第二話
ガウェインがアネットから離れて大広間に戻ったあいだ。
あっという間に見知った人々に囲まれた。祝福を贈りたい人々が次々に現れ、ガウェインもその倍の感謝を返した。だが身内にとっては〝ただ兄が婚約者を連れてきただけ〟では済まされないようだった。
「サー・ガウェイン」
王座の近くにきたガウェインを、弟であるアグラヴェインが呼び止める。
「ちょうどよかった。あとで私の婚約者を紹介しようと思っていた。さて、王が私を呼んでいると聞いたが……」
「王は王妃の体調がよくないと聞いて席を外された。私もあなたに話がある」
アグラヴェインは周りに聞かれていないことを確認し、けわしい口調で切り出した。
「兄上は本当にあの少女を妻にするつもりなのか?」
「そうでないなら連れて来ないだろう。アネットは芯の強い女性だよ」
アグラヴェインはしかめ面の眉をさらに中心へ寄せた。
「ただの騎士であれば、ごちゃごちゃと私情で口をはさむことはない。だが、あなたはアーサー王の甥で我らの長兄だ。その意味がわかっているのか?」
「ああ……」
ガウェインはアグラヴェインの言葉を読み取った。「アーサー王の御世に栄光あれ。王の御世がながく安泰であるように私たちが力を尽くせば、そんな心配は無用だ」
アーサー王の御世において心配事があるとすれば、ただ一点だけだった。
──アーサー王には嫡子がない。
多くの人が語らないようにしていたが、いずれ目を向けなければいけない問題だった。そのため母親の血筋で繋がっている甥──オークニー兄弟の長兄──サー・ガウェインこそ、王の後継者として公に認められた存在だった。
もっともアーサー王とギネヴィア王妃に子どもがいない場合に限られたが。そして長い間、二人に喜びのきざしはなかった。
しばらくしてアーサー王が王座へ戻り、アグラヴェインとの会話は途中で終わった。アーサー王は「可愛い甥よ」と親しげな口調でガウェインの肩に手を回した。
「ようやくキャメロットに花よめを連れてきたな」
「ええ、叔父上」
ガウェインがアーサー王を叔父、アーサー王がガウェインを甥と呼ぶのはいささか奇妙だった。ガウェインは聖剣の加護を受けた王より年上に見えたからだ。わざわざこう呼び合うときは、二人だけでわかりあう冗談として、二人だけで話したいことがあるときだった。
周りに気を配りながらアーサー王は小声で言った。
「……こんな夜に呼び出してすまなかった。だが、宮廷でお前の花よめを取りまく状況は分かっているだろう」
「ええ。ですがアネットは、みずから宮廷にいくことを望んだのです。私のとなりに立つために困難を受けいれると。結婚を宮廷の人々に認められたいと言ったのです」
「彼女が……」
アーサー王は考え込むように呟いた。青年の面差しは表面だけでガウェインはその顔に年相応の憂いをみた。だがそれは一瞬で、王は威厳のある笑みを浮かべた。
「そうか、花よめは勇敢なようだ。私はお前たちを祝福するし、お前もアネットに尽くすだろう。だが、最も試されるのは彼女自身だということを忘れないように」
「ええ。肝に銘じます」
ガウェインは深くお辞儀し退席する。アーサー王は彼を静かに見送った。華やかな宴のさざめきの中、王座のとなりはぽっかりと空いて、アーサー王は寂しげに見えた。
胸にもやを抱えたような、消化しきれない気持ちで人波をかき分け、アネットの元へ戻ろうと足を早めたときだった。
「サー・ガウェイン」
声に懐かしいものを感じて振り返る。あでやかな黒髪と長いまつ毛の下にすっと通った鼻筋。赤く柔らかな弧をえがく唇がガウェインを呼んでいた。その美貌はギネヴィア王妃にも劣らなかった。
「バーネット嬢」
「またいつか、と言ってからずいぶんと経ってしまいましたね」
「ええ。お変わりないようで幸いです」
女性はガウェインに恨めしげな視線を送る。
「あなた様はだいぶ変わられたようですわ。……婚約者にずいぶんお優しいのですね。私のときはそうではありませんでしたのに」
ガウェインは相手の反応をうかがう宮廷風の会話に目を細めた。あおぞらのような青い瞳に一瞬だけ影が差し込む。だが、うやうやしくお辞儀して丁寧に返事した。
「いいえ、バーネット嬢。私はいつでも誠意を込めてお仕えしておりましたよ」
「………」
ガウェインはお辞儀して話を終わらせる。流れるように去っていく背中を、バーネットは以前と変わらない目で見つめた。
アーサー王の宮廷でも随一に美しいと称賛されるバーネット。高貴で美しい彼女がガウェインのとなりにあったとき、理想的な二人だと褒めそやされたものだ。だが、二つ前の冬に逢瀬は途切れた。
バーネットは友人たちに「中庭を歩いてまいります」と言って大広間から出た。
──ガウェイン様にとって私はもう……。
ガウェインの求婚状のうわさはバーネットの耳にも入ってきた。だがまわりに求婚状を貰った女性はいなかったし、それが何人もいると聞いて、あまりにも荒唐無稽だと笑止した。婚約者を宮廷で紹介すると聞いても半信半疑でやってきたのだ。
バーネットは彼の心を取り戻そうと美しく着飾った。しかし少女に寄り添うガウェインは、記憶にあるその人とまったく違う人物だといって差しつかえなかった。それに、あの婚約者。彼の好みとかけ離れた存在感のない少女だ。
バーネットはその目で見たこと、会話して感じたことを受け入れられないでいた。中庭へつづく回廊に来たとき、男女の話し声が聞こえた。
「ガウェインさま」
びくりと肩が震えた。ああ、その名をあんな風に呼べるのは自分だった。少し前まで──……。
二人の姿が目に入らないよう、バーネットは足早にその場を去る。ドレスが足に絡みついた。中庭まですれ違った人を覚えていないほど、気持ちが動揺していた。
「失礼。こちらを落として行かれましたよ、ご令嬢」
「………」
背後から声をかけられて、バーネットは我にかえった。ハンカチを差し出しているのは若い騎士だ。だがハンカチは自分のものではない。バーネットは冷静に言葉をかえした。
「まあ、騎士様。ご親切にありがとうございます。でもそちらは私のものではありません」
「ええ、そうでしょうね」
青年はそう言って顔を上げる。月明かりに青年の顔を見て、バーネットは息を呑んだ。
「っ…とんだご無礼を……!」
「ご安心ください、私はアーサー王陛下ではございません」
青年は完璧なしぐさでお辞儀した。「私はモードレッドと申すもの。オークニー兄弟の末弟です」
「まあ」
王ではないと分かって安心したが、オークニー兄弟、と聞いてバーネットは身体をこわばらせた。ガウェインの弟だと思うと胸が苦しく切なくなる。
「大広間で拝見して、ぜひ言葉を交わしたいと探しておりました。ご令嬢、失礼をお許しください」
「いいえ……私こそ見間違えてしまいました。サー・モードレッド、お会いできて光栄ですわ」
たしかに青年はガウェインを彷彿とさせる面影があった。あまりにも王にそっくりなせいで、面影が薄れてしまうけれど……。
バーネットは動揺を押し殺し、優雅なしぐさで挨拶を返す。モードレッドは改めて彼女を褒めたたえた。
「かねてから噂は拝聴しておりました。宮廷に美しい女性は多くても、あなたにかなう人はいません」
モードレッドは熱っぽい眼差しで語った。「あなたが兄の恋人だと聞いて、どれほど誇らしかったか」
「………」
バーネットは、なぜ兄の婚約者が紹介された夜に弟がこんなことを言うのか、いぶかしがった。だがうやうやしく言葉を捧げる青年に悪意は感じられない。
モードレッドはアーサー王に似ていたが、アーサー王よりも親しみを感じさせる雰囲気を持っていた。そして彼の軽く、感じのよい声が、周囲に言っている言葉をそのとおりだと思わせる不思議な魅力をもっていた。
「今夜は兄上にとって喜ばしい日です。でも、あなたの輝く瞳は哀しみに囚われておいでだ。私はあなたのためなら、喜んで力をお貸ししましょう」
「一体、何をおっしゃりたいの……?」
バーネットは後退りする。月明かりのせいでモードレッドの顔は青白く、声から服装にいたるまで青白いという印象を与えた。優しい言葉さえ冷たく響いた。
「どうかご安心を……私は残念で仕方ないのです。敬愛すべき兄上には、ふさわしい女性が必要だ。
バーネット嬢、あなたもそう感じているのではありませんか?」
■□■□■□■
王城から出てタウンハウス(貴族が首都に持った居住)に戻ると、ガウェインはアネットが馬から降りるのを手伝った。そのまま手をつないで彼女を部屋に送り、まるい額に唇を落とした。
「疲れたでしょう。よくお休みください」
優しい騎士にアネットは微笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。今夜はガウェインさまのおかげで無事に挨拶できました。
でも、明日は一人で王妃さまにご挨拶申し上げに参ります。勉強もたくさんしましたから」
アネットの意気込みにガウェインは頬をほころばせた。いじらしい彼女を見るとガウェインの心に温かいものが広がり、ずっと見守っていたいと思う。どこまでも付き添いたい気持ちを押さえこんだ。
「そうですか……。では、宮廷での用事が終わったらお迎えにあがります。無理をしないでくださいね」
部屋から去るのをガウェインは惜しんだ。そんな彼を見て、アネットは背伸びする。ガウェインの顎のあたりに柔らかい感触がした。アネットに目をやると、顔が赤い。贈り物をしたようだ。どうやら身長が足りなかったようだけれど。
「これは……大した報酬ですね。必ずお迎えにあがりますよ」
「ええ、よろしくお願いします」
翌朝、アネットは礼儀作法や身だしなみをよく確認して王城へ足を運んだ。
──大丈夫。教わったとおりに準備したはず。
事前に手紙で訪ねることを約束していた。噂では、王妃は近ごろ体調を崩し、あまり公の場に出ていないという。だが王妃の返事は、相変わらず優しくこちらを気遣ってくれるものだった。アネットは胸が痛くなった。体調のことだけではない別の問題を……彼女が抱えている気がしたからだ。
「クニス家領主エドモンドの娘アネットが、王妃さまにお目通りを願います……」
アネットは礼儀作法の本にあった手順どおり、面会を申し入れた。王妃の部屋はふたつ続きになっていて、控えの部屋の奥に王妃の私室があった。
控えの部屋でしばらく待っていると、数名の女性があらわれる。どの女性も王妃の侍女としてふさわしい品位と美貌だ。とくに中央に立つ女性は際立って美しかった。
「昨晩、大広間で挨拶されたアネット嬢ね」
「はい」
アネットより高い目線で中央の女性は言った。丈高く、美しく優雅で、部屋のすべての光が彼女に降り注いでいるような存在感だ。だが表情は穏やかではない。アネットは緊張で口の中が一気に乾いた。
「なんて無礼な方なの。王妃様が体調を崩されているときに押しかけるなんて」
「……!」
アネットはおどろいて目を見開き、どこに落ち度があっただろうと身を固くした。
──ううん、礼儀作法の本に書いてあった通りにできたはず。事前に行くことも約束していたし……。
身を小さくしたアネットを、女性は冷たく見下ろした。
「このような場合は、きちんと事前に約束をしてご挨拶なさるべきよ。サー・ガウェインの婚約者だからといって、我が物顔で宮廷のマナーを無視されるのかしら」
「……、……っ」
アネットは気圧され、弁明する言葉が出てこなかった。──事前にした約束を、王妃さまが侍女に伝えていなかったのだろうか。でも自分の正当性を弁明すれば、王妃に責任を押しつける気がした。
「王妃様は今、お休みになっておいでです。どなたともお会いになりません」
「………」
こう言われてしまっては、『約束をしているから会わせて欲しい』と言うことはできない。よく宮廷の礼儀作法を学んでも、実際に正しいかは分からないものだ。
アネットの胸に不安が込み上げた。自分が丸裸にされて、田舎育ちの振る舞いや言葉遣いを白日にさらされているようだ。
目の前にいる侍女はみんな自分より高貴な身分の領主の令嬢だ。本物のレディ。どんな返事をすれば良いだろう? どんな振る舞いをすれば、ガウェインさまの名誉を傷つけないだろう──……。
「どうなさったの? まさか、思い通りにいかないから黙っていらっしゃるの?」
「……いいえ、」
アネットは震える手でかろうじてスカートの裾をつかみ、謝罪した。
「……も、申し訳ございませんでした。後日、日を改めてお伺い、します……」
頭を下げると、目頭に込み上げた熱い涙がこぼれ落ちそうになった。……こんなところでつまずいてしまうなんて。やっぱり私じゃ、ガウェインさまにふさわしいレディにはほど遠い。
──恥ずかしい。
頭を下げたまま部屋を退出する。廊下に出ても、あふれて頬に伝うものを見られないよう、アネットは顔を上げなかった。
控えの部屋からアネットが出ていくと、扉が閉まったことを確認して、侍女たちは口々に〝サー・ガウェインの婚約者〟を批評しはじめた。
「バーネットさんの言い方はしんらつでしたが、あの程度のやり取りで言葉が出なくなってしまうなんて」
「サー・ガウェインが隣にいなければ、立っていることも出来ないようですわ」
批評にはあざけりも混ざっていた。事実、アネットが訪ねて来ることは事前に王妃から伝えられていた。だが、「良い機会です。どんな女性か確かめるべきだと思いません?」と取り次ぎを止めたのはバーネットだった。
大領主の娘で、宮廷の華ともてはやされるバーネット──彼女の言葉に耳を傾ける人は多い。くわえて、彼女がサー・ガウェインの元恋人だったことは有名だ。彼女がどう動くか……口に出さなくても、みんなが知りたがっていた。
「仮にもし、あの子がサー・ガウェインと結ばれたら、私たちには仕える可能性があります。でもあの子が未来の王妃様なんて考えたくないわ」
体調を崩した王妃は外に出ず、客人の対応は侍女に任されている。もしアネットがうまく立ち回れば、こちらが恥をかく可能性もあった。だが、この判断は正解だったと──侍女たちは頷き、すっきりとした表情で仕事に戻る。
領主の娘たちが宮廷へ出仕するのは、礼儀作法を身につけて結婚相手を得るためだ。とつぜん現れ、王国でもっとも魅力ある独身男性をうばった少女を好ましく思う者はいなかった。
■□■□■□■
アネットは冷たい石造りの王城を歩きながら、静かに過ごせる場所を探していた。王妃と話すつもりだったので、ガウェインと約束した時間までずいぶんある。
待ち合わせは中庭だった。だが王城が広く複雑なせいで、アネットは道に迷ってしまった。誰かに聞くという手段もあったが、すれ違うたび〝サー・ガウェインの婚約者だ〟という視線を向けられ聞けなくなっていた。
──もし、私のせいでガウェインさまの名誉を傷つけてしまったら?
先ほどのやり取りでアネットの心臓は縮み上がっていた。だから知っている人物が通りかかるのを待った。そして運よく出会った人物は、アネットを見た途端に声をかけてくれた。
「義姉上!」
ガウェインの弟モードレッドがあかるい表情を浮かべて歩み寄ってきた。陽に照らされたモードレッドは昨晩よりいっそう魅力的だ。彼の好みなのか、黒い衣装で統一され、金髪と緑眼が際立っている。
「兄上はご一緒でないのですか?」
「はい。サー・ガウェインとは、のちほど合流する予定です」
アネットは面会するつもりだった王妃に会えなかったこと、中庭に行こうとして迷ってしまったことを打ち明けた。するとモードレッドは、人懐っこい笑顔で応えた。
「では、それまで僕と過ごしていただけませんか?」
モードレッドは末子らしく周りを観察してうまく立ち回る才を持っていた。すこしだけ年上のアネットを〝義姉上〟と慕って不安をやわらげる。
アネットはモードレッドと話すうち、はじめに彼に抱いた違和感を忘れてしまった。それは控えの部屋であったことを忘れさせてくれる、楽しいひとときだった。
<つづく>
ガウェインの元恋人バーネットはオリジナルキャラクターです。
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