス様とご縁があったのでしょう。あ、二切れ目のパンを食べますか?」

「いや、いい。すぐ出発する」


 傭兵ベルナールが人ならざる少女リリーを連れ次の宿場町で落ち着いた夕暮れ。ベルナールの腰にげられた時の鐘の分身がチリンチリンと鳴り出し、彼は溜め息をついた。

(来る時に変な石の門を見かけたが、時の門は多分あれだな)

「まあ、ときが。小さなかねをお持ちに?」

「……円卓に呼ばれた。部屋から一切出るなよ」

「円卓に? 暗炎の子が何故?」

「これの持ち主が円卓の議席に座れなかったのがそもそもの原因だ」

「お待ちください!」

急いで立ち上がったリリーはつんのめりながらベルナールのローブにしがみ付いた。

「私も連れて行ってください!」

「何故」

「人の世にはうといですが、精霊界には詳しいです! きっとお力になれます!」

「……確かに人間じゃないしな」

「はい!」

「……向こうに着いたら俺の影に隠れて一切喋るな」

「分かりました」

傭兵ベルナールは一晩の宿代を失うことに溜め息をつき、リリーを連れ馬で時の門へと引き返した。


「やあベル。来てくれたんですね」

 第一席フランシス王子はまるで旧友に話しかけるがごとく気さくに笑った。

傭兵ベルナールが灰の髪に薄氷の瞳の美少女をともなって現れたので、円卓の騎士たちは隣同士で耳打ちをし始めた。

「あの鉄面皮てつめんぴが子供を連れているとは」

さらって来たのではないのか?」

「フッ、あり得る」

「こらこら皆さん、御令嬢の前ですよ」

フランシス王子がリリーに挨拶をしようと立ち上がると、それを察したベルナールがローブの内側へと少女を隠し静かに壁際に立った。

「おや、警戒されてしまいました」

「貴様、殿下に何という態度を……」

「まあまあ、そもそも彼は平民ですし」

フランシスは腰を下ろすと全員が揃ったのを見て組んだ両手を机の上に出した。

「では、第十代円卓会議の第二回を開催いたします。皆さまを呼び出したのは私、第一席フランシスです」

フランシス王子は第八席の真後ろの壁際に立つベルナールに視線を向ける。円卓の騎士たちも彼の視線を追ってベルナールを見て、フランシス王子へと視線を戻した。

「伯爵家から国王陛下へ書簡しょかんが届きました。旅へ出たオリヴァー子爵の訃報ふほうと、オリヴァー子爵に忠誠をちかった従者ベルが円卓へ聖剣とかぶとを届けに向かった知らせが入っていました」

「ほう、嘘ではなかったのか」

第六席アダムににらまれても傭兵ベルナールはまぶたを下ろしたまま。

「フン、嘘をついていたら首か腰をぶった斬ってやろうと思ったのに」

「アダム」

フランシス王子にたしなめられるとアダムは口をつぐんだ。

「国王陛下には私から説明をしてありましたので、事実確認ができて良かったとおっしゃっておられました。返事は陛下から直々に伯爵家へ参りますが、私たっての願いで第八席は聖剣を届けてくれた従者ベルがしばらく代理を務めるとお伝え出来るはずです」

フランシス王子は壁際に立つ傭兵へにこりと微笑んだ。

「これからよろしくお願いしますね、ベル」

ベルナールが何度もベルと呼ばれるので、リリーはそろりと手を上げた。ベルナールはその手に気付いて少女を抱き寄せ更にローブの奥へと仕舞った。

「はい、御令嬢ごれいじょう。何か?」

フランシス王子はその手を見逃さなかった。ベルナールが嫌そうに舌打ちをしつつもリリーから手を離すと、リリーはローブを持ち上げて騎士たちに少し顔を見せた。

「ベルナールです」

「はい?」

「彼の名前はベルナールです、勇者さま」

発言をするとリリーは再びローブの中へ隠れた。可愛らしい少女の行動を見て王子はクスリと笑う。

「ベルナールですね。これからはそう呼びます。第一席フランシスからは以上です。他の方から何か報告は?」

第五席ゴドウィンがおずおずと手を上げると皆彼へと視線を向けた。

「では第五席の私から……。先日の魔物討伐について追加報告がございまして──……」


 円卓の騎士たちの報告を一通り聞き終えたベルナールはリリーを左腕に抱えると早々に円卓を後にしようときびすを返す。

「ああ、待ってくださいベルナール」

フランシス王子に引き留められ傭兵は最高に嫌そうな目で王子を見た。

「わあ、嫌われていますね私は」

フランシス王子は愛らしい少女リリーへと手を差し出した。

「彼女にご挨拶あいさつをと思いまして」

「降ろしてくださいベルナール」

美しい薄氷の瞳で見つめられたベルナールは仕方なく少女を床に下ろした。リリーは膝丈のドレスの裾を持つとフランシスにお辞儀をする。

「リリーと申します、勇者さま」

「フランシスと申します。リリー様」

二人はお辞儀を交わすとほのぼのと微笑み合う。

「フランシス様は聖剣エーススの使い手なのですね」

「よくご存知で」

「聖剣エーススの持ち主については主人である女神エポナ様からよく聞いておりましたので」

「リリー様はエポナ様の従者なのですか?」

「はい。妹のように大切にしてくださいます」

「なんとまあ。では精霊さまでしたか」

(馬の女神エポナの従者だったのか。通りで馬が呼び出せる訳だ。だが昨日までそうとは名乗らなかったのに何故?)

「ベルナールとはいつからご同伴どうはんに?」

「三日ほど前に助けて頂いたのです。それからずっと」

「そうでしたか!」

フランシス王子は嬉しそうにニコニコとベルナールへ笑顔を見せる。

「やはり貴方はとても誠実な人なんですね。聖剣タラニスが選ぶ訳です」

ベルナールは冷たい視線をフランシスに送るとリリーを抱え直す。

「あっ、待ってくださいベルナール。勇者さまにお別れを言わなければ」

リリーの話を無視して傭兵ベルナールは出口へと向かう。

「ご、ご機嫌よう勇者さま!」

「ご機嫌よう精霊さま。またお会いしとうございます」

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