第9話 魔王、思い悩む

 昼下がりの侯爵邸。


 手すりの修復が済んだテラスで、しゃりしゃりしゃりと軽快な音がする。


 備え付けのテーブルには山盛りの果物が入った皿が載せられ、時折その山へ向かって、白く細い手が伸びてくる。


「……つまらぬ」


 手に取った赤い実に齧り付き、しゃりしゃりもぐもぐしながら、エリスは椅子にふんぞりかえっていた。


 赤い実をあっという間に芯だけにすると、エリスは再び果物の山へと手を伸ばす。


 そこへ、どたどたと無骨な足音が近づいてきた。

 重たそうなカゴを抱えて、コウガが顔を出す。


「お嬢様!献上品です!ミューゼ街道の人たちから、ぜひお嬢様に、とのことでした!」


「また果物か!これ以上は太ってしまうわ!!」


 だったら食べなきゃいいのに、と突っ込む者は今この場には存在しない。

 コウガはテーブルの皿に、持ってきた果物をどかどかと追加した。


「真鍮の森からモンスターが一掃されましたからね。民は皆、お嬢様に感謝していますよ」


「ふん」


 ――人間どもに感謝されても気色悪いだけじゃ。


 エリスは不満げに眉をしかめている。


 先月起こった大暴走スタンピードは、ふたを開けてみれば人的被害はゼロ。建物などの損害も、それほど深刻なものではなかった。

 大暴走スタンピードが、やや郊外に位置するエリスの家へと直行したこと、そしてなにより、発生から短時間で消滅させられたことが大きい。


 そしてコウガが言うように、真鍮の森からモンスターが一掃され、安全な立ち入りが可能になったことは、領民を非常に喜ばせた。


 かつて豊富な資源から『宝石の森』と呼ばれた真鍮の森を突如占拠し、騎士団も迂闊に手が出せなかったモンスターの群れだったが、まさかの侯爵令嬢による超絶火力での完全殲滅。


 再び森の恩恵を受けることができるようになった領民は、感謝の証として、森で取れた貴重な果物などをエリスに献上してくるのであった。


「仕方ないとはいえ、まさかモンスターから人間を守ることになろうとは……わらわとしたことが、まったく何をしているのやら」


 ぶつぶつと文句を呟く一方で、頬の中は変わらずしゃりしゃりと音を立てていた。要するに、とても美味しくて止まらないのである。




「ところでガイウ……いや、コウガ。お主、なんだって毎日屋敷にやってくるのじゃ。警護は交代制じゃろうが」


 ファントフォーゼ家の私設騎士団で、エリスの警護を担当するものは十人いる。毎日三人ずつ交代していくはずなのだが、コウガはここのところ毎日顔を見せていた。


 エリスの問いに、コウガは満面の笑みを見せる。


「それはもう!団長に掛け合って、毎日シフトを入れてもらうようにしました!」


 心から嬉しそうなコウガに、エリスはややゲンナリした顔を見せる。


 先月、コウガがマンティコアからエリスを護り、また翌日には討伐もしたという一件は、私設騎士団の中でも高く評価されていた。

 討伐自体はエリスの加護魔法あってのこと、となってはいるが、B級モンスターに一人で挑むガッツが買われたようだ。


 それ故、多少のわがままなら通してもらえたのであろう。


「それにしても……」


 エリスはここのところ不思議に思っていたことをコウガに尋ねた。


「何故お主は、そんなにわらわに仕えたいのじゃ?」


 魔王の記憶が戻る以前のエリスは、基本的に部屋で本を読むのが好きなインドア少女であった。ゆえに、他人と交わる機会がそうあった訳ではない。

 特に何か尊敬を集めるようなことをした訳でもない。

 だが、コウガは、以前からずっとエリスを慕っていたようだった。


 前の世界においては、その気持ちこそがまさに闇堕ちの要因だったと推測されるため、エリスはそれなりに興味があった。


「ああ!それはですね」


 エリスの問いに、コウガは再度笑顔を見せると、急に強く瞼を閉じ、顔の前で拳を握った。


「だって、お嬢様は『可愛い』じゃないですか!」


「……は?」


「騎士としてお仕えする前、お嬢様のご尊顔を拝見した時、俺は驚愕しました!なんという可愛さなのだと!」


「は、は?」


「天上の天使が裸足で逃げ出すその美貌と笑顔、まさに女神が如し!!いや、女神ですらお嬢様の前では霞んでしまうでしょう!ああ、もはや讃える言葉が見つからない!」


 血が滲みそうなほど拳に力を込めて悦に入るコウガを、エリスは口をぽかーんと開けて眺めていた。


 エリスの容姿に関するコウガの熱弁は延々と続き……

 そしてエリスは突如悟った。


 ――あっ……さてはこやつ……馬鹿じゃな?


 身もふたもない結論に達し、エリスは遠い目で空を見上げると、再び果物を頬張り始めた。


「……と、そういう訳で、俺は一生をかけてお嬢様に尽くそうと誓ったわけです!!」


「そうか……よかったのぅ」


 エリスはしゃりしゃりと咀嚼を続けながら、脳内で四天王ガイウスのイメージ……『ちょっと寡黙な最強の暗黒騎士』を『ちょっとお馬鹿な最強のあんこくきし』にアップデートしたのであった。


 ――こやつの闇堕ち……他に手はないかと考えたが無理そうじゃなぁ。わらわ以外、目に入っておらぬわ。


 エリスはふぅ、とため息をつく。


 大陸浄化計画の実行にあたって一番の不安材料。それは、エリス自身の魔力低下だ。日々少しずつ回復しているとはいえ、このままのペースでは元に戻る前に正体がバレかねない。

 最悪、回復するより先に勇者が覚醒してしまうことも考えられる。

 そんな中にあって、頼みの四天王の内一人が早速残念な感じになってしまったのは大誤算であった。


「仕方がない。わらわの方からも動いていくかのぅ」


 そう独りごちて、エリスはテーブルに置かれたネックレスを手に取った。

 大きな緑の宝石が、窪んだ白い台座に六ツ爪で止められている。 


「そのネックレスは、ゴルドー様から貰ったものですね?」


「そうじゃ。なかなか良いものじゃろう?」


「ええ!よくお似合いです!お嬢様の引き立て役に丁度いい!」


 褒めてるのか何なのか分からないコウガのコメントを聞き流し、エリスは指先で宝石の後ろの白い台座を撫でた。

 

 ――ま、良いのは、この台座なんじゃがな。


 エリスは口から大きなタネをぷっと飛ばすと、跳ねるように椅子から立ち上がった。


「コウガ。ちと街に繰り出すぞ。ついてまいれ」





 ファントフォーゼ侯爵領は、王国内では三番目に広い面積を有するものの、山岳帯や森林など、人が住みにくい地域が多い。


 しかし、領地の中心に位置し、郊外に侯爵邸のある、ここエルノウァールは、王都と隣のアルバハ聖王国とを結ぶ大街道の中腹にあることもあり、王国有数の地方都市として発展していた。


 少し日の傾いた今でも、中央広場では多くの人々が行き交っていた。大小様々な店が並び、活発な呼び込みが行われている。

 異国の行商人も普段より多いようで、そのほとんどが、真鍮の森産の珍しい果物や薬草を買い付けに来ている様子だった。


 その人混みの中を、高級生地の白いフードで顔を隠した、隠しきれないお忍び感漂う男女二人組が歩いている。


「ううむ、人間が多くて息苦しいのじゃ」


 エリスは、白いフードの中で眉間に皺を寄せながら周囲を見渡した。


「どいつもこいつも欲望まみれの感情がダダ漏れじゃ、愚か者どもめ」


 人間の暗い感情に非常に敏感なエリスにとって、人混みは溺れそうなくらいに刺激が強かった。


「……慣れるまで時間がかかりそうじゃな。まぁよい。……ところでコウガ。気づいておろうな?」


 エリスは顔を向けずに、斜め後ろを進む青年に声をかけた。


「もちろんですとも。全身を覆いつつも、お嬢様の美しさを損なわない。いや寧ろ、塔に幽閉された姫君のような背徳的な美しさを醸し出す、まさに完璧なお忍びコーディネートと言えましょう」


「うむ、そうじゃった。お主、馬鹿じゃったな」


 エリスが盛大にため息をつく。

 それから、面倒臭そうな表情で、自分の肩越しに後ろを指さした。


「あっちの話じゃ」


「……ああ、お嬢様ファンのことですね。はい、後ろに二人、斜め前に一人。屋敷を出た時からついて来ているようです。まったく、照れずにさっさと出てくれば良いものを」


「チャンピオン馬鹿か。それはファンではなくて尾行と言うのじゃ」


「尾行?何故お嬢様が尾行されるのでしょう?即刻排除致しましょうか」


 急に全身に殺気を纏うコウガを、たしなめるようにエリスは答える。


「気づいていたなら良い。ただお主を試しただけじゃ。今は放っておけ」


 手をひらひらさせながら、キョロキョロと何かを探しつつ歩みを進めるエリス。

 その後を、周囲を睨みつけながらコウガが続いた。




 中央広場を少し抜け、やや路地が多くなってきたところで、ふとエリスの足が止まる。


 ――ぬ?こ、これは??


 エリスが凝視する先。

 それは露天商が設置した簡易な棚の一つで、その上に乗っていたのは。


 ……着飾った、小さな女の子の人形だった。


 露天商は異国からの行商人のようで、その人形の表情や服装は、王国ではあまり見られないものだった。

 その人形の前で、エリスはワナワナと手を振るわせ始める。

 前世で悪逆非道の限りを尽くし、地獄の魔王と呼ばれたエリスが、その人形を見て心に浮かべた言葉。それは……


 ――可愛い。


 ――これ、欲しい。可愛い。


 吸い寄せられるようにふらふらと棚の前まで行き、腕を人形へと伸ばしかけたところで、エリスは、はっと我に返った。


 ――んなっ!?わらわは何をしておるのじゃ?!


 ばっと手を引っ込めると、両手で自分の頬を抑える。


 ――ただの人形じゃぞ!?児戯の小道具に過ぎぬ!なんでこんなものに心惹かれ……!


 そしてエリスはすぐにその理由を理解する。


 前世の記憶が甦る前の、侯爵令嬢としての十五年間。エリスは、人形がとても好きな少女だった。

 空想小説を読み耽り、色んな想像を膨らませながら人形を眺めていた、なかなか堂に入ったインドアガールであったのだ。


 ――ぐぐ、この記憶かっ!人間として生活した記憶など、わらわには不要じゃというに……!!ぬうううう、それにしても良い造形じゃ、さぞかし名のある職人が……、いや、だから違うのじゃああああああ!!


「お嬢様?どうなされました?」


「んあ!?あ、いや、その、新型ゴーレムの核に、こんなのどうかなと思ってじゃな」


「ゴーレム!?」


 露天商がギョッとした顔を見せるが、気づかずにただ一人葛藤を続けるエリスであった。



 少しののち、エリスがぷるぷると自分の財布に手を伸ばしかけた、その時。


 近くの路地の一つから、何か言い争う声が聞こえてきた。


「返せよ!それは俺のだ!」


 一方は、まだ十二、三歳と思われる少年。

 それを、いかにも悪そうな大人の男が四人で囲んでいる。

 少年は男の一人から何かを取り返そうとしていたが、容赦なく振われた拳の一撃で路地の壁に叩きつけられた。


「ぐぐ……か、返せ……それが、ないと……」


 痛めつけられた身体を必死に起こしながら、少年が男たちに食い下がっている。


 その様子を、エリスはじーっと眺めていたが、すぐに興味のなさそうな顔になる。


 ――まぁ、弱肉強食の世界にあっては食われる方が悪いのじゃ。とっとと諦め……ん?


 恐らく少年から奪ったと思われる、男が手にしていたモノが、エリスの目に留まった。


 ――あれは……!見つけたのじゃ!


 それは、十字の形に加工された石。

 雲のように白く、見た目はありふれた質感のその石は……エリスのネックレスの台座に使われている石と、同じものであった。

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