第167話 人は考える葦である
2022.11.29
今日は、休み。
昨日、一昨日と派遣でバイト。
昨日の派遣先はお初だったけど、間違いなく過去ワースト5に、、、
1時間かけて行って、こんなんかよー!みたいな感じ。どんな感じ?
もうなんか、とりあえず派遣看護師で何とかしのいでるあたりが、、、なんだよなぁ。
またお願いします〜って言われたけど、もう二度と行きません。ハイ。
私は良くも悪くも、外ヅラは良いようで、派遣で仕事をしても、また来てください〜と言われることが多い。まぁ社交辞令かもしれないけど。
鬱の時には、全力で外ヅラを作るし、上がってる時はもう普通に明るく振る舞える。
割と、人当たりは悪くないと思う。仕事では。
プライベートでは、指名手配犯と言われたことがある。
目つきがめちゃくちゃ悪い。
ポイズンな世の中を、睨みつけるように歩いているのだろう。
まぁ基本的に人間は好きじゃないし、狭く深くの関係を望む。
そんなわけで、昨日の仕事はめちゃくちゃ疲れた。
外ヅラHPは0に限りなく近い。
今日は休みなので、いつものコメダに、いつものモーニングに。
もはやルーチン化してるのでは、、
考え事というか、先のことについていろいろと書き出したりしてみる。
仕事、お金、いろいろ。
どれくらい働けば生活が成り立つか?とか。
まぁとにかくいろいろ。
上がってる時は、ぶわーっとなって考えがまとまらない。
逆に鬱の時は焦ってしまう。
どっちの波でも、考えはまとまりにくいのかも?笑
結果的に長居になってしまう。
ていうか、コメチキっておいしいよね、、
ストレスのない生活を目指す、なんて言うけど、そんなの無理。
常に哲学者みたいに考え込んでいる。
こんな病気なのに、私は生きている価値はあるのか、とか。
何故生まれてきたのだろう、とか。
まぁいろいろ。
そんな私が、ストレスフリーに生きていくというのは、なかなかに難しい気がする。
でも実現できたら、楽になれる気がする。
どう生きていきたいのだろう、私。
もっと若い時は、刹那的な死に憧れて、綺麗なまま死にたいなんて思ってた。
30歳になって、1人なら死ぬ気でいた。
でも、29歳で結婚してしまった。
1人じゃなくなった。
でも、綺麗なまま死にたい気持ちは変わらないまま。
老人ホームとかで働くと、老いることや老いて生きることに対して、本当にネガティブになる。
認知症で手を上げる高齢者。
でも、よく考えてみると、私も治療する前はモノに当たり散らしたり、壁に穴開けたり、めちゃくちゃだった。
そう考えると、私の病気も、やはりネガティブに考えざるを得ない。
そんな風にして、私はなかなか自己肯定ができないまま生きている。
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