10 追憶 下《クロード視点》
「新しい聖女……ですか?」
ある日の早朝、上司に呼び出されたクロードは、告げられた言葉に思わずそう聞き返した。
「ああ。今の無能よりとても優秀なお方だ」
「それは……決定事項なんですか?」
「決定事項だ。だからお前を呼んでいる」
上司曰く、新しい聖女が用意される事になったらしい。
それを聞いた時、クロードは何かの間違いかと思った。
(……ちょっと待て。いくら何でも唐突過ぎないか?)
これまでそんな前触れもなかったのに。
そうだ……普通は何かしらの前触れがある。
聖女を選ぶのも簡単な話ではない。
今目の前に適性のある人間が居たとして、それで今日から聖女をやらせるなんて、そんな馬鹿な事は無い。
ほぼ間違いなくずっと探しては居たのだろう。
だけど候補が見つかった段階で自分のような人間にも話は回ってくる筈で。
それが一切なくて、それどころか代わりの聖女が見つからない事を嘆く担当者の会話をつい昨日偶然耳にしたばかりだ。
……それなのに、今日になって突然そんな話が湧いて出てきている。
(……何かがおかしい)
明らかにこの状況は異質だ。
そして自身の中に生まれた疑問を解決する為に、クロードは上司に問いかける。
「あの……一体いつ代わりの聖女なんて見つかったんですか。俺昨日国内どこを探しても適性のある人間が見つからないって担当者が嘆いているのを聞きましたよ」
「ああ。それは俺も聞いている。お前が聞いた奴と同じかは分からないが、俺の友人も聖女を探す担当者の一人でな。しょっちゅう愚痴を聞いてた。だからまあ……国内の人間じゃないんだ。旅の者らしい」
「……は?」
クロードは思わずそんな間の抜けた声を出す。
聖女は国民の中から選ばれるのがしきたりな筈だ。
……間違っても他国の人間など採用できない。
何故なら聖女は国防の要だから。
聖女という役職を他国の人間に握らせるのは、生殺与奪の権利を他国に握らせるのと同義だ。
故にどこの国も聖女絡みの情報は必要最低限しか他国に渡らないようになっているのに。
それなのに旅人が聖女として採用されようとしている。
……そして。
「まあ驚くのも分かるが腕は確かなそうだ。これでこの国も安泰だよ」
目の前の上司は何故そんな滅茶苦茶な事を受け入れているのだろうか?
「……どうした?」
「腕が確かって……聖女は国防の要ですよ。それを他国の人間に委ねるって話をしてるんですよね? なのになんでそんな平然と――」
こんなのは有能無能以前の問題だ。
超えてはならない一線を、平然とした表情で超えている。
何もおかしいと思っていない。
そしてそれは目の前の上司だけではない。
おそらく王を含めた、この件に関わっている全員が同じ状態の筈だ。
「何か問題でもあるか? 今よりよっぽどいいだろう?」
「……ッ」
分かっている。
目の前の上司も他の人間と同じように、クレアに不満を持っている。
実際大きなヘイトが向けられているのは分かっている。
だけど……それを含めても。
その声音や表情からは大きな違和感が感じられた。
そして事態を呑み込めずにいるクロードに対し、上司は言う。
「どうした固まって。まあいい。とにかくそろそろ本題に入ろう」
「ほ、本題?」
「新しい聖女の担当も引き続きお前がやってくれ」
「……ッ」
言われて思わず声にならない声が出た。
(……そうだ、聖女が変わるという事は……ッ!)
色々と混乱する事ばかりを告げられて、すぐには頭が回らなかったがようやくそこに辿り着いた。
クレアが聖女ではなくなるという事。
自分がクレアに仕える執事ではなくなるという事。
そんな当たり前の事をようやく理解できて、そして。
……大きな不安が込み上げてきた。
状況は不自然。歪。異常性しか感じられない。
そんな中でこれまでヘイトを溜め続けたクレアが聖女の任を解任される。
……そのヘイトを抱えたまま、どれだけ文句を言っても国として失う訳にはいかなかった聖女の立場という後ろ盾が消滅する。
……正直、クレアはきっと聖女を辞めた方が幸せになれると、クロードはそう考えていた。
今の肉体的にも精神的にも大きな負荷が掛かるこの状況など、それでも頑張ろうとするクレアの前では言えなかったが、放り出せるなら放り出した方が良いと。そう考えていた。
だけど。
(無事に……辞められるのか?)
そんなあまりに大きな不安が、クロードの中に湧き上がった。
そしてそこから顔を合わせたこの件を知る人間は皆、上司と同じような事を口にしていた。
……誰一人として、この異常性に気付いている者はいなかった。
クロード以外、誰も。
(なんだ……俺は何か悪い夢でも見てるのか?)
だけど頬を抓っても夢から覚めず、この異様な状況はどうしようもなく現実だった。
そんな中で、偶然クロードは鉢合わせた。
城の中で見覚えのない人間。
……どこか怪しい雰囲気を醸し出す女性。
(……誰だ? ……まさかこの人が新しい聖女か?)
そう考えながらも軽く会釈する。
自分の読みはどうであれ、客人である事は間違いなさそうだから。
するとその女性はこちらに僅かに視線を向けて言ってくる。
「成程。あなただけは愛されているんですね」
「……?」
そんな、意味深な言葉を。
果たしてその言葉がどういう意図で発せられた物なのかは分からない。
(俺だけは愛されている……何の話だ?)
そしてその意図が結局読めぬまま、謎の女性はその場を去っていく。
……後で聞いた話によると、今の女性が新しい聖女らしい。
今日から自分達の命を預ける相手らしい。
その後、新しい聖女との邂逅を終えたクロードは、その後普段通り執務を進めていった。
「……どうしたの? 何か考え事?」
「いえ、別にそういうのじゃないですよ」
「そう? なら良いんだけど……私なんかで良かったらいつでも相談に乗るからね」
「……ありがとうございます」
今日あった事を。
これから起きるであろう事を、クロードは何も言えない。
所定の時間に謁見の間へ来るようにクレアに伝える事。
新しい聖女の事を含め、クレアには何も伝えない事。
そこにどういう意図があったのかは分からないが、それが上からの通達だった。
……別にそれを律義に守ろうと考えている訳ではない。
少し前に父が亡くなってから、この国で信頼を置ける人間は……信頼を置きたい人間はクレア以外誰も居なくなった。
故に自身の行動指針の根底にあるものはもはや、自分の事とクレアの事しかないと言える。
……だからその指示を守ったのは、あくまでそうする事が最善だと感じたからだ。
今日から新しい聖女が就任するという事は、クレアは聖女から降ろされる。
その時にあるかもしれない、大きな危険の可能性。
今クロードが取るべきだと思ったのは、その危険の回避だ。
そんな中でクレアに今自分の持っている情報を伝えたとして、きっとそこから取る事ができる選択は少ない。
大博打を打つか、何もしないか。
心持ちにはある程度の差があるかもしれないが、その位しかない。
それどころか、下手に情報を与える事で更に良くない事が起きる可能性も見えた。
……だから、今はこれで良い。
自分の力を過信できない以上、これでいい。
穏便に事が済むようならそれでよし。
そうはならないと判断した段階で大博打を打つ。
謁見間の中に居る人間を全員皆殺しにしてでも、クレアを国外に脱出させる。
成功率の低い大博打。
願わくば穏便に事が進みますように。
今のクロードにできる事はそう祈る事だけだった。
そしてやがて、その時がやって来る。
今回呼び出されたのはクレアだけだ。
クロードに謁見の間へ立ち入る権利は無い。
故に謁見の間へ入っていくクレアを見送った後は、外で待機となった。
……いつでも動けるよう、周囲に警戒されぬように臨戦態勢を整えて。
(……よし、無事上手くいった)
外に居れば視覚情報も得られなければ、ろくに会話も聞こえない。
だからこそ打った対策。
視覚と聴覚のジャック。
今日あの場に立つ近衛の一人にその魔術を行使した。
クレアの執事になってから覚えた魔術の一つだ。
効果範囲は広くは無いが、部屋の中と外程度なら十分どうにかなる。
これで中の状況を探り、場合によっては助け出す。
その覚悟でクロードはそこに立つ。
だが結局、謁見の間での話はクレアの国外追放という最悪な結果と比べれば比較的穏便な形で事が済み。
クレアは沈んだ表情ではあるものの、五体満足で謁見の間から出てきた。
出てきてくれた。
「お疲れ様です、聖女様……いや、今は元聖女様とでも呼んだ方がよろしいですか?」
「……聞いてたんだ」
「耳が良いんで」
本当はそんな理由ではないけれど、そう答えておく。
そしてそう答えながら、目の前のもう聖女ではなくなった女の子をなんて呼べば良いのだろうと思った。
自分で行っておきながら、流石に元聖女様は無い。
……ああそうだ。その辺りは早急に決めなければならない。
「そっか……うん、呼び方なんてどうでも良いよ。私とクロードの関係もこれまでなんだから」
「そんな寂しい事言わないでくださいよ元聖女様。俺はまだあなたの執事なつもりなんですから」
自分はこれからもクレアと関わっていくつもりなのだから。
そしてとりあえずの呼び名は決めた。
正直今更普通に名前を呼ぶのも気恥ずかしさがあって。
そしてこれからもせめて自分だけは味方で居るんだという事を伝えたかったから。
思いついたそれらしい呼び名。
拒否されるかもしれないが、クロードはそれを口にする。
「いや、やっぱ元聖女様は言いにくいな。よし、じゃあこれからはお嬢なんてどうでしょう。結構それっぽくないですか?」
それから少し恥ずかしい事も言いながら、クレアに着いていく旨を伝えた後、国家執事を止めるという話の通り、その後すぐに辞表を提出。
元より有事の際に自分の代わりを勤められる人間は用意されていて、そしてクレアの肩を持つ自分の事はあまりよく思われていなかったのかもしれない。
辞表はあっさりと受理された。
それからは身支度だ。
最悪な事態は常に想定していた為、この先の最低限の準備は既に整えてある。
だからあまり大がかりな支度はなく早々とやるべき事を終え、クロードはクレアの元へと向かう事にした。
……その途中でだ。
「あら。これはこれは」
再び新しい聖女と鉢合わせた。
……もう自分はこの国を出ると決めた人間だ。
それでも人として最低限のモラルとして、この位は言っておくべきなのだろうなと思う。
「……これからこの国をよろしくお願いします」
だから気が付けばもう殆ど残っていなかったような、そんな感情を口にする。
すると新しい聖女は言った。
「もうそんな事は欠片も思っていない筈なのに。律義で良い人なんですねあなたは。私の執事になってくれなくて残念です」
「……ッ」
こちらの心情を見透かすような目線と言葉。
(……悟られてる。本当になんなんだこの人は)
あらゆる事が謎に包まれている。
どこから来たのかも。何故皆があっさりと受け入れたのかも。
どうしてほぼ初対面に近いような相手の心情を正確に読んでいるのかも。
そして態々その事実をこちらに突き付けてきた理由も。
何も何も分からない。
分からないが、それでも一つだけ確信が持てた事がある。
「でもあなたはそれでいい。あなたがちゃんと元聖女ちゃんを選んでくれてよかった」
「……」
意図も何も分かったものでは無いが、彼女の口から発せられる言葉には一切の悪意は感じられない。
今まで自分の周囲を埋め尽くしていたような悪意が、微塵にも感じられないのだ。
そして困惑するクロードに、助言するように彼女は言う。
「とりあえず執事君に忠告……いや、アドバイスをしておきますね」
「……アドバイス?」
「振り返るな。振り返らせるな。聖結界の外に出たら此処ではないどこかへ真っすぐ向かう事。間違っても戻ってくるような真似はしないようにしてください」
何故とは聞かなかったし、そもそも戻ってくるつもりもない。
戻りたくないし、戻れない。
クレアはもうこの国に居られないのだから。
だから言われたのはそんな当たり前の事。
そして悪い見方をすれば、新しい聖女にとって邪魔でしかないであろうクレアを遠くに行かせるための方便にも聞こえるような、そんな言葉。
……だけど。
「ご忠告、感謝します」
それはどこか善意で告げてくれたアドバイスのように思えた。
(……本当になんなんだこの人は)
考えても答えが出る訳が無くて。
そして答えを出す必要も無い。
きっとこれから先、自分達の人生に関わってくる事が無いであろう相手なのだから。
そしてクロードは軽く会釈をした後、クレアの元に足取りを向けた。
そしてそれからクレアと共に旅立ち。
……クロードの意識は現在へと戻ってくる。
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