8 追憶 上《クロード視点》
聖女は国を守る人柱だ。
自分達はその犠牲の上で生きている事を忘れてはならない。
長年聖女の執事を勤めていた父はクロードに対しよくそう言い聞かせていた。
聖結界を張り続ける事により生じる体への負担。
それにより当然のように短命。
確かにそうした害を一身に受けて国家を守る聖女らは父の言う通り人柱のようなものだと思ったし、そんな聖女達に敬意を表するのは当然の事だと、子供ながらに考えていた。
だからこそ、この国のあり方にずっと強い違和感を感じて生きてきた。
皆、聖女に守られるという事を、さも当然の権利のように認識して生きている。
人の犠牲の上で自分達の生活が成り立っているという自覚があまりにもない。
言ってしまえば無関心。
そんな、どこか不快な違和感。
そんな不快な違和感を感じながら、クロードは18歳になった。
この日から勤める事になったのは父の代わり。
その準備。
前の聖女がもう持たないというので、新しい聖女が選出された。
そして父は病気を患っており、聖女が入れ替わるのと同時にその執務はその後釜として教育を受けてきた自分へと引き継がれる事になり、今日はその新しい聖女との顔合わせ。
(……俺が支える)
そう強く心に決め、彼はその顔合わせへと臨むことにした。
誰もが聖女に対して無関心で、内情に詳しい城の人間や同僚も一般人と比較すればマシに思える程度の認識でしかない。
父と……早くに病気で亡くなった母以外に、聖女という存在を重く捉えている国民など見た事が無かった。
だからその分、これから一番近い位置に立つであろう自分が支えなければならない。
せめて自分位は無関心でいてはいけない。
そうした決意を強く抱き、そして。
「私はクレア・リンクス。これからよろしくお願いします、執事さん」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
クレア・リンクスという、これから聖女となる少女に出会った。
(この子が……)
クレアは何処にでもいそうな、可愛らしい普通の女の子だった。
だからこそ、そんなクレアと顔を合わせて改めて実感する。
「……」
自分達の生活が普通の女の子の犠牲の上で成り立っているという歪さを。
「どうしたんですか? 執事さんあまり顔色良くないですけど」
「あ、いや、大丈夫です。気にしないでください」
クレアに指摘され思わず慌ててそう答えた。
「そ、そうですか。なら良かったです」
そう言ってクレアは少し安心したように笑みを浮かべる。
そしてそれから一拍置いて、クレアに問いかけられた。
「ところで、私は執事さんの事をなんて呼べばいいんでしょうか?」
「クロードで構いませんよ」
「じゃ、じゃあクロードさん」
「別にさんもいりません。それに先程から俺に敬語を使っていますが、俺は聖女様に仕える立場の人間です。元々そういう話し方なら構いませんが、そうでないならもっと肩の力を抜いて喋って貰っても大丈夫ですよ」
「そ、そう? えーっと、じゃあ……改めてよろしくね、クロード」
「はい、聖女様」
「……私の事もクレアで良いのに」
「いえ、私はあなたに仕える立場なので。そういう風に言わせてください」
「う、うん。まあクロードさん……ううん、クロードがそうしたいなら、それで良いと思うけど……」
「じゃあそれで」
そう、そういう立場だ。
立場が違う。
これからこの国を一人で支えようという立派な女の子と、自分なんかの立場が一緒であってたまるか。
きっと彼女の立場は本質的には……王よりも重い。
決して口に出せるような話では無かったが、クロードの中ではそういう事になっていた。
クロードの中だけはそういう事になっていた。
そしてそれだけ重い立場だと認識していても、やはり普通の女の子だという印象は消える事は無く、実際それから接していて印象通りの人だと思った。
立ち振る舞いも思想も全部。普通の範疇を超えていない。
普通に可愛くて普通に優しい。
多分こうして聖女に抜擢されなければ、どこかで平凡な幸せを掴んでいたのだろうなと思う。
だけどそんな普通なクレアは、聖女としては異端もいいところだった。
聖魔術の覚えも遅ければ出力も低くて脆く穴がある。
今までの聖女と比較して遥かに無能。
そんな評価を下されたクレアへの周囲の風当たりは、あまりに酷く鋭い物だった。
そうだ、あまりにも酷い。
誰も。誰も誰も誰も。自分達がやっている事がどういう事かを理解していない。
「お前はこれから聖女になるというのに、どうしてこんな簡単な事もできないんだ!」
「今までの聖女はこんなもの三十分で形にしたぞ!」
「……ッ」
罵倒が飛び交った。
罵倒が飛び交った。
罵倒しか飛び交わなかった。
分かっている。
確かにクレアの力はこれまでの聖女よりも劣る。
それは聖魔術の専門知識をそこまで持ち合わせていないクロードでもよく理解できて、それが国防の要なのだから、強い言葉が出る心理は理解できる。
だけど……だけどだ。
涙ぐんで必死に鍛錬をする、これから自分達が縋っていかなければならない少女に対してそんな行為を繰り返すだけ。
誰一人として少しだけでも前進したクレアを褒める事も無く。
頑張ろうとしている彼女の姿勢を肯定する者も無く。
ただ、強い言葉を浴びせるだけ。
それがどれだけ愚かしい行為なのか分かっているのだろうか。
「……すみません」
それでも折れずに頑張っているクレアがどれだけ強いのか。
彼女を取り巻く人間の内の誰か一人でも分かっているのだろうか。
(誰も……何も分かっていない。クズしかいない)
きっと、クレアの周囲でこの状況がおかしいと理解しているのは自分しかいない。
「……ッ」
……といっても、結局ただ見ているだけで何もできない自分も同罪だとは思ったが。
(……どうすればいい)
見ていられなかった。
だけど見ている事しかできなかった。
(俺はどうすれば……)
別に自分は強い立場の人間ではない。
そんな自分がこの歪な状況に割って入った所で、まず聞き入れられる事は無いだろう。
それどころか、自分がクレアの担当から外される可能性が高かった。
……もしも自分以外の誰かに担当を変われば、この罵詈雑言が四六時中の物に変わってしまうと思った。
だから助けられなかった。
……そういう事を理由に助けなかった。
「……ッ」
だから自分が支えると意気込んで聖女の執事になったのに。
「……すみません、聖女様。俺が付いていながらあんな事に……ッ」
結局クロードにできた事は、後で二人になった時に何もできなかった事を謝るだけだった。
不甲斐ない。
情けない。
ろくでもない、どうしようもない無能。
自分を罵倒する言葉を抑えられなくて仕方がない。
だけどクレアは言う。
言ってくれる。
「いいよ。分かってるから……クロードだけは私を見る目が違うって事は。今こういう事を言ってくれるような、私の味方だって事は」
「……聖女様」
「ちゃんと理解してくれる人がいるってのは、思った以上に気持ちが楽になるんだ。ありがとう……クロード」
「……ッ」
クレアが言ってくれた事は、何もできない自分を肯定してくれるような事で。
一人で勝手に追い詰められていた自分の心を救ってくれたような気がして。
そしてきっと受け入れてはならない言葉だと、クロードは思った。
(……違う)
自分はまだ礼を言われる事なんて何もやっていない。
自分はまだ他の皆が放棄した当たり前だと思う事をやっているだけで。
……そんな事で褒められるような。
そんな事をしただけの相手にそんな言葉を掛けるような。
こんな最悪な現状を肯定してはならないと、そう強く思った。
だから……こんな所で立ち止まってはならないと思った。
(……なんとかする)
一つ、予想というより確信がある。
このままではこの先、目の前のクレアという聖女の少女には、これまで自分が想定してきた以上の苦難が待ち受けている。
多分これまでの聖女のようにうまくはいかない。
そんな彼女の立場がどうなるのかは、今日一日だけでも強く理解できた。
……だから。
(何とかするんだ……変えるんだ、この状況を)
何をどうすればいいのかは分からない。
闇雲に走る事しかできない。
それでも……それでも。
目の前の頑張っている女の子が不当な評価を受け続けるこの歪な環境だけは、絶対に変えなければならないと思った。
結局何も変わらなかったのだけれど。
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