第3話 子ネコーの森デビュー

 ちっとも言うことを聞かないネコーたちに腹を立て、荒ぶっていた長老だったが、子ネコーの胸毛わしゃわしゃが効いたのか、次第に落ち着きを取り戻していった。

 それを察したにゃんごろーは、今度は胸毛をグイグイ引っ張りながら、気がかりだったことを尋ねる。


「ね、ねえ? ちょーろー、ルシアしゃんのおうちは、ドッカンしちゃっちゃの? ル、ルシアしゃんは、らいりょーるにゃの? おうちは、らいりょーるにゃの?」

「む? うむ、ルシアのお家は、おそらく大丈夫じゃないじゃろうが、ルシアは無事みたいじゃな」

「ほ、ほんちょ!?」


 爆発の原因だと思われるルシアの無事を聞いて、にゃんごろーは強張っていたお顔を緩めて長老に縋りついた。

 とりあえずは、一安心だ。けれど、「お家は大丈夫じゃない」という長老の言葉は、ツキリとした痛みを伴って、にゃんごろーの胸を刺した。ルシアの家兼工房兼倉庫は、にゃんごろーにとって、思い入れのある場所なのだ。今は遠く離れたところで療養中の兄弟ネコー、にゃしろーとの、約束の場所なのだ。

 それなのに、にゃしろーがいない時に、約束の場所がドッカンしてしまったのだ。


(どーしよう? にゃしろーに、なんていえば…………)


 子ネコーの心とお目目が、激しく揺れ動いた。

 心は冷たく、お目目は熱く、揺らいでいる。

 ユラユラが溢れ出してしまいそうだったが、感傷に浸っている時間は、与えられなかった。

 長老が、続いて恐ろしい事実を告げたからだ。


「ふー。じゃが、みんな逃げだしてもーて、誰も手伝いには行っておらんようじゃの。ルシアが火を消し止めようとしては失敗して、悪化させている気配だけが伝わってくるわい。下手を打って、火が燃え広がったら、ルシアの家どころか、ネコーの住処ごと、森が大火事になってしまうわい」

「にゃ!?」


 長老の白くて長くてふっさふさの毛並みにしがみつき、にゃんごろーはお口をハクハクはせた。衝撃のあまり、言葉が出てこなかった。

 このままでは、ルシアの家どころか、にゃんごろーと長老の家も、ハミルの家も、他のみんなの家も、恵みをもたらす森も、すべてが燃えて、なくなってしまうかもしれない。


 にゃんごろーの大事な場所が、全部、なくなってしまうかもしれないのだ。

 にゃしろーの帰ってくる場所が、なくなってしまうかもしれないのだ。


 もふ毛に包まれたお腹の奥が、キュッと冷たくなった。

 にゃんごろーは震えながら、そっと長老から離れて、シュシュッとお手々を四方八方に繰り出した。動揺の舞を踊ることで、心を鎮めているのだ。

 体を動かすことで、冷たさを追い払ったにゃんごろーは、ある決意をした。


「ちょーろー、にゃんごろーも、おてちゅらいしゅる! れんぶ、なくにゃっちゃうみゃえに、いっしょに、ひをちょめよう!」


 大事だから、なくさないように、守りたいと思った。

 だから、長老のお手伝いをしようと思ったのだ。

 それは、長老を信じているからこその、勇気ある決断だった。

 にゃんごろーには、分かっていた。

 きっと、長老は、他のネコーが手伝ってくれなくても、たったひとりでも、住処と森を守るために、あの恐ろしい火柱をどうにかしに行くつもりなのだと、分かっていた。

 分かっていたからこそ、そのお手伝いをしようと思った。

 にゃんごろーは、まだまだ魔法の練習中だし、火を止めるお手伝いは出来そうもない。それでも、消火しようとして、逆に被害を大きくしているルシアを止めるお手伝いくらいは、にゃんごろーにも出来るはずだ。

 とにかく、何か少しでも、長老のお手伝いをしたかった。


 森のために、みんなのために、長老のために、にゃしろーのために、自分のために。

 何かをしたかった。


 炎は恐ろしいけれど、長老と一緒ならば、大丈夫だと思った。

 置いていかれて、ひとりにされる方が嫌だ、という心の奥底の気持ちからは、そっと目を背けた。

 長老は、決意の眼差しで見上げて来る子ネコーを見つめ、少し考えてから、こう言った。

 

「うむ。では、にゃんごろーに一つ、大事な頼みがあるんじゃ」

「う、うん! みゃ、みゃかせちぇ!」


 長老にお願いされて、にゃんごろーは内容を聞く前から、二つ返事で引き受けた。

 こんな風に、改まって長老から頼みごとをされるのは初めてだったので、俄然張り切った。

 諸々のために頑張ろうという想いが、より一層強くなる。

 やる気の炎が一気に燃え上がり、奥底でひっそりと燻っていた恐怖や不安を焼き払っていった。


「にゃんごろーよ。にゃんごろーひとりでお船まで行って、助けを呼んでくるのじゃ!」

「……………………ふにゃ?」


 けれど、後に続いた長老の言葉は予想外なもので、にゃんごろーは目を真ん丸にして、こてんと首を傾げた。やる気の炎が、少し弱まった。

 だって、にゃんごろーも長老と一緒に、火柱の元へ行くつもりだったのだ。

 消火活動を頑張る長老の傍で、冷静に暴走しているルシアの邪魔をするという重大任務を任されるつもりだった。ルシアは、普段は冷静で有能なネコーなのだが、動揺するとポンコツになる。今も、事態を収拾するつもりで悪化させているはずだ。

 非常時におけるルシアのポンコツぶりは、森のネコーなら、誰でも知っている。

 だから、ルシア担当を任されると思っていたのに、まったく違うお願いがやって来た。

 事態についていけず、にゃんごろーは思考停止のお顔で、長老を見上げた。


「にゃんごろーひとりでお船に行って、助けを呼んでくるんじゃ。あそこまでになってしまったら、さすがにわしひとりでは骨が折れるわい。もうひとりか、ふたり、魔法の使い手が欲しいところなんじゃ」


 長老は、にゃんごろーの肩に手を置いて、腰を屈めて目線を合わせながら、もう一度言った。今度は、お願いの理由まで教えてくれた。

 にゃんごろーは目をパチパチしながら、長老を見つめ返す。

 すぐには、お返事が出来なかった。


 お船は、にゃんごろーにとって、憧れの場所だ。

 にゃんごろーが知らない、美味しいたものがたくさんある場所。

 長老に連れて行ってもらうのを、楽しみに待っていた。


 でも、それは。

 長老が一緒だからこそ、の話だ。


 にゃんごろーは、お船どころか森の中だって、ひとりで出歩いたことはなかった。森には危険な獣もいるから、魔法で戦えるようになるまでは、ひとりで森に入ってはいけないと言われていた。にゃんごろーは、その言いつけを頑なに守り続けていた。なぜなら、にゃんごろーには、言いつけを破って、ひとりで森へ冒険に出かけ、獣に食べられてしまった兄弟がいたからだ。

 その時から、森は。

 にゃんごろーにとって、ひとりで遊びに行ってはいけない恐ろしい場所になった。守ってくれる長老と一緒ならばともかく、ひとりで森に入るなんて、とんでもない話だった。

 にゃんごろーは、食べるのは大好きだが、食べられるのは嫌なのだ。

 長老のお手伝いはしたい。でも、ひとりで森を抜けてお船までおつかいに行って来いだなんて、無理な相談だった。

 だから、にゃんごろーは長老の白くて長いもふぁ毛を掴んでユサユサしながら必死に訴えた。


「れ、れも! まら! にゃんごろ! もり! まほ! けみょ!」


 まだまだ魔法練習中のにゃんごろーは、森で獣に襲われたら、ひとりでは戦えない――――という子ネコー必死の訴えは、動揺のあまり、随分と覚束ないものになってしまった。

 けれど、長老は、にゃんごろーの言いたいことを、ちゃんと正しく理解した。

 理解した上で、説得を続けた。にゃんごろーの肩を、優しく撫でてやりながら。


「大丈夫じゃ。この火事じゃからの。獣たちもとっくに逃げ出しておるわい。それに、念のために、獣除けの魔法をかけてやるから、安心するのじゃ。お船に着くまは、効果が持つはずじゃ。大丈夫じゃよ。いつか、にゃんごろーを連れて行くときのために、子ネコーでも歩きやすいように魔法で道を作ってあるからの。魔法を辿っていけば、にゃんごろーひとりでも、ちゃんとお船まで辿り着ける。だから、大丈夫じゃ」

「う、うー…………。で、でみょ、にんれん…………」


 それなら、大丈夫なような気がしてきた。

 獣に襲われるのは怖いけれど、にゃんごろーとて冒険への憧れが全くないわけではない。 畑ネコーになって美味しい野菜を育てるのもいいけれど、旅ネコーになって世界中の美味しいものを食べて回るのもいいな、と心ひそかに思っていたのだ。

 長老の魔法の腕前は、信頼している。お料理以外の魔法は、森のネコーの中では、長老が一番上手だ。その長老が獣除けの魔法をかけて、これで大丈夫というのなら、本当に大丈夫なのだろう。

 とはいえ、やっぱり不安は残る。それに――――。

 いくら長老のお友達とはいえ、知らない人間にひとりで会いに行くというのも、尻込みの原因だった。お船どころか、人間自体、会うのが初めてなのだ。

 長老と一緒なら大丈夫かもしれないが、にゃんごろーひとりで本当に大丈夫なのか、激しく不安だった。「子ネコーがひとりで何しに来たんだ」なんて言われたら、どうしよう、とつい心配になってしまう。


「だーいじょうぶじゃ。次にお船に行くときに、にゃんごろーを連れて行くことは、お船のみんなにも話してある。みんな、にゃんごろーに会うのを楽しみにしておったわい。森から来たにゃんごろーです、と言えば、みんな優しくしてくれるぞ?」

「…………しょー、にゃの? うぅ、でみょ…………」


 みんな、にゃんごろーに合うのを楽しみにしているという言葉には心をくすぐられた。けれど、初めてのお使いを引き受けるには、今一つ決め手に欠けている。

 だが、長老は確信していた。にゃんごろーは、必ずお使いを引き受けてくれると。

 何をどう言えば、にゃんごろーがその気になるのか、長老は知り尽くしているのだ。


「にゃんごろーよ。長老は、ひとりでも火を消すのを頑張る。じゃから、にゃんごろーは、お使いを頑張るのじゃ。長老も火を消し終わったら、すぐにお船に向かうのじゃ」

「…………」


 にゃんごろーは、俯いて答えない。

 長老は余裕を崩さなかった。

 本番は、ここからなのだ。

 ここで長老は、にゃんごろーの心を擽る魔法の言葉を唱えた。


「そうしたら、頑張ったご褒美に、うんと美味しいもので、一緒に乾杯しよう」

「………………!」


 にゃんごろーが、お顔を上げた。

 不安に揺れていたにゃんごろーの瞳には、希望の光が灯っていた。

 頑張ったご褒美に、うんと美味しいもので乾杯。

 魅惑のワードが、脳内どころか体中を駆け巡る。


「一緒に、ネコーの住処を守るのじゃ。そうして、頑張った後のご褒美の乾杯は、美味しいものを何倍にも美味しくしてくれるのじゃ。それはもう、格別じゃぞ。どうじゃ? 味わってみたくないか?」

「…………あ、ああ、ありわっちぇ、みちゃい!」

「そうじゃろう、そうじゃろう。お船のお料理は、ほっぺが落ちそうなほど美味いぞう? 勝利の乾杯は、それをもっともっと、美味しくしてくれるのじゃ! じゃが、それもじゃ! にゃんごろーが、お船までひとっ走りして、助けを呼んで来てくれなければ、味わうことが出来ないんじゃ! 長老ひとりでは、あの炎の柱には、太刀打ちできんからな! じゃから、にゃんごろーのお手伝いが必要なんじゃ!」

「おいしい、きゃんぴゃいのちゃめには、にゃんごろーのおてちゅらいら、ひつよー…………」


 食いしん坊魂に火をつけられた上、にゃんごろーが必要だなんて子ネコー心を擽る言葉をその火にくべられては、堪らない。

 すっかり、その気になってきた子ネコーに、長老は最後の一押しを放った。


「そうじゃ! 長老には、にゃんごろーの力が必要なんじゃ! 長老と一緒に、美味しいもので乾杯するために、行ってくれるな? にゃんごろーよ」

「にゃんごろーの、ちららら、ひちゅよー…………。ん、んん…………! わかっちゃ! ちょーろーら、しょこまれ、いうにゃら! にゃんごろー、ちょーろーと、きゃんぴゃいしゅるちゃめに、いってくりゅ!」


 長老に頼られて、すでにグラグラだったにゃんごろーは陥落した。

 にゃんごろーの瞳に、やる気と食い気の炎が燃え盛る。

 こうなってはもう、長老の手のひらの上ならぬ、肉球の上の子ネコーである。

 あっさりと引っかかった子ネコーに、内心ニンマリしつつ、長老は威厳溢れるお顔つきを装い、話を続けた。


「よーし、よく言った! にゃんごろーよ、何処から森へ入ればいいかは分かるな?」

「うん!」


 完全にやる気の子ネコーは、真っすぐに長老を見上げ、誇らしげなお顔で力強く答えた。

 長老がお船に行くときは、いつも近くまでお見送りに行っていたため、何処から森へ入ればいいのかは知っている。


「うむ! では、行ってくるがいい! 長老の作った道を進めば、ちゃんとお船まで辿り着けるからの。大丈夫じゃ。いいか、にゃんごろーよ。転んでもひとりで立ち上がって、お船を目指して走っていくんじゃ! 長老の道を辿って、森を下っていけばよいだけじゃ! そーして、全部終わったら、一緒に美味しいものを食べような! ご褒美の乾杯じゃからな!」

「うん! にゃんごろー、いっちぇくりゅ!」


 にゃんごろーの体を、お船へ続く森の入り口へ向けると、長老はその背中をポンと叩いて、獣除けの魔法を施した。

 背中から、長老の魔法が広がっていく。

 ほんのり、じんわり、暖かい。安心できる、暖かさ。

 これなら、大丈夫だと思えた。

 長老の魔法があれば、獣に襲われることはないだろう。

 長老の魔法に勇気をもらって、にゃんごろーは走り出す。


「たのんだぞー、にゃんごろー!」

「うん! みゃきゃせといちぇ!」


 背中に声援を送られたけれど、振り返ることなく返事をして、にゃんごろーは走り続ける。

 長老に頼りにされたことが、嬉しかった。誇らしかった。

 不安の虫は、嬉しさと誇らしさと食い気の炎に吹き飛ばされていた。


「にゃっはっ! にゃっはっ!」


 短い手足を必死で動かして走るにゃんごろーの瞳は、輝いていた。

 初めてのお使いをやり遂げて、長老と乾杯するのだ。

 うんと美味しいもので、ご褒美の乾杯をするのだ。


 これから訪れるはずの素敵な未来予想に突き動かされるまま、子ネコーはカラフルな屋根のお家が点在する集落内を駆け抜ける。

 他のネコーは、すでに逃げた後のようで、誰とも行き会わなかった。

 そして、ついに、森への入り口が見えてきた。

 いつも、お船へと向かう長老に手を振って、お見送りをした場所。

 お土産のお菓子を楽しみにしながら、今か今かと帰りを待ちわびた場所。

 お見送りとお迎えをするだけだった森への入り口のその向こうへ、にゃんごろーは、今ひとりで足を踏み入れようとしている。

 ほんの少しだけ、また不安の虫が湧いてきた。

 でも。

 木立の隙間、茂みの隙間に続くお船への道からは、長老の魔法の気配が感じ取れた。長老が作ったその道は、下草の丈が短く、子ネコーでも歩きやすくなっていた。

 長老が、いつかにゃんごろーをお船へ連れて行くときのために作ってくれた道。

 ネコーの住処からお船まで、魔法で道を作るのは大変だっただろう。

 それでも、長老はにゃんごろーのために頑張ってくれたのだ。

 そのことが嬉しくて、そのことに背中を押されて、また勇気が湧き上がってくる。


「ちょーろー! にゃんごろー、らんらるきゃらね!」


 自らを奮い立たせるように叫ぶと、にゃんごろーは「えい!」とばかりに森へ足を踏み入れる。


「ごほうびー! きゃんぱーい! おいしいもにょー!」


 にゃんごろーにとっての魔法の言葉を叫びながら、士気を上げるために拳を振り上げる。

 そうやって、にゃんごろーは――――。

 ついに、ひとりでの森デビューを果たしたのだった。

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