第2話 誰にも見られなくて

 まずはカット用の椅子に座り、正面の大きな鏡を見ながら話をする。

 鏡越しに店内を見回すと、カット用の椅子は他に4台もあるのに、他にお客さんはいなかった。

 職場の制服とは違い、私服姿の慧也はとてもカジュアルな印象だ。様になってる。職場ではきちっとした白シャツ姿なので、いたいけな美青年という風情なのだが、ラフな格好だとワイルドでカッコイイと思った。

 慧也はニコニコしながら背後から髪を触る。触りまくる。

「綺麗な髪ですねぇ。切っちゃうの勿体無いかなぁ。でも、絶対ショート似合うと思うんですよ!可愛くなります!補償します!」

 ひえええ、と悲鳴を洩らしてしまいそうだ。

「そ、そうかな。でも、一度短くしてみたかったんですよ。ずっとロングだったから。思い切って切ろうかなって。何年かぶりの、美容院です、今日。」

 美容院なのだから、美容師が髪を触るのは当たり前のことなのだ。と、自分に言い聞かせて平常を保つ。

 美容師が年齢のいったオッチャンとかおばさまならここまでドギマギしないだろうけれど。若いお姉さんでも緊張するけれど、ここまでではない。

 美容院なんて、育児に追われている間はとてもじゃないが敷居が高くて入れなかったのだ。だから場所柄だけでも緊張する。

「そうなんですかぁ。美容院カムバック!ですね。来てくれて嬉しいです。」

 軽くブラシを髪に通しながら、彼は楽しそうに喋る。

「あの、けい・・・榎本さんは、美容師だったんですか?本業がこっち??」

 この店に入ってからずっと抱えていた疑問をぶつけてみた。

「慧也でいいですよ。そうです。本業は美容師こっちです。なんでバイトしてるかって言うとね、このお店のリニューアル資金が足らなくて、借金したからです!だから二足の草鞋なんですよ。」

 終始明るく話をしてくれるので、なんだか楽しくなってくる。これが美容師の営業トークと言うやつか。

 ママ友の美波が、美容院は癒やしよ、などと言ってるのは、こういうことなのか。



 始業のカードを切って更衣室へ入ると、すでに先客が何人かいた。

「おはようございます。」

 軽く会釈をしながらドアを開けると、中の人が一瞬驚いたようにこちらを見た。

「もしかして、久我さん!?髪切ったの?」

「わあ、印象凄く変わるね!でも似合ってるよ!可愛い!」

「ありがとうございます。ずっと切りたかったんですよね。」

 制服に着替えて荷物をロッカーへ入れる。直前に、必ずスマホを確認することにしていた。万が一にも、息子の通う保育園から連絡でも来ていたら、即早退になってしまうので。

 メッセージアプリが着信を示して青く光った。

「???なんだろう・・・」

 保育園なら電話が来る。

 単身赴任中の夫は、朝方に連絡してくることは稀だ。

 実家の親でもない。ママ友も余程緊急でない限り、朝方は連絡してこないだろう。皆忙しいのだから。

 思わず、アプリをたちあげてメッセージを確認する。

 ”おはようございます、久我さん。うちの店の宣伝よろしくね!でも、無料でカットしたことはナイショ!!”

 メッセージを読んですぐに背後を確認してしまった。

 同僚たちは一足先に、更衣室を出てしまっている。このメッセージを見たのは美優一人だ。

 危ない危ない。

 いや、危なくなくはないけど、別に、やましいことは何もないのだから。

 でも、誰にも見られなくてよかった。と思った。


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