町の人々、
@rabbit090
第1話
今日は終業式だ。
これから夏休みを迎える前に、私はうかつにも失敗を犯してしまった。
海風がたなびくこの町は、私はすごく好きだったのだ。風も心地いいし、何よりいつも穏やかな気分で生きていられる。空も青いし、水は澄んでいるし、人はあまりいなくて夜は切なくて、とにかく私にとっての心地よさの塊のような場所なのだ。
だけど、もう終わってしまう。
今日は、世界が終わりを迎える日なのだから。
知ったのはついさっき、私だけがそれを知っている。
≪五分前≫
「ねえ、梨沙ちゃんどうしたの?何でそんなに落ち込んでいるの?」
「ねえ、ねえってば。」
「下、向くなよ。上見ろ。」
つらつらと流れる言葉は次第に暴力性を帯びてきて、だんだん耐え切れなくなってきた。もうダメだ、何で毎日こうなんだ。こうなんだろう。どうして?嫌だ。
頭の中ではうまくまとまらない言葉だけが羅列していて、だから口に乗せて声に出すことすらまともにできない。
「やめなよ、困ってるじゃん。」
「ええ?だって梨沙ちゃんがずっと下向いてるから、仕方ないじゃない。」
「嫌がってるじゃん。」
「知らないよ。」
ああ、喧嘩が始まってしまった。
だけど私は関係ないじゃないか。
何で勝手に私を題材にして争いなど仕掛け合っているのだろう。いい加減にして欲しい。
私はおもちゃではないのだ。そこを履き違えないで欲しい。今日は終業式でやっと明日から夏休みだっていうのに、とんだ憂鬱の種を投げかけられている。
もう、いい加減にしてくれないかな。
恥ずかしさといたたまれなさとか、何かもうごっちゃになった醜い感情が頭の中を支配していて、ひどく、ひどくもどかしいのだ。
「はあ。」
誰にも聞こえないため息。
誰にも聞こえないはずだったのに、
あれ?
みんなが私を見ている。
ヤバい、ため息が大きすぎたかな?そう思っていると、私をさんざんディスっていた女の子が言った。
「ねえ、それ、何?」
私は、血まみれになっていた。
全身が真っ赤に染まってひどくおぞましい。一体なぜ?心当たりのない現実に私は狼狽していて、でもそれより周りの子の方がどっぷりとおびえていた。
「ちょっとやばいよ。やばいって?ねえ、それ、何なの?」
動揺しながら尋ねてくる。その子の顔は白く血の気が引いていた。
そうしたら、気づいてしまった。
ああ、世界はもう少しで終わるんだってこと。前から当たり前のように知っていたんだ、そんな感覚で私は分かっていた。
世界の、終わりは、近い。もうすぐ、このあと少し先。
だから私は夏休みを迎えることができないのだ。
≪大昔の話≫
予知。
昔から、生まれてから物心がついたころにはその奇妙な能力は獲得していた。なぜ私はたった一人だけ未来を感じることができるのだろう。未来って、どうして予測ができるものなのだろう。理由は分からなかった。ただ、私には他の人には見えない何かが見えているということは確かだった。
集落には人間が30人ほど暮らしていて、私はその中で一番最高位の存在だった。
まあ、そりゃそうだよな。だって未来を見通せるのだから、これから起こる不幸も、災いも、何もかも先んじて予測して鼻から取り去っちまえばいいのだから。
だけどね、そううまくいかないってことも分かっていたのだ。そう何度も皆には伝えているのに、意味がない。危険を回避しようとして、別の所でまた悪いことに遭遇してしまう。
その繰り返し、その繰り返し、ただその繰り返し。
ひどく退屈だった。
だから私はもう早く死んでしまいたかった。
80に年齢が差し掛かる頃だった、私は自分の死を予測する。
ついに来たか、と思った。私はだからどうやって死ぬのかと興味を持ちながら頭の中に神経を集中させた。
私は、殺されるのだ。
誰に?誰でもない、人でもない、何でもない、何かに。
世界は奇妙であふれていた。
私の最後は最後まで歪で不自然で、ただ恐いというものになってしまった。
≪五分前の話②≫
体調が悪いということで終業式に出席しなくてはいけないのに保健室で横になる羽目になってしまった。
はあ、もう嫌だ。
私の人生には嫌なことが溢れかえっている。
むせび泣くように暴れてしまえばいいのだ、嫌だと。でも、それすら許されない。それはだって結局誰かに頼るということなのだから。
私には頼る人はいない。
もちろんいない。
いたとしても極悪人だけだ。
私の両親はひどい。私が何をしているのか、何をしていようがどうでもよくって、ご飯を食べようが食べまいが気にも留めていなくて、ただコンビニ惣菜で毎日をしのいでいる。担任はこう言っていた。梨沙ちゃんは偉いね、自分でご飯作ってるんでしょって。そんなわけがない。たかだか両親が芸能人だからって、忙しいからって、何も言っていないのに勝手に決めつけないで欲しい。私はまともな食事を毎日とっていないし、生まれてからそのような分かりやすい人生は送っていない。
誰にも、結局理解されない。
なら、諦めよう。
でも、それにしても何だったのだろうか。
なぜ、私はこの世界の終わりを今確信しているのだろうか。何か、もうみんなまとめて死んでしまうというのならば恐怖とかそういう感情は無くなるのかもしれないなんて思っていたことがあったのだが、現実は全く違うということを思い知らされた。
ただ、怖い。
この事実を、受け止められるわけがない。私には全てが、全てが恐ろしくてとてもじゃないが一人で全て抱えることなどできそうもなかった。
はあ、でも私は無力なのだ。
何もできない、怖くて暴れまわることすらできない。ダメすぎる。
何で神様はこんな奴に啓示を授けたのだろう。どう考えたって、間違っている。
「
保険の担当教師が尋ねる。
やめてくれ、両親だけは呼ばないでくれ。そう思っていると彼女は続けた。
「ちゃんと言ってくれないと分からないよ。久地さん、何か聞いても困った顔するだけで何も言わないものね。」
実は結構何度も保健室にはお世話になっている。
私は体調がよく優れない日が多くて、時々担任の先生に連れてこられていたのだ。
大丈夫だと何度も言っても、その教師は私を無理にでもここへ連れてこさせようとする。
意思疎通が、決定的に不自由なのだ。
自分の意思を力強く誇示することができない、私は弱い脆弱なクズなのだった。
しばらくしてもうそうだ、でもやっぱりみんなは気付いていないのだから、何とかしなくてはと強く思い始めた。
どうしよう、とりあえず誰かに話してみようか、世界がこれから、空っぽになるっていうことを。
何が起こるのかって?
そりゃ、侵略されるのだ。
地球外生命体によって。この地球に幅を利かせている人間という動物だけを除去するということらしい。じゃあ、だからずっと思っていたのだけれど、私が世界の終わりを予知できるのって、もしかしたらその侵略者の意思なのかもしれないって。
何らかの理由があって、私に世界の終わりを予感させている。
でも、どうしろというのだ、一体。
何が正解で間違いなのか全く見当もつかず、私は途方に暮れているだけだった。
≪この町の話≫
海沿いの心地よい風の吹く港町だ。
人は少なく、でもある程度のコミュニティー、町としての機能を維持できる程度には若者も老人も入り混じっている。
学校は一つしかなく、高校までその場所でずっと育っていく。
「いやあ、最近は移住者が多いなあ。」
県で一番大きいとか何とか、そんな形容詞で表される企業に勤めていた元会社員の男は偉そうにぶすっとした顔を見せつけて、タバコを吐き出している。
みな困ったような顔をして、でもうんうんとただひとしきりに頷いている。
「そうですねえ。移住者ってずっと増えればいいと思っていたのに、いざ増えてみると住み心地が悪くなるもんなんですなあ。マナーとか、話が噛み合わないとか、そういうことでしょうな。」
「でもやめられないでしょう。この町はまだまだ稼いでいかないと、活性化させないと、後々困るのは自分たちなんですから。」
「それもそうですなあ。」
不毛なやり取りがひとしきり続いた後、彼は言った。
「だけど、ここは良い町ですよね。」
移住者だ。移住者の中でも一番地域に溶け込んでいて、こうやって町内会にも顔を出している。ずいぶん立派に見える若者だった。
だが、彼は無職のプータローなのだった。
「いや、君ね。それよりも仕事は?ずっと家族に養ってもらっているんじゃ良くないでしょ。」
彼は家族とともに、つまりご両親とともにこの町に引っ越してきた。ご両親は隠居生活の地としてこの土地を選んだようだったが、早々に嫌気がさしたのか出て行ってしまった。
そして残ったのがこの仕事すらロクに探すこともできないこの男だけなのだった。
彼のご両親は、よくは知らないがどうやら離婚をしてしまったらしい。
なぜそうなるのだ、とツッコミの入れたくなるような不思議な家庭で生きてきた人たちなのだなあと思った。
私はこの町の長を務めている者の妻に当たる。
はあ、夫はとにかく仕事のできる男で一応町長という肩書をもらっていながらいつも不平不満を口にしている。
「早く、東京に戻りたい。」
彼は東京の大学を出てこの町に戻って来たのだ。かなり頭のいい大学らしく、就職先もこんな町ではなくて都会の大企業なんかに就職すればいいものを、その頃流行っていた地元への帰郷、定住、そんなものに啓発されてこの町へと戻ってきていた。
でも私は知っている。
彼はこの町ではいじめられっ子という立場で非常に弱い存在なのだった。
だから出て行ったはずなのに、彼は私のことが好きなのだった。
かくいう私は彼のことなど全く眼中にもなかったのだが、たまたま町で再開してその頃彼氏もいなくて手持無沙汰だったから、割と地味ではありながら紳士的でイケメンな彼に告白をされてしまったので、付き合いそのまま結婚して今に至る。
だが、毎日は全く安定していなくて、不安だらけなのだった。
「ねえ、東京行く?
職が無くてこの町で彼が生きる
そしてある日彼が選んだのは、町のトップになることだった。
学歴を強調して彼の紳士的な態度もあいまって、すぐに選挙に勝ち今の座を手にすることができたのだ。
町民からの評判も良く誠実な青年だと認識されている。
それなのに、彼は東京へのあこがれに自分を預けているようだった。この町ではないどこか、そんなものを求めているようだった。
「この町は、良くない。僕にとっては、ね。」
最近彼はそのようなことを口にしていて、そうなのかといまいち同意しかねている。だって私はこの町が好きだし、この町は私の生まれ故郷なのだから。
海風が気持ちよくて、息がしやすくて、最高。それに尽きるのじゃないか、それでいいんじゃないか。
だって、私だって馴染めてなどいなかった。人が怖くて、いつも震えていた。それは結局解決のしようのないことで、どうにもできないことなのだった。
だけど私は、他の子達なんかよりもずっとこの町が好きだ。それはきっと、断言できる。出て行った子もいるし、退屈そうにぼんやりとしている子もいるし、でも私この町の風を受けると輝く。それだけで良かった。すべてがもうどうでも良かったのだ。
「なあ、あのプータロー最近東京へ帰ったって。」
「まあそうだよなあ。好青年ではあったけれど、なにぶん職もなかったのだから、でもこの町が好きだと言って残ってくれていたのに、現実を見始めたんだろうなあと思うよ。」
「なあ、だってこの町で生きて行こうと思ったら何かをして生計を立てなきゃならん。地縁も何もないあいつには少し難しいことなんだろうなと思うよ。」
名残惜しそうにプータローの話をしている。
彼はもうこの町にはいない。
私もどこか寂しさを覚えていた。
この町ではあまり見ない生き生きとした笑顔のあの子、これから先も幸せにやっていけたらいいなあ、なんて思っていた。
それに私、あの子には少し共感していたから。ロクな両親に恵まれなくて何とか社会とつながろうとする意志、それを感じていたから。痛いほどずっと、あの子が目に入ると私の心の中の何かを刺激し続けていた。
≪その後≫
カモメが鳴いている。
鳴き声がぎゃあぎゃあとうるさい。
何でうるさいと感じるのか私には分からないけれど、やっぱりとにかくうるさかったのだ。
だから近くの穴の中に隠れてやり過ごすことにした。
ここは、人一人として存在しない終わった後の世界だ。
だけど私は生きていた。
なぜ生きていたのかは分からないのだが、生きていた。
この町はそれまでため込んでいた全てを晴らすようにズルっと何かを生み出していた。
何かを捨てさりたいはずなのに、何かを生み出していた。
正確には、何かを生み出してしまっていた。
私はあの後一人だけ生き残ってこの世界で暮らしている。
予測は、予知は、私だけを生かすために編み出されたものなのだ。だってそうとしか理解し得ないじゃないか、私達は絶対に生き残れないはずだった。
なのに、私だけが一人生き残っていた。
私だけが世界の終わりを予感することができていた…。
それが、それって、一体どういうこと?
どういうこと…?
どうなのかな…。
分からないことは分からないこととして、受け入れてしまえば楽なのだ。受け入れてしまえば全部、きっと私は楽に呼吸をすることができる。なのに、なぜ、できなのだろう。
「やっぱり、一人は寂しい。人間は一人でなど生きていけないのだ。絶対に一人でなど生きてはいけない、だって今、こんなにも苦しいのだもの。苦しいのだから、仕方ない、本当に仕方ない。仕方ないんだ。」
いくら呟いても光明は見えてこない。
光明はいくらささやいても降ってはこない。
どうしよう、一体どうすればいいのだろう。
めっちゃくちゃに全てをかき混ぜれば終われるのだろうか。あなたのこと、忘れられるのだろうか。
そんなともしびのないことを書き連ねる。
私は、無力だ。
無力なまま、意味もなくぼんやりと、書き連ねる。
かいても書いても終わりはこなくて、あの清々しい海風が思い出される。
私を撫でていたはずの風。正体などなかった。正体など何もなかった。
「ねえ、何でいるの?」
恐る恐る話しかける、微妙な距離感も長ったらしく伸ばした文章も必要ない。
全部が全部不自然で、きっと意味など何もないはずだったのに、目の前にいたのは。
「悠斗君。」
どうして?何で一体悠斗君がいるの?私には分からない。悠斗君は、いなくなったはず。大人になった私は一度悠斗君と結婚していたはず。でも私は大人にはなれなくて、それはただの妄想だったのだと思う。
夢を見ていたら、あの予知の日に戻ってまた私は一人に帰る。
すべてが戻ってしまう。何度も何度も繰り返しても、分からないことは仕方ない。仕方ないのはしょうがない。しょうがないことは、どうしようもない。
なのに、なぜ悠斗君が目の前にいるのだろう。
一体、どうして?
そう思っていたら手を引かれた。そして、彼は言った。
「もう行こうよ。いい加減こんなところにいるのも飽きただろう?」
私はその言葉に同意したし、その通りだと思っていた。だから、
「でも悠斗君。私、行くところなんかないのよ?行くところなんか無い、無いの。」
泣いてしまいたかったし、泣ければよかったのだけれど、泣けなかった。
どうやっても泣けなかった。
「私、泣くこともできない。どうしよう?」
「…じゃあ、泣かなくていいから、やっぱり行こうよ。」
泣こうと思っても泣けない私の手を引いて、彼はどこかへと私を連れて行った。
私は、ただそのまま呆然とついていったのだった。
≪後日≫
とてもいい朝だ。
寝覚めも良くて、すっきりする。
いくら頑張ってもどうしようもない、どうしようもない私はどうなるのだろう。
そんな漠然とした不安を毎朝感じていて、
「おはよう。」
でも悠斗君の横顔を見ながらこうやって一日の始まりを迎えられることができるのはとても愛おしい。愛おしくて、愛おしい。
それだけで、もう良かった。
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