第24話 魔王、喜んだのち叫ぶ

 ……真実の天使による審判が始まってから、どれくらいの時間が経っただろうか。


 エリスは未だ直立不動のまま、巨大骸骨に頭からすっぽり咥えられ続けていた。

 手先がぴょんっと外に開いて固まっているのが、エリスの受けた心身のショックを物語る。


 今この瞬間で見れば、恐らく大陸で一番珍妙な光景だったが、当の本人たちは大真面目である。

 じいやを始めとするファントフォーゼ家の使用人たちは皆、その様子を固唾を飲んで見守っていた。



 長い長い沈黙の後……



 最初に口を開いたのは、オリヴィスだった。


「……白いまま……だと?」


 その言葉に、後ろに控える執行者たちがざわつく。


 少し遅れて、言葉の意味を理解した使用人たちが互いに顔を見合わせる。

 そして、喜びを爆発させた。


「さすがお嬢様!清らかな御心が証明されたのね!」


 使用人の一人が上げた声にイラついたオリヴィスが、地面を蹴り上げる。


「くっ……!うるせぇ!……そんな、バカなことが……!」


 真実の天使が、軋む音を立てながら口を開く。


 目を見開き引き攣った顔のエリスが、ゆっくりと暗闇から解放された。


「ぷはーーー!」


 エリスは大きく息を吐くと、一気に脱力した。

 へろへろと座り込みそうになるのをなんとか耐える。

 その眼に、歪んだ表情のオリヴィスが映った。


「くそ……あんた、何をしやがった!?」


 一瞬きょとんとしたエリスだったが、ちらりと真実の天使の羽を確認して、すぐ状況を把握した。

 どうやら、めでたくエリスは白と判断されたようだった。


 ――……なんでじゃ?どー考えてもわらわの魔力は真っ黒間違いなしで……ん?魔力?……そうか!


 エリスは思い出した。


 先ほど浴場でリィの目を治療した際、自分の魔力をほぼ全て使ってしまっていたことに。


 それこそ、ただの一般人が生来備える、わずかな魔力量すらも下回ってしまうほどに。


 ――真実の天使は魔力に反応する……!反応する魔力が無ければ羽は白いままなのじゃ!……ううううっしゃあああああ!らっきいいぃぃぃぃ!!


 両拳を思いっきり握り込むと、エリスはオリヴィスに向かって勝ち誇った笑顔を向けた。


「……くく、何をしやがった、とは心外じゃな。見ての通り、お主が出した真実の天使とやらは、わらわが潔白じゃと判断した。これでわらわは無罪放免。これが『教会のルール』なのであろう?」


「ぐぐっ!」


「素直に引いたら良いではないか。真実の天使の証明ならば、お主を派遣した連中からも文句は出まい?」


 これでエリスは、聖女でもなく、聖女を騙る悪人というわけでもない、単なる侯爵令嬢であると教会が認めることになる。


 考えうる限りで最大の成果を手中にし、エリスは小躍りしたいくらい上機嫌になっていた。


「くそっ……あたしの勘が訴えてるんだよ……!あんたは普通じゃない、必ず何かあるってなぁ……!!」


 ――ぎくっ


 オリヴィスの言葉に少しだけ冷や汗をかきつつも、エリスが余裕綽々の態度を崩すことはない。


「くく、そう言われてものぅ。……おや?ちょうど、とても良いものが到着したようじゃ。オリヴィス殿も帰る前に是非楽しんでいくと良いのじゃ」


 エリスが目にしたのは、屋敷から運ばれてきた銀のクロッシュだった。

 エリスの鼻は敏感にも、これの中身が、先程のリィの傑作お菓子であることを嗅ぎ取っている。


 その香ばしい匂いは、オリヴィスにも届き……そして彼女は、はたと動きを止めた。


「……ん?これは……?」


「これはわらわのお気に入りの者が作った、大変美味しいお菓子でな。オリヴィス殿も召し上がられよ。きっと、大切なことを思い出すことじゃろう」


 ――ギラギラの肉食獣みたいな顔をしてからに。甘いものでも食べて、少しは童心にでも返ったらどうじゃ、愚か者め。


 本日、相当に怖い思いをしたエリスは、そんな風に考えながら自らオリヴィスに向けてクロッシュをとってやったのだった。


 が。


「これは……これ……は……?」


 突如放心したように同じ言葉を繰り返すオリヴィス。その様子に、エリスは少し怪訝な表情をする。


「……なんじゃ?どうしたのじゃ?」


 オリヴィスはそのままふらふらとテーブルに近づき、皿の上に乗ったリィの特製お菓子に目を落とす。

 そして、震える手で持ち上げ、一口、食べた。


「あ、フォークもナイフもそこにあるのじゃ。甘いものは久しぶりなのか?そう慌てずとも……」


 エリスが呆れたような声を出した、次の瞬間。


 エリスは、信じられない光景を目にした。


「……ふ、ふぐぅ…………うう……うぐぅ……」


「……は?」


 オリヴィスが、泣いていた。


 破壊の申し子のような生粋の戦士が、ひっくひっくとしゃくり上げながら。


 ――と、とととと突然なんなのじゃー!?


 先ほどまでの、全身からビリビリと殺気を放っていた女傑は、もうそこにはいなくなっていた。

 あるのは、ただ背中を丸めて泣きじゃくる、子供のような女性の姿。


 そのまさかの様子に、執行者たちも驚きを隠せない。


「あ、姐御?!どうしたんすか?!」

「姐さんが泣くなんて……?!」


「……くそっ!毒か!?油断した!」

「あの嬢ちゃん、可愛い顔してとんでもない食わせ者だぜ!!」


「濡れ衣じゃーーーーー!!」


 魔力ゼロとなったエリスは、今や完全にただのインドア派令嬢である。

 今にも飛びかかってきそうな大男たちに、必死に手を振って否定する。


 ――くそっ!本当になんだというのじゃ、この阿呆聖拳!とっとと説明せんかぁ!!




「これは……母さんの……死んだ母さんの味……」


「……なんじゃと?」


 ダァン!!


 ――ひぃっ!?


 突如手をテーブルに叩きつけ、オリヴィスが叫ぶ。


「これを!これを作ったのは誰だ!?」


「え?ええ?」


 戸惑うエリスに、オリヴィスが縮地の踏み込みで肉薄した。


 ――ぎゃー!こ、殺される!?



「これを作ったヤツは誰だと聞いてんだ!!……死んだ母さん以外に、これを作れたのは……!?」



 そこで、オリヴィスの言葉が途切れた。

 涙目でふるふる震えるエリスから視線を外し、屋敷のほうに顔を向けている。


 オリヴィスの眼に映っていたのは、一人の少女。


 エリスの様子を心配し、お菓子作りの後に厨房からやってきた、リィだった。



「……リィ?」


 オリヴィスが、リィの名を呼んだ。

 そのことに、その場の使用人全員が驚く。


 そしてふらふらと、オリヴィスがリィの元へ歩み寄った。


「リィ?本当に、リィなのか……?」


「……私のことを知っているの?」


「は、はは……リィだ!本当にリィだ!」


「……その、声は……」


「リィ!あたしだよ!オリヴィスだよ!」


「……お姉ちゃん……?オリヴィスお姉ちゃん!?」



「なんじゃと!?リィ、お主、記憶が戻ったのか!?」


 エリスはその事態に驚愕し、声を上げた。

 そして直後に、絶句する。


 ――ちょっと待て?!聖拳と姉妹じゃとおおおお!?全然見た目違うではないかあああああ!!聖拳は悪魔の黒髪じゃがリィは天使のような金髪じゃぞ!?


 自分が元魔王であることを棚に上げてオリヴィスを悪魔扱いするエリス。


 ――も、もしやリィも成長すると黒髪の筋肉破壊神に……!?そんなのイヤじゃー!


 ……そんなエリスの葛藤をよそに、二人はただ互いを見つめ合っていた。


「リィ!……よく、無事で……!」


 オリヴィスがリィを抱きしめる。

 二人の目に、涙が浮かぶ。


「村が襲われて、離れ離れになっちまって……どんだけあんたのことを探したか……もう、生きては会えないものだと思ってた……」


「お姉ちゃん……。あのね、エリスさまがね、私を助けてくれたの」


「エリス……お嬢様が?」


 驚き……そして、少しだけバツが悪そうな顔を見せるオリヴィス。


「そうよ、とっても良くしてくれるの」


「そうか……」


 審判は、正しかったのか、と、オリヴィスはぽつりと呟く。

 そして直後に、重大なことに気がついた。


「ん……?リィ?……あんた、眼が!?眼が見えるのかい!?」


「……うん、お姉ちゃん。エリスさまが、魔法で治してくれたの」


「な……!?どんな医者も、司祭も治すことができなかったあんたの眼の病を……!?」


 オリヴィスは信じられないといった顔でエリスを振り返った。


 オリヴィスは信心が無いとはいえ教会の関係者であり、また魔法の熟練者でもある。

 傷や病によって失われた身体の機能は、時間が経てば経つほど、治癒魔法の難易度が急激に上がっていくことを、オリヴィスはよく知っていた。

 リィが病で視力を失ったのは五年前。当時ですら治癒できなかったものを、五年も経ってから完治させるなど、神の奇跡とでも言わなければ説明がつかない。


 真実の天使も認める清らかな心と、奇跡の力。

 この二つから導き出される答えは、不信心者のオリヴィスをしても、たった一つしかなかった。


「……まさか、あんた……いや、貴女は、本当に……聖女様……?」


 すっかり険がとれ、惚けたような顔で見つめてくるオリヴィスを見て……


 ――いやいやいやいや、待て待て待て待つのじゃーーーー!


 ……これは非常によろしくない流れである、とエリスは悟った。

 せっかく、普通の侯爵令嬢の地位を獲得できると思った矢先に、この有様である。


 これは、下手を打てば、教会公認聖女になりかねない。


 そんなことになろうものなら、この屋敷は日がな一日、巡礼者たちが大挙して周囲をぐるぐる回っているであろう。

 勝手に銅像を建てられる恐れもある。

 聖女記念館だってできてしまうかもしれない。


 そして各地から人が集まるようになれば、いずれ誰かが、エリスが魔王であることに気付いてしまうだろう。


 ――それは避けねばならぬ!


「いやいやオリヴィス殿?わらわはごく普通の侯爵令嬢であってじゃな!ほれ、嫌いな野菜は残すし?虫は踏み潰すし?」


「聖女様……」


「話を聞くのじゃーーー!!」


 エリスが空に向かって絶叫する。




 皆が、その様子を見守っていた。


 屋敷の使用人たちは、聖女と公式認定された(と思われる)エリスを嬉しそうに見ていたし、執行者たちは、敬愛する姐御が離れ離れの肉親と感動の再会を果たしたことに涙していた。


 オリヴィスとリィは抱き合いながらエリスを見つめていて、エリスは天高く何度も叫んでいた。



 ……だから、誰も気が付かなかった。



 ゆらりとオリヴィスの背後に近づく影に。



 ……ペタリ。


「……ん?」


 オリヴィスが、背中を触られた感覚に気づいて軽く振り返る。

 そこには、底冷えするような醜悪な笑みを浮かべた、執行者の一人が立っていた。


「オーリン?なにを……」



 直後、オリヴィスは突然、背中に熱を感じた。

 同時に身体の自由が効かなくなり、猛烈な脱力感に襲われる。


「これは……!?」


「ぐひゃひゃひゃひゃ!!やっと隙を見せたな、聖拳!!」


 オリヴィスの背中には、奇妙な紋様の刻まれた布……宝具が貼り付けてあった。


「くっ!邪宝具か!!」


「お姉ちゃん!?」


 邪宝具とは宝具の一種であるが、その発動に使う魔力を他人から強制的に搾り取ることができる特性を持つ。

 魔力を取られたものは魔力枯渇を起こし、下手をすれば死に至る。そのため、ほとんどの国で使用が強く禁じられている。


 発動される魔法もおおよそが禁術の類であり……今回も例外ではなかった。


「げひゃひゃひゃ!!『闇檻オルゲラ』!!」


 発動の言葉とともに、オリヴィスの背中から闇が溢れ出した。


 そして、屋敷の正門ほどもある大きな闇の穴を、空中に形作った。


 光をまったく受け付けないそれは、オリヴィスをゆっくりゆっくりと、中へと引き摺り込み始めた。


「くそっ!オーリン、血迷ったか!」


 三人の執行者に取り押さえられ、地面に組み伏せられてもなお、オーリンと呼ばれた男は下卑た笑みを止めない。


「オーリン?オーリンって誰だぁ!?げひゃひゃひゃひゃ!」


「……!?こいつ、操られてるのか!?」

「!背中に、別の邪宝具が!」


 どうやらオーリンなる男も、邪宝具によって何者かに操られ、正気を失っているようだった。


「これは報いだよ……!半年前、俺たちの仲間をぶっ潰しやがったことのなぁ!」


「半年前……『黒の双角』か!?くそっ!悪魔崇拝者め!」


 別の執行者たちが必死でオリヴィスを闇のゲートから引っ張り出そうとする。

 だが、物凄い力で引きずり込まれるオリヴィスを止められない。


「リ……リィ……」


 全身から力を吸われ、オリヴィスはろくに抗うこともできず、ただ苦悶の表情を浮かべるだけだった。


「お姉ちゃん……!!」



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