第23話 凶兆の印

その日は黒燕にとって長い一日であった。その日の演習が終わった瞬間に黒燕はイエルの部屋へとまっしぐらに向かったのは言うまでもない。その道中、彼はバルコニーで思いにふけるミカ先生の後ろ姿をみた。流れるような白髪の長髪に、白銀の鎧装を纏ったその姿はいつ見ても美しい。そんな美しい先生の顔には、美貌に似合わぬうつろな表情が浮かんでいる。


「(先生・・・)」


あなたほどのような綺麗な人に、そのような顔は似合わない。思わず声をかけてしまった。


「!・・・黒燕。」

「あ、あの・・・ミカ先生、私はまだまだ未熟者で、ミカ先生の足元にも及ばないし、こんなことを言うのは生意気だという事は重々承知の上ですが・・・もし、ミカ先生がお困りの時は、いつでも私を頼っていいですからね、私にできることがあれば、力の及ぶ限り何でもします!!」


不器用なほどに純情な黒燕のその姿勢に、ミカは思わず笑みがこぼれた。


「・・・ふふっ、おおきに。でも大丈夫。黒燕の顔見て元気出たわ。」

「やっぱり先生は、笑顔でいるほうが一番美しいです。」

「もう、ほめても何も出て来んよ~?」


かつてミカがまだ色魔殿の中に来てから日が浅かったころは、こんな感じにブラックウィングと他愛もない会話をしたものだ。彼と話していると、どんなにつらいことがあって落ち込んでいてもすぐに忘れることが出来た。だから、彼女は色杯が新たに黒系色素生物に祝福を与えたと知ったときは立場を忘れて狂喜した。仮想教育空間の中ではあくまでも戦闘訓練だけ教えてやればよかったが、ミカは初めてジレンに我儘を押し通してまで、彼女は戦闘訓練以外の面倒も進んで受け持った。


仕事では冷血のミカ、などと呼ばれているが、彼女にだって情と言うものが存在する。それを唯一むき出しにして語り合えるのがブラックウィングであった。そして今、黒燕と言う新たな存在が現れた。色素生物はその特殊性から、一族同士の絆と言うものはしばしば存在しない。だが、ミカと黒燕の教育空間内での関係の深さを地球の文化的観点で表すなら、まさしくそれは、”親子”と言っても差し支えないであろう。もっと踏み込んだ言い方をするならば、亡き夫の分まであふれんばかりの愛を子にそそぐ母の姿か。


なので子たる黒燕が母たるミカのことを思いやるのは当然であった。母は今自分に対して敬礼し、バルコニーから去っていく己の愛を一心に受けて健やかに成長してくれた子の姿が、とてもまぶしく見えた。そして立派な戦士になった彼の後ろから伸びる大きな羽が、かつて自分が思いを寄せていた人の後ろ姿と脳裏で重なった瞬間に、ミカの頬に熱いものが流れた。まだ私にも流すほどの涙があったのか、とミカは独り言ちた。


・・・


黒燕はミカと別れた後、イエルの部屋の目の前までやってきた。既に扉は開いていた。


「おお、丁度いい所に来たな黒燕。」

「昨日の話の続き・・・聞かせてください・・・」

「それよりもまず、この報告データーを見てくれ。少々面白いことになってきたぞ。」


イエルが自分の机の上にあるコンピューターを開き、色素生物からの報告書を立体映像で出力した。彼が色魔殿にきて最初に行った仕事は、色素生物はシキモリと対戦するとき、リアルタイムでその概況を疑似網膜経由で無意識的に報告するシステム、RTRS(リアルタイム・レポート・システム)の構築であった。これさえあればたとえ敗北してその場で色素還元されたとしても、残されたデーターを分析し次の戦闘に生かせるという訳だ。これはイエルがまだ岐路井という一人の人間だったころに生み出したシステムを応用して色魔殿にも導入したものであった。


「これは地球時間で2週間前にシアンと戦ったグリンガが送ってきたデーターだが、奴の戦闘に少々”むら”が生じていることが報告されている。体力の消耗速度や大きさがまちまちの光線技、そして飛行中の軌道のブレ・・・このことからシアンは何らかの負担による疲労を抱えていたと私は結論づけている。この戦闘を最後に、シアンは三日ほど姿を見せなかったのが何よりの証明だ・・・」


そしてイエルはシアンとの戦闘報告書を下げて別の戦闘報告書を立体映像で拡大した。シアンと違って色魔殿の登録データーベースにはない全く純粋なる地球側の存在、色素生物にあって色素生物にあらずとされているシキモリ2号について書かれたものだった。確か名前をマジェンタと名乗っていたと黒燕はおぼろげに記憶している。


「奴がおそらく休養を取っている間に地球防衛を一手に引き受けたのがこのシキモリ二号だ。だが奴はシアンが戦線に復帰した後もシアンには全く戦わせずに、襲撃してきたすべての敵を迎え撃った・・・そして、つい先ほどの戦闘で、一週間前のシアンと同じ兆候が見られたそうだ。それも途中からシアンが参戦していなければ勝てなかったほどの、ひどい疲労状態にな・・・」


イエルは最後に、数枚の報告書を立体映像内で拡大した。報告書の区分欄にはでかでかと「不戦敗」と書いてある。


「昨日も言ったとは思うが、俺たちが送り込んでいる同胞の数は到底二人で捌ける数ではない。たとえ二人が分かれてに出撃したとしてもそれぞれ同地点で二体までが限界だ。その隙をついて我々はシキモリ二人が手を出せない時間帯にも狙って送り込んでいるのだが・・・シキモリと遭遇しなかった奴らは決まって、と最後に報告している。到着前は明らかに晴れていたにもかかわらず、だ。」


天気が悪くなった・・・それを聞いて黒燕ははっとした。以前仮想空間内でミカ先生が見せてくれた戦闘アーカイブ映像の内、ブラックウィングとシアンの戦闘で、奴はまるで己のしもべのように、気象を操ってはいなかったか。そして生み出した積乱雲の中で、シアンに致命傷を与えたのではなかったか。もし、仮に奴が地球側に協力しているとしてこの謎の不戦敗にもこれと同じ方法を使ったのだとすれば合点がいく。


「二人が対応しきれない部分を誰かが補っている。それが奴とはまだ確証は出来ないが、可能性は低くはない。そして・・・今、その正体をあぶりだすチャンスがやってきたのだよ。黒燕。」


イエルはついこの前までは地球側に味方をしていた。シキモリの二人の様子をすぐ近くで観測していた彼は、二人の間に戦友とはまた違った感情が芽生え始めていることを察知していたのだ。地球から飛び去ったときにイエルが色杯とマジェンタをもって飛び去ろうとしたとき、シアンが僅かなエネルギーでマジェンタのみを取り返したことでそれは立証されている。今回みられた疲労も、それと何かしら関係があるのではないか。そしてそれを、シキモリ達に協力する「彼」も知っていたとしたら・・・


「奴はおそらく、今日一晩は二人に休養を命じるはずだろう。それが人情というものだ、私が彼ならそうする。もしくは強制的にそうさせるか。そしてこれは正体をあぶりだすまたとないチャンスだ。」

「し、しかし、仮にもしそいつがブラックウィングなら、また謎の積乱雲を発生させて済ませるだけなのでは・・・」


黒燕のいう事は正しかった。だが、イエルは案ずるな黒燕、とその不敵な笑みを全く崩さなかった。何か策があるらしい。


「黒燕よ。奴が天の利を操るなら・・・こちらは地の利を使うまでさ。そしてその計画には、お前が必要不可欠なのだ・・・この密命、頼めるか?」

「・・・ですが、勝手な行動は慎むようにと言われておりますし・・・」

「もし奴がブラックウィングで、お前がそいつをあの星で退治すればミカはお前に感謝してもしきれないだろうな・・・先生には笑顔でいてほしいのだろう?」

「!!」

「だったら、お前には選択肢は一つしかないはずだ・・・黒燕。」

「・・・」

「命令違反などの諸々の責任は私が引き受ける、お前は手柄だけ立ててくればよいのだ。」

「・・・分かりました、将軍。」




色素生物が休む色魔殿のバルコニーから、一つの黒い影が飛び立った。大きな翼を広げた黒影はアステロイドベルトを越え、火星、月を通過し、いよいよ目的地である地球の大気圏へと突入する。大気との摩擦熱から身を守るために、大きな翼で体を包む。黒燕の体は大きな火の玉と化し、まさしく流星となって、黒燕は地球へと降りて行った。


「流星は、かつては凶兆の印、だったか・・・ククク」


その様子を色力式空間映写スクリーンで見ていたイエルは地球へと堕ちていくをただじっと見つめていた。





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