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    坂本さん、お世話になっております。


    まず、感想を残すと言いながら間が空いてしまいました。ニコラスさんに触発され、読み上げアプリで聞いた最初の作品となりましたが、耳で聞いて改めて坂本さんの文章の美しさに気が付かされました。そして、いつもにも増した深い洞察。流石の一言です!

    特に驚かされたのは、女性(少女)に対する考察の深さでした。同時に、小説を書くとき、男女をある種自明のものとして書いてしまっている自分の悪癖に気がつかされました。少女と少年の精神性の違い、穢れに対する相違、涙を流す意味、少女としての特殊性……どれをとっても、「言われてみればそう」なのですが、しかし言われなければ考えもしないこと。ここに、フランス文学を読んでいるような感覚に陥りました。

    また、Twitterの方では自分の大好物である逆転(光≒忌避すべきもの、闇≒歓迎するもの)として描いている点について、「グノーシス味」として感想を残しました。これを「グノーシス味」と言い表すことが適切なのかはさておき、坂本さんの小説の中に現れる【固定観念の逆転現象】、【存在に対する問いかけ】、【叛逆】といったものは、個人的に大好きです。今作もこれらの要素がてんこ盛りで、満腹になりました。ご馳走様です!

    坂本さんが今作で示された叡智。その全てが消化できているかは分かりません。しかし、血肉となり骨となり、自分の作る作品の糧になるという確信はあります。そう言う意味では、おそらく何度も通う作品になりそうです。何かに迷ったら帰って来る実家のような存在となりました。


    最後のシーンは、読解できている自信はないのですが、唸らされました。芳香は、「生きること(個が個として存在する状態)も、死ぬこと(個と個が一つに溶け合った状態)も、哀しくてたまらない」と言う。それに対し、惟子は「穢してあげる(闇で覆う)」と言う。しかし、闇は光で覆われ、光もまた闇で覆われている。さながらマトリョーシカのようになっている世界の条理は、拡大し続ける宇宙の彼方まで続く。あるいは、その先まで続いているかもしれない。――そうなったときに、果たして「熱的死」は訪れるのか? ことによれば坂本さんは、『大いなる誤算』とは違った答えに辿り着かれたのではないか? そう邪推してしまうのです。

    作者からの返信

    天秤様

    坂本です。
    御高覧いただき光栄です。
    そして、いつも拙作にご感想を下さりありがとうございます。

    また、(これは天秤さんのご感想を拝読する折々に感じていることなのですが)天秤さんのアカデミカルな洞察の鋭さに舌を巻いております。巻いて巻いてこんがらがった舌の根を何とか解しながら、今返信を書いております。舌の回らぬ個所の多々あること、どうぞご宥恕ください。

    ご高察のとおり、当作はフランス文学の流れを汲んでおります。天秤さんのことですから、恐らくは想到していながら敢えて言葉にすることを控えていただいたのだと存じますが、私の弄した少女論はその多くをボーヴォワール女史の一説に拠っております。フランス実存主義を思わせる観念が節々に登場するのも、またそのためです。
    最後の一文の要否については、実は私は最後の最後まで悩んでおりました。もしあの一文をいれなかったとしても、それはそれで、クーポラの暗闇に浸された二人の体が一つの結晶物として析出していくような、そのようなまとまりを持った構成として当作を締めくくれたとも思っておりましたから。然るに、天秤さんが既に看破しているように、当方の"グノーシス趣味"が、最後の最後で二人の話を二人の閉じた関係の中に留めておくことに我慢ができなくなってしまったのです。

    そして、『大いなる誤算』とは違った答え......これは作者ながら全くの盲点でした。言われてみれば確かに思い当たる節がいくつかあります。「熱的死」の問題、おしなべて言えば「ニヒリズム」の問題は、私の創作する不条理の根本にある問題です。まるで虚無から養分を吸い出そうとする一個の不条理な植物が私であり、それのつける実が私の小説なのかもしれません。そして私は、異なる色々の手段を用いながら、ニヒリズムへの対抗に闘志を燃やしているのでございます。ニヒリズムから生じた実で以ってそれを為そうとすることの救いの無さ、これもまた文学であると言ってしまえれば、加速する不条理への歯止めにもなるのでしょうか?

    天秤さんの存在は、まことに頼もしく思います。頼もしく思うがばかりに如上のような書き方をしてしまいました。どうぞ坂本の前途を温かく見守ってやってください。
    今後ともご好誼のほど、よろしくお願いいたします。

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    読了致しました。
    読み終わってしまったという余韻に浸っております。相変わらず無料で読ませていただいて良いのかと思うくらい、素晴らしい御作品でした。

    心とはどれだけ儚く、鮮やかであるかと思いを馳せました。相手の存在がどれだけ互いを支えたことでしょうね。私には、最後の雷鳴は或る種の警告であり、福音であるように感じられました。

    物語に没頭する瞬間がとても心地良いです。
    素敵な時間をいただきました。ありがとうございます。今後のご活躍も応援しております。

    作者からの返信

    mk*様

    坂本です。
    返信が大変遅くなってしまい申し訳ございません。
    そして、いつもいつも素敵なご感想をいただきありがとうございます。

    『最後の雷鳴は或る種の警告であり、福音であるように感じられました。』
    物語進行の原動力を、登場人物たちの内発的な動機付けによってではなく、屡々雷や嵐のような自然現象に事寄せてしまうことは私のドラマツルギーの弱点ですが、mk*さんの詩的感性で寧ろそれを良く捉えていただけたこと、このことの方が私にとっては一層福音のように感じられます。ありがとうございます。

    私もまた、mk*さんとの遣り取りの中でいつも素敵な時間をいただいております。
    願わくは、今後ともこの遣り取りがい続いていきますように......
    この度は御高覧頂きまことにありがとうございました。

    編集済
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    坂本さん、おはようございます。
    早速読み始めさせていただきました。
    もしかすると、浅学な私では御作の意図とは異なる感想を寄せてしまうかも知れませんが、どうぞご容赦くださいませ。

    空に、地に、命の終わりへの想いを馳せる少女たち。サボタージュという小さな社会からの逸脱と、其処に見出される仄暗い高揚。エリクソンの命題である自己同一性と拡散を思い出しました。

    続きも楽しみに拝読致します。