十話 善意に理由はない
「朝か……」
耳元でけたたましく鳴るアラームの音にゆっくりと目を開ける。カーテンの隙間から覗く朝日が部屋の隅にある本棚を照らしている。
寝起きの定まらない思考の中、本棚をボーっと眺めること約三分。再びアラームが鳴った。
自分でセットしたはずなのにそのことを忘れていたようで、驚きのあまり背中が威嚇する時の猫くらい伸びた。
昨日、圭地たちの部屋で遊んだ後に寄ったコンビニで適当に買った新しい時計。コンビニで売っていたからか値段は少し高めだったが、門限ギリギリまで遊んでいたせいで、駅の方まで買いに行く時間がなくなった為、仕方なく購入した。
完全な自業自得で思いの外、高くついてしまったが、要は使えればいいのだ。寝坊させしなければ、コンビニ製であれ何であれ、高くても安くても良かった。使えればそれでいい。
未だ大きく早く鼓動を打っている心臓部に手を置き、呼吸を整える。その間に空いている方の手でアラームを止める。
不意打ちのおかげで眠気は完全に覚めた。だが、代償がデカすぎる。毎朝こんなやり取りを繰り返していたら心臓がいくつあっても足りないし持たない。
明日からは忘れないようにしよう。そう誓っても忘れる時は忘れるのが俺だ。明日の朝どうなっているか知っているのは明日の俺だけ。せめて寝坊だけはしないでくれよ。
ベッドを後に洗面所に行き顔を洗う。季節は四月。まだまだ寒い。冷水が顔に当たる度、背中が震えるのが分かる。ふかふかタオルで水を拭き取り顔を上げる。鏡に映った自分の顔はいつも通りに覇気がなかった。
洗面所を後にリビングに行き気分でテレビを付ける。朝はニュース番組が多く、対して面白い内容ではないが、朝食を食い終わるまでの暇つぶしと思えば幾分かはマシだった。
朝食を食べ終え、部屋に戻り制服に着替える。忘れ物はないか確認しようと思ったが、ノートや教科書は全部、向こうに置いてあるので確認するまでもなかった。スマホと財布があればいいだろう。
「行って来ます」
うす暗い廊下に寂しげな声が木霊する。
「ふぁあ~」
歩き出してすぐ、あくびが漏れた。天気がいいからか寝足りないからなのかは分からないが、滲む視界を擦りつつ、見慣れた通学路を進んで行く。
ふと昨日の出来事を思い出し、我ながら図太いなと苦笑する。木皿儀が勝手に申し込んだ代表戦。口頭で告げられた強制参加の意。普通なら何かしらの不安片手に過ごすはずだが、生憎、そういうのは一切と感じなかった。
だが、逆に圭地が抱いたようなワクワクもドキドキもない。つまりどうでもいいのか?
実感がないのか、どこか他人事に受け取っているのか。楽観的と言われればそれまでだし。もしそうなら俺と圭地では『楽観的』の意味合いが大きく異なる。
圭地は興味、関心に対して俺は無関心、他人事。同じ言葉でも人によって意味が異なるなんて中々に面白いな。
とはいえ、百パーセント不安がないかと聞かれれば嘘になる。自分で感じていないだけで、心のどこかには多分、確かにある。
それは強さ、参加することへのプレッシャーに他ならない。俺は圭地のように自信家ではないし、海世のように刀の腕に心当たりがある訳でもない。
海世が言った通り実技に一回も参加していないのは紛れもない事実だし、ここ数年、刀なんてまともに握ったことすらない。
もしかしたら振り方や構え方を忘れている可能性だってある。しかし、座学には出ているので最低限の作法くらいは理解しているつもりだ。
でも、実際どうなのだろうか。いつも出来ていないことが本番で満足に出来る保証はない。
代表選に小難しい、細かいルールなどはないものの、最低限、構え方くらいは心得ていないと、笑われ者になりながら試合をすることになる。
笑われることそれ自体は心底どうでもいいのだが、笑い声が耳にうるさくそのせいで集中力を欠く可能性がある。
……なんてな。どうせ俺は笑われる暇もなく、負けるだろうし、その後は圭地に任せよう。
他人任せは何ら悪いことではないと思う。むしろ出来ないことに心血を注ぐ方が相手に取っては迷惑極まりないはずだ。
俺は所詮引き立て役に他ならない。
「多いな」
正門が見えて来るにつれ、徐々に生徒の数も増えて行く。聞いたところによると全校生徒(旧校舎も含む)は千人以上いるらしい。
さすが名の通っている学園なだけある。しかし、そのせいで来る時間帯を見誤ると人波に揉まれる可能性があるので、そこだけは注意で。
「ちょっとインタビューいいですかー!?」
旧校舎の影が見え始めた直後、三人の生徒が俺を取り囲んだ。一人はマイクを持ち、もう一人はカメラを持ち、もう一人は変な板みたいなのを持っている。
何事かと思っている内に、マイクを持った女子生徒が興奮気味で口を開いた。
「代表戦を申し込んだのって本当なんですか?!」
何かと思えば、そのことか。さて、どう答えたものか。代表戦を申し込んだのは本当だが、それを馬鹿正直に伝えていいものか。
見たところ相手は新聞部の人たちだし、真実を言っても嘘を言ってもある程度、誇張して記事にしかねない。
俺の言葉一つで皆に迷惑が掛かるのでは?と思うほど、口が開かない。
「どうなんですか!?」
相手も相手でどう足掻いても情報を聞き出そうと必死だし、そもそも隔離教室組が本校舎の奴に代表戦を申し込むくらい対して珍しいことでもないだろうに。
長い長い学園の歴史を紐解けば、一回や二回代表戦を申し込んだ資料くらいは見つかるだろうし、わざわざ取材をするほどでもないだろ。
そこまでして彼女たちは何を知りたいのだろうか。
「さあ!さあ!」
とりあえずマイクを押し付けないで欲しい。彼女が一歩近づいてくる度に二歩下がらざるを得ない。
誰か助けて欲しい。
「こんなところで何をやってるんだ。もうすぐホームルームが始まる。早く行くぞ」
声のする方に目を向けて見れば、立っていたのは眉間にしわを寄せている箱招だった。
箱招は新聞部の人たちを睨みながらこちらに歩いてくる。
「部活動に勤しむのは結構だが、その前に人としての常識を身に着けろ。邪魔だ」
それだけ言うと箱招は俺の手を取り歩き出す。
「お前もお前だ。嫌なら断れ」
「ああ、悪い」
まさか箱招が助けてくれるとは思わず、僅かにボーっとしていた。ほぼ初対面のはずなのに何故、助けてくれたのだろう。
そんな失礼な疑問が脳裏を巡る。
「ここまでくればいいだろう」
昇降口に入ったところで、箱招は手を放す。
「何で助けてくれたんだ?」
「助けられた者に理由を聞くのか?」
言われてそうだと思った。人が人を助ける理由は多くの場合、善意に他ならない。思えば、失礼な質問だった。
「いや、少し気になってな」
「困っている者を助けるのは普通だ。それがクラスメイトなら尚更な」
さも当然のように言われて、面食らう。その言葉が自然と口から漏れるなんて箱招は凄いな。
「そっか。ありがとな」
「……ああ。行くぞ」
途端に足早になる箱招を追い、並んで廊下を進む。
「……ちなみに変なことを聞くが、今、友達とやらは募集しているか?」
「募集って……。まあ、受付はしてるけど」
受付って言う表現もどこか違う気がする。
「そうか」
安堵したように小さく息を付いたかと思えば、スッと手を差し出して来た。
「あれだけしかいないんだ、ずっと顔見知りというのも歯痒いだろう。柳と呼べ。俺も凪と呼ぶ」
なるほど、そういうこと。
「よろしくな。柳」
「ああ、よろしく頼むぞ、凪」
交わす握手に交わる言葉。僅かに感じる汗の感触に俺は苦笑する他なかった。
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