第30話 乗冨チケット
月曜日の朝。
僕は憂鬱な登校イベント中に、一昨日の夜に清野から来たLINEのメッセージを見返していた。
『配信、控えめに言って最高に楽しかったよ! ニヤニヤが止まらなかった!』
『やっぱり君パンの話をしたときが一番盛り上がった! もう思い残すことはない……いや、続けるんだけどねっ!』
『それにしても、颯爽と現れてトラブル解決していった東小薗くんは最高にカッコ良かったなり……っ! 圧倒的感謝!』
最後のLINEを見て、再び顔が熱くなってしまった。
初っ端からトラブルに見舞われた黒神ラムリーの初回配信だが、配信を再開してから問題は発生せず、無事に終えることができた。
視聴者は数十人程度だったけど、無名Vtuberの初回配信にしては大盛況といってもいい数字だろう。
Twitterでもそこそこ話題になっていて、配信が終わってから僕の二次創作イラストもラブリツがついていた。
配信が終わった21時に清野からメッセージが来て、クールダウンのためにEPEXをやることになったんだけど、
『うわぁぁぁあ! 本当にありがとう! 最高すぎて死にそう!』
と、清野は終始ハイテンションだった。
いつも以上に僕のプレイを褒め称え、さらに10分に1回くらいの頻度で感謝の言葉を口にしていた。
いつもなら「ウザい……」なんて思うところだけど、僕も黒神ラムリーの初配信が無事に終わって嬉しかったので、生暖かい目で聞き流すことにした。
しかし、昨日の調子だと、今日も配信のことで盛り上がることになりそうだな。
「あ……」
などと考えながら昇降口に着いたとき、清野を見かけた。
そっと声をかけようかと思ったけど、乗冨や三星と一緒だったのでぐっと押し留めた。
三星は気にしなくてもいいかもしれないけど、乗冨がいる前で清野に話しかけるのはちょっと気まずい。
だって、土曜日にカフェに置いてけぼりにしちゃったし。
一応「勝手に帰ってごめんなさい」とLINEはしておいたけど、華麗に既読スルーされた。罵詈雑言を投げつけられるならまだしも、無言なのが余計に怖い。
どうせ教室でアレコレ言われるんだろうけど、ここでは身を隠しておこう。
「……」
気配を消したまま上履きに履き替えようとしたとき、清野と目があった。
小さくこっちに手を振って、恥ずかしそうにはにかみながら、口パクで「あ・り・が・と・う」と言う清野。
破壊力ばつぐんの仕草にクラッとしてしまった。
なんだこれは。
まるで周囲にヒミツで付き合ってる恋人同士みたいじゃないか。
ほら、周りの目があるからイチャイチャできないけど、居ても立っても居られずにアイコンタクトでイチャつく的な。
いや、完全に僕の妄想だし、僕と清野はそんな関係じゃないんだけどさ!
清野がジェスチャーを返せよと言いたげに、小さく「カモン」と手招きする。
しばらくどうしようかなやんだ結果、ニチャアとキモい笑顔を返した。
死にたい。
そこは爽やかに手を振り返せよ。そんなんだからお前は陰キャなんだよ東小薗聡。
軽く凹みながら、上履きに履き替えて教室に向かおうとしたとき、後ろからポンと肩を叩かれた。
キモ笑顔を返されて、さすがに清野も黙っていられなかったのだろう。
だけど、積もる話とダメ出しは昼休みのマルチメディア室でな。
そう言おうと振り向いた僕の目に映ったのは、小動物みたいな女の子の姿だった。
「ちょっと良いかな? 東小薗くん」
僕の肩を叩いてきたのは、プレーリードッグ・乗冨だった。
……え? 今、普通に僕の名前を呼ばなかった?
何だかメチャクチャ怖いんですけど。
+++
乗冨に連れて来られたのは、毎度おなじみ体育館の裏だった。
登校中の喧騒から遠く離れた体育館裏は、別世界のような静けさがある。
マルチメディア室が清野との密会の場なら、ここが乗冨との密会の場か。
こっちは全然うれしくないけど。
「……まぁ、色々と言いたいことはあるんだけどさ。とりあえず、どうして教えてくれなかったのさ?」
定位置のシャトルドアの前に座った乗冨は、刺々しい声で言った。
「お、教えてくれなかった、というのは?」
「私に話す暇がなかったのならLINEしてくれれば良かったのに。まぁ、支払いは済ませてくれてたから、そこんところだけは感謝だけどさ」
そう言って、乗冨は小さなカードのようなものを手渡してきた。
カードの真ん中にひし形の赤い枠があって、そこに逆さで「冨」の文字が書かれてる。
「なにこれ?」
「乗冨チケット。これ1枚につき、なんでも言うことをひとつだけ聞いてあげる素晴らしいチケットだよ。ケーキ代払ってくれたお礼」
「……はぁ」
「何よその気の抜けた声。これ、『
何だよ倒冨って。
どこかで見たことがあるなと思ったけど、アレか。中華街とかでお店の前に飾られている「倒福」だ。
あれは確か、「福が倒れる」という意味の「福倒了(フー・ダオ・ラ)」と「福が来る」という意味の「福到了(フー・ダオ・ラ)」が同じ発音だから逆さ福を飾ってるとか言ってたっけ。
冨だと全く意味が無いと思うけど。むしろ富が倒れるって縁起悪い気がする。
というか、いらなさすぎる。こんなチケットじゃなくてケーキ代よこせよ。
「ご、ごめん、悪いけどいらな──」
「え? 何?」
「なんでもないです、ありがとうございます。家宝にします」
凄まじい眼圧を感じて、ありがたく頂戴することにした。
早速、乗冨チケットのせいで災厄がもたらされた気がする。
「……それで?」
ポケットに渋々呪いのチケットをねじこんでいると、乗冨がどこか嬉しそうな目で尋ねてきた。
「見つけたんだよね? ラムりんの相手」
「は?」
「だ・か・ら! ラムりんの相手、見つけたんでしょ? だから急にカフェからいなくなったんだよね?」
「あ! え、う……そ、そうですとも!」
ああ、と僕は瞬時に状況を理解した。
これは土曜日のことを勘違いしてくれている系だ。
推測するに、トイレに行ったとき清野と相手が歩いているところを見かけて、報告そっちのけで追いかけていった──とか思っているのかもしれない。
なるほど。だから「なんでいなくなったのか」じゃなくて「なんで教えてくれなかったのか」と怒っていたのか。
ここは彼女の勘違いに便乗したほうがよさそうだ。
「相手は誰だったの? クラスの男子?」
「あ、いや」
「あっ、もしかして、男バスの新道先輩とか?」
「男バス? って男子バスケットボール部?」
「ああ、なるほどなぁ〜。新道先輩ならありだわ」
ふむふむと何度も頷く乗冨。
新道って誰だよ。実に陽キャ・リア充の香りがする名前だけどさ。
てか、何も言ってないのに勝手に盛り上がるな。
「それで、証拠的なものは掴んだわけ?」
「そ、それが、見失っちゃったんだ」
「そっかそっか〜、流石に写真までは撮れなかった……ん?」
乗冨がパチクリと目を瞬かせる。
「見失った?」
「う、うん。清野さんっぽい人をみかけたから追いかけたんだけど、見失っちゃって……それに、相手もよくわからなかったんだよね」
「はぁ!? 見失ったって、どゆこと!? ラムりんの家、あのカフェから歩いて1、2分のとこだよ!? 逆にどうやったら見失えるのか3行で教えてよ!」
「ご、ごご、ごめん。雨がひどくて……」
「雨って、キミ……いや、まぁ、うん、確かにひどかったな」
瞬間湯沸かし器のごとく怒り出す乗冨だったが、鎮火するのも一瞬だった。
こいつ、前から思ってたけど超素直だよな。
まぁ、乗冨もびしょ濡れになっていたし、あの雨の酷さは身を持ってわかっているのだろう。
「……というか、席に傘を忘れてるみたいだったけど、大丈夫だったの?」
「うん。それは、まぁ」
「あ、そう。それならいいんだけど」
どこか気まずそうにそっぽを向く乗冨。
体育館裏に微妙な空気が流れる。
……え? 何? その顔。
もしかして、僕のことを心配してくれてたとか?
突然どうした。なんか変なものでも拾い食いしたのか?
「まぁ、とにかく」
こほん、と咳払いをして乗冨が続ける。
「一緒に肩を並べて歩いてるのを見たってことは、ラムりんとその人はいい感じってことなのかもしれないね」
「……なんだかニヤけてない?」
「そりゃそうでしょ。だってラムりんの初めての恋バナなんだし」
「……」
ちょっと待て。
清野をストーカーから守るとか、有象無象の雑草野郎から守るって話はどこに行った?
なんだか嬉しそうだな〜とは、ずっと思ってたけどさ!
「よっと」
乗冨がぱっと立ち上がり、制服をぱっぱっと叩く。
「それじゃあ、引き続き調査をお願いね」
「……え? まだ続けるの?」
この茶番。
「当たり前じゃない。尻尾は掴んだんだし、もう少しで相手のことがわかるんだよ? もうひと押しじゃない。がんばれ武者小路くん!」
「……」
さっき普通に僕の名前呼べてたのに、なんでここで間違えるのか。
こいつ、わざとやってるのか?
「ちょっと。なんで凹んでるのさ。何? タダ働きはしたくないって?」
「いや、誰もそんなこと」
「しかたないなぁ。そんなキミに……ほら。追加報酬」
乗冨が二枚目の「乗冨チケット」を渡してくる。
いらねぇ。これっぽっちも嬉しくねぇ。
「じゃあ、私はちょっと部室に寄ってから教室に行くから、ここで」
そう言って、足早に立ち去る乗冨。
その背中と渡された乗冨チケットを交互に見ながら、僕は思う。
このチケットを使えば何でも言うことを聞いてくれるってことは、「もう僕に関わらないで」とお願いをしたら良いのではないだろうか。
なんだかタブーっぽい気がするけど、試してみるか?
「……いや、やめとこ。なんかすっごい怒られる気がするし」
そんなだからキミは陰キャって言われるんだよ! とか怒鳴られそう。
とはいえ、ずっと持ち歩いてるのも縁起が悪そうだし、「購買部で焼きそばパン買ってこい」とかお願いするか。
まぁ、それはそれで、嫌がられそうだけど。
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