第2話 清野と僕のヒミツ02

 清野は別にやましいことをしようと僕に持ちかけているわけではない。


 それはよくわかっているのだけれど──つい変な想像をしてしまう。


 言っておくが、僕は何も悪くない。


 女の子に耳元で「シて欲しい」だなんて言われて、エッチな想像をしないほうがどうかしてる。


「あれ? どうかした?」


 清野が囁くように尋ねてくる。


 彼女を直視できなかった僕は、視線をさまよわせながら答えた。


「あ、ええと……シ、シて欲しいって……昨日僕にお願いしてきた『あの件』のこと……だよね?」


「え? そうだけど?」


 きょとんとした顔で僕を見る清野。


 しかし、すぐに何かに気づいて次第に頬をほころばせていく。


「あ〜、もしかしてエッチな想像しちゃった?」


「……っ!? そっ、そそそそ、そんなこと、考えてない……っ!」


「そう? でも、顔真っ赤だよ?」


 クスクスと肩を震わせる清野。


 こ、こいつ……っ! まさか僕を辱めるためにワザと意味深発言をしたんじゃないだろうな!?


 くそっ! 天然のくせに猪口才なことを!


「でも真面目な話、昨日言ったことは本気なんだよ。真剣に東小薗くんにやってほしいって思ってる。だって、こんなこと東小薗くんにしか頼めないもん」


「……」


 そこに関しては納得してしまった。


 確かに、清野の「あの秘密」が世間に広まってしまえば、芸能人・清野有朱のブランドが著しく傷ついてしまうかもしれない。


 まぁ、僕からしてみれば許容範囲だとは思うのだけれど、世間がどう反応するかはわからないし、変なことで炎上してしまうこともある。


 とはいえ、二つ返事で了承することなんてできないけどさ。


「だから東小薗くん……改めて、お願いします」


 深々と頭を下げる清野。


 そんな彼女に「できるわけがない」の言葉をぶつけようとしたが──。


「……でっ、でっ、できる……だけ善処……します」


 無理でした。


 こういうときにはっきりと断れないのが、小心者・東小薗ひがしこぞのさとしという人間なのだ。


 でも、よくよく考えると「善処します」という返事は、良かったかもしれない。


 善処の結果として「なんとか頑張ってみたけど、やっぱり受けられないわ〜」ということもあり得るのだから。


「……え? ゼンショ? どゆこと?」


 しかし、清野は理解できなかったらしい。


 まさかこいつ、善処の意味を知らないのか?


「あ、えと……き、期待に答えられるように前向きに検討しますって意味で……」


「え、ホント? ありがとう!」


 清野が嬉しそうににっこりと微笑む。


 心臓をわしづかみされたような感じがした。


 こいつは自分の可愛さが周りに与える影響を理解していないふしがある。


 そんな童貞を殺しかねないヤバい笑顔を向けられたら、寿命が10年くらい縮んでしまうだろ。


「ねぇねぇ、東小薗くん」


 そんな僕の心境を察することなく、清野が続ける。


「それで、描いてもらうキャラだけど、どんな見た目がいいかな? 私は『もぐらたゃ』みたいなケモミミは必須だと思うんだけど、どう? 『族長』みたいな淫魔でもいいけど『君パン』の『かすみたん』みたいな清楚な見た目も捨てがたいよね」


 目を爛々と輝かせながら、マシンガンのようにまくしたてる清野。


 というか、なんで意気揚々と話を進めているんだ。


 さっきの「ホント? ありがとう!」の時点で、勘違いされてそうな反応だな〜とは思ったけど、やっぱり「善処する」の意味を理解してないだろこいつ。


 一応説明すると、「もぐらたゃ」と「族長」いうのは、Youtubeで活躍しているバーチャルYoutuber……いわゆる「Vtuber」の名前だ。


 特に「もぐらちゃん」こと「猫田もぐら」は今年のYoutubeスーパーチャット世界ランキングで2位を取るくらいの大人気Vtuberだ。


 ちなみにもぐらちゃんは僕の最推しVtuberで、彼女が活動を始めたばかりの頃からずっと追いかけている。


 そして「君パン」というのは、最近ネットのオタク界隈で話題になっている深夜アニメ「君のパンツの色を当てさせて」のことだ。


 作画、キャラ、世界観、物語と、全てが神がかっているまさに神アニメ。


 深夜枠ということもあって少々過激な表現があるのも評価できる。


 何を隠そう、僕も君パンは今季アニメで一番推していて、毎週欠かさずチェックしている。


 というか、清野の口から「もぐらちゃん」や「君パン」の名前が出てくるのが、未だに信じられない。


「き、清野さんって、本当に君パンが好きなんだね」


「うん、大好き……なんだけど、今朝は寝坊しちゃって昨日放送された第5話を3回しか観れなかったんだよね。ガチファンなら5回は見るのが普通でしょ?」


「え? あ、そ、そう……だね」


 勢いに乗せられて肯定してしまったが、僕は1回しか観てない。


 清野を見ていると、ひょっとして僕はにわかファンなのだろうかと不安になる。


 教室に近づき、クラスメイトたちの姿もちらほらと目に付き始めた。


 これ以上、清野と一緒にいると変な目で見られてしまうかもしれない。


「じゃ、じゃあ、僕はちょっとトイレに行ってくるから……」


「うん、わかった。じゃあ後で……って、そうだ。今日、一緒に帰らない?」


「ほえっ!?」


「だってほら、昨日の君パンとか、東小薗くんに描いてもらうキャラのこととか話したいし」


「あ、そ……今日は……ちょっと……用事が……」


 というのは嘘で、実際は何の予定もない。


「あ〜、そっか。残念。用事があるなら仕方ないね。また今度一緒に帰ろ?」


「……は、はい」


「それじゃあ、先に教室行ってるね」


 清野はまるで聖女のような慈しみが溢れる笑顔を浮かべ、手をひらひらと振る。


 僕は颯爽と歩いていく清野の背中を見て、現実味がないと思った。


 学校一の美少女と名高い芸能人・清野と、キングオブ陰キャの僕がまさかこんな関係になるなんて。


 実はオタクな清野は、周囲にナイショでVtuber活動をしようとしている。



 そして──そのことを知っているのは、彼女に「絵師ママになって欲しい」と頼まれた僕だけなのだ。




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