迷宮の檻

霜月ふたご

「三度叩いて右へ進む! 次が左じゃ!」

 小さい頃から私は、お爺様じいさまに厳しくしつけられてきました。


「三度叩いて右へ進む! 次が左じゃ!」

「三度叩いて右へ進む……。次が左……」

 私はお爺様が発したその言葉を骨身ほねみに染みさせるように、一語一句たがわず必死に復唱をしました。

 でなければ、お爺様から厳しいお仕置きが飛んでくるかもしれません。

 少しでも間違えば、お爺様にまた最初から同じ文言を繰り返させられるので私はビクビクしていました。


 もう長いこと緊張状態にあった私は、疲労で今すぐにも倒れそうになっていました。頭はクラクラして、視界もボヤケて見えています。

 それでもお爺様は、なかなか私を解放してくれませんでした。最後までその言葉を間違わずに言い切るまで──何度も何度も何度も何度も──同じ文言を繰り返すのです。


石壁いしかべくぼみに手を入れて、ハンドルを右に回す!」

「石壁の窪みに手を……」

 私はただひたすらにお爺様の言葉を繰り返しました。

 言葉を止めてしまえば、何をされるか分かったものではありません。

 誰だって、こんなことを続けていては、精神も身体からだ可笑おかしくしてしまうでしょう。


 私も何度か倒れたことはありました。

──ですが、お爺様は大変な資産家でありましたので、あらゆる手を使って私を立たせたのです。

 例え意識を失ってこの場で私が倒れたとしても、お爺様は医師に言い付けて特別な治療や投薬をし、一晩で私を復活させたこともありました。

 そしてまた、同じ言葉を繰り返させられるのです──。


 周りの大人たちはみんなお爺様にこびを売っていて、誰も私の言葉に耳を傾けてはくれません。助けを求めても、手を貸してくれる人などいませんでした。

「そんなこともあるさ。お爺さんだって、毎日必死に働いて虫の居所が悪い時だってあるだろう? 大目に見てやってくれ」

 お爺様の肩を持ち、私が言いくるめられるばかりでありました。


 誰も、お爺様を敵に回したくないのです。

 まだ私が幼い私の言葉と天秤てんびんにかければ、誰しもがお爺様に肩入れすることを選ぶでしょう。

 損得そんとく勘定かんじょうばかりの大人たちからしてみれば、私などよりもお爺様に取り入った方がどれ程の利益を得られるかは明確なのであります。


──私は、逃げられないのです。


 私は毎日お爺様から教えられた言葉を呪文の様に唱え続けるばかりでありました。

 そんな日々からいつ解放されるのか──。


 ある日、転機が起こりました。

 私が学校の卒業を間近に控えたある日のことでした。


 お爺様が──この世を去ったのでありました。

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