第2話白拍子、鍛冶屋に依頼する

 店の棚に自ら打った品――包丁やはさみなどの刃物を丁寧に飾っていく興江。左頬の刀傷を時折撫でながら、彼は昨日のことを考える。

 思い出すのではなく考えているのは強烈過ぎて忘れられなかったからだ。まるで踊るようにごろつきたちを倒した光景。加えて自分に刀を打つよう依頼したことも印象に残っている。


「今更……俺に刀を打て、なんてよ……」


 悲しげに呟く興江。大切なものをドブ川に投げ捨てられてしまった子供みたいだ。

 職人としての腕に自信がないわけではない。むしろ良いほうだと自負している。


 けれど、刀だけは駄目だった。昔の嫌なことを思い出す。触れられたくない。弱い部分を見透かされそうになる。いっそのこと仕事に打ち込めればいいのだが、鍛冶に必要な情熱と冷静さが今は無かった。


 酒にでも逃げたい気分だった。下戸だというのに。それかいつも鬱陶しく世話を焼いてくる女、ことが来てくれないかと心待ちにしている。要は気が迷っていた――


「――あ! 見つけました!」

「げえ!? なんで!?」


 何の前触れもなく訪れた奇妙な少女との再会。興江の驚愕は計り知れなかった。

 昨日、大立ち回りした少女――まつりが店の入り口に笑顔でいた。

 ちょうど店の中にいる興江には逃げ道が無かった。店と家を兼用している安い造りだから、裏口という気の利いたものなどない。


「探しましたよ。いやあ、ここは入り組んでいて分かりにくいですね」

「ど、どうやって突き止めたんだ!?」

「人に訊いたんです。左の頬に傷がある鍛冶屋の興江殿はどこにいますか? って。ここの皆さん親切ですね。丁寧に教えてくれました!」


 気後れしてしまうほど元気一杯に答えるまつり。興江は頭を片手で押さえながら「なんなんだよお前……」とうなだれる。


「だいだい、お前は何者なんだ? 変な恰好をしやがって。今時、傾奇者なんていないんだぞ?」

「私は傾奇者ではありません。まつりと申します」


 名を訊ねたわけではない。むしろ深く関わりたくないから知りたくなかった。

 興江は面倒な素振りで「分かった分かった。まつりだな」と返した。


「まつり……そう呼ばせてもらう。まつりは何者なんだ?」

「私は最後の白拍子です」

「しらびょうし……?」


 白拍子という言葉は初耳だった。興江は三十年以上生きているが、聞いたこともなければ書物で読んだこともなかった。しかし詳細を訊くともっと関わることになってしまいそうだったので、好奇心を抑えて「そうか、白拍子か」と興味のないように振る舞った。


「それで白拍子のまつりは何故……俺に刀を打ってもらいたいんだ?」

「刀が欲しいからです!」


 単純明快な答えだが、それで何でも通るほど世の中は甘くない。

 次第に頭痛がしてきた興江。反対に嬉しそうな顔をするまつり。


「はっきり言うが俺は刀を打たん。別の奴を当たれ」


 なあなあにしておくとますます厄介になると思いきっぱりと断る興江。

 すると見る見るうちに悲しげで今にも泣きそうな顔になるまつり。どういうわけか、一切悪くないのに興江に罪悪感が生まれる。


「そ、そんな顔をしても駄目だ。打たないと決めている。泣き落としは効かないぞ」

「そうですか……でも安心しました。私の見る目は間違っていません」


 依頼を断られてその返答はおかしいと怪訝な顔になる興江。

 まつりは自信たっぷりに無い胸を張った。


「打たないということは――打てないってことじゃないんですね!」

「なっ……!?」

「つまり打つことができる……そういうことですね!」


 思いも寄らない指摘。変な恰好をしている変な少女だと思っていたら案外鋭い。

 無意識のうちに俯いてしまう興江。自分には無い、あるいは失くしてしまったひたむきさと一生懸命さが心に突き刺さる。


「揚げ足取りやがって……絶対打たん!」

「なんですかそれ! 酷いですよ!」


 まるで子供が駄々をこねる言い方にまつりは口を尖らせる。興江も大人げないと分かっている。しかし刀を打たないのは破ってはいけない誓いだった。守るべき矜持だった。


「さっさと帰れ――」

「お邪魔するよー」


 興江は半ば怒鳴ろうとしたとき、鍛冶屋の戸を開ける音と来訪者の声がした。このややこしい状況をさらに混乱させてしまう奴が現れた――興江の顔色が真っ青になる。


「……あら。あんたは誰だい?」


 まつりが振り向くと、ふくよかな体型をした女性がいた。年の頃は二十後半。髪を一つに束ねていて、気立ての良い美人だ。男勝りな雰囲気があり赤の着物の上に白の割烹着を付けている。


「初めまして。私はまつりと申します」

「はあ、ご丁寧に。あたしはことだよ」


 丁寧にお辞儀をしたまつりに対して、ことは軽く頭を下げた。


「どういうことだい? 説明しなよ」

「ええと、その……」


 口ごもる興江にますます疑惑の目を強くすること。

 するとまつりが口を挟んできた。


「実は興江殿に刀を打ってもらおうと頼んでいるんです」

「刀を? 興江に?」

「…………」


 まつりにしてみれば助け舟を出したつもりだったが、興江はにしてみれば泥舟のように感じた。



◆◇◆◇



「いいじゃないか、興江。刀を打ってあげても。包丁と何ら変わらないだろ?」

「……お前今、日の本中の鍛冶屋を敵に回したぞ」


 ひと段落ついて、ようやく話し合いができるようになった三人。店先でいつまでも話すわけにもいかず、とりあえず中の居間で渋茶を飲みつつまつりの話を聞こうとなった。

 しかし全てを聞く前にことがまつりの援護をしたのだ。


「減るもんじゃないでしょ? 材料ぐらい調達できるし。伝手もあるはずだろ?」

「そういう問題じゃないんだ。俺にとって刀を打つってことは禁忌なんだよ」


 興江の頑なな態度に、ことは「分からず屋だねえ」と呆れている。それからまつりをちらりと見る。座を崩している二人に対して背筋を真っすぐにして正座をしている。ことは変な身なりだけど礼儀作法はしっかりとしているねと感心した。


「ところでまつりはなんで刀を打ってもらいたいの? 武士……ではなさそうだけど。知っての通り、士分以外は帯刀しちゃ駄目なのよ?」

「帯刀するつもりはありません。大事な人への贈り物で欲しいんです」


 贈り物と聞いた興江は「ふざけんじゃねえ」と吐き捨てた。

 いつも不機嫌そうだけど怒るのは珍しいわねとことは思った。


「刀ってのは人を殺す道具だ。それ以上でもそれ以下でも、それ以外でもねえ。飾って楽しんだり、手入れして満足する、そんな程度で終わらねえ。いつか必ず人を斬りたくなるんだ」


 やけに具体的に言う興江。彼は気づかなかったが誰が聞いても説教そのものだと分かる。

 まつりはだからこそ、真っすぐに興江を見つめた。

 射貫くように、見抜くように――心で訴えるように。


「そんなことはしません。私も私の大事な人も、人を斬りたくなりません」

「はっ、どうだかな……そうだ、この包丁を見てみろ」


 興江が差し出したのは一本の包丁だった。

 数日前に打ったばかりの新品で出来がいいと自負している。


「見事な包丁ですね……それ……」

「まつりは料理できるのか?」

「ええ、少しだけですけど」

「もし、この包丁で何かを切りたいと思ったら、刀でも同じことを思うだろう」


 それにはまつりも言葉がなかった。まさしくそうだったからだ。

 興江は続けて「刀には怪しげな魅力がある」と言う。


「善人でも聖人でも、刀を持てば何をしでかすか分からないんだ。それを昨夜会ったばかりの女の子においそれと打てるか」

「……では、私が信用されれば打ってくれますか?」

「そういう問題でもない。俺が信用してもどうなるか分からないって話だ」

「でも――」


 なおも言おうとしたまつり。しかしその前に「ちょっと待ちなよ」とことが口を出した。


「それを言うのなら包丁だって人を殺せるよ。違うかい?」

「違わねえけど、刀は――」

「包丁は料理をするためだから危なくないって言うのかい? そりゃあおかしいよ。しくじって指を切ることくらいあるだろ」


 元来、口が達者ではない興江。徐々に押されてしまう。ことはとどめとばかりに「刀を打つかどうかなんてあんたが決めることじゃない」と突き放した。


「客が求めるから刀は打たれるんだ。あたしの髪結いと一緒だよ! 与えるから物があるんじゃない、求めるから物はあるんだよ!」


 興江が反論しようと口を開いた――見計らったようにまつりが床に紫の布の包みを置く。

 手のひらに収まる程度の大きさ。しかし厚みがある。


「……なんだこれは?」

「五十両あります。これで打ってください」

「ご、ごじゅう……!?」


 奇妙な恰好をしている不思議な少女が五十両と言う大金を平然と出した。

 これには興江とこと、二人の度肝が抜かれた。


「どうしたんだ……こんな大金!」

「これは私の覚悟です。五十両払ってでも大事な人に刀を贈りたい。それだけです」


 無論、大金を積まれても刀を打つつもりなど興江にはなかった。

 しかし疑問と好奇心が生じてしまった。

 気の迷いも同時に生まれてしまった。


「……金は要らねえ。ただ、少し時間をくれ」


 その返事を聞いたまつりはゆっくりと五十両の包みを懐に仕舞った。そして興江に告げる。


「分かりました。しばらく江戸にいます。打ってくれるまで待ちますよ」


 まつりは立ち上がり、一礼してその場を去る。

 いなくなった後、ことはふうっと深呼吸して「驚いたね」と呟く。


「まさか五十両なんて持っているなんて……」

「驚くのはそこじゃねえ」


 興江は不機嫌そうに、ことに説明する。


「五十両を場に出した手が震えていなかった。懐に戻すときもだ。つまり五十両って大金を何とも思ってねえんだ」


 置かれた抜き身の包丁を改めて見る。

 これもまた、刃物特有の怪しい魅力が宿っていた。

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